22-3

 千屋さんのお母さんは約束通り、次の日も顔を出してくれた。ただし、昨日と同じように練習終了間際になってだ。今日もジーパンに革ジャンという出で立ちで、もしかしたらその格好が気に入っているのかもしれない。

 昨日はあの後、千屋さんとは一言も口をきかずに帰った。千屋さんは終始思い詰めたような表情をしていて、気軽に話しかけることができなかった。刺々しかった一年生のときとはまた違う雰囲気にあたしは戸惑うばかりだった。

 今日も北原さんは帰され、千屋さんとあたしだけが体育館に残った。

「じゃあ唯、昨日と同じようにアタック打ってみてよ。私はブロック入るから」

 それからは昨日と同じことが起きた。千屋さんがアタックを打ち、千屋さんのお母さんが鮮やかにブロックを決める。昨日と違ったのはそれが三連続繰り返されたことだ。

 千屋さんは呆然とし、千屋さんのお母さんは困ったように頭をしきりに掻いている。

「どうしよっかなあ。ああ、でもなあ」

 千屋さんのお母さんは眉根を寄せ、ぶつくさとずっと独り言を繰り返している。あたしは固唾をのんで見守った。

「まあ、今日はいいや」

 やがて千屋さんのお母さんが諦めたように言い、あたしたちにはなにも言わず背を向けた。

「あの! 明日も来てもらえますか」

 昨日と同じようにあたしは去っていく背中にお願いをすることしかできなかった。

 千屋さんのお母さんが振り向き、じっとあたしを見つめてきた。力強い眼差しにあたしはたじろいだが、目を逸らすことはしなかった。

 しばらくすると、

「まあ来てもいいけど」

と、少しぞんざいに言い放った。


 次の日も同じだった。千屋さんのお母さんは練習終了間際に来て、あたしと千屋さんを残し、千屋さんのアタックを三連続で足一本でブロックした。

「唯、酷なことを言うようかもしれないけどさ」

 千屋さんのお母さんはブロックを決めた後、腕と体でネットを挟み込むようにしてもたれかかった。その振る舞いはどことなく気だるそうだ。

「中学のときから全然成長してないように思えるよ。この二年間なにしてたの」

 千屋さんはあたしが今まで見たことがない表情をし、立ち尽くした。

 指導者がどうしても必要だとあたしが思った理由だ。一貫して孤立しようとしていたどころか敵意剥き出しだった一年生のころに比べ、千屋さんは丸くなった。あたしと普通に話すようになったし、練習も積極的に全員に指導している。同級生のあたしが言うのは変かもしれないが、大人が言うなら成長というやつだ。内面に関しては劇的な変化だ。

 でも、セパタクローの実力は? きっと千屋さんは高校女子で一番強いと言い張るし、あたしもそう思っている。それでも足りなかった。去年の夏あたしたちは負けた。あたしと北原さんの実力を上げるだけだときっと勝てない。千屋さん自身も力をつけないと今年もきっと勝てない。あたしもちゃんと指導を受けたいという思いももちろんあるが、それこそあたしが指導者を求めた最大の理由だ。

「高校生であることを考えると、実力はずば抜けている。それは認める。でも、それだけ。自分の力に慢心してた?」

「そんなことはない……」

 千屋さんはうつむき、両手を握りしめ震える声で否定した。慢心していたとはあたしは思っていない。でも千屋さんは否定するのが精一杯の様子だ。

「言葉ではどうとでも言えるけど、唯の力を見てれば分かるよ」

 千屋さんも千屋さんのお母さんもそれ以上はなにも言わず練習は終了した。


 指導者として千屋さんのお母さんにお願いするよう言ったのは間違いだったのだろうか。千屋さんの家庭の事情を軽く考え、あたしは結果的に千屋さんを追い詰め、このチームまで壊してしまうのだろうか。千屋さん母子の練習をコートの外で見守りながら、一抹の不安を覚えた。あたしはとんでもないことをしてしまったのか。

 三日連続で千屋さんのお母さんは練習に来てくれている。ただし今日も練習終了間際にだが。今日も千屋さん母子はアタックとブロックで対決をしていて、千屋さんは四連敗している。

