17-1
体を動かしても頭を使ってもあたしの気分は晴れない。なにかと対抗意識を燃やしている北原さんのせいだ。あたしは努めて考えないように練習に集中しているのだが、北原さんは休憩中よくあたしに話しかけてくる。
「今日も浮かない顔ですね、阿河先輩」
今も休憩中だが、あたしはリフティングをしていた。そこに北原さんがわざわざやってきた。
「そうかな」
つい素っ気なくなってしまうが、北原さんは気にする様子がない。
「そうですよ。でも昨日とはちょっと違いますね。千屋先輩の影響ですか?」
「なんで千屋さん?」
「なんでって……千屋先輩が普段とは微妙に違うからですよ」
あたしは北原さんの顔をまじまじと見つめた。そこにはあたしを挑発するような意図は感じず、純粋に疑問に思っているように見えた。
「そうかな。いつもと変わらないようだけど」
昨日の帰り際はちょっとあれだったけれど、今日はいつも通りだった。話しかけても無視されたりはしなかった。
「そうですか? なんか違いますよ。いつもは練習のことばかり考えていそうですけど、今日は違うことを考えていますね、たぶん」
あたしは思わずコート内で堂々とリフティングしている千屋さんを凝視した。あたしには北原さんの言う普段との違いが分からない。北原さんは大分丸くなった千屋さんしか知らないからその微妙な変化とやらに気がつくのだろうか。それとも北原さん自身が雰囲気や機微を敏感に感じ取れるのか分からなかった。逆にあたしは尖りに尖っていた千屋さんを知っているから微妙な変化には気がつかないかもしれない。
今日の練習後も北原さんは明賀先輩と居残りをし、あたしと千屋さんは追い出されてしまった。
二人で歩いても千屋さんの普段との違いは分からなかった。周りが暗くて千屋さんがよく見えないからだ、とむりに自分を納得させた。
「後輩って面倒臭いね」
部室に入ると自然とあたしの口から愚痴が漏れていた。北原さんと物理的距離ができてほっとしたのかもしれない。
「私には慕ってくれる後輩も、向かってくる後輩もいたことないからよく分からない」
千屋さんはそうでしょうね、とは言わなかった。そもそも人間関係について千屋さんに相談しようとは思わない。もしかしたら自虐であたしを慰めようとしているのかもと思ったが、そのあり得なさに苦笑いした。
「去年の明賀先輩の気持ちが少し分かるかも」
着替えていた千屋さんは無表情にあたしを見つめ、汗を大量に吸ったTシャツを無言で投げつけてきた。距離が近かったせいで避ける暇もなく顔面が千屋さんのTシャツに覆われた。
「ちょ、汚いじゃん!」
あたしは投げ返しながら抗議したが、千屋さんは取り合わなかった。
練習で休憩の度に北原さんはあたしに話しかけてくる。半月近く毎日飽きもせず、だ。北原さんはあたしのことが大好きなんじゃないかとさえ思えてくる。嫌われているとは思っていないが。
「どんどん元気がなくなっていませんか、阿河先輩。むりは禁物ですよ」
北原さんのせいだけど、とは口が裂けても言えないから曖昧に笑って誤魔化した。
「ポジジョン争いのことでまだ悩んでるんですか? 割り切りましょうよ」
「……しつこいなあ。対抗意識を持つのは勝手だけど、あたしにわざわざ言う必要はないでしょ」
あたしはいい加減うんざりし、つい強い口調で言ってしまった。北原さんは怯むでも驚くでもなくいつもと変わらない。
「それがその必要があるんですよ」
「なんのために」
「自分自身を奮い立たせているんです。口に出すことで」
「いい迷惑なんだけど」
北原さんが半歩後ずさり、目に一瞬だけ恐怖が浮かんだように見えた。知らず知らずのうちに険しい表情をしていたようだ。
「まあまあ、落ち着いてください。私はこれでも阿河先輩を尊敬しているんですよ。セパタクローを初めて一年で私と同じだけできちゃうんですから。片手間とはいえ、十年近くやっている私はつらいんですよ」
「褒め殺しに方向転換したの?」
「そう思うならそう思ってもらっても構いません。でも本心ですよ、尊敬しているというのは。だからこそ決意が揺らがないように、折れないように口に出しているんです」
「尊敬とやらをしているんだったら、あたしの意思を尊重してくれる? あたしにつっかかってこないで。和を乱さないで」
自然と強い口調になってしまった。北原さんは寂しそうに肩をすくめた。
「残念です、それだけのものを持っているのに……」
先ほどの様子とは打って変わって静かになり、あっさりとあたしに背を向けてしまい、自主練習のためか明賀先輩に声をかけにいった。
