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それからは毎日アタックの練習を繰り返した。レシーブもトスも基礎体力をつけるためのトレーニングも怠らない。目が回るような忙しさとはこのことだ。
アタックに関しては相変わらず千屋さんの教え方が下手で、千屋さんから学ぶのを諦めた。そのかわり動画サイトにアップロードされている動画を繰り返し繰り返し再生して参考にした。これだけ情報化社会が進んだ現代においてもセパタクローの動画はそう多くない。上がっている動画は大抵、セパタクローの基礎やルールを解説するものだったり、世界のスーパープレーを集めたようなものばかりで両極端だ。後者にいたっては動画が古いのか画質が悪く、どう動いているのか参考にするのが難しい。それでもあたしは時間さえあれば動画サイトで勉強をした。
学校の試験の成績が芳しくないのはそのせいだ。
年も変わり一月中旬、体育館は冷え切っている。私立のくせに暖房という文明の利器はついていない。練習前は体が動かしにくくてしかたがない。練習後には長袖長ズボンのジャージなんて着てられないのだが。
「成績まずくない? 部長が追試とか勘弁してよ」
「もしかして阿河先輩ってあれ、なんですか」
北原さんは明言を避けているものの、人差し指で自分の頭を指している。
「追試は免れた」
あたしが自慢すると千屋さんと北原さんは呆れたような表情をした。あたしと千屋さんは同じクラスだが、同じグループにはいないため教室だと普段ほとんど話すことはない。ただ、あたしの友達があたしの試験結果を大声で話すものだから千屋さんの耳にも自然と入ったのだろう。
「なんであれくらいができないかな」
意外なことに千屋さんはそこそこ成績がいい。井澄高校自体が偏差値五〇だから、世間的に見たら平均程度なのだろうが、あたしから見たら千屋さんの成績は輝いて見える。
「内容がつまらないのがいけないと思うんだよね」
「私も面白いとは思ってないけど、阿河さんよりはだいぶましな成績を取ってる」
「じゃああれだ、先生の教えがよくない」
あたしの戯れ言に千屋さんが心底軽蔑するような視線を向けてきたが、あたしの頭に鋭い電気信号が走り、それどころじゃなくなった。
そうか、そうだ。どうしてこの考えに至らなかった。
「あたしはばかかもしれない……」
「かも、じゃなくてばかでしょ」
「そう、ばかなんだよ。成績を上げるにはいい教師。じゃあセパタクローの上達は? いい指導者」
あたしの言葉に千屋さんと北原さんがいぶかしげにあたしの言葉の続きを待っている。
「マイナースポーツだから自分たちで考えて練習しないといけない、って思ってたけど、そんなことないじゃん。優秀な指導者たり得る人がいる」
「そんな人いるんですか? 私はそういう人がいないとばかり思っていましたが」
北原さんが今度は非難するような視線をあたしに投げかけてきた。すっかり懐かれていたから、この感じは久しぶりだ。
「北原さんが指導者とかいないんですか、って一言聞いてくれれば、あたしだってすぐ気がついたよ」
「過去のことを責めてもしかたありませんね。で、指導者ってだれですか?」
ちらりと千屋さんを見ると能面のように固まっていた。これでいいのだろうか、と一瞬不安がよぎった。あたしは本当にばかなのだろうか。
「千屋さんのお母さん」
千屋さんが小さくため息をつくのと北原さんが驚きの声を上げるのが同時だった。
「千屋先輩のお母さんってセパタクローの選手だったんですか? だから小さいときからやってたんですね」
千屋さんは両親と血が繋がっていない、と明賀先輩から聞いている。血縁関係がないことはセパタクロー界だとまあまあ知られているらしい。高校から本格的に始めた北原さんが知らないのはむりない。
「あ、でも、仕事とかありますよね。家の両親は共働きですし」
期待に華やいでいた北原さんの顔はすぐに落胆の色に変わった。あたしの家も共働きだからその可能性についてはすぐに思い至った。それでも聞くだけなら罰は当たらないはずだ。
「いや、働いていない。私が家に帰ると暇だ、暇だって言ってくる」
あたしは全身から力が抜け、立っているのがようやくの状態に陥った。
「なにその露骨なアピール。あたしたち、というより千屋さんを指導したいんじゃないの?」
「そうかな?」
「そうでしょ!}
「そうですよ!」
あたしと北原さんが同時に大声を上げた。千屋さんのお母さんの意図は分からないが、千屋さんのためになにかしようとしているのは傍目にもすぐ分かる。
