樹鬼

弓長さよ李

私の通学路には、古い大きな木が生えた家があります。


 その家は、柱が何本か折れかけていて、ボロの屋根が波打つようにぐにゃりと歪んでいました。


 というよりも、その家は何もかも歪んでいるのでした。


 まず、周りの石垣からして歪んでいます。お城の様に大きさの違う石を積み上げたそれが所々崩れていて、ところによっては


「さぁ入っておいで」


 と言わんばかりに大きく凹んでいます。家の内側に石がゴロゴロと倒れ込んでいて、それは自然にできた入り口の様に見えました。最初は私もそこが入り口だと思っていたくらいです。


 柱もまっすぐではなくて、ゆみなりにひしゃげていてあちこち亀裂が走ったところに無理に補修したような痕がいくつもあります。庭に通じるガラス戸は少し開いていて、隙間からぼうっと暗い部屋の中が僅かに見えるのですが、その奥に赤い花柄の布団が出しっぱなしになっているのが光の加減でチラチラ見えました。


 網戸は破れていて、そこに木の枝が引っかかっています。


 そんな歪んだ家を、庭いっぱいにぐわぐわと生えた硬そうな草が多い隠していて、家のあちこちに入ったヒビには苔や水でくちゃりと固まった埃が詰まっていました。


 その、ぐわぐわと硬そうな草が生えた庭に、一本の古い大きな木があるのです。


 その木は家と同じように歪んでいて、葉や細枝がなく太い枝が手足のように数本伸びていることもあってまるでぜぇぜぇと杖に体重を預ける老人のように見えます。幹は途中で大きく倒れ込んで家の屋根にのしかかり、そこから少し上に行くとなんとか無理やり持ち直したように上に向かって伸びていき、とうとう正午の太陽を隠すくらいには高くまで伸びているのでした。


 近所の子どもたちはみんな、その木をお化けの木と呼んで怖がっています。私も低学年の頃はそれはそれは怖くて、通学する時にはその家を見ないように薄目を開けて早歩きで歩きました。小さな子の想像力はすごいもので、あの木は鬼が化けているんだ、あの木に近づくととって食われてしまう、なんて噂がまことしやかに流れていました。


「んなわけねぇだろ、バカバカしい」


 そう言ったのは、六年で一番やんちゃな柿沢くんでした。集団下校の前に、彼は、怯える低学年に子達を鼻で笑います。それから、少し優しい表情を作って続けました。


「あれはなぁ、ただ長生きしてる木だよ。そんなもんにびびっててても良いことないだろ。木は何もしてこないよ。それになんで鬼が化けるんだよ。化けるなら狸とか狐っしょ。狸とか狐って動物園で見たことある?めっちゃ可愛いの。尚更怖くないよ。それに襲ってきてもあんな小さい生き物ならさ….」


 蹴飛ばしてやりゃぁいいじゃん、と柿沢くんはキックのポーズをしながら笑います。

 

 それに続いて

 

「アイヤ待たれよ!動物虐待にござりまするぞ!」


 と五年の太った男の子が笑いながら叫び、柿沢くんは


 「イヤイヤこいつは俺としたことが!」


 と、また笑いました。ケラケラと屈託のない笑いは、なんだか元気が出ます。


 そして柿沢くんは、そんなに怖いんだったら俺があの家の近くで木を見てきてやるよ、と言いました。


 「すごいなぁ」


 と、馬鹿みたいな感想ですが思いました。

 そのすごいなぁ、は半分尊敬で、半分呆れです。

 

 私だって六年生ですからあれが鬼だとか、人を食べるとかそんなのは全然信じていませんが、それでもなんだか不気味な気がしてついつい前を通る時は早足になってしまいます。

 