「彩夏ちゃん、大丈夫?」
宮成先輩が心配そうにあたしの顔を覗き込んだ。さっきまで北原さんの圧にさらされていたからか、宮成先輩の持つ柔和な雰囲気が心地よかった。
「大丈夫ですよ、あれくらい」
「本当に? ここのとこ毎日のように明日翔ちゃんが彩夏ちゃんに絡んでるのを見るけど」
「確かに毎日ですけど、大丈夫ですよ」
「我慢できなかったら言ってね。私や茜からも明日翔ちゃんに注意するから。……身長差あるから様にならないかもだけど」
宮成先輩も明賀先輩も一五〇センチ程度で、北原さんとは二〇センチは差がある。その二人が北原さんに怒る様子は少し笑える。
「彩夏ちゃんも大変だよね。変……独特な人ばかりで」
言われてみるとこの部は独特な人しかいない。あたしが一番平凡で常識があると自負している。
千屋さんが宮成先輩の後頭部を睨みつけていたがあたしは無視し、宮成先輩も気がつく様子はなかった。
練習が休みの月曜日の放課後、あたしは北原さんを校門に呼び出した。
「私一人だけ呼び出すなんて、絞められるんですか? 堪忍袋の緒が切れてしまいましたか?」
あたしが指定した時間に少し遅れて現れた北原さんには少しも悪びれる様子はない。
「そんなつもりはないよ。改めて二人で話がしたかっただけ」
「……先輩の呼び出しは無碍にできませんからね」
身長の高いあたしたちが静かに火花を散らせているせいか、さっきから通りかかる生徒に好奇の視線を向けられている。あたしはそれから逃げるように学校を出た。
あたしたちは徒歩で駅前へ行き、ファミレスへ入った。去年はよくここで明賀先輩や宮成先輩と千屋さんの愚痴をこぼしていたが、夏の大会以降一度も来ていなかった。
二人ともドリンクバーだけを頼み、北原さんは甲斐甲斐しくあたしの飲み物を取りに行ってくれた。夕方前ということもあり、店内は混んでおらず制服を着た学生がちらほらいる程度だ。
「お待たせしました」
北原さんがコーラを並々と注いだコップをあたしの前に置いた。
「ブレンドしたりした?」
見た目は普通だが、北原さんがなにかをしでかすんじゃないか、と怪しんだのだ。
「そんな下らないことするわけないじゃないですか」
北原さんが小さく笑った。ブレンドして謎の飲み物を作り上げたり、あたしの注文を無視して別の飲み物を持ってきたりなどの悪意はなさそうでちょっと安心した。
「ドリンクバーとかって元を取ろうと頑張っちゃいますよね。まあ絶対むりなんでしょうけど」
「あたしが出すからそんなことしなくていいから」
あたしが稼いだお金ではないのだが。昨日の夜お姉ちゃんがむりやりコンビニにあたしを連れ出しアイスを買ってくれたときのおつりだ。そのときに二人で話せばいいんじゃないだろうか、と思いつき今に至る。
「それで、私と親睦を深めようってことですね」
「なんか言い方が気になるけど、そういうこと」
とりあえずコーラを一口流し込み、さてどうしたものかと思案した。呼び出したはいいが作戦はとくにない。これでは千屋さんにばかにされそうだ。
「セパタクローは高校からだよね。中学はハンドボールやってたんだっけ」
「そうですね。正確にはセパタクローも遊び程度ですけどやっていました。比重はハンドボールに偏ってましたね」
「ハンドボールは強かったの?」
北原さんはハンドボールでそれなりにいい成績を納め満足したのだと思っていたが、意外にも北原さんは悲しげに首を振った。
「全然ですよ。私はそれなりでしたけど、チームとしては万年一回戦負けでした」
普段の北原さんを見ていると結構運動神経がいい。北原さんは自分でそれなりと言っているが、かなり力のある人だったのではないだろうか。
「ハンドボールはもういいの?」
「……いきなり核心を突いてきましたね」
北原さんが蠱惑的な視線をあたしに向け、それにあたしの心臓はぎゅっと縮み上がった。雑談のつもりだったのに、気がつけば北原さんの「なにか」に触れてしまったようだ。
「自然な会話の流れだと思うけど」
「……聞きたいですか? 私がハンドボールじゃなくてセパタクローをしている理由を。知らなければよかったって後悔するかもしれませんよ」
たぶんここで北原さんからその理由を聞かなければこの先知ることはないだろう。今後の北原さんとの関係のためにも聞かないわけにはいかなかった。
あたしは意を決し、小さく頷いた。
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