第7話

二次審査当日。

 大部屋の控室で待機していた三人は、出順を決めるくじを引きに行ったルミの帰りを黙々と待っていた。

 それは他の九校も同じで、室内には異様な緊張感が張り詰めていた。

「駄目だ。ちょっと、風に当たってくる」

 そういうものに最も疎いと思われていたエイジが貧乏揺すりを止め席を立つ。

「僕もちょっと飲み物を」

 続けざまにルイも財布を持ち部屋を出る。

 ここにいるどのバンドよりも練習を積んできたという自負は二人にもあった。だが、練習とは勝手が違う環境と重苦しい空気感はそれをいとも簡単に壊した。

「二人とも……」

 一人取り残され、何とか正気を保っていたユウの心にも徐々に不安が蝕んでいく。辺りを見回すと他校の生徒たちも皆、音楽を聴いたり、コードの確認をしたりと、緊張から逃れようとしていた。

 ユウもそれに見習い、ポケットからスマホを取り出したとき、くじ引きを終えた各校の代表者が控室に戻って来た。

『じゃーん!』 

 と胸元に文字を浮かばせたルミは、してやったりといった顔で【8】と書かれた番号札をユウに突き付けた。その出順は果たして有利なのかと一瞬疑ったが、全ての演奏が終わってから投票するという形式上、投票時に観客の記憶に残ってやすいという点においては確かに有利であるのかもしれないと思った。

『私って昔からくじ運強いんだよねー。って、他の二人は?』

「緊張するからって、出ていったよ」

『ふーん。あっそ』

 特に気にする様子もなく、椅子に腰かけスマホをいじり始める。足を組みリラックスするその姿からは一切の緊張が感じられない。それどころか、もう何度も経験しているかのようなベテランの風格さえ滲み出ていた。

「あっそって。これが演奏にまで響いたら」

『大丈夫だって。それは私に任せて。あんたは自分の心配だけしてればいいから』

 ユウを一瞥することもなく、ただスマホに何か打ち込みながら、組んだ足に文字を浮かばせる。

 その堂々とした姿も相まって妙な説得力を帯びた言葉を受け入れたユウは、黙々とコードの確認を始めた。

 暫くすると、運営のスタッフの一人がドアを開けた。 

「じゃそろそろ一番目のバンド準備お願いしまーす。後、二番目のバンドは舞台袖待機でー」

 呼び込まれた二校は緊張そのままに部屋を出る。すると入れ替わるようにエイジとルイが控室に戻って来た。

「二人とも大丈夫?」

 ギターを置き駆け寄る。しかしユウの不安に反し二人の表情はどこか清々しかった。 

「何が?」

「いや何がって、さっきまでの緊張が……」

「おいユウ、舐めてもらっちゃ困るぜ。この俺がこんな小せぇ舞台で緊張するはずねぇだろっ」

 普段と変わらないおちゃらけた口調でユウの肩に手を載せる。その表情を見るに、無理矢理平然を装っている風にも見えない。

 続けざまにルイの方を見る。

「おいおい勘弁してくれ。僕は本当に喉が渇いていただけだ。神に誓ってもいい。ま、こいつが緊張していたのは確かだが」

「だからしてねぇって言ってんだろ!」 

「ぬかせ。あれだけ足を揺らしておいて、よくそんな嘘がつけるな」

「あれはただリズム取ってただけだっつーの! おめぇだって、500mlのお茶一気飲みしてたじゃねぇか!」 

「だからあれば喉がっ……」

 と声を荒げようとした手前、ふと何かに気づいたように言葉を止め周りを見渡す。他校の生徒たちの尖った視線が自分たちに集中していることに気づき、二人は沈むように座った。

 二人を不敵な笑みで眺めるルミを横目で捉えたユウの脳内に、スマホに何かを打ち込んでいたルミの姿が蘇る。

 何を言われたのかは分からない。だがこの急変ぶりを見るに、余程の何かを吊り上げられているのだろう。ユウは憶測を張り巡らしながらも、結果的に良い雰囲気になっているのだから問題ないなと、色々割り切って席に座った。

「八番目のバンド舞台袖にお願いしますー」 

 軽々と言ってのけたスタッフの声が、四人を取り巻く空気に重々しくのしかかる。

 先陣を切ったのはもちろんルミで、それに情けなさを覚えた男三人は一斉に立ち後に続く。

 舞台袖に着くと丁度七組目のスリーピースバンドの演奏が始まり、観客の歓声が響き渡る。

 その大声量に、袖からは見えない客席が満杯に埋め尽くされていることを四人は初めて知った。

 アップテンポの定番、四つ打ちのリズムが「盛り上がれ!」と言わんとばかりに鳴り、追随するようにベースとギターの音が重なる。力強いながらも精緻さを兼ね備えた演奏に、相当な練習を重ねてきたのが伺える。

