14-2
午前中で始業式が終わり、午後からは練習だ。体育館にはあたしが一番乗りで、リフティングをしていると明賀先輩と宮成先輩が二人一緒に来た。最後に千屋さんがゆっくりとやって来た。
「二人は同じクラスでしょ? 一緒に来たりしないの?」
明賀先輩が少し意地の悪そうな表情をしてあたしに聞いてきた。明賀先輩はあたしたちに関することをいろいろ把握している。その情報の出所がどこなのか怖くて聞けていないし、知りたくもない。
「まあ、そうですね。クラスでもグループが違いますし」
一年生の初期ほど千屋さんを嫌ってはいない。だからといって好きかと聞かれると、首をひねってしまうのが現状だ。好きでも嫌いでも無関心でもない、そんな感じだ。
「まあ、いいわ。練習しましょう」
明賀先輩の言葉を契機に、千屋さん考案の練習メニューを開始した。
去年の夏の大会以降、千屋さんの態度は軟化した。ほんの少しだけ。大会後一週間は練習が休みになった。大会直前まで根を詰めて練習していたから、休息を兼ねてだ。
練習再開の日、千屋さんの怪我は完治しておらず松葉杖を使いながら体育館へ入ってきた。千屋さんは壁際に置いてあったパイプ椅子に座り、怪我をしていない左足でリフティングを開始した。利き足ではないのに、リフティングは安定している。あたしと明賀先輩も二人で大会前と同じ練習を開始した。
「千屋さんさあ、来年は日本一にするとか言ってたよね」
休憩中、リフティングだけを繰り返している千屋さんに堪らず声をかけた。前までの気だるさやピリピリとした雰囲気はまとっていないが、黙々と練習する姿に辟易してしまった。
「言ったけど?」
「普段とあんまり変わらないじゃん。練習にいたっては今まで通りだし」
「練習は今まで通りでいいんじゃない? 私が頑張ればだれにも負けない。つまり日本一になれる」
あたしは呆れて二の句が継げなかった。千屋さんは一人で勝つつもりだったのか。あたしたちに関係なく。千屋さんはやはりどこかズレている。
「千屋さん一人頑張ってあたしたちはなにもせず日本一になったとして、あたしたちが喜ぶと思ってるの?」
千屋さんの足と浮いているボールの間に素早く右足を滑り込ませ、リフティング中のボールを奪い取った。奪い取ったボールでリフティングをすると千屋さんが睨んできたがあたしはそれを無視した。
「それに、この前みたいに千屋さんが試合に出られない場合もあるわけでしょ。そうなったらまたあたしたちは負けるの?」
これには千屋さんも口をつぐみ、いっそう険しい表情を見せた。この前の試合を思い出しているのか、はたまた別のことを考えているかは分からなかった。
勝った、と思ったのは確かで、喜びを抑えるのに苦労した。半年近く前に千屋さんのアタックをブロックしたとき以上の喜びだ。あのときは、本当かどうか分からないが、一回止めるまでに八八回アタックを決められたらしい。それに対して今は完封勝利だ。
「阿河さんの言うとおりね」
しばらく沈黙が続き、あたしがボールを蹴る音だけが響く中、明賀先輩が割って入ってきてくれて助かった。
「千屋さんが真剣になってくれて嬉しいわ。でも、千屋さん一人で勝てるほど甘くない。分かるでしょ?」
千屋さんは渋々といった感じで頷き、
「私はどうすればいいんですか」
と小さく呻いた。
あたしはリフティングをやめ、ボールをキャッチした。
「千屋さんにはあたしたちを指導してほしい。来年勝つためになにが必要で、なにが足りていないのか。それを補う練習とか。いろいろ」
「そうね。初心者の阿河さんと、そつがなくて強みのない私が日本一になるために千屋さんの力を借りたいの」
そつがなくて強みのない、というのは千屋さんが明賀先輩に言い放った言葉だ。明賀先輩は結構根に持っているようだ。
千屋さんは短く息を吐き、険しい表情を緩めた。
「分かりました。じゃあ早速やりましょう。……まずは四つん這いになってください」
なぜ、と思いためらっていたら、横にいる明賀先輩は素直に従い四つん這いになっている。あたしも黙ってそれにならった。千屋さんに服従しているような気分になんとなくなってしまうが、それはさすがにひねくれすぎだろうか。
「体幹を鍛えます。空中で体勢を整えたり、足を持ち上げるのに必要です。二人ともあまり強くないです」
そういう理由を先に言ってほしい。でないとあたしがむだなことをいろいろ考えてしまう。
「右手と左足を床と平行になるように伸ばします。三〇秒キープ」
言われたとおりに伸ばす。腕が少し震え始めると千屋さんが、
「次、逆。今度も三〇秒キープ」
と休憩を挟まない鬼のような指示を出してきた。今度は腕と足が震えてきたところで千屋さんがストップをかけた。
「はい、これを一〇セット。毎日家でやってください」
「家でやるの? 練習中とかじゃなくて」
あたしは立ち上がって抗議したが、千屋さんはなに当たり前のことを言ってるの、とでも言いたげな目で見てきた。
