12
千屋さんのアタックは二セット目に入っても衰えない。相手ブロックは千屋さんを止めるどころかアタックにかすりもしない。相手レシーブも動きはするものの、ボールに触れられていない。
本当にこの人たちは千屋さんと同じチームだったのだろうか。千屋さんと同じとは言わないでも、ちゃんと練習していたのだろうか。人を羨むばかりでなく、喰らいついて、千屋さんに追いつこうともがいたのだろうか。実力差を痛感して折れたっていい。でもだからといって相手の背番号一番の選手のような態度を取っていいわけがない。
千屋さんは今までどういう気持ちで生きてきたの?
「阿河さん!」
明賀先輩の声に我に返った。目の前にボールが跳んできてあたしは慌てて避けた。ボールはエンドラインのギリギリに落ち、失点した。
「すいません!」
集中しないとだめだ。さっきからプレー以外のことを考えているせいであたしは失点を重ねている。16対13でわずかにリードしているがあたし次第で簡単にひっくりかえされそ……相手サーブがいつのまにか跳んできていた。
またも慌てて足を出すとボールは相手コートに直接跳んでいった。
あたしは相手の動きを見ながら構えた。トスが上がり、相手アタッカーがジャンプした。少しの時間差で千屋さんも跳ぶ。空中でボールが蹴られた、と思ったら千屋さんが弾き飛ばされていた。相手アタッカーは全身をネットに打ち付けている。千屋さんは為す術もなく左肩からアリーナ床に落ちた。全身を打ち付ける嫌な音が耳に残り、コートが静まりかえった。
「千屋さん!」
千屋さんに駆け寄る明賀先輩の声であたしも千屋さんに駆け寄った。
千屋さんは右手を握りしめ、それを支点にしながらゆっくりと立ち上がった。動作自体は緩慢で不安になったが、自分の足だけでしっかりと立っている。ただ、左腕に大きな痣ができていて痛々しい。
「千屋さん、大丈夫?」
明賀先輩が不安そうに千屋さんの顔を覗き込んだ。千屋さんはこんなときでも痛みに顔を歪めるでもなく無表情だ。
「頭は打ってない?」
「大丈夫です」
千屋さんが一歩踏み出した瞬間、右足首を抑えながら蹲った。右足首を見ると明らかに赤く腫れている。
明賀先輩と無言で顔を見合わせてから二人で千屋さんを挟むように肩を貸し、ベンチまで移動した。宮成先輩が手早くコールドスプレーを用意し、患部に吹きかけていく。
「捻挫ね。これ以上はむりそうね……」
明賀先輩は患部をじっと見つめ、振り絞るような声で諦めの言葉を口にした。
「痛くないから大丈夫ですよ」
「そんなわけないでしょ。こんなに腫れているのに」
「テーピングで固めれば……」
「この試合にそこまでする必要はないわ。今年で終わりじゃないし、来年がある」
「……負けを認めろと言うんですか」
千屋さんの表情にあたしはぎょっとした。いつもの無表情で無愛想な千屋さんからは想像もできないくらい顔を歪めている。眉間に皺を寄せ、鋭い目つきで床を睨み、歯ぎしりの音まで聞こえてくる。勝敗なんてどうでもいいと吐き捨てた千屋さんはどこにもいない。あたしはこの表情を知っている。試合で負けたときいつもお姉ちゃんがしていた顔つきだ。小さい頃はこんな表情をしたお姉ちゃんが少し怖かった。
「……千屋さんでもそういう顔するんだね」
「は?」
千屋さんが八つ当たりするかのようにあたしを睨んできたが、あたしも見つめ返した。
「負けるの嫌なんでしょ、その表情」
「……別に。……痛いだけ」
痛くないと言ったり、痛いと言ったり、千屋さんの発言はめちゃくちゃだ。千屋さんのことはまだよく理解できないけれど、このまま負けを認めるのはあたしも嫌だ。そこだけは共通している。
「明賀先輩、試合を続けましょう。このまま引き下がれません」
明賀先輩は目を丸くし、あたしの顔をじっと見つめてきた。
「そうは言っても……」
「あたしは千屋さんが世界で二番目に嫌いです。そして一番嫌いなのはああいう陰湿な人たちです」
明賀先輩は腕を組み、考え込む仕草をした。目を閉じ、首を左右交互に一回転させ関節がポキポキと鳴る。
「作戦を授けるわ。よく聞いて」
試合再開。アタッカーは千屋さんに代わって宮成先輩がやることになった。ボールを蹴ることすらままならない宮成先輩は背面ブロックだけに注力する。トスとアタックはどちらも明賀先輩がやる。
「千屋さんほどではないけどまあまあ打てるから」
明賀先輩は自信満々にそう言った。明賀先輩が練習でアタックを打っているのを見たことないが信じるしかない。
試合は17対13で残り四点取れば勝ちだ。サーブ権はこちらに移るので、あたしが一気に流れを引き寄せてやる。
