15

 新入生が入るのか明賀先輩は心配していたが、杞憂に終わった。入部希望者が一人やってきたのだ。

 始業式の次の日が入学式で、この日も午前中で学校が終わり、体育館へ直行した。同じクラスの千屋さんとは相変わらず別行動だ。

 四人全員が揃い、練習を開始しようとしたところで、

「セパタクロー部ですか」

と突然あたしの後ろから声をかけられた。

 あたしは驚いて振り向くと、目の前三〇センチくらいの場所に顔があった。距離の近さに驚きあたしは少し後ずさった。

 あたしと同じくらいの身長の女子生徒だった。ジャージではなく制服で、シューズ等を履かず靴下のまま体育館に入ってきたようだ。髪が短く、左右を刈り上げている。少し細い目には力が漲っていて、全体の雰囲気から自信を感じさせた。

「えっと、あなたは」

 あたしが聞くとその女子生徒は少し微笑んだ。

北原明日翔きたはらあすか、一年生です。セパタクロー部に入りたいんです」

 あたしの後ろで明賀先輩と宮成先輩が嬉しそうな声を上げた。入学式の日に入部希望者が現れるとは思っていなかっただろうから、驚きと喜びはひとしおだ。

 あたしたちは順番に全員で自己紹介をしてから明賀先輩が、

「明日から来てくれる?」

と聞くと、北原さんは背負っているリュックを軽く叩いた。

「今日から参加してもいいですか? 私日本一になりたいんです」

 これには明賀先輩の笑顔がより華やぎ、嬉々として部室へ案内しに行った。残ったあたしたちは準備運動を開始した。

 しばらくして二人が戻ってきた。半袖短パンのジャージから覗く北原さんの手足にはがっしりと筋肉がついている。さらにナンヤンと呼ばれるセパタクローで使われる一般的なシューズも履いている。経験者であることは間違いなさそうだ。

 あたしと千屋さんがグラインダーをする横で明賀先輩は北原さんにリフティング五〇回を命じていた。あたしも去年そんなことを言われたな、と少し懐かしくなった。

 北原さんは一回でやりとげた。明賀先輩や千屋さんのようにその場から一歩も動くことなく、というわけにはいかなったが。

 北原さんを交えしばらく練習してから休憩となった。あたしは壁に寄りかかりながらお茶を口に含んだ。今あたしからは北原さんの後ろ姿が見えている。さっきは分からなかったが、後ろも刈り上げているようだ。似合っていてかっこいい。

「千屋先輩は日本代表なんですか」

 北原さんは果敢にも千屋さんに話しかけた。千屋さんは冬からずっと背中に「ALL JAPAN」の文字が印字された長袖のジャージを着ている。

「違うけど……」

 北原さんは続きを待っている。ただ、千屋さんとしてはそれで会話しているつもりだから妙な沈黙が二人に訪れた。

 去年あたしも同じことを聞いた。あのときの千屋さんはあからさまにあたしとの会話を拒否していたが、今はそんな雰囲気はない。ただ、明らかに会話は下手だ。こんなんじゃ新入生に逃げられたりしないだろうか、とあたしは少し苦笑いをした。


 翌日には北原さんは入部届を正式に出し、晴れてセパタクロー部の部員となった。練習には毎日参加し、普段の練習をなんとかこなしている。

 月曜日は練習が休みで、北原さんの歓迎会をすることになった。いまのところ北原さん以外に入部希望の新入生は現れていない。明賀先輩もとりあえず人が確保できたからか、積極的に勧誘をしている様子はない。

 初参加の人のために一度校門に集合することになっていた。校門に行くとあたし以外の四人がすでに揃っていた。先輩二人から口々に、

「遅い」

とはやし立てられながら、歓迎会会場まで移動する。会場は去年と同じで、住宅街の中にひっそりとたたずむカフェだ。

「千屋さんが参加するなんて意外だった」

 道中横を歩く千屋さんにあたしがそう言うと千屋さんは睨んできた。千屋さんと会話しようとすると睨んでくることが多い。前までは気に障ったがもう慣れたし、受け流すことを覚えた。

「来ないほうがよかった?」

「そんなこと言ってないじゃん!」

 普段の千屋さんは人を睨んだりしないし、楽しそうに友達を過ごしている。なぜかあたしにはそういう素振りを一切見せることはない。今後の部のためにも普段通りしていてもらいたいものなのだが。