「コートとボールがあるんだったら、それを使って練習する。当然でしょ。筋トレなんかどこでもできるんだから」
言っている内容はまともなのに言葉に棘があるせいでいちいち癪にさわる。それでもぐっと堪えた。
「次はパス練習です。私は動けないので、明賀先輩にお願いします。グラインダーとダイレクト、で通じますか」
明賀先輩が頷き、床に置かれていたボールを足の甲ですくい上げキャッチした。
「じゃあ阿河さん、やりましょうか。今までのパス練習はツータッチ。言うなれば初心者向け。今度からは本格的にやっていくわよ」
教える人が千屋さんから明賀先輩に変わったことで安心感が出てきた。千屋さんが真剣になったのはいいが、教えるという一点だけは明賀先輩には敵わない。
「まずはダイレクト。その名の通り、一回で相手にボールを蹴り返すこと。で、グラインダーっていうのは、三回以内で相手に返すこと。ただし、低い弾道でかつ速く」
「ダイレクト、はいいですけど、グラインダーについてイメージが湧きません」
あたしが率直な感想を言うと、明賀先輩は困ったようにそうよねえと肩をすくめた。
「見本見せましょうか」
意外にも助け舟を出したのは千屋さんだった。明賀先輩も少しだけ驚いたような表情をしている。
「千屋さん動けないでしょ」
「座ったままで大丈夫です。怪我してる右足にさえ当てなければどうとでも」
気をつけるわ、と明賀先輩が言って千屋さんと三から四メートルの距離を取った。
明賀先輩が手に持っていたボールから手を離した。明賀先輩はボールを蹴り、それは千屋さんに向けて床すれすれを鋭く一直線な軌道を描いた。
千屋さんは座ったまま左足でダイレクトに明賀先輩へ返した。ボールは今度もまた床すれすれで速い。明賀先輩は返ってきたボールを一度上に上げ、また低く直線的に蹴った。千屋さんは直接返す。
何度も繰り返したところで明賀先輩がボールをキャッチした。
「まあこんな感じね」
これを見てしまうと今までのツータッチと呼ばれるパス練習が初心者向きと言われても納得できる。
それにしても千屋さんはなんでもできる。アタックは右足で打っているから利き足は右だ。でも今のグラインダーは左でしかも座ったままこなしていた。千屋さんの実力を知り感心するたびに歯ぎしりしてしまう。
明賀先輩とグラインダーをしばらく練習し、休憩を挟んで再び千屋さんが練習内容についてアドバイスを始めた。
「最後はレシーブ練習ですね。明賀先輩、普段は私がサーブ打ってますけど、あれって普通なんですか?」
「……さあ。私はずっとそうやってきてたけど、変?」
「いえ、分からないです。私の中だとレシーブ練習はボールを手で投げるものだと思っていましたが」
明賀先輩が驚いたようにへえ、と頷いた。
「そういうのもあるのね」
「で、どっちが正解なんですか」
あたしは堪らず口を挟んでしまった。明賀先輩はまた困ったように首を傾げた。
「正解はないと思うわよ。マイナースポーツの練習方法にセオリーはないの」
その声には少し悲哀が含まれていた。
二年生になった初日の練習もほとんど終わろうとしていた。例年より高い気温により、あたしたちは汗をだらだらと流している。
今はレシーブ練習をしている。千屋さんがあの日言ったように、ボールは手で投げるようになった。投げ手は宮成先輩で、あたしたち三人はレシーブ、トス、アタックの一連の流れを繰り返している。
宮成先輩の運動神経はイマイチだが、投げるボールにだけ関して言えばすごく練習になる。どこに飛んでいくか分からないからだ。左を向きながら右に飛んでいったり、かと思えば素直にまっすぐ飛んだりもする。たまに千屋さんもびっくりするようなボールを投げることもある。
宮成先輩は去年の九月あたりから毎日練習に来ている。それまではバイトを理由に三日に一回しか来ていなかった。多少軟化した千屋さんを見て、バイトは辞めてマネージャーに本腰を入れるようにした、と宮成先輩が言っていた。
練習を終え、ネットを片付けると明賀先輩が、
「一年生入ってくるかしら」
とぼそっと言った。
「一人くらい入ってくるんじゃないですか」
あたしが軽く言うと、明賀先輩は呆れたような表情を浮かべた。
「私の一個上はだれもいなかったことを考えると一人も入らないなんてことは起こりうるわよ。なんとかしないとね」
なんとか、と言ってもあたしにはなにも思い浮かばない。千屋さんのアタックでも見せればだれかしら興味は持ってくれそうではあるが。
「それに、私が引退したらまともに練習もできなくなっちゃうでしょ」
引退……。明賀先輩の口から聞くと急に現実味が帯びてくる単語だ。明賀先輩にとって八月の大会が高校最後だ。
今度こそ勝つ、あたしは静かに誓った。
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