「昨日と、いや今までと同じじゃん。進歩が見られないよ、進歩が」

 千屋さんのお母さんは今日も厳しい言葉を浴びせている。昨日今日で技術が伸びるなら苦労しない。いくらなんでも酷だ。

 ここ数日の千屋さんは明らかに元気がない。教室だと普段通りのように見えるが、練習中は口数も少なくなり、覇気が感じられなくなっていた。

 やっぱりあたしは間違ったことをしたのだろうか。今からでも指導者になってもらう話は取り消すべきだろうか……。

 あたしが悩んでいるうちに再度千屋さんがアタックを打ち、千屋さんのお母さんがそれをまたブロックした。ボールだけが力なくこの場で動いている。

「同じこと繰り返したって勝てないって。もっと考えながらやりな」

 千屋さんのお母さんの言葉は正しい。去年の二の舞にならないように指導者を求めたが、これ以上は……。

「どうやったら勝てるのか、どうやったら上手くなるのか。常に考えな。なんのためにやっているかも、ね」

「なんのために……?」

 千屋さんのお母さんが体育館に来てから一言もしゃべらなかった千屋さんがぽつりと呟いた。

「私は……! 私は好きでやってるんじゃ……!」

 千屋さんは太もものあたりでズボンと一緒に拳を握り俯いたまま叫んだが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 千屋さんは我に返り、自分がなにを言ってしまったのかに気がついたのか、驚愕の表情を浮かべた。千屋さんは弾かれたように千屋さんのお母さんに背を向け、逃げるように走り出した。千屋さんのお母さんは無表情にただ黙って見ているだけだった。

 あたしは急いでコートの中に入り、千屋さんの行く手を体で塞いだ。千屋さんが勢いを落とすことなくあたしにぶつかり、あたしは少しだけよろめいたがなんとか受け止めた。

 千屋さんの両肩を掴んで引き離すと、千屋さんは両目に薄らと涙をためていた。こんなに弱々しく今にも消えてしまいそうな千屋さんを見るのは初めてだ。千屋さんはあたしに涙を隠そうとすらしなかった。

 あたしは意を決し、千屋さんを千屋さんのお母さんとむりやり向き合わせた。両肩から手を離し、それから千屋さんの背中をそっと押した。千屋さんは力なく一、二歩よろけ、しっかりした足取りで千屋さんのお母さんの元へ歩いていった。

 あたしにできるのはこれだけだ。

「セパタクローは好きじゃないの?」

「……分からない」

 千屋さんの曖昧な言葉に千屋さんのお母さんは呆れたような顔をした。

「分からないって、自分のことでしょ。じゃあなんでセパタクローやってるの」

「それは……」

 千屋さんはまた言葉を詰まらせたが、やがて意を決したように、

「見捨てられないように、ずっとそう思ってやってきた! どんなにつまらなくても、どんなに嫌な目に遭っても! 血の繋がっていない私にはそうするしかないと思って!」

と、一気に言い切った。千屋さんは息を切らし、肩を激しく上下させている。

 千屋さんのお母さんはしばらく黙ってから千屋さんを手招きした。千屋さんはゆっくりと近づいていった。

 二人の距離が手が届くほどになると、千屋さんのお母さんはネット越しに千屋さんを強く抱きしめた。

「ばかだねえ、本当に」

 千屋さんのお母さんは目を瞑り、今までとは打って変わって優しい声で話しかけた。

「血が繋がってないってのは、いつから知ってたの?」

「小さいときからずっと」

「どこで知ったの。私もお父さんもそんな話をしたことないはずだけど」

「いつかの練習会で聞いた」

「ありゃりゃ、それは迂闊だった。噂好きはどこにでもいるねえ」

 千屋さんのお母さんは慈しむように右手で千屋さんの頭を撫でた。

「実はね、唯がセパタクローをやっていてもやっていなくても、どっちでもいいんだよ私もお父さんも」

「……高校でやめても? この先ずっとやらなくても?」

「いいって言ってるでしょ」

「セパタクローとは無縁の大学に行きたくても?」

「だからいいって。お金はお父さんが死ぬほど働いているから」

 小さく鼻を啜る音が聞こえた。

「中学くらいから全然楽しそうじゃなかったし、たまたま見にいった最後の試合も散々だったしでずっと心配してた。でも最近は楽しそうで安心してたけど、ずっと悩んでたんだね」

 千屋さんは堰を切ったように泣き出し、あたしたち三人しかいない体育館にこだました。

 あたしからは千屋さんの顔は見えないが、千屋さんの全身から憑き物が落ちた、そんな感じがした。


 次の日、千屋さんのお母さんは練習開始と同時に現れた。いつものジーパンと革ジャンではなく、背中にALL JAPANの文字が入っている千屋さんとお揃いのジャージを着ている。

 あたしと北原さんが驚いていると、千屋さんは準備運動もそこそこにコートに入り、ネットを挟んで千屋さんのお母さんと向き合った。

 千屋さんのお母さんがボールを緩く千屋さん側コートに投げた。千屋さんはそれをレシーブ、トスとつなげジャンプし、アタックの体勢に入った。

 蹴られたボールはあっさりとブロックをすり抜け、相手コートに叩きつけられた。

 今まで歯が立たなかった相手に急にどうして……。

 ボールの行方を見送った千屋さんは右肩から体育館の床に落ちた。普段とは違う着地にあたしは心配になり駆け寄ろうとしたが、千屋さんは何事もなかったかのように立ち上がり、右肩のよごれをはたいた。

 千屋さんのお母さんは負けたのが不服なのか、口をとがらせつつも千屋さんに熱い視線を送っている。

「私は日本一になりたい。だから……」

 千屋さんが北原さんにそう言って、今度はあたしを見た。そこには昨日までの弱々しい千屋さんはもういなかった。

「だから、力を貸して」

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