第6話

ユウは疑似デートでの記憶とアドバイスを頼りに何とかもう一曲の歌詞を書き終えた。

 そして月曜日の放課後。本格的な曲作りに入るためルミの家を訪れた。のだが。

「すごい……」「マジの金持ちの家じゃん……」「……」

 聳える鉄柵の門の前でその豪邸を見上げた三人は、口を半開きにし目を見開く。高級住宅街の中でも一際目立つその家は洋館を彷彿とさせる佇まいで、広さは優に千坪を超えていた。

「ルミちゃんのお父さん、何者?」

<陶芸家。私はよく分かんないけど結構有名らしい>

 そう書かれたスマホ画面を見たユウはすかさず【陶芸家 増田】で検索し、二人はその画面を覗き込む。トップに出てきたSNSページをタップすると、アメリカ大統領と一緒に陶芸を楽しむお父さんであろう男性が映るアイコンに加え、優に三百万人を超えたフォロワー数が表示され、三人はすぐに合点がいった。

 ルミに続き門を潜った三人は粛々と玄関までの道を歩く。芝生が所狭しと植え付けられた中庭には屋外プールはもちろん、テニスコートに加え、数十台の高級車が並ぶガレージが完備されていた。  

 非現実満載の連続に息を詰まらせながらようやく玄関へと辿り着いた三人は、ルミに続き地下室へと続く階段を下りる。

 やがて肌寒い空気漂うコンクリート廊下に到着すると、その最奥は重厚な扉が備え付けられており、取っ手に手を掛けたルミは全身を使ってそれを開いた。 

「「「……」」」

 扉の先に広がったあらゆる音響設備が完備された音楽スタジオに三人は茫然と立ち尽くす。

 新品同様に輝くドラムセットにアンプ、そして巨大なスピーカーのどれもが一流メーカーの高級品であった。

「これ買い揃えたの……?」 

<そ、全部うちの所有物>

 ルミは鼻から息を吐きスマホに文字を打ち込む。

 ユウは並ぶ機材を目でなぞりながら頭の中でざっと試算するが、どう計算しても数百万円ではきかない試算に改めて増田家の財力に舌を巻いた。

 そんなことを考えながらふと隣を見ると、いたはずの二人がいなくなっていることに気づく。

 エイジは綺麗な女性を眺めるかのようにドラムセットに釘付けとなり、ルイは目もくれず一直線にベースアンプへ飛びついていた。

「こっ、これが……パワーフェニックス ……!」

 正座したルイはアンプと目線を合わせまじまじと観察する。眼鏡の奥から覗かせるギラついた瞳からも、相当な興奮状態にあることが伺えた。

 ルイは根っからのオーディオオタク、通称オーオタであった。良い音を聞くことに関しての情熱は人一倍あり、毎月のバイト代は全てオーディオ機器に注いでいた。ユウが出会った当初も、皆がスマートフォンと付属のイヤホンで音楽を聴く中、一人だけハイエンドモデルのオーディオプレーヤーとヘッドフォンを揃え、音楽を楽しんでいた。

「これ、そんなに凄いの?」

 歩み寄ったユウがとぼけた声で問う。

「凄いなんて代物じゃない。まず挙げられるのは僅か二kg未満という超軽量でありながらも五百Wの出力を持った素晴らしい機能性。加えシンプルなコンプレッサーに加えエンべロープ・フィルターなどのエフェクトも搭載し、更に低中高域全てをブーストすると同時に中低域をカットするエンハンス・コントロールを……」

 連発される専門用語が理解出来ないわけではなかった。が、マシンガンのように放たれる言葉のスピードについていけず、ユウの頭はショート寸前となった。

「つまり、他を寄せ付けない圧倒的機能性を兼ね備えた神アンプというわけだ!」

「な、なるほどね」

 圧倒的熱量に気圧されたユウはあたかも理解したように返事をした。半分以上聞いていなかったが。

 一通りスタジオ内を観察した三人はルミに部屋の中心に集められ、いよいよ作曲会議が始められた。

 一般的に曲はメロディー、ハーモニー、リズムの三つの要素を組み合わせ作られる。バンドに当てはめると、メロディーはボーカルの声が乗る部分で、それをサポートする形でハーモニーのギターコード、そしてリズムを形成するドラムとベースが組み合わさり一曲が完成する。

 作曲の方法もいくつかあり、鼻歌や適当に鳴らしたギターコードを採用し感覚的なものから作っていく方法や、既存のコード進行やビートなどを予め決めそれに則り作っていく方法がある。ルミが選んだのは後者であった。

<二次審査はたった二曲でどれだけ観客の印象に残るにかかってる。二曲ともアップテンポの曲にして客を盛り上げるのもいいけど、それだと逆にインパクトに欠ける。だから一曲はアップテンポのものを、もう一曲は落ち着いたものを意図的に作る。曲同士の振り幅が大きければ大きいほど印象に残るからね>

 スマホ画面の中に打ち出された論理的な推論に、三人は誰も異議を示さなかった。

 一次審査のサムネイル作戦と言い、ルミは客が何を求めているかを理解する客観的な視点を持ち合わせ、その要望に応える能力に長けていることをユウは改めて実感した。

 発足以来初めてということもあり曲作りは難航するかのように思われた。しかし、頭の中で大まかな構想が出来上がっていたというルミの的確な指示により、みるみるうちに曲が作り上げられていく。同時にユウはそれに合わせるように歌詞を重ねていき、息継ぎのポイントや歌いずらい部分などを調整していく。