サーブのトスは明賀先輩だ。右足でサーブを打つ場合はコート右側からトスを上げるのが常だが、ポジションの関係上トスが左から上がってくることになる。慣れていないうえに普通じゃないが、宮成先輩がトスをするよりいいだろう、と明賀先輩が言っていた。
あたしは右足を思いっ切り後ろへ引き、軸足の左足より左側へ回した。千屋さんに頼り切って、試合中なにもしていなかったわけではない。相手を観察し、自分との違いをよく見ていたのだ。
笛が吹かれ、トスが左側から上がってきた。打ちにくいが四の五の言っていられない。
あたしは体の後ろから足を伸ばすイメージで勢いをつけ足を高く掲げた。さらに左足がコート上から離れるギリギリまで背伸びした。これで普段の一〇センチ以上は打点が高く、勢いのあるサーブになる。ボールが足に当たった瞬間さらに力を入れ、足を振り抜く。
体勢を崩しながらボールだけを目で追った。ボールはだれもいない場所にたたきつけられ、まずは一点。
さらにあたしのサーブで一点を追加し、残り二点。
「いい感じね。次も決めちゃって」
あたしは静かに頷いた。
サーブのトスが上がってきた。
そんなにすんなり勝てるとは思っていない。さっきのサーブも相手は拾えこそしなかったが触れていた。つまりどんなに速く、強く打ってもそろそろ対応されるはずだ。だから、体勢も勢いもそのままで打つ瞬間だけ力を抜いた。これまでの速く直線的なサーブではなく、遅くふわりとしたボールだ。
普段と違う打ち方にバランスが崩れ、前につんのめったが、ボールがゆっくりと相手コートの真ん中に落ちたのだけは見逃さなかった。
これでマッチポイントだ。
あたしはゆっくりと起き上がりネット際まで移動した。相手のアタッカーを見下ろし、明賀先輩があたしを不安そうに見てくる。
「本当に三年間練習してたの? 人を妬む前にやることあるでしょ」
相手のアタッカーも負けじとあたしを睨み、なにか言おうとしたところで、あたしの後頭部に軽い衝撃が走った。
「阿河さん、やめなさい」
後ろを振り向くと明賀先輩が腰に両手を当て呆れた顔をしていた。
「なにするんですか」
「チョップ」
明賀先輩が一転笑顔になり、相手アタッカーと向き合った。
「ごめんなさいね、うちの一年生が。礼儀とかなってなくて。初心者、なので」
明賀先輩が「初心者」の部分をことさら強調した。笑顔こそ見せているが明賀先輩も相当怒っているように見えた。
相手はあたしたちの迫力にたじろぎ、背を向けてしまった。
笛が吹かれ、相手サーブが宮成先輩の目の前に飛んできた。宮成先輩はおろおろするばかりでなにもできず、額でボールを受けた。あたしは必死に足を延ばして、力なく落ちていくボールを蹴り上げた。当たりどころが悪かったのか、ボールはネットを越え返ってしまった。
「宮成さん、ブロック」
明賀先輩の言葉に、宮成先輩はどたどたと走りネットまで移動した。相手がシザースアタックの態勢に入ると宮成先輩が背面でブロックするためにジャンプした。ほとんど跳べていないし、タイミングも悪かったのか、ボールが後頭部を直撃し蛙の鳴くような声が聞こえた。
ボールは明賀先輩がいるコート左側のサイドラインを大きく越えていった。明賀先輩がそれを追いかけ、なんとかボールをコート内に戻した。ボールはコート中央、ネットから一メートルほど離れた場所に跳んできた。宮成先輩だと相手コートに返すのはむりだからあたしがやらないといけない。
ふと、明賀先輩の言葉を思い出した。セパタクローではポジションに関係なくどこでなにをしてもいい。次の三回目のタッチであたしがアタックを打ってもいいわけだ。
あたしはネットに向かって走り出した。
相手のようなシザースアタックはできない。ましてや千屋さんのローリングもできない。でも、一般的なアタックではないだろうが、ジャンプしてからサーブを打つ要領でならアタックを打てるかもしれない。
左足で踏み切って右足をあたしの頭より上に。体が空中で左にわずかに傾く。ボールを視界の隅に置きながら相手ブロックとレシーバー二人の位置がはっきりと見える。今ならボール表面のわずかな凹凸と相手レシーバーのシューズの靴紐の結び目も分かる。
ボールが足のインサイドに当たった瞬間ブロックの上から、相手レシーバーの間を狙って足を蹴り下ろし、打ち抜いた。
ベンチに戻りあたしは千屋さんの右手首を掴み、空いているほうの右手でむりやりハイタッチをした。そこへ明賀先輩も手を打ちつけ、試合中は半ば置物と化していた宮成先輩もハイタッチをした。
あたしと先輩たちは自然と笑い合った。千屋さんも少しだけ柔らかい表情を浮かべた――ように見えた。
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