22-1

 三月後半なのに、暑い。先週まで気温は一桁台で寒かったのに、今日突然二五度越えだから余計にそう感じる。

 今日も練習のために朝早くからロードバイクを全力で漕いで学校へ向かっている。外にいるだけで汗ばむのに、運動をすると一気に体温が上昇し、汗が地面に落ちる。風があるから涼しいでしょ、とたまに言われることがあるが、体に当たるのは熱風だから全然涼しくない。一回やってみればそんなことはすぐに分かるはずだ。

 信号が赤になるのが見え、ずいぶん手前からブレーキをかけ、ゆっくりと停車した。家を出てから五分で心臓は早鐘を打っている。意図的に負荷をかけているから当然だ。練習が始まる頃には脈拍も正常に戻るし、これくらいでへばったりしないからこの程度問題ない。

 信号が青になり走り出しながら、なんとも不思議なことをしているな、と漠然とした気持ちに襲われた。自分で言うのもあれだが、あたしの運動神経は女子のなかならかなり高いほうだと自負している。メジャースポーツをしていたら今頃それなりに名が日本中に知れ渡り、将来はプロなり実業団なりで活動しているかもしれない。それでもあたしはセパタクローというマイナースポーツで、勉強もそっちのけで打ち込んでいる。なにになるの、と言われると答えに窮する。それでもあたしはこの道を迷いなく突き進んでいる。


 去年の夏の大会後、あたしはセパタクロー部の部長になった。あたしより実力は数十倍上の千屋さんを差し置いてだ。

 大会後初めての練習で体育館に行くと、当然だが、明賀先輩も宮成先輩もおらず、そんなこと分かっていたはずなのに無性にさみしさを感じた。

「邪魔なんだけど」

 あたしが体育館の入り口に突っ立っていると千屋さんが迷惑そうな顔をしながら現れた。

「感傷にでも浸ってるんですか」

 千屋さんの後ろからは後輩の北原さんが現れた。

「それは引く」

 千屋さんが呆れたような表情を見せ、あたしの横をすり抜け、体育館へ入った。そんなことを言っている千屋さんだが、負けた大会の次の日に朝から体育館でボールに八つ当たりし、後悔の言葉を吐いていた。その姿を思い出し、肩をすくめ、あたしも体育館へ入った。

 準備運動に取りかかろうとしていた二人を呼び、車座になった。最初の練習前にどうしても話したいことがあった。

「ポジションを決めるべきだと思うんだよね。本当は練習の中で適正とか見ながら決めるべきだと思うけど、ポジションに特化して練習したほうがいいかなって」

 座って足の裏と裏を合わせて体側へ引き寄せながら柔軟をし、説明した。

「具体的に言うと、トサーだね。あたしと北原さんどっちがやるか」

 アタッカーは千屋さんなのは確定として、問題は明賀先輩が抜けた穴をどうするかだ。その名の通りアタッカーにトスを上げるのが仕事で、あまり注目されないが重要なポジションだ。

「阿河さんでしょ」

 千屋さんは悩む素振りも見せず言い切った。

「なにか理由があるんですか?」

 北原さんもあたしと同じで理由がよく分かっていない様子だ。

「やたらと高い運動能力を最大限に活かす。阿河さんはトサーをしつつ、チャンスがあればアタックも打つ。いわゆるダブルアタッカー」

 千屋さんの提案に北原さんが目を輝かせ感嘆の声を上げた。

「いいじゃないですか! 攻撃力二倍、さらに私のサーブ。勝てますよ、これ」

 サーバーを志望していた北原さんにとっても、あたしたちのチームにとってもそれが最善なのかもしれない、とあたしの中でむくむくとやる気が湧き起こってきた。

「まあ二倍にはならないけど。いいとこ一・三倍くらいじゃない?」

 千屋さんが一言多いのは今に始まったことじゃないから受け流した。今までの千屋さんなら一人で勝てるとか言いそうだが、さすがにこの前の負けが堪えていると見える。あたしの力を借りようとしているくらいだから。


