第七話 悪ガキ軍団にサービスを
お盆の日の夕方、ぼくは兄さんに連れられて花火大会に向かっている。
普段はのどかな郊外電車が、今日は花火目当ての客がどっと押し寄せ、すし詰め状態だ。
でも兄さんは、こんなのは混雑のうちに入らないと笑う。東京ってどんなところなんだよ。
ひとり涼しい顔の兄さんを除き、ぼくらはぐったりして電車を降りた。
降りた途端空気が変わり、ぼくはほっと一息つく。
去年は麻衣やバンド仲間と一緒に来たけど、今年はみんないない。小学校時代の友だちも家族旅行やらで、行けるのはぼくだけだ。
「ハッちゃーん、待ってよう」
悪ガキ軍団の和人が、はぐれまいと必死で人ごみをかき分けてくる。
去年「連れて行って」と頼まれたが、友だちと行くので断った。
今年は兄さんが保護者代わりになってくれたので、みんなを誘った。
旅館や土産物店は今がかきいれどきだから、夏祭りや花火大会どころではない。
だから誘ったときの喜びようと言ったら、こちらが気後れするほどだった。
いつもの生意気な態度も、寂しさの裏返しなんだ。そして時折、素直なところを見せてくれる。
だからぼくは四人をどうしても憎めない。もちろんその気持ちは、ぼくにも十分理解できる。
人の波に流されながら小さなアーケード街を歩くこと十分、にぎやかな祭りばやしの音が聞こえてくる。
やがてアーケード街を抜け、会場の海辺に着いた。潮の香りが心を穏やかにし、海という天然のクーラーに冷やされた空気が肌に心地いい。
でも残念なことにたくさんの人いきれのせいで、すぐに汗が戻っていきた。
盆踊りの曲は子供向けなのだろうか、アニメのものが使われている。
おいしそうな匂いは、道の両側を埋め尽くしている屋台から漂ってくる。どこもたくさんの列ができていて、商売繁盛だ。
これだけ人がいたら、友だちには会えないだろうな。麻衣に会えたらいいのにという淡い期待がくじけてしまった。
悪ガキ軍団はお小遣いを握りしめて、金魚すくいの屋台にかけよる。ぼくもそのあとを追う。
金魚をすくおうとするが、あっという間に紙が破けて、四人とも手元には何も残らなかった。
「ああ、何も取れなかった……」
秀司が残念そうにつぶやくと、あとの三人もつられるように肩を落とす。
ここだけお祭りがお葬式会場になったみたいだ。その落胆具合ときたら、見ているこっちまで悲しくなる。いつものやんちゃぶりからは想像できない。
「ハヤトはやらないのかい? あの子たちの前でたくさんすくったら、ヒーローになれるよ」
兄さんは微笑みながらぼくに提案した。
「無理だよ、絶対に無理」
実のところぼくは金魚すくいが苦手だ。一度だって取れた試しがない。
「兄さんがやれば?」
「おれが?」
「人数分すくったらかっこいいのに」
「だめだめ。おれもハヤトと一緒で、こういうのは不器用なんだよ」
恥ずかしそう笑う兄さんを横目に、ぼくはつぶやく。
「あの子たちになんとかしてあげられないかな」
ぼくは肩を落としている四人が不憫になり、どうすれば元気になってくれるか考える。
ところがそんな心配をよそに、昭がいきなり目を輝かせたかと思うと、みんなを引っ張っていった。
何か次のものが目についたのだろう。ぼくの心配は取り越し苦労だったのか。
元気いっぱいの小学生を追いかけ、ぼくと兄さんは屋台を渡り歩いた。
「ハヤトはほしいものってないのかい?」
「ないわけじゃないけど……あの子たちを見てると保護者になった気がして、羽目を外せないんだ」
「なんだ。そんなことを心配していたのか。それはおれの役目だから、気にせず一緒に遊んでこいよ」
「いいの?」
「暑いから冷たいものでも買っておいで」
兄さんは洒落た財布から千円札を二枚取り出し、ぼくに渡してくれた。
「ありがとう」
兄さんにもらったお金を手に、ぼくは和人たちと合流する。
「暑いからさ、フラッペでも食べない?」
悪ガキ軍団は「わーい」と歓声を上げて屋台にかけより、列の最後尾に並ぶ。ぼくは彼らの後ろに並び、人ごみを何気なく見ていた。
家族連れに友だち同士、そしてカップルと、いろんなグループが笑顔を浮かべて歩いている。綿菓子を買ってもらった子やお面をかぶっている子、みんな楽しそうだ。
手にした風船を飛ばすまいと、ぎゅっと握りしめている幼稚園くらいの子を見つけた。
あれは昔のぼくの姿だ。
やっと買ってもらった風船をうっかり手放して、あっという間に飛ばしたことがある。
以来、風船の紐を何重にも手首に巻き、握りしめるようになった。