 やがてサビに差し掛かり会場のボルテージは最高潮に達する中、ユウは額に汗を滲ませながら歌うボーカルと自分を重ねていた。

 普段は消極的な性格を持ち合わせているユウであったが、舞台に立ち、マイクを前にギターを握れば自然と解放的な気分になり、人前で歌う事に何の抵抗も感じる事はなかった。だがそれも、学校の文化祭や少人数の友達の前での話。もうすぐ自分が立とうとしているのは、キャパシティ満杯に埋め尽くされた約八百人の観客を相手にしたステージ。そんな経験したことない数を相手に、果たしていつも通りのパフォーマンスをする事はできるのだろうか。

 そんな不安が体中を駆け巡っている間に、気づけば一曲目が終わっていた。

 ボーカルは清々しい顔で水を一口飲むと再びマイクの前に立ち、慣れた様子でバンド紹介を始めた。

 節々に冗談が折り込まれる度、観客から笑いが起きる。かれこれライブが始まり一時間半以上は経過しているのに、そのリアクション一つ一つが一組目かのような新鮮さで、観客たちがライブ慣れしている事を改めて実感させられる。

 審査には直接関係ないと理解していながらも、不安定な心情の中にいたユウは、自分も何か気の利いた進行を考えてくればよかったと後悔の念を滲ませる。

 その顔に出た不安の色を誰よりも早く察したルミは、わざとらしくユウの前に立った。

『あんたはいつも通りやればいいから』

「……」

 背に浮かんだその文字を目に焼き付けるように見つめる。揺らいでいた心の隙間を埋める何気ないその一言は、すぐに心の支えとなり──ユウは噛みしめるように瞼を閉じ、その背中へ向かって静かに頷いた。

 そうしていよいよ、二曲目が終えた前バンドが舞台袖へとはけていき、ユウたちMILLメンバーが呼び込まれる。

 ステージに出た四人はスタッフと共に各々の楽器の調整に取り掛かる。本番の演奏が始まるのはその後だ。

 ギターのチューニングを終えたユウは、ハウリング防止のためのマイクチェックに移る。

 マイク越しに見える観客のほとんどはステージを注視しておらず、皆周りの人たちと談笑している。プロのバンドが出演するフェスなどでも、駆け出しでスタッフを雇うお金がなかったり、どうしても自分でマイクチェックを行いたいというこだわりを持った一部のアーティストは、こうして自らマイクチェックを行う。その際、一部の熱狂的なファンを除き、他の観客はあまりステージ上を注視しないという暗黙のルールが存在した。

 今回の観客たちもそのルールに則ってくれたおかげで、あまり緊張せずにマイクチェックを終える事ができた。

 そうして再度舞台袖にはけた一同は息を殺し待機する。

 照明が落ち、出囃子が生る。

 その曲に選んでいたのはもちろん、昨年三人で何度も練習し、ルミの前でも披露したあの曲。

「よし、じゃ景気づけのために掛け声やるぞ」

「そんなもの、このバンドにないだろう」

「だから今日のために考えてきたんだよ。ほら、手重ねて」

 エイジに促されるまま円になり、その中心に手を重ねていく。

「いくぞ。全てはルミちゃんのために! ウィーラブールミー! って……」

 高々と上がったのは一番上にあったエイジの手だけで、他の三人は冷めた目でエイジを一瞥しステージへ出る。

「せめてルミちゃんだけは笑ってくれても……」

 エイジは上げた手をゆっくりと下ろし、顔を引きつらせながら後を追った。

 照明は落ちたまま、各々配置に着く。

 最後に席に着いたエイジはドラムスティックを握りしめ、徐に宙へ掲げる。

 一曲目に選んだのは挨拶代わりのアップテンポ曲。

 エイジ以外の三人は全意識を集中させ、皮切りとなるハイハットシンバルのカウントを待つ。

 そして。

 シャンシャンシャンシャン──

 四カウントの合図の直後、完璧のタイミングで一斉に音が響き重なり、同時にステージが明転する。

 そこに広がっていたのは、自分たちの演奏で湧く大勢の観客たち。その一人一人から発せられる熱気をステージの先頭にいたユウは一身に受け続け、ただならぬ高揚感に包まれていく。

 そうしてイントロが終わる頃には、それまで抱いていたネガティブな思考などはもうどこにもなく──何百回と練習し口が覚えた歌詞を腹の底から紡ぎ始めた。

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