第5話
Phase475
「なぜ私に逆らった?」
フロア一面に敷き詰められた高価な研究機材にぶつかる不穏な声。
ドームが形成されて以降、昼夜の概念が消え、ここ都庁北展望台から終日見ることができるようになった都内の夜景。それをバックに、白衣を着た猿金尊はルナの首を掴み、片手の膂力だけで軽々と持ち上げた。
「……っ」
「何が不満だった? 黙ってるだけじゃわからないよ、ルナ」
穏やかな口調の中に孕む冷たい殺気がルナの頬を撫でると共に、もう一方の手に握っていた、頭部のみとなったソヒョンのポニーテールを強く握り直す。
「……ごめんなさい」
「私の命を狙っておいて、それだけで済むと?」
「あ……ッ……」
締め付ける強さが増すごとに、握った手の甲に紫色をした血管が浮かび上がっていく。ルナは二本の角が生えた頭を小刻みに震わせ、その度徐々に意識が遠ざかっていく感覚に襲われ。
「只今戻りました父上」
そのとき、フロアの出入り口から静の声が聞こえると、尊はその握力を弱め、ルナを床へと落とした。
どこか冴えない表情を浮かべ、一歩ずつ近づいてくる静の手には、生々しく肘の辺りから切断された一本の腕が握られていた。
「これだけか?」
静は肩をすくめ頷くと、尊はその腕を手に取り、明後日の方向へ投げつけた。
「すみません」
「次はやれるね、静」
不気味に程の微笑みを見せ、徐に人差し指を突き出し。
「はい、必ず……え」
突如伸びた指は静の右肩を貫くと、走る激痛に床に突っ伏した。
「傷が塞がったらルナを閉じ込めておいてくれ」
「はい……」
痛みに顔を歪ませながらも、忠誠心を見せつけるように顔を上げ、震える声で返事をした。
「相変わらず、スパルタ教育ですねぇ」
そこへまた一人。一部始終を影で見ていたロメロが尊へと歩み寄って行く。
「君か」
「今週分の死体も、例の場所に置いておきました」
「あぁ、助かる。報酬は作業台の上に置いてある。心して使うように」
言われるままに作業台へ向かい、置いてあったアタッシュケースを開け、その中に等間隔に並べられた注射器を一本ずつ手に取り確かめていく。
「確かに、頂きました。よければ、これから外の世界で一杯どうですか?」
「遠慮しておく。少し気を乱しすぎた。一人になれる場所に籠る」
ぶつ切りの言葉と共に不愛想を全身から滲みださせ、机上に散らばった資料を束ね始めると、視界の端で監視カメラの映像を映すモニターの異変を捉えた。
「なぜこんな時間に」
モニターに映る複数の語創者を睨む尊の後ろで、静に手首を縛られながらモニターに視線をやったルナは息を飲んだ。
「姉さん……」
御影だけをバーに残し、都庁に足を踏み入れた一同がまず目にしたのは、フロアのあちこちに散乱する動物と人間の死体。そのどれもが原型をとどめておらず、中には合成獣(キメラ)のような区別すらつかないものもあった。
都庁に入ってくる際に見えた南北の二つの展望台の明かりより、どちらかにロメロがいるのではないかという憶測を立てた一同は、充満する腐臭を防ぐように腕で鼻を覆い隠し、エレベーターへと進む。
「ひどい匂いね……」
「ったく、悪趣味な野郎だな、てめぇのボスは」
「やめて。もうあんな奴とは何の関係もない。それに、多分これはあいつの仕業じゃない」
「なぜわかる?」
「あいつはスーツに埃一つさえ付くことを許せない潔癖症よ。こんな奴ら、目にするだけで虫唾が走るに決まってる」
「じゃぁ、誰がこんなこと」
「おそらく、この建物内にあいつ以外の誰かが存在する。生物の命をゴミ同然に捉えている、マッドサイエンティストがね」
ザイラの鋭い推理が終わった頃、先頭を歩いていたニーナがエレベーターのボタンを押すも、一向に起動する気配を見せない。
「駄目、電源が入ってない。どこかに非常用電源があるはずだけど」
「既知。それなら、入り口横の管理室にある」
大疫病が流行する前、一度公務で来たことがあった羅美は、来た道を戻り、非常用電源を作動させた。
「復旧までに少し時間がかかる」
戻って来た羅美が皆にそう告げると、漸の視線が徐にノアと矢吹の方を向く。
「じゃぁその間に、さっきの続きでも話してもらおうか。お前たちの関係と目的のな」
その言葉を瞼で頷き返したノアは、ドーム内で行方不明になっている妹を探しているということ、またその道中で妹の情報を握っている矢吹に会い、行動を共にしているということなど端的に話していった。
「なるほどな。妹と会いたい一心で、一年半も生き残り続けてるってわけか」
「……一年半なんて、一言も言った覚えないけど」
「そりゃ、嫌でも覚えるぜ。この制度が導入された当初から毎回生きて還ってきてんのは、お前とあの婆ぐらいだからな」