 部室とは違い時間的制約がないこともあり、各々高い集中力で演奏を重ね、自分のパートを物にしていく。

 それを繰り返すこと六時間。時計の針が十時を回った頃、ルミが思い描いていた通りの二曲が完成した。

「本当にできた……」

 ドラムスティックを静かに置いたエイジは心の声を漏らす。裏を返せば本当に出来るとは思っていなかったということで、それは肩から楽器を下ろした二人も思っていたことだった。

 緊張から解放された三人の体にどっと疲労感が舞い込む。一方で一番エネルギーを消費しているはずのルミは至って元気だった。

<皆の飲み込みが早くて助かった。明日から本格的に練習ね!>

 満足げな表情でスマホを掲げると、再び自分のパートを弾き始める。音楽の語源通りまさに音を楽むその姿に、ユウはふと数万人の歓声を受けながらステージ上で演奏する彼女の姿を重ね合わせた。


 それから連日に渡り練習が続いた。

 平日は学校が終わり次第ルミの家に直行し夜の十時まで、休日であれば泊まり込みで練習した。バイトなどで全員が揃えない日は、各々予め録音しておいた個人パートの音源を流し埋め合わせた。

 日を重ねる度、各々の演奏技術の向上はもちろん、バンドとしての一体感の強さも増していき、それに比例し曲の完成度も高くなっていった。

 毎日練習の最後には最後の演奏の録音と前日の録音を聴き比べ、着実にクオリティが上がっている事と、まだ不足している部分を共有した。

 そうして練習を重ね、いよいよ二次審査まで後一週間に迫った。

 ここまで続いたハードな練習に誰一人音を上げなかったのは、各々が高いモチベーションで練習に取り組んできたからで、それは毎日の聞き比べるという習慣が下支えしているからに他ならなかった。

 ユウは最初からこうなることを狙いこの習慣を作ったのかもしれないと思った。これまでのルミの手腕からしてもやりかねないとも思った。

 だが理由はどうであれ、皆の演奏技術は成熟に成熟を重ね、もはや体が覚えるレベルにまで達していた。曲のクオリティもほぼプロと遜色ない程までに仕上っており、膨大な練習時間に比例した自信も身についていた。

 審査前の最後の泊まり込みの夜。

 その日も普段通りの時間を練習し、疲れ切ったエイジとルイはゲストルームに用意された各々のベットで熟睡していた。 

 一方で何故か眠れなかったユウは夜風に当たろうとベランダに出た。

 目の前に広がる月光を浴びた芝生に、どこか遠い国の草原に来たかのような錯覚に陥りそうになる。

「あともう少し触れられていたなら、君の全てを分かったのかもしれない」

 解放的な景色を前に自然と歌詞が口から漏れ出す。二次審査で歌うバラード曲の一節だ。

 二人に散々いじられたこともあり、最初に書いた歌詞を大幅に加筆修正した。だけど、どうしてもあのキスされた後の感覚は残しておきたかったから、途中の一節だけはそのままの歌詞を残した。そうして出来た歌詞を初めてルミに見せたとき、一読したルミは即決するようにバラード曲に決めた。

 続きを口ずさもうとしたとき、背後から引き戸が開く音が鳴り振り返る。

『だけど君は離れたね、分かるわけないと囁くように』

 そこには真っ白なワンピースの上に続く歌詞を浮かばせたルミが立っていた。

『何してんの』

「ちょっと眠れなくて」

『ふーん』

 ユウの隣に来たルミは策の上に両腕を載せる。

『良い景色でしょ。私も子供の頃、寝れないときはよくこうして眺めてた』

 そう懐かしむような目で風景を見つめる。

『なんで眠れないの? こんなに練習しておいてまだ不安?』

 ユウは緩慢と首を横に振る。 

 そうではなかった。それに関してはむしろ逆で、一抹の不安も感じていなかったし、これ以上にない万全な備えで審査に挑めることを心の底から感謝していた。

「正直、プロになるなんて絶対に無理だと思ってたんだ。だけどこうして本気で練習に取り組んで、皆どんどん上手くなっていって。そんな皆を見てたら、もしかしたら本当にプロになれるのかもしれないって。そんなこと考えてたら胸騒ぎが止まらなくなってきて」

 怒られるのを覚悟で今自分の中に渦巻いていた心の本音を吐露する。直後、ルミの表情が気になり隣を向いた。

『なれるかもしれないじゃなくて、なるの』 

 だが予想に反しルミの横顔には何の感情を浮かんでおらず、ただ少し眇めた目で一点を見つめていた。 

「増田さんはどうしてそこまでしてプロになりたいの?」

 今しかない。その突発的な思いが、ずっと胸の奥で引っ掛かっていたモヤモヤを口へと押し上げた。  

『約束したからさ。絶対になるって』

 誰と……。そう言葉が出かけたが、先程までとは違う憂いを帯びた表情を見て、言葉をぐっと飲み込んだ。 

『早く寝なよ。明日は丸一日練習できる最後の日なんだから』

 策から手を下ろしたルミは引き戸の方へと向かう。ユウはただ黙しながらその姿を目で追った。

 結局、まだ僕は彼女の何も知らない。転校してきた理由も、どうしてプロになりたいのかも、いつから声が出ないのかも、全て。

『あとさ』

 そのルミの背に浮かぶ三文字を見た瞬間、続きの言葉は容易に想像が出来た。

『いい加減名前で呼んでよ。こんなに長く一緒にいるんだから』

 冷やりとした夜風が流れるように吹く。

 それは二人の頬に帯びた熱をさっと拭い去っていった。

 

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