「いや、でも私がいれば……」
なおも千屋さんは回避できないかと、苦心しているように見えた。
「千屋さんの実力は疑ってない。でも、去年はそれでも負けた。今年も同じことを繰り返して負けたくない。あたしたちには絶対指導者が必要なの」
千屋さんは苦虫を噛みつぶしたような顔をし、口をもごもごさせた。千屋さんはあまり母親のことをよく思っていないように見えるが、試合に負けるのとどちらが嫌か天秤にかけているようだ。
千屋さんの両親はセパタクローの名選手らしい。ただ、千屋さんとは血縁関係がない。千屋さんは両親に見捨てられないようにしかたなく小さいときからセパタクローをやっている、というのが明賀先輩の推測だ。それが正しいかはあたしには分からないし、そのことを聞いたことはない。
やがて千屋さんが諦めたかのように大きくため息をつき、
「聞くだけ聞いてみる」
とあたしたちから目を逸らしながら約束してくれた。
次の日、十九時半になっても千屋さんのお母さんらしき人は一向に現れる気配はなかった。練習は二十時までで、このままだと普段通りで終わってしまう。
「千屋さん、本当に頼んでくれたの?」
さすがにおかしくないだろうか、と思い練習の休憩中に千屋さんに聞くと、千屋さんは肩をすくめた。
「帰ったら暇だ、暇だって言ってたから頼んだ」
「本当に?」
あたしが疑いの目を向けると、いつもなら睨んでくるはずの千屋さんが目を逸らした。
「本当。行ってあげる、とは言ってた」
来なくてもいいのに、と千屋さんが小さく呟いた気がしたが、あまりに小さくあたしは本当に千屋さんがそう言ったのか分からなかった。
二〇時になると同時に体育館の扉が開き、だれかが入ってきた。千屋さんを見て一目でその人が千屋さんのお母さんだと分かった。
身長は一七〇前後であたしと同じくらいだ。名選手と聞いていたから、てっきり去年の銀渓の一八〇近いキャプテンのような風貌を想定していたから意外だった。顔は千屋さんに似ているような気がし、血が繋がっていないと知らなければそうは思わない。ジーパンに革ジャン、赤色の髪といろいろなものに次々と目を奪われた。
「あの……」
「二年生だけ残って」
とりあえずあいさつをしようと、千屋さんのお母さんの元へ行こうとしたところ、掌をこちらに向けそれを遮られた。
困惑している北原さんにあたしは、
「北原さん、とりあえず今日は終わりで」
と千屋さんのお母さんの意向を尊重し、帰るようにお願いした。
北原さんが出ていくと、千屋さんのお母さんはボールを一つ手に取りこっちにゆっくりとやってきた。
「唯、アタック打ってみて。私はブロックに入るから」
二人がコートに入りネットを挟んで対峙し、あたしはその様子を黙って見守ることしかできなかった。
「じゃあ、やろうか」
そう言うと千屋さんのお母さんは手に持っていたボールをゆるく山なりに千屋さんの目の前に投げた。
千屋さんは一度真上に蹴ってから、ネット際へ自分でトスを上げた。一年生の初期はよくそうやって一人で練習していたのをふと思い出した。
千屋さんがジャンプし、空中で回転すると同時に千屋さんの目の前に壁が現れた。壁、というのはあたしの目の錯覚で、実際は千屋さんのお母さんの右足ブロックだと気がつくのに数瞬必要だった。
千屋さんのアタックは見事にブロックされ、自コートへ真っ逆さまにたたき付けられた。これには千屋さんも目を丸くしていた。
「うんうん、なるほどね」
千屋さんのお母さんは悠々と着地してから腕を組んでしきりに頷いた。
千屋さんのアタックを止めたことにはなんの感慨も抱いていないようだ。千屋さんのアタックが右足だけで止められるのを初めて見た。いや、そもそもアタックを止められるのを見るのは二回目だ。引退して何年なのかは知らないが、これが世界トップレベルだった人だ。
「じゃあそういうことで」
なにがそういうことなのか分からないが、千屋さんのお母さんはそれだけ言うと体育館を出て行こうとした。
千屋さんは引き留めるでもなく、黙ってそれを見送っている。
「あ、あの!」
あたしは慌てて千屋さんのお母さんの背中に呼びかけたが、こちらを振り向く気配がない。
「あたしたちには指導者が必要なんです。明日も来てもらえませんか」
千屋さんのお母さんはこちらに背を向けたまま、
「考えとくね」
とだけ言い残し、体育館を後にした。
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