その婆とは誰なのかを聞き返そうとしたノアであったが、既に漸の口は矢吹に向かい開かれていた。
「で、めでたく外の世界に出られたおめぇが、なんで俺たちについてきた?」
「俺も、もう一度ルナちゃんに会う必要がある。そうすれば、この角も取れるはずなんだ」
「じゃぁお前は、その女に対して怒ってるってことか?」
「いいや、違う。俺の怒りは……」
頑として首を横に振りながら俯いたと同時に、南展望に直通するエレベーターの扉が開いた。
「まぁ、どうでもいいか。俺たちは先に行かせてもらうぜ」
そう言い残し、漸、羅美、ザイラの三人はエレベーターに乗り込んだ。残った一同は、対角にある北展望台に直通するエレベーターへ歩き始めた。そのとき。
「待って。何かいる……」
先頭を歩いていたララの肩をニーナが掴み制止させる。一気に緊迫した空気に変わる中、一同はその微かに聞こえる喉鳴り声に耳を澄ませ──それは徐々に確実に大きくなっていく。
「鳴りやんだ……」
ニーナがぼそっと言葉をこぼした頃、矢吹は体内に残る僅かな紫血が沸騰するように騒ぎ出す感覚に襲われ、恐る恐る頭上を見上げた、その刹那。
「グララララアアアア──!」
重々しい唸り声と共に巨大な人の形をした物体が、凄まじい速さで落ちてくる。
「上だッ!」
それにいち早く気づいた矢吹の叫び声により、間一髪、避けることに成功した一同は素早く距離を取り、目の前に現れたそれをまじまじと見つめる。
「なんだこいつ……」
黒い獣毛に包まれた筋骨隆々の体はゴリラのそれ。しかし、猫の耳、犬の鼻、虎の牙、梟の眼が散りばめられた顔面。加え、左手から語創者と同じ創筆をぶら下げるその姿は、本来のそれとは遠くかけ離れ、異様な空気を醸し出していた。
「合獣なんて、空想上の生き物だと思ってたけど」
ララは苦笑いを浮かべながら、=assault rifleを両手に生成し、ニーナは=gatling gunを生成する。
「ここは私たちに任せて」
「何言ってんだ。四人で戦った方が断然有利じゃねぇか」
「あなたもこいつと同じ血が流れてるんだったら、薄々気づいてるでしょ。こいつは他の奴等とは違う。四人で戦っても、正直、勝てるかわからない。だったらここで全員共倒れになるより、ウイルスの手掛かりを掴める可能性に賭けるのが妥当でしょ。それに、妹さんに会えるチャンスを逃される方が、後々呪われそうで怖いから」
ララに一瞥されたノアは、逡巡する矢吹の手を取り、北展望台エレベーターへと向かう。それを阻止しようと駆け出した合獣は、その巨体からは想像もできないスピードで二人の背後へ襲い掛かった。が、その初動をいち早く察したニーナは=stun grenadeを投げると、合獣の視聴覚を奪い、足止めに成功し、無事二人はエレベーターへと乗り込んだ。
「で、何か作戦は?」
ララの隣に並んだニーナは凛然と問う。
「死ぬまで撃ちまくる。好きでしょ、そういうの」
「えぇ。そうやってこれまで戦ってきたからね」
二人は不敵な笑みを浮かべ、一斉に引き金を引く。問答無用に撃ち続けられる銃弾。そのほとんどを浴びた合獣であったが、あたかも被弾していないかのように平然と立ち尽くし二人を凝視し続ける。そして、弾が撃ち込まれた体の部分からは何故か、人間と同じ赤い血が流れ出していた。
「血が赤い……?」
困惑するララをよそに、合獣は創筆を手に取ると、床に二人が生成した同じ銃のコードを書き記し、片手ずつ持ち構えた。
「グルルルラララアアア──」
猛々しい咆哮と共に引き金を引くと、二人は咄嗟に柱の裏に隠れ被弾を防ぐ。
赤い血、創筆、合獣。ララはそれぞれの単語を頭の中で駆け巡らせ、やがてある結論にたどり着く。
「あいつはただの化け物じゃない。人間と同じ知能がある」
「どうやら、一筋縄ではいかなそうね」
「ええ。とにかく策を練り直さないと」
銃声が止み、相手の状況を確認するため、ニーナは柱から外を覗いた。
カランッ。
「しまっ──」
そのときを狙っていたかのように投げ込まれるフラググレネード。その瞬間、二人共爆発に巻き込まれることを悟ったニーナは、脊髄反射のように拾い、明後日の方向へ投げた。が、僅か三メートル先で爆発すると、けたたましい爆風で吹き飛び、強く体を地面に打ちつけ倒れた。
叫ぶ間もなく駆け寄るララ。そこへ追い打ちを掛けるように迫り来る合獣に対し、ララは咄嗟の判断で天井の照明を次々銃で撃ち抜いていき、フロアを暗闇へと変える。視覚を奪われた合獣であったが、犬と同等の嗅覚で、爆発で出血したニーナの血の匂いを元に、太い腕を薙ぎ襲撃を試みる。が、既にその場から立ち去っており、攻撃は空振りに終わった。