 歓迎会の会場であるカフェに到着した。閑散とした内部も、店員さんの髭と無口さもなにも変わっていない。こんな様子で経営は成り立っているのかといらない心配をついしてしまう。

 大きいテーブルと小さいテーブルをくっつけ六人席を作ってもらい、あたしと宮成先輩で北原さんを挟んで座った。あたしの対面は千屋さんだ。

 店員さんはなにも言わずすっと現れ、お冷やとメニューを置いていった。その様子に千屋さんは少しだけ目を丸くし、立ち去った店員さんの行方を目で追った。

 その様子がおかしくてあたしがニヤニヤしていたら千屋さんが軽く睨み、あたしの脛を蹴ってきた。

「お金は部費で出るから気にせず食べてね」

 明賀先輩が北原さんにそう言うと、北原さんは顔を輝かせた。

「高校の部活ってすごいんですね」

 明賀先輩が言っていることは本当なのだろうか。去年もそう言っていたが、かなり怪しい。野暮だからこの場で聞く気はないが。

 全員が注文を終えると話の内容は必然的に北原さんが中心となった。

「ねえねえ、明日翔ちゃんは経験者なの?」

 この中で一番人懐こく、柔らかい雰囲気の宮成先輩はこういうとき頼りになる人だ。

「経験者といえば経験者ですかね。小中学生のときに軽くお遊びでやっていた程度ですが」

「じゃあなにか他のスポーツをやっていたの?」

 これは明賀先輩だ。

「ハンドボールです」

 先輩二人から感心の声が漏れた。言われると納得する体つきをしていると思う。特定の部位だけでなく全身にしなやかな筋肉がついているのは練習中から気がついていた。運動量とか見ても結構やりこんでいたはずだ。

「なんでセパタクローなの?」

 これはまさかの千屋さんだ。口調に棘がなくひとまず安心した。

「……ハンドボール部がないじゃないですか」

 たしかに井澄高校にハンドボール部はない。ハンドボールがやりたかったらハンドボール部がある高校に進学すればよかっただけの話だし、そうじゃなかったとしたら答えになっていない。そのことを聞こうと口を挟もうと思ったがタイミングよく無口な店員さんが大きなトレイに大量のケーキと飲み物をのせて現れた。聞くタイミングを逃してしまった。

 歓迎会は終始和やかに進んだ。ケーキも飲み物もおいしく、北原さんは全種類を制覇しようとしている。千屋さんは、

「店員はあれだけど、全部おいしい」

と一言余計な感想を述べた。

「ところで、北原さんはやりたいポジションとあるの?」

 話の流れがあっちこっち行き来し、再度セパタクローの話題に戻ってきたときに明賀先輩が聞いた。北原さんはおおよそルールとポジションについて把握しているとのことだ。

「サーバーですね」

 ケーキを刺したフォークを口に含んだところであたしの動きが止まった。

「今のサーバーは阿河先輩ですよね」

 北原さんが不敵な笑みを浮かべながらあたしをじっと見てきた。気圧されそうになったが、あたしもじっと見つめ返した。わずかだが、この場の空気が張り詰めた。

「阿河さん、ようやくくびか」

 この場にふさわしくない茶々を千屋さんが入れてきたが、まともに取り合う気にはなれなかった。

「明賀先輩、ポジションってどうやって決めるんですか?」

 北原さんは笑顔のまま明賀先輩に聞いた。

「本人の希望を尊重するわよ。ただし、希望が被った場合は、実力順かしらね」

「それはいいことを聞きました」

 宮成先輩は事の成り行きを不安そうに見守り、明賀先輩、北原さん、あたしの順に顔を何度も見回している。

「あたしと北原さんでポジション争いをしろってことですか?」

「そうとも限らないわよ。北原さんがサーバー以外を希望するかもしれないでしょ」

 北原さんの口ぶりからするとそれはないだろう。千屋さんや明賀先輩に勝負を挑むのは無謀だとここ何日かの練習で分かっているはずだ。

こんなこと考えたこともなかった。新入生が入ってくるとは思っていたし、経験者の可能性を考えなかったわけではない。それでも……。

「部長の明賀先輩がそう言うんですから、文句はないですよね? よろしくお願いしますね、阿河先輩」

 コーヒーも飲んでいないのに口の中に苦い物が一気に広がった。

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