あのときは、ウルトラマンにお願いして取ってもらいたかったっけ。
あれ? 地球のために頑張ってくれるヒーローに、そんなこと頼んでいいのかな。
そのとき。
ぼくは人ごみの中に麻衣を見つけたような気がした。慌てて二度見したが、そのときはもう姿を見つけられなかった。
会いたい気持ちが幻を見せたようだ。
「ハッちゃん、できたよ」
「あ、ごめんごめん」
おじさんにお金を払ってフラッペを受け取ると、ぼくは悪ガキ軍団を引き連れて兄さんのところに戻ろうとした。
ちょうどそのタイミングだ。
「ハッちゃん、ぼくトイレに行きたい」
いきなり和人が訴える。
ぼくはあとの三人を兄さんにあずけ、和人を連れてトイレを探した。だがやっとみつかった所は人がたくさん並んでいる。もじもじしている和人が心配だ。
「そうだ。商店街に行けば利用できる店があるかもできない。もう少し我慢できる?」
「うん。多分」
さっき歩いてきたアーケード街の中ほどに、コンビニがあった。そのことを思い出し、ぼくは和人を連れて走った。
幸いにして店のトイレは空いている。
無事にトイレをすませて店を出たぼくらは、アーケード街を見渡した。
「ちょっと空いてきたね、ハッちゃん」
さっきと比べてこのあたりは人の数が減っている。みんな花火大会の会場に移動しきったのだろう。
ちらほら歩く人の中にカップルを見て、来年はああやって腕組みしながら麻衣と来たいなと考えていた。
そう、あそこにいる麻衣と……。
「え、麻衣だって?」
前方の角を曲がったのは、確かに麻衣だ。さっき見かけたと思ったのは間違いじゃなかった。
友だちと約束したって言っていたから、連れは吹奏楽部かクラスの女子に違いない。
こんな人混みの中で会えるなんて、運命の赤い糸じゃないか。一緒に行動しないかと誘おう。兄さんにも紹介できるぞ。
「さっきの待ち合わせの場所、覚えてる?」
ぼくは和人に訊いた。兄さんたちが待っているのはフェリーの待合所だ。途中までみんなで移動したから、ひとりでも帰れるだろう。
「うん。でもどうして一緒に戻らないの?」
「麻衣を見かけたんだ。声かけてくるよ」
「あっ、ハッちゃんの彼女だね。解ったよ。ぼくがいると邪魔になるもんな」
和人はニヤニヤしながら言うと、ぼくをおいて待合所に走った。
生意気なことを言われたけれど、からかわれるのも意外と嬉しいものだ。ぼくはさっき麻衣の消えた角をもう一度見た。
「あれ? 花火会場とは逆じゃないか。あっちに見やすい穴場でもあるのかな」
ぼくは麻衣を追いかけて角を曲がった。
そこは店と店のあいだにある狭い路地だ。
人通りもなく、建物が邪魔をして、思ったほど視界も開けていない。
「……こんなところから花火が見えるのか?」
麻衣の姿も、ほかの友達らしき人たちもない。
よその庭に勝手に入ったような居心地の悪さを感じたぼくは、すぐに引き返そうと一歩下がった。
そのとき。
「やだっ!」
路地の角をまがった先で声がした。
あれは間違いない、麻衣だ。
ぼくはすぐに引き返すのをやめて奥まで進んだ。明かりがあまり届かない行き止まりに、人影が見える。
「麻……」
声をかけようとしたとき、辺りが一瞬明るくなる。少し遅れて、大きな音と重低音が体に響いた。花火が上がり始めたようだ。
目の前には麻衣と、覆いかぶさるように立つ影がある。だれだ?
明るくなる。重低音。暗くなる。また明るくなる。
繰り返し上げられる花火のおかげで、麻衣と一緒にいる人物が解った。
「まさか……倉田先輩?」
壁際に追いやられ麻衣はうつむいている。
先輩は麻衣の顔のそばに右手をおき、逃げ場をなくしていた。リアル壁ドンを見るのは初めてだ。横で見ていても威圧感がある。
「倉田あっ! やめろっ。麻衣に何してるんだっ」
考えるより先に体が動いた。
ぼくは倉田先輩の肩に手をおき、体を後ろへ引っ張った。驚く先輩。
顔にすかさず拳をお見舞いする。手ごたえあり。先輩の足元が崩れる。ひ弱な相手に負けてたまるか。
ぼくは麻衣に視線を移す。ほおを流れるひとすじの涙が、すべての状況を語っていた。
麻衣にひどいことをする奴は、たとえ先輩でも許せない。麻衣を泣かせる奴は、このぼくが許さない。
地球のためじゃなく、あの日のように、ぼくは麻衣だけのヒーローになりたいんだ。
そう思って一歩踏み出したとたん、ほっぺたに衝撃を感じ、ぼくの視界が揺れた。
☆ ☆ ☆
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