ララは音を出さないように、負傷したニーナの抉れた腹部の応急処置を進めると同時に、脳を捻り打開策を考える。二人がいる場所は元にいた場所からそれほど離れておらず、運ぶ際に滴り落ちた血で、今の位置がばれるのも時間の問題であった。先程の被弾した体の頑丈さを見るに、暗視ゴーグルを装着し、奇襲を仕掛けたところで、決定的な損傷を与えらる相手ではないことは明白であり、ニーナを抱えて逃げるとしても、出口までの距離を考えると、到底無事に成し遂げることは不可能であった。
考えを巡らせていると、いつかの上官の言葉が頭を過る。
『己の技量不足のせいで、仲間を失うのはどんな気持ちだ?』
まだ軍を指揮するようになり日が浅かった頃、武装集団無力化の任務にあたっていた部隊は、事前の情報にはなかった敵に包囲され、絶体絶命の状況を迎えた。
『俺を囮に使え』
『しかし』
『囮は、囮でいられる内に使え。ただの屍になる前にな』
無線越しから聞こえた部隊長の迷いのない声は、唯一の失敗として記憶の深層部に深く刻まれた。
「囮……」
その言葉が手を差し伸べるように蘇ると、そこから合獣を倒すまでのプランが湧き出るように思いつき、咄嗟に地面へ創筆を走らせる。
合獣は血の匂いを嗅ぎ徐々にニーナの方へと近づいていき──その最中、匂いとは別の方向で物音と新たな血の匂いを感じ取る。
「ここよ」
乾いた声と共に焚かれる発煙筒。それを掲げるララの右手からは大量の鮮血が流れ落ちていた。
その挑発的な姿に激情した合獣は、咄嗟に進路を変え、一目散にララへ突撃する。その人外の脚力で一瞬で距離を詰めた合獣は、スピードをそのままに轢き殺すかのごとく飛び掛かった。寸前、ララは地面に書き記していたコードの末尾にdと記し──完成させた= giant swordというコードからは、文字通り巨大な剣が地面から生えるように伸びる。
「──グルッ⁉」
合獣は自身の強大な推進力を止められるはずもなく──そのままの勢いで突撃した体は、真っ二つに切り裂かれた。
北展望台についた三人は、ワイングラスを片手に夜景を眺めるロメロの背を捉えるや、各々武器を構え臨戦態勢に入る。
「久しぶりだな、白髪爺」
「これはこれは。また懐かしい面々だな」
振り返ったロメロは、グラスに入った赤ワインを全て飲み干し、狡猾な笑みを浮かべる。
「君はまだ紫血にのまれていないとは、素晴らしい意思の強さだ。そして……」
二人の隣に立つザイラを見るや、大きな溜息をつく。
「君はまだ死んでなかったのか」
「えぇ。神のお告げがあったの。あなたを殺すまでは死ぬなってね」
「では、その神の言葉は覆ることになる。なぜなら、君の力では私を殺せないからだ」
怒りの根幹を刺激されたザイラは、殺意を露に前のめりになり──正気を失った状態で突撃しても、返り討ちに合うのが目に見えていた漸は、その肩に手を掛け、体を制止させる。
「引き留めてくれる仲間がいることはいいことだ。だが、高みを見続ける人間からすれば、ただの邪魔者でしかない。私にとって、お前たちはそういう存在でしかないのだよ、ザイラ」
度重なる侮辱に怒りで震えるザイラは、奥歯でそれを噛み殺し、必死に耐える。
「さぁ、どうやって私に立ち向かう? 生憎、先程増強剤を打ったばかりでな。今の私は、あの時よりも硬いぞ」
「あぁ、そうかい」
漸は受け流すように返答しながら、床に=purple bloodと書き記すと、紫血が入ったボトルが生成された。
「あれだけ紫血を嫌悪していたお前が、創筆をぶら下げ、おまけに紫血を作り出すとは。実に哀れだ」
「何とでも言え。全てお前に勝つためだ」
そのボトルを羅美が手に取ると、躊躇なく飲み干していき──やがて体内のウイルスと結合すると、一本の角が生えた紫血鬼へと変身を遂げた。
「血迷ったか。劣等種共が」
不気味に喉を鳴らしながら、俯かせていた顔を徐に上げ、ロメロの両眼を睨む。その姿からは、いつもの朴念仁な羅美とは正反対の人格が滲み出す。
「覚悟しろ。これからお前が償うのは、俺たちの一年分の苦しみだ!」
その言葉が合図となると、羅美は檻から解き放たれた野獣の如く飛び掛かかる。
「……?」
何かが自分の右側を隣を通り過ぎたことはわかった。だが、なぜ右肘から下の腕がなくなっているのかが理解できないまま、ロメロは徐に後ろを振り返った。
「グルルルル……」
血まみれになった口元に咥えられた腕。それが答えだった。
増強剤を打ち、硬皮化したにもかかわらず、それを一瞬で食いちぎる咬合力とスピード。積もり積もった一年分の怒りと呼応した圧倒的な力前に、ロメロはなすすべなく──羅美は咥えていた腕を吐き捨てるように地面へ落とすと、左腕もスピードでもぎ取った。