 だから本当に勇気があるなぁと思うのですが、同時に


「わざわざ触らなくたって小さい子には勝手に怖がらせておけば良いのに」


 とも思うのです。


 けれど、別に止める理由もなかったし、私は柿沢くんに


「いい?途中ちょっと止まっても」


 と言われても、


「はぁ、まあ良いよ別に」


 と雑に返しました。別に数分止まったって、なんてことはないですし、それで彼が満足するならそれで良いんじゃないかな、と思います。


 「縦割り班の班長として低学年が怖がってるのを見過ごせない」みたいなのもあるのでしょうし、六年生だから自動的に副班長なだけの私は今まで一度もリーダーシップみたいなものを発揮してもいませんから、ここで柿沢くんに偉そうなことを言うのも違う気がしました。


 そういうわけで、私たちはぞろぞろ連れ立って歩いて、通学路の、古い大きな木がある家の少し斜め手前で止まりました。

 低学年の子達は、怯えながらも、ちょっとだけワクワクしている様に見えました。柿沢くんは、


「じゃぁ見てろよ」


 と宣言すると、とてとて歩いていきます。

 そして、歪んだ家の歪んだ石垣の前に立つと、へいちゃらな顔をして木を見上げました。


 なんだか、それは嫌な光景でした。木の歪み方は、以前は老人の様だと思っていましたが今見るとぐわりと口を開けた、日本画の虎の様に見えます。その前に柿沢くんが立っている形ですから、なんというか、確かにこれは食われてしまいそうな気がします。


 低学年の子達は、それでも平然と木を眺める彼の姿を見て、多少怯えがとれた様な顔をしています。なんだかんだで、彼の作戦は成功だなと私は思い、呼び戻そうとしました。


 その時です。柿沢くんは突然、ふらりと石垣の大きく凹んだところから庭の中に入っていきました。


「ちょっと、勝手に入っちゃダメだよ!」


 私は叫んで駆け寄ります。柿沢くんはフラフラ歩いて木に触れると、そのままパタンと倒れました。


 私たちは、半狂乱になりました。

 

 柿沢くんが倒れた、魂を食べられちゃったんだと大騒ぎです。五年生の太った男の子がなんとか近くの大人を呼んで救急車を呼んでもらい、柿沢くんは運ばれていきました。


 私は頭が真っ白になって、半分意識がないままフラフラ帰りました。


 夕飯の時お父さんやお母さんにいろいろ聞かれた気がしますが、気がついたらベッドの中です。


 そして夜、私は夢を見ました。夢の中の私は、ひどい熱で気持ちが悪くて、けれど眠れなくてこっそりと夜の町を歩いています。夜だというのに空が真っ白で、見慣れた町が、いやにさびれて寒々しく感じます。


 私はその空気がどこか心地よくてパタパタ歩いていきました。


 あの木のある家につきました。不思議と怖くはなくて、私はそれをじっと見つめます。


 木には、実が成っていました。暗くてよく見えないけどさ、赤っぽい、丸くてゴツゴツした実。

 

 所々に大きな出っ張りがあり、歪な形です。家も歪んでいるし、木も歪んでいるのだから仕方ないのかもしれません。

 

 それはまるで、男の子が体を丸めている様に見えました。


 家の奥から、誰か出てきます。おじいさんでした。


 髪がボサボサして、顔はシワだらけで、胸の開いたボロボロの着物を着ています。

 

 そのおじいさんは、雨上がりの夕焼けをなお煮詰めたような、ひどく鮮やかな朱色をしていました。


 鼻先が、とか頬が、というのではありません。

 髪も、シワだらけの顔も、着物も、全部です。


 ひしゃげた腰に着物が張り付いて、髪と一緒にはたはたとひらめくのが、水墨画の中に赤い絵の具を垂らした様に見えます。


 鬼だ、と思いました。

 

 おじいさんは体を細長くすう、と伸ばすと、ぷちりと実をとって、食べてしまいました。その口の中には、不揃いな歯がガタガタと生えていて、実をくちゃくちゃと噛むたびに唾が飛びました。


 おじいさんはふとこちらを見ると、ケラケラケラケラ笑って、


 ぐぷ


 と呻きました。


 翌日柿沢くんは亡くなったそうです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

樹鬼 弓長さよ李 @tyou3ri4

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