想いに花を開かせて その七

 昔から、千佳は大抵のことはできた。

 俺に出来ることだろうと、出来ないことだろうと、大抵のことは上手くやってみせた。

 だから俺は悔しくて、羨ましくて、誇らしかった。

 二人だけだった世界から視野が拡がる度、俺達以外の人間が世界に増える度、誇らしさの方が大きくなった。


『千佳は凄いんやぞ、見ろや』


 口に出して言うことは絶対に無いけれど、いつも思っていた。

 ただ、悔しさも羨ましさも、消えはしなかった。

 それは、今だってそうだ。


 広くなった世界では、千佳は俺よりもずっと前に居る。

 手を伸ばしたって届かない。どれだけ走っても背に触れさえ出来なかった。

 なんで俺には出来ないのかと、悔しかった。

 俺には無いものを沢山持っていて、羨ましかった。

 それでも、俺達の部屋では、二人だけの世界では、隣に居た。

 狭い部屋じゃ、何をどれだけ持っていたって関係なかった。

 ただ一緒に居る。それが普通だった。それだけでよかった。


 その心地良さが、好きだった。


「…もう、こんな時間やんけ」


 気付けば、既に十六時を回っていた。

 そろそろ母さんを起こさないといけない。

 最近は日が落ちるのが遅くなったからか、時間感覚が狂っている気がする。


 一階に降りると、親父が家に帰ってきたところだった。


「ただいまぁ」

「あれ、おかえり。えらい早いやん…昨日も早なかった?」

「まぁ、色々あってやな!それより、千佳ちゃんの見舞いはもう行ったんか?」

「は?見舞い?……なんかあったんか!?」


 何か怪我でもしたのかと思い、嫌な汗が出る。


「昨日熱出て寝込んでる、言うててお母さんも知ってる筈なんやけど…」

「聞いてへんわそんなん…俺に言うん忘れとったな…」


 二日もこっちにこないのはそれが理由か、と納得する。

 親父も苦笑いしているが、このくらいのことは俺も親父も慣れているのでそれ以上は何も言わなかった。


「で、そのお母さんは?」

「ああ、昼過ぎに眠い言うて寝たわ。居間でまだ寝とると思う」

「あー…それなら俺起こしとくから、拓実は千佳ちゃんとこ行ってきたりや。一応もう治っとるらしいからな」

「……そうやな、ちょっと行ってくるわ」


 ずっと千佳のことを考えていたからか。

 なんとなく、顔が見たいと思った。

 言いたいことも、多分ある気がした。

 何を話そうか、はっきりとはしてないけれど、顔を見たら素直に言葉が出てくるような、そんな予感がした。


「なんや、ええ顔しとるやんけ」

「知らんかったん?母さんの遺伝子に感謝やな」

「阿呆、早よ行け」


 親父が笑ってそう言い、俺は玄関の戸に手を掛けた。


 ◇


「あら、拓実君。もしかして千佳のお見舞い来てくれたん?うちの方来てくれんのも久しぶりやねえ」

「まあ、はい。京子きょうこさんは今日休みやったんですか?」


 千佳の母、樫井京子かしいきょうこが拓実を出迎えた。

 拓実が彼女をわざわざ名前で呼んでいるのは、"おばさん"と呼ぶと年甲斐もなく拗ねるからだ。


「千佳、心配やったからね。でも、拓実君なら昨日の内に来てくれるかと思ったんやけどなぁ」


 京子はなじるような目で、悪戯っぽく拓実を見る。

 それに拓実が苦笑いをしながら返す。


「母さんに言うてくれてたんでしょ?あの人俺に言うん忘れてたみたいで、さっき帰ってきた親父から聞いたんすよ」

「あー…先輩らしいっちゃらしいなあ…ならしゃあないね」


 大学の先輩後輩だった頃から、京子は拓実の母を"先輩"と呼んでいるらしいが、その辺りの詳しい話を拓実は聞いたことはなかった。

 昔は母を巡って、随分と色々あったらしい。


「千佳なら多分部屋でごろごろしとるやろから、見たってくれる?──千佳のこと、よろしくね」


 階段を登る。

 この階段も、いつ振りだろう。

 柄にもなく緊張しているのがわかった。

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