愕然と頽れるように膝をつき、項垂れるロメロ。あのとき、良い手駒になると確信し、羅美にウイルスを投与した自分の目に間違いはなかったと思い返す反面、心の底に宿った意思の強さまでを見抜くことができなかった自分の浅はかさを悔いる。
その前に立った羅美は、処刑を待つ囚人の如く姿態のロメロへ、最後の裁きを下すように、鋭利な爪を携えた左手を天高く翳す。
「許せっ、許してくれッ──!」
意地、プライド、名声。ロメロは自身の中に渦巻くそれらの類の感情をすべて捨てさり、最後に残った赤子のような素の心で、慟哭に近い叫び声をフロア全体に響き渡らせ──反響した声が鼓膜を通じ、剥き出しの心に流れ込む。その情けなさに涙すら流れず、ただただ祈り請う教徒のように額を地面へ押し付けた。
最大限の謝罪を受けた羅美は、全身の細胞が目まぐるしく生まれ変わっていくかのように、体が軽くなっていくのを感じながら、翳した手をゆっくりと下ろしていく。次いで角が欠け、指先は人間のそれへと戻った羅美は、一滴の紫涙を頬に流し口角を遠慮気味に上げながら漸の方を振り返った。
「ただいま、漸……」
安堵に満ちた言葉と共に昏倒するように倒れそうになり──すぐさま駆け寄った漸はその体を支えた。
「よく戻った。羅美」
愛娘を見るような眼差しで優しく語りかけ、抱えた体を床にそっと置く。そうして再び険しい顔に戻ると、ロメロの元へ行き、乱暴に髪を掴み持ち上げた。
「命だけは、命だけは助けてくれっ……」
「今から俺がする質問にだけ答えろ。そうしたら、命は助けてやる」
ロメロは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を精一杯縦に振る。
「このウイルスを作ったのは誰だ? 一体何のために作った?」
「ある日本の研究者だ……。何度か面識はあるが、奴は名前すら名乗らない秘密主義者だ。正確な目的はわからない。だが、噂では日本政府が作らせたという話だ」
聞き捨てならないその四文字に漸は眉をひそめ、顔を近づける。
「日本政府? 何の話だ?」
「回収された紫血鬼の死体はどこへ行くか知っているか?」
「人間と同じ、死体焼却場だ」
「表向きはそうなっている。だが本当は、秘密裏に作られた屠畜場へと送られている」
「屠畜場? ふざけた話だ。死体を捌いて誰かが食うって言うのか?」
「その通り。この国はそのふざけたことを国家レベルで行ってるんだ」
先程の泣きじゃくっていた表情とは打って変わったロメロの気迫に漸は黙し、鋭い眼差しで話の続きを促す。
「あらゆる産業で遅れをとり、経済大国ではなくなったこの国は焦り、何か新たなビジネスはないかと考えた。丁度その頃、このウイルスが漏れ、数十人の一般人が犠牲になる事件が起きた。死体解剖するも、なぜ紫血鬼へと変わったのかはどの研究者も解明できず、唯一わかったのは、筋肉は猛獣並みに発達し、上質な人肉へと変わっているということだけだった。そして、その噂を聞きつけた美食家を名乗る裏社会の人間がたちがその死体を買い、食い始めた。それは、この世に存在するどの食材でも代用できないほどの旨さがあり、その噂は瞬く間に世界中の裏社会の連中に広まっていった。そして、それをビジネスチャンスと捉えた日本政府は、世界中の富豪たちに人肉を売り、莫大な利益を生み出す一大産業へと発展させていった。だが当然、供給できる量も限られている。そこで富豪たちは貧困国の人間を人身売買で買い、その者たちへウイルスを投与し、自ら紫血鬼を生み出すことを考えた。私はそうした富豪たちへウイルスを売るために、供給元である研究者と接触した。そして、ウイルスを受け取るための対価として、研究材料として求めていた語創者の死体を提供していたんだ」
漸は矢継ぎ早に話される情報を頭の中で整理していく。目の前で話す男は国際級の犯罪者であり、話の全て嘘である可能性は十二分にありえた。だが、ワクチンの研究機関がガセであった一件から、この大疫病の背景に垣間見える闇のせいで不信感を募らせていた漸は、やりかねないと思案し──その話の真偽を確かめるため、自分がやるべきことはただ一つであるという結論に至る。
「その研究者とやらはどこにいる?」
「地下研究所だ。この建物の麓にある広場に入り口が」
言葉の終わりを待たずして振り返り、足早にエレベーターへと向かう。
「こいつはどうするの?」
ザイラの問いかけに黒の羽織りが翻ることはなく、短い機械音と共にエレベーターの扉が開く。
「殺りたきゃ殺れ。俺は行く」
南展望台についたノアと矢吹は、鉄格子で形成された牢獄の中で憔悴するルナを見るや、すぐさま駆け寄ろうとした。
「……来ちゃ駄目ッ!」