 それから一ヶ月、あたしはトスの練習にひたすら時間を費やした。自分でレシーブしてからトスを上げるか、あたし以外の二人のうちどちらかがレシーブしたボールをトスするか、二パターンある。セパタクローでは一人で三回触ってもいいから、トサーもサーブレシーブをする。バレーボールとの大きな違いだ。ボールが綺麗にレシーブできればいいが、そうじゃない場合、あたしはコート中を走り回らないといけない。明賀先輩は易々とやっていたように見えるが、それが経験値からそう見えるだけだったと知るのに時間はかからなかった。

 あまりにもあたしの練習がトスばかりだから千屋さんに、

「アタックの練習はしなくていいの?」

と聞くと、千屋さんは呆れたように、

「それは後回し。阿河さんのアタックは完成しなくても最悪どうにかなるけど、トスが完成しないのはまずい。私がアタックを打てなかったら勝てない」

とこんこんと説明され、あたしも納得しそれ以上はなにも言わずトスの練習を続けた。

 さらに一ヶ月はトスを徹底的に練習した。当然リフティングのような基礎やレシーブ練習をおろそかにせず追加で、だ。

「明賀先輩ほどじゃないけど、まあ形にはなってきてるかな」

 十月入り、多少涼しくなってきたころに千屋さんがあたしのトスの出来に多少は納得したようだった。

「私の実力なら十分カバーできる範囲まではきた」

「もうちょっと素直に褒められないの?」

 あたしが軽口を叩くと、千屋さんは眉をひそめた。

「褒めてない。ただ事実を述べただけ」

 今さら千屋さんから賞賛されたところで、なにか裏があるんじゃないかと勘ぐる程度にはお互いの関係性はできあがっている。これくらいで感情に起伏は生じない。

「二ヶ月程度でここまでできるようになったのは感心するけど」

 千屋さんの言葉にあたしは固まり、耳を疑った。もう一度聞きたかったが、下手をするとへそを曲げられかねない。見ると北原さんも千屋さんを穴が開くほど見つめていた。

「これからはさらにアタックの練習も加える」

 あたしと北原さんの様子など気にもとめず千屋さんがボールを手にした。

「アタックはアタックでも、ローリングを身につけてもらう」

「シザーズじゃなくて?」

 ローリングはその名の通り空中で一回転しながら打つアタックだ。シザーズに比べて難易度と威力は遙かに高く、試合で使っているのは千屋さんしか見たことがない。

「できるでしょ?」

 そう言われてあたしが引き下がれないのを千屋さんはよく知っているようだ。ここにきてようやくお互いのことが分かり始めている。

「当然。千屋さんをすぐ追い越す」

 早速練習に取りかかったが、やはり難しい。そもそも空中で一回転するのが怖い。失敗して床にたたき付けられるのではないか、という恐怖は常につきまとう。そんなこと千屋さんに言えば、

「相手コートにボールをたたき付けられれば自分の体くらい、どうでもいいでしょ」

と、ばかにするような物言いをされるに決まっているから黙っていた。

 さらに問題なのは、千屋さんのアタックとは勝手が微妙に違う、ということだ。アタッカーの千屋さんはコート右からアタックを打つが、トサーのあたしはコート左からアタックを打たないといけない。この左右の違いのせいでいくら千屋さんのアタックを観察しても自分の動きとして取り入れることができない。

「コツとかないの」

 初めからできるとは思っていないが、取っ掛かりがなさすぎて困り果ててしまった。

 千屋さんは少し考え込んでから、

「ぐっと跳んで、ぐわんと回って、バシッと打つ」

と、身振り手振りを交えながら真剣な顔で説明してくれた。

 その様子をリフティングしながら見ていた北原さんは小さく吹き出し、あたしも笑いを堪えるのに精一杯だった。

「もうちょっと分かりやすくならない? 感覚に頼らず言葉で説明してよ」

「いや、言葉で説明したじゃん。ぐっと跳んで、ぐわんと回って、バシッと打つ」

 千屋さんが冗談を言うわけがない。分かってはいるのだが……。

普段の練習で千屋さんがあたしたちに指導するときはちゃんと言葉を使って説明してくれる。アタックのみこんな説明になるのが不思議でならない。

「あたしより千屋さんのほうが頭いいわけだからさ、頑張って言葉にしてくれない? あたし全然分からない」

 その後も千屋さんはなんとか説明してくれようとはしているのだが、一向に情報量が増えない。あたしは千屋さんの説明を理解するのを諦め、とりあえず頭の中でイメージを膨らませることから始めた。

 前途多難だ。

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