16

「どうしたんですか、浮かない顔して」

 翌日の練習で休憩していると北原さんが話しかけてきた。昨日の挑むような表情ではなく、本当に心配しているようにも見える。

「そんなことないと思うけど」

「そうですか? 先週までとちょっと違いますよ。……もしかして、昨日のことですか?」

 そのことはずっとあたしの中で重くのしかかっていた。練習している間は頭から追い出そうとしていたはずだが、上手くできていなかったようだ。

「そんなに気にしますか? スポーツをやっていたらポジションやレギュラー争いなんて普通じゃないですか」

 あたしにはそういう経験がない。今まで試合人数ギリギリでやってきたからだ。中学のときはどうだっただろうか、と昔のことに思いが至り、顔をしかめた。

「そんな顔しないでくださいよ」

 あたしの表情が変なように受け取られたようだ。

「そういうのと無縁なのは羨ましいですよ。圧倒的強者って感じじゃないですか? だれにも負けない。だから必然的にその位置に納まる。自然の摂理のように」

 強者。その言葉には違和感がある。あたしの運動神経は確かにいいほうだ。でも、決してなにかで強いわけではない。現に……。

「再開するわよ」

 あたしの思考は明賀先輩の言葉で遮られた。

 

 セパタクロー部は明賀先輩のはたらきかけで本来は一八時までのところ、二〇時まで練習していいことになっている。二〇時で練習を終わりにしようとしたところ、北原さんが、

「もう少し練習したい」

と言い出した。明賀先輩はそれを快諾し、あたしも残ろうとしたところ北原さんに追い出されてしまった。あたしだけでなく千屋さんも一緒に、だ。

「北原さんずいぶん気合い入っているよね」

 体育館から部室まで千屋さんと二人で歩くのはこれが初めてで、変な気分だ。いつもは明賀先輩か宮成先輩がいる。

「そうだね」

 体育館から部室まで大した距離はない。ただ、明かりがほとんどないせいか遠近感が狂い、いつもよりずっと遠く感じる。

「千屋さんは、北原さんのことどう思う?」

「どうって……熱心だなって」

 千屋さんからすればそんなものか。

 千屋さんは暗闇に紛れていて表情があまり見えない。あたしが話しているのは本当に千屋さんなのかと錯覚してしまいそうになる。だからか、少しだけ本心を吐露する気になったのかもしれない。

「千屋さんはレギュラー争いとか、そういうのしたことある?」

「ない。同年代で私より強い人はいなかった」

 即答だった。傲慢さすら感じさせる物言いだが、千屋さんが言うと一切の嫌みがない事実だと思えてしまう。

「圧倒的強者、ってやつだね」

「なんの話?」

「いや、こっちの話」

 千屋さんはなにも言わず、しばし沈黙が訪れた。聞こえるのはそよ風の音くらいだ。

「……あんまり得意じゃないかも」

 いつの間にか部室棟まで来ていて、千屋さんの見下すような表情が明かりの下にさらされた。

「レギュラーとかポジション争いの話?」

「えっと、まあ、そういうの、かな」

 あたしはしどろもどろになり、千屋さんが久しぶりに見せた表情にたじろいでしまった。

「阿河さんはいつもよく分からない人間だと思ってたけど、今日ほど強くそう思ったことはない」

 千屋さんは吐き捨てるように言い、さっさと部室へ入ってしまった。あたしは慌てて部室へ入った。

 千屋さんはすでにジャージを脱ぎ、下着姿になっていた。

「千屋さんはそういう経験ないの?」

「まだレギュラーとかポジション争いの話?」

「そう」

「私にそういうので挑んでくる無謀な人はいなかった。私が一番強かったから。私に勝てるはずがないから」

 まあ、そうでしょうね。

 千屋さんはあたしに一瞥もくれず、タオルで全身の汗を拭いている。

「じゃあ仮に、千屋さんと同じくらいの実力の人が現れたら? それでレギュラー争いとかになったら?」

「……本当によく分からない。争う以外になにかあるの?」

 千屋さんはさっきよりも強くあたしを睨んできた。その表情はちょうど一年前に出会った千屋さんを彷彿とさせた。

「北原さんのことを気にしているんだろうけど、正直なにをそこまで気にしているのか分からない。日本一になろうというチームの人間が言う言葉とはとても思えない」

 千屋さんは汗を拭うのもそこそこにさっさと着替え、部室を出て行ってしまった。

 ロッカーからリュックを取り出し、あたしはため息をついた。日本一になるために対戦校全てに勝つつもりだ。そんなものは当たり前で、とっくにそう決めている。でも、部内で争わないといけないとなると、どうしても中学生のときを思い出してしまう。あのときと同じようになってしまうのが怖い。あたしが勝ったら北原さんはどう思うだろうか。逆に北原さんが勝ったらあたしはどう思うのだろうか。こんなものは考えても分かるはずがない。

 あたしは部室を後にし、ロードバイクに跨がった。もやもやをぶつけるようにペダルを強く踏み込んだ。

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