それに気づいたルナは咄嗟に叫声を上げ、二人はピタリと足を止めた──その瞬間。天井からぶら下がる照明に乗り、待ち構えていた静は、獲物を狩る鷲の如く速さで急降下し、勢いそのままに両手の爪を急速に伸ばし、二人へ斬撃を見舞う。ルナの声のおかげもあり、間一髪、飛び退り距離を取ることに成功した二人は、各々武器を生成し次の戦闘に備える。
「ったく、荒い挨拶だぜ」
「挨拶なら、ちゃんとした礼儀に則ってします」
「なら、最初からやり直してもらおうか?」
「その必要ありません」
毅然とした態度で言ってのけると、懐から取り出した刃がついていない柄を左の掌に当て、ゆっくりと掌から遠ざけていく。離れた分だけ柄から生えるように刃が生成されていくと──やがて表面にangryとの文字が刻まれた刀が完成した。
「あなたのような感情に振り回されて動く人間を見ると、無性に苛立ちを覚えます。それは、単純に見ていて哀れだからではなく、抱いている感情の大きさが中途半端だからです。だから、自ずと行動もおざなりになってしまう」
その刀の切先を二人にではなく、自分の腹部へと向けたかと思えば、躊躇なくその切っ先を突き刺した。しかし、刺された部分からの出血もなければ、痛みを感じている素振りも一切見せない静は、淡々と話を進めていく。その不可解な行動に二人は瞠目しながらも、来る未知の攻撃に身構える。
「人間はいたって単純。思考は感情に支配され、行動は思考に支配される。つまり、抱く感情がその人間の全てを決定する。誰よりも強い感情を持った者だけが、戦いに勝てるのです」
言葉が終わると同時に刀を引き抜いた途端、突如頭上から三本の角を生やした静は、刀の切先を二人へ向け、両手で柄をぐっと握りしめた。
「「──⁉」」
その姿を捉えた瞬間、幻影のように静が目の前から消え──同時に二人の体に無数の切り傷が刻まれる。
「浅かったですね」
コンマ数秒前まで耳にしていた静の声が、二人の背後で鳴る。自分の身に起きている全ての現象に理解が追い付かないまま、遅れてやってきた激痛に耐えかねた二人は、ひれ伏すようにその場に跪いた。
ノアは全身に帯びた切り傷から、血液が無限に滴り落ちる音をぼんやりと捉えながら、一つの仮説を立てる。
相手が剣を抜いた直後、残像を残す程の途轍もない速さで詰められ、更にこれだけの切り傷をつける斬撃を行ったとしたら。
勝ち目はない。
最早、動体視力云々の話ではない。人が認識できる領域の遥か外、意識外から攻撃を仕掛けることができる相手に、成す術など……。
全てを悟り、何とか表情に出るギリギリのところで絶望を留めるノアの隣で、同じく無数の切り傷を負った矢吹も、落胆の様子を見せる。
「何が苛立ちを覚えるだ……」
が、その眼の奥に宿る希望の光は、潰えるどころか、徐々に光度を増していく。
「……何が感情の大きさが中途半端だ。俺たちは機械じゃねぇ。生身の人間だからこそ、何かを感じる心だって皆違う。その心で感じるもんに大きいも小さいもねぇ。感情は、その人間の心の形に変わるんだ。皆、それと精一杯向き合って生きてんだよ!」
次々に飛び出す熱を帯びた言葉の矛先は、自分とは百八十度違う思考を持つ静へでもありながら、未だ完全に拭いきれない怒りを抱える自分への言葉でもあった。
矢吹の怒り。それは、一目惚れしたルナへ気持ちを伝えることができない、奥手な自分への怒りであった。
「自分が、どうしようもないいくじなしでよかったぜ。おかげで、お前を倒せるんだからな!」
立ち上がると、片手に野球ボールを生成し、ホームラン予告のようにバットの先を静に向ける。
「見ていてくれ、ルナちゃん。これが終わったら、ちゃんと気持ち伝えるから」
その呟きは誰にも聞こえない。ただ、自身に渦巻く怒りに訴えた呟き。その気持ちを憑依させたボールを宙へ放る。そして、全てをぶつけるように渾身の力で薙いだバットの芯に当たったボールは火を噴くと、文字通りの殺人ライナーと化し、静へ一直線に飛んで行き。
サッ──
風を切る音だけが静の前で微かに鳴る。何の音なのか。その場にいた誰もわからなかった。
次いでコンマ一秒後。直撃寸前であったボールは真っ二つに割れると、二つの破片は、静を避けるようにして猛スピードで通過した。
そこでやっと、ボールを斬るために刀を振った音であると理解した矢吹は、ただ唖然とし、肩で息をするだけだった。
「見せましょう。これが感情の力です」
その言葉を最後に姿を消した静が、再び現れたのは矢吹の背後であった。その間に行われた抵抗の余地などない、無慈悲な斬撃。それをもろに喰らうや、手からすり抜けたバットと共に、膝から崩れ落ちる矢吹の体。死を悟る時間すら与えてもらえなかった矢吹は最後、無意識に檻の中にいるルナを一瞥し──命を終えた。
「そんなっ……」
淡々と行われる残虐に戦慄し、生気を失うように尻餅を着いたルナは、次のターゲットを定め歩み始めた静を捉えるや、咄嗟に鉄格子を掴み、振り絞るように嬌声を上げた。
