想いに花を開かせて その八

 やらかした。まさか、熱まで出るとは思わなかった。

 しれっと拓実のところに顔を出すつもりだったのに、余計に顔を合わせ辛くなってしまった。

 もしこのまま気不味い状況で離れてしまって、拓実と疎遠になって、拓実に彼女が出来た…なんてことになってしまったら──

 そんな、考えるだけ無駄な悲観的な想像を繰り返し、泣きそうになっている。


 そうやって布団の中に潜っていると、聞き慣れた──聞きたかった声が、聞こえてきた。


「千佳ー、入んで」

「うぇ!?た、拓っ!?ちょ、ま」


 遠慮なんてある筈もない。身支度なんて欠片も出来ていないのに、無情に戸は開かれた。


「……なにしとんの?」


 千佳が苦し紛れにも取った行動は、もう一度深く布団に潜り込むことだった。


「急に入ってくんなや、あほ!!」

「お前が言うなや。ってか暑ないんか、それ」


 拓実がチェアーに腰掛ける。

 千佳の部屋を見回して、小学生の頃からそう大して変わっていないな、と思う。


「あつい」

「頭ぼさぼさの涎まみれの顔でも気にせんから顔出せや、話しにくいやんけ」

「そこまで酷ないわぁっ!」


 ばさ、と布団の中から千佳が声を上げて現れる。

 拓実はそれを見て楽しそうに笑う。


「やっぱりぼさぼさやんけ」

「涎は垂れてへんもん」


 頭をぐしぐしと、無理矢理整える。


「風邪ひいたんやってな、今日聞いたわ」

「おっそ、もう治ったし」

「俺と離れるんがそんなにショックやったか」

「んなっ…んな訳ないやろ」


 図星だ。顔が赤くなっていないかと、少し焦る。

 すると、いつもと同じ調子で、拓実が言った。


「──俺は、割とショックやぞ」

「えっ………そうなん?」

「そうや」

「へ、へえー、そうなんや。ま、まあそやよねっ!拓は私おらんと寂しくてしゃあないんやろっ」


 思わずにやけてしまいそうな口元を布団で隠す。

 いつもであれば言わなさそうなことを素直に言う拓実に、嬉しさと混乱と、やっぱり寂しさが胸中を埋めていく。


「……でも、しゃあないよなぁ…」


 少し、声が震えたかもしれない。

 ここで一歩踏み込めたなら、今までの関係では居られなくなるかもしれないけれど、もっと確かな繋がりを得られるのかもしれない。


 それでも──無くなってしまうことが怖くて。


 何も言葉を繋げられなかった。


「俺なあ、考えたんや」


 何を?

 そう聞こうとして、声が掠れそうなことに気付いて言葉を止める。泣きそうなことを、拓実に悟られたくなかった。


「このまま離れてったとして…戻ってくるまで何年掛かるか分からん言うてたし、多分そうそう会えんくなる訳やん」


 千佳が無言で頷く。


「んでさ、大学行って新しい友達できたりしてさあ、それで千佳が誰かと付き合ったりしたら、それこそもう…今みたいにおれやんのよなあ、って」


 拓実が、自分と同じことを考えていたことに驚いた。

 その言葉の真意が知りたくて、拓実の顔を見つめる。

 でも、きっと拓実は自分に"そんな気持ち"は抱いていない──今までの反応から、千佳はそう思っていた。

 拓実が、口を開く。


「んなこと考えてたんやけどな。──めっちゃくちゃ嫌やった」

「そ、れって」

「あー、なんや、つまりやな…」


 拓実が目を泳がせながら、言葉を探していた。

 やめてほしい。期待なんて、させないでほしい。


「な、何言おうとしてるん!?からかおうとしてるんやったらほんまやめてなっ、そんなんされたら…」


 絶対に泣いてしまう。


 千佳が、焦ったように耳を塞ごうとした。


「っ…、いや、最後まで聞いてもらわな困る」


 咄嗟に、その手を止めた。

 深く、呼吸をする。


「ええか、よう聞けよ」


 目を合わせる。

 千佳のどこが好きとか、理由とか、まだよくわからない。

 それでも、きっと、こうだ。

 こうしなかったら、一生後悔する。


「俺と、付き合うてくれ」

「──・・・!!」

「いやな、俺もさっきなんとなくわかったような…いやよくわかってないかもやけど」


 千佳は肩を震わせている。

 拓実にはそれがどういう反応かわからず、気付けば口早に思いついたことを喋っていた。

 すると、


「ほ…」


 千佳が微かに何かを言った。


「ほ?」

「ほんまに言うてるんやんなっ!?なんかからかってたりとか、そういうのちゃうんやんなっ!?」


 今にも涙が溢れそうな顔で、拓実に掴みかかった。


「おおッ!?ほ、ホンマやっ、こんなんで嘘吐かへんわアホ!!」

「私も…」


 言わなくちゃいけない。いや、言いたいんだ。

 いつも感じていた分厚く高い壁なら──既に拓実が壊していた。


「私も、好きやぁ……」


 やっと言えた。

 この一言を言うだけに、何年掛かったのか──


「千佳お前、泣いて…」

「な、泣いてへんっ…見んなぁ!」

「ほら、鼻垂らす前に持っとけ」


 そう言って、拓実はティッシュを箱ごと千佳に渡し、それを千佳が引ったくる。


「うっさい…そゆこと言うなやあほ…」

「あー…すっきりした」


 ベッドに腰を降ろした拓実が息を吐く。

 気持ちが落ち着いたのか、千佳が小さな声で言う。


「その、拓もずっと…そやったん?」

「そやった…って何がや」

「やから…!その、前から私のことをやな…!」

「あ?ああ!や、さっきわかってん」

「はぁ!?さっきって、さっき!?」

「せやで?え、なんか変?」

「あんた…っ、よ、よく言えたなっ!?」

「え、は!?どゆこと!?」

「ずっと言えんかった私があほみたいやんかぁ……」


 顔を覆いながら、愚痴を溢す。

 そうだ。拓実はこういう奴なのだ。

 私に出来ないことも、何でもないようにやってしまう。

 決断力だったり、行動力だったり、勇気だったり。本当に大切なものを、私が持っていないものを、拓実は持っている。


「なんや、ようわからんけどっ、とりあえずええってことなんやろ!?」

「………うん」

「なら、うん、ええわ。…遠距離になるけど」

「う、浮気したらあかんで」

「せ、せえへんわ」


 互いに顔赤くさせながら言い合う。

 今までの関係を考えると、どんな距離感でいたらいいかわからず、中々顔を合わせられない。


「よ、よしほなもう帰るでッ、俺まだ何も準備できてへんねん」

「そ、そやな、私もあっち行く準備せな…た、拓もなんか準備あんねんなっ」

「ん?あっち行く準備?」

「え?うん」


 二人の間で、何かが食い違った。

 何かがおかしいことに気がつく。


「俺、引っ越しの、準備」

「え、私も」


 二人が口を揃えて言う。


「え?」


 部屋の外から、『かしゅ』と小気味の良い音がした。

 拓実と千佳が顔を見合わせて戸を睨む。

 もう一度顔を見合わせ、千佳が頷く。

 拓実は忍び足で戸に向かい──思い切り開いた。


「そんなとこで何やっとるんや?クソ親父共」

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