「……逃げて、逃げて姉さんッ!」
ルナの切迫した声を聞き立ち上がろうとするも、間もなくして静の手はノアの髪を鷲掴みにし、それを支点に体を持ち上げた。
「人間は抱えきれない量の感情を抱えたとき、二つの行動を取ります。抱えきれず、虚無の世界に陥り自害するか、肯定するために行動するか」
冷たく、しかしどこか怒りで棘の生えた声で語りかけながら、懐から取り出したウイルスが入った注射針を首元へ刺す。
「うっ……」
「目を見ればわかります、あなたは後者の人間です。これから、最愛の人を前にそれを証明してみせましょう」
「やめてッ──!」
ルナの叫び声も虚しく、静は床に突き刺していた刀を引き抜き、angryと刻まれた表面を上にし、腹部へと突き刺し──途端、ノアに注入されたウイルスは、怒りの刀と呼応し高速で体内を駆け巡る。
「あッ……あああッ……」
頭皮を突き破り生える一本の角。加えて白目をむき、息を詰まらせ、泡を吹く。
「ふふっ。ふははははははっ。そう、そうよ。この怒りに飲み込まれる寸前の表情が一番うつく」
不自然に言葉が途切れたそのとき。何故か腹部に自ら刀を差したときと同様の違和感を覚えた静は、ふと視線を下げる。
「え」
「ちょいと、油断しすぎたようじゃな」
聞き覚えのある老婆の声と共に目に入ったのは、腹部を貫く=forgiveと刻まれた刃。
「なぜ……、なぜこの場所がわかった」
息を乱し、恐る恐る振り返った先には、=assimilationの効果が切れ、徐々に姿を露が露になる、猿金弥生の姿。
「お前さんが持ち帰った右腕のおかげじゃわい」
ふと目をやると、埋め込まれたGPSの光が微かに点滅するのを確認する。
「安心せい。殺しゃぁせん。馬鹿な父親に代わって、あたしが更生のチャンスを与えるだけじゃ」
そう勢いよく刀を引き抜くも、刺された部分からは一滴も出血がない。
「……嫌だ」
だが、先程までの悦に入った表情とは打って変わり、絶望と苦痛がないまぜになった表情を浮かべる静は、自分にしか見えない強大な恐怖から逃れるように顔を両手で覆い隠す。
「嫌だっ……。嫌だっ、嫌だっ、嫌だっ、嫌だっ、嫌だッ‼」
壊れた機械のように同じ言葉を、同じトーンで何度も積み重ねる。その度、生えた三本の角も先端から徐々に崩壊していき、床に転がった刀は融解し紫血へと変わる。
それに気づいた静は、顔を覆っていた手を放し、未だ辛うじて紫血鬼の形を保った鋭利な指先を首元へと近づけると、灰色をした虚ろな瞳で老婆を直視しながら、静かに呟いた。
「怒りを、返して……」
指を素早くスライドさせた直後、切断された頸動脈から、大量の紫血が噴射し、重力のまま体を横たわらせた。
「それほどまで拒むか。怒りのない自分を……」
怒ることでしか、存在を認められなかった人間の悲しき末路。その姿を憐みの眼差しで見つめながら近づき、瞳孔が開いた両眼に手を当て、瞼をゆっくりと下ろした。
「婆さん! ノアにもその刀をッ──!」
檻の中で叫ぶルナの声に反応した老婆は、のたうち回るノアの腹部に刀を刺す。次いで老婆は檻の鍵を開き、ルナを解放するや、一目散にノアの所へ駆け寄り、体を抱き寄せる。幾分かの苦しみは消えたように見えるものの、依然として意識は戻らないノアに震えた声が降りかかる。
「姉さん、起きてっ……」
その声は深層で渦巻く怒りの根源へと降り注ぐ。自分が日本での手術を提案してしまったが故に、大疫病に巻き込んでしまったという責任感から派生する怒りに。
「お願いッ……」
囁かれる懇願。それはノアの深層の手前で停滞していた先程の声と融合し。
「ルナ……」
光矢となったそれは、ノアがこれまで抱えてきた強大な怒りの全てを粉砕した。
「大丈夫だよ、姉さん……」
崩れ落ちていく角を払いのけるようにして頭を撫でるルナは、目に涙を浮かばせる。
「私、何にも怒ってないよ……」
「ありが……」
風前の灯火のような声を共に震わせた手を、涙ぐんだ目元に手を近づけようとするも、静から浴びた斬撃で大量出血していたノアは、途中で力を失い、再び意識を失う。
「どきなさい」
そこへ割って入るように声を上げた弥生は、=transfusionで生成した輸血チューブを自分の手首と、ノアの手首に刺し、輸血を始めた。
「……なぜそこまで親切に」
感謝の意を示しながらも、少し懐疑的な視線で弥生の横顔をまじまじと見つめる。
「あんたには、うちの息子が迷惑をかけっぱなしだったからねぇ。これぐらいの罪滅ぼしは当然じゃよ」
「ってことは……」
詰まった言葉の続きを拾い上げるように、弥生は肩まで伸びた白髪を揺らし、ルナの方を向く。
「あたしゃ、猿金弥生。あんたを支配していた、猿金尊の母親じゃよ」
「そんな……。母親は死んだって、口癖のように言ってたのに」
「ほっほっ。そんなことをぬかしておったのか。まぁ、その気持ちもわからんでもないがのぉ」
視線が下がり、語尾がしりつぼんだ瞬間を逃さなかったルナは、すかさず声を挟む。
「……教えてください。何故、あの男がこのウイルスを作ることになったのかを」
弥生は一度溜息を吐いた後、ゆっくりと目を閉じると、記憶を辿るように言葉を紡いでいった。
「あいつには今は亡き妻がおった。二人は誰が見ても、仲睦まじい夫婦と言われる程愛し合っておった。そんな二人じゃ、子を授かるのも自然の流れじゃった。だが、妊娠した後の検査で、奥さんの体が脆弱性であることが発覚し、出産に耐えられない体であることが発覚した。そこで研究者であった尊は体を強くするため、人口血液を秘密裏に開発しよった。何度も何度も自分の体で実験を重ね、やっと完成したものの、万が一のためのワクチンは開発できず、ついに妻が出産の日を迎えた。ワクチン開発をしているのは知っていたが、見て見ぬふりをしていた。だけどの、流石にワクチン開発が間に合わなかったことを知ったときは、投与するのを止めたわい。じゃが、その提案を振り切った尊は、妻にウイルスを投与しよった。その甲斐もあり出産は見事成功し、静が生まれた。が、同時に予期せぬウイルスの突然変異が起こり、飲み込まれた奥さんはこの世を去った。最愛の人を失った尊は自暴自棄になり、行方を晦ませた。警察にも行方不明届けを出して、捜索してもろたが一向に見つからんかった。じゃが数ヶ月前。ようやく足取りを掴み、今ここにおるってわけじゃ」
話し終えると同時に、輸血のチューブを互いの手首から抜き取り、続けてノアの傷口の手当てにあたる。
「そんな過去が……」
意味深に呟くルナの言葉に、今度は弥生がすかさず言葉を挟む。
「さ、次はお前さんの番じゃ。なぜ、紫血鬼でありながら、人を襲わぬ。お前さんの体の中に流れとるウイルスは一体何なのじゃ?」
毅然たる問いに、ルナは意を決した様子で重い口を開いた。
「なぜか都内で一番大きい病院で手術を受けていたはずなのに、目覚めたら、何故か南展望台の研究室にいた。そして、あいつは私に洗脳するように語りかけた。君は選ばれた人間だって。最初、その意味は全くわからなかった。そして、あいつが研究室にいない間を見計らって、資料を盗み見している内に、彼の言葉の意味が理解出来た。信じられないかもしれないけど、あいつはとうの昔に従来のウイルスが怒りを許すことで消え去ることを突き止めている。そして、今あいつはこのウイルス進化系、怒りを含む一切の感情を持たずして、紫血鬼化するウイルスの開発をしている。そして、その実験を私にして、成功したと勘違いしていた。だけど、私は失敗作。なぜなら、人間のときのままの感情が存在するから」
ルナの口から次々と出てくる情報に、弥生は驚きを隠せない。
「私の怒りはもちろん、あいつに懺悔させること。だから、いち早く研究を止めさせなければいけない。じゃなきゃ、今度こそ取り返しのつかないことになる。だからお願い、弥生さんも一緒に来て」
ルナの決然たる口調かた発せられる声に、起こされるようにノアはゆっくりと目を開く。同時に、ノアの手当てを終え、重い腰を上げた弥生は、床に横たわる刀を手に取った。
「あいつは今、どこにおる?」
都庁を出た三人は、麓にある都民広場へと向かった。一見何の変哲もない石畳が広がる広場であったが、ルナはその中心部にある一枚の石畳を手際よく剝がすと、不自然に備え付けられていた赤いボタンを押した。すると、その前方の石畳が沈み階段のようになり、その先に現れたのは、地下研究所へ繋がる隠しエレベーターだった。
「まだ変わってなくてよかった」
安堵の溜息を漏らしながら階段を下るルナに、後を追うようにノアと弥生が続き、三人はエレベーターへと乗り込んだ。
その中で、ルナはノアが知らない空白の一年半のことを端的に話していった。
エレベーターの扉が開いた先あったのは、南展望台のような機械やモニターがずらりと並ぶような研究室ではなく、実験用のベッドとモニターが一台ずつ設置された質素なものであった。
「見させてもらっていたよ。素晴らしい姉妹愛だった」
手をパンパンパンと叩きながら、ゆったりと振り返り見せたその顔は、喜と哀がないまぜになった不気味なものであった。
「第一声がそれ? 子のことは何も思わないの⁉ あなたのせいで死んだのよ⁉」
ルナの怒声が研究室に響く。
「愛情などない。あいつのせいで、妻は死んだのだから」
「違うの。静のせいではない。お前さんがウイルスを投与したせいじゃ」
穏やかな言葉の裏に確固たる怒りが籠った弥生の声は、尊の抑揚のない感情を煽り立てる。
「黙れっ! ウイルスを投与しなければ、どのみち妻は死んでいた!」
「なぜそう言い切れるのじゃ! ウイルスがなくとも、耐えられた可能性はあったはずじゃ。お前さんはその可能性に賭けようともしなかった!」
「当り前だッ! その不確定要素を科学で排除するのが、我々研究者なのだからな!」
鼻息荒くし、高揚する尊。それは、長年共に連れ添い育ててきた弥生ですら初めて見る姿であった。
「一つだけ聞かせて。なぜ、ルナを被験者に選んだの?」
自分の最愛の妹を私利私欲のために弄んだ相手を前に、ノアは爆発寸前の怒りを辛うじて抑え問う。
「別に誰でもよかった。たまたま都合よく被検者が手に入っただけにすぎない」
「どういうこと?」
脊髄反射のようにルナが声を漏らす。
「君の手術を行った執刀医が私の友人でね。手術に失敗し、脳死状態の患者がいるから、君のウイルスどうにかして欲しいと言ってきたんだよ。
「そんな……」
「信じられるかい? 君は一度死んでるんだ。彼は焦ってたね。自分の名前に泥を塗りたくないって何度も言い続けていたよ。そこで莫大なお金と引き換えに君を引き取り、試作品を投与した」
ルナはただ茫然と首を横に振る。
「そして、紫血鬼として君は息を吹き返した。だが、その瞬間君は泣き出し、すぐに試作品は失敗だと悟った。すぐにでも殺そうか迷った。だけど、どうせなら駒として使い果たしてから殺そうと思ったんだ。そうしたら、今日のようなことが起きた。非常に残念だったよ」
白衣のポケットから一本の注射器を取り出す。
「だが、そんな長く苦しかった日々も今日で終わる」
嫌な予感が一同の頭を過る。同時に、=speedと靴に書き、駆け出したノアであったが、とても間に合う距離ではない。
「私はこれで神になる。さらばだ、愚かな人間たちよ」
針が首に触れようとしたまさにその瞬間、開いたエレベーターの扉から放たれた一筋の弾丸が注射器を弾き、尊の手元から注射器を落とす。
「させるか、馬鹿」
漸の乾いた言葉を背に、ノアは床に落ちた注射器を回収し皆の所へと素早く戻った。
「助かった」
「礼はいらねぇ。俺は自分のためにやったまでだ」
そう吐き捨てながら、エレベーターから下りた漸は、皆の前に立ち、拳銃を構えた。
「一緒に俺と来い。お前にはやってもらわなきゃならねぇ、仕事がある」
「……ふざけやがって。お前に頼まれる筋合いなどない!」
「いいや、ある。証人になれ。この腐ったシステムをぶっ潰すためにお前の言葉が必要だ」
その言葉を聞いた尊は怒りに満ちた顔から一転、破顔し、笑い声をまき散らす。
「ハハハハハッ。笑わせるなッ! 相手は法を通じて裁ける相手ではない。だから、私一人の力で裁いてやるのだッ!」
怒りに身を任せるまま、再度ポケットからウイルス取り出した尊は、素早く首に刺し込んだ。
途端、赤鬼のごとく肌が赤く染まっていき、背中からは数十本の触手が放射線状に生え。
「一瞬デ終ワラセテヤルっ‼」
高速で伸びた触手は、一瞬にして皆の体に絡みつき、行動不能にさせた。
「サァ、女ヨ。先程ノ注射器ヲ返シテモラオウカ」
一切の身動きが取れないまま、ノアの体は尊へと吸い寄せられていく。
「姉さんッ!」
「サァ、早ク渡セッ!」
「これのことかの」
割って入った弥生は、首元に刺さった注射器を強調するように尊へと見せる。それは、絡まれる直前、弥生がノアの手から咄嗟に引き抜き、自ら刺したものであった。
「己ッ!」
完全無欠の紫血鬼の力を手に入れた弥生は、急速に発達した咬合力で触手を噛みちぎり、尊へと迫り──が、すぐさま伸びた数本の触手が再び弥生の体へ絡みつく。
「子供ノ頃カラ、オ前タチハイツモ、俺ノ邪魔バカリしやガッテ。ヤハリ、アイツニ頼ムノデハナク、自分ノ手デ殺シテオクベキダッタ!」
怒号と共に、余った触手全ての尖った先端を弥生の首に突きつける。
「ペンは剣よりも強し。本当の意味を知っとるか?」
絶体絶命のピンチにも拘わらず、不気味なほど冷静な弥生に眉をひそめる。
「コノ期ニ及ンデ、何ガ言イタイ⁉」
「下位にいる人間がどんなに腕っぷしが強かろうと、上位の人間のパワーにはかなわないってことじゃ……。果たして、本当にそうかのぉ……」
違和感を察した尊は先程噛みちぎられた触手に目を向け──その瞬間、その触手を起点に全ての触手が凍りついていくのを目の当たりにするや、絶望の表情を浮かべ。
「──」
「今じゃっ……!」
有り余る全ての力で触手を割ったノアは、凍る触手を踏み台に尊に詰め寄り──その額に=forgiveと書きなぐった。
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