8-1

 左右の足でリフティングを五〇回ずつ、明賀先輩とパスを連続一〇〇回、これが練習始めのメニューだ。その後は時間が許す限りサーブ練習を繰り返す。

「大分サーブの型が板についてきたわね。次のステップに進みましょう」

 今日の千屋さんは一段と気だるそうで、さっきからずっと明賀先輩がサーブのトスを上げている。明賀先輩はいつも通りの表情をしているが、宮成先輩はかなり不服そうだ。千屋さんがあたしのサーブ練習を半分放棄してから一週間くらい経っているが、あいかわらずの態度で、サーブのトスを上げる割合は千屋さんが二、明賀先輩が八といったところだ。

 その千屋さんは一人でトスを上げアタックを次々と打ち込んでいる。

 こちらとしても千屋さんより明賀先輩と練習したほうが楽しいからいいのだが、なんだか釈然としない。

「阿河さんは足を一番高くまで上げると約一七〇」

 サーブ練習を始めてからは明賀先輩の言いつけ通り、毎日家で柔軟を続けている。もともと柔らかかったが、お陰でむりなくすんなりと足が上がるようになってきた。

「ネットの高さは覚えてる?」

「えっと……一・五メートルくらい」

「正確には一・四二メートルね。当然分かると思うけど、阿河さんのサーブを打つ位置のほうが高い。つまり、上から打ち下ろすようなサーブが打てるわけ。ここまではオッケー?」

「大丈夫です」

「女子選手はあまり背丈もないし、サーブの打点はそれほど高くない。だからあまり攻撃的なサーブにならず、ふわりとコートに入れるサーブが多い。でも、阿河さんは違う。上背も柔軟性も高校女子ならトップレベル。千屋さんすら凌いでいる。その持ち味を活かして打ち下ろすような攻撃的なサーブを身につけて」

 なんとなく明賀先輩の言わんとすることが分かった。平均的な高校女子選手の背丈と柔軟性を考慮すると、サーブの打点はネットより高いがせいぜいプラス一〇センチ程度だ。するとサーブは地面とある程度平行になるように打たないと相手コートに入らない。でもあたしの打点はネットの高さプラス三〇センチだ。地面に打ち下ろすように、言わば足の長いアタックを打つことができる。

「打ち下ろすと言ってもあくまでイメージね。バカ真面目にそんなことすればサーブはまとも相手コートに入らないから」

「千屋さんにもできないこととなると、気合い入りますね」

 あたしの挑発に明賀先輩は苦笑いし、千屋さんは聞こえているのか聞こえていないのか分からないが、淡々と一人で練習を続けている。

「じゃあやってみましょう。自分の打点の一番高い場所とネットのすれすれを直線で結ぶイメージね」

 時間いっぱいまでひたすらサーブを打ち続けた。明賀先輩は文句を言わずトスを上げ続けるなか、千屋さんは黙々と一人でアタックを打ち続けた。


 練習で使ったネットとボールを片付け、体育館から部室へ戻ろうとすると千屋さんはいつも一人でさっさと行ってしまう。あたしと明賀先輩が部室に入るのと入れ違いで千屋さんは帰ってしまうのが常だ。

 ただこの日は違った。

 あたしと明賀先輩が部室に戻る途中で、入り口の扉前で言い争っている声が聞こえてきた。宮成先輩の声のように聞こえる。

 あたしと明賀先輩は少しの間顔を見合わせ、小走りで部室へ急いだ。

「唯ちゃんさあ、もうちょっと愛想よくできないわけ?」

 予想通り大声を出していたのは宮成先輩だった。宮成先輩は部室棟の狭い廊下に仁王立ちし、千屋さんの行く手を阻んでいる。

「さっきから黙ってるけど聞いてるの?」

 あたしからは宮成先輩の背中しか見えないから表情は覗えないが、声にはかなり怒気が含まれている。千屋さんの普段の態度に宮成先輩の堪忍袋の緒が切れたようだ。

 千屋さんはいつも通り無表情だ。反省するどころか、早く終わらないかな、くらいにしか考えていなさそうに見える。

「どうしてそんなに勝手なの? チーム競技なんだからもっとチームワークを大事にするとかあるでしょ?」

 あたしは内心で宮成先輩に万雷の拍手を送った。もっと言ってやってほしい、先輩という立場から生意気でふてくされているような態度の千屋さんをたしなめてほしい。

「茜は甘やかしているけど、私はそれじゃだめだと思ってる」

 普段の宮成先輩からは想像できない啖呵の切り方だし、声も少し低く、迫力がある。ただ、悲しいかな一五センチ以上の身長差のせいか千屋さんを怯ませることができていない。

「宮成さん」

 明賀先輩の呼びかけに宮成先輩が肩をびくっとさせ、振り向いた。

「茜もなにか言ってやったほうが……」

「私から千屋さんに言うことは特にないわよ」

「でも……」

「選手じゃない宮成さんが口を挟むことじゃないわ」

「なにもそんな言い方しなくてもいいじゃないですか……」

 明賀先輩の突き放すような言い方にあたしは思わず口を挟んだ。どうして明賀先輩と宮成先輩の間に一線を引くようなことを言ってしまえるのか不思議で仕方ない。二人は一般的な友人関係ではないかもしれない。それでも長い時間をかけて信頼関係を築いてきたのに。

 宮成先輩が大袈裟にため息をついた。

「まあ茜がそう言うならいいよ。……引き留めて悪かったね、唯ちゃん」

 宮成先輩は不服そうに道を空け、千屋さんは宮成先輩に一瞥くれることもなく歩きだした。千屋さんは前だけを見、自分の態度にはなにも問題がないと言わんばかりに堂々としている。

 明賀先輩をちらりと見ると、こちらはいつも通りの表情だ。明賀先輩といい、千屋さんといい、真意が分からない人が多すぎる。

 千屋さんが宮成先輩の横を通り抜けこちらに歩いてきたので、今度はあたしが仁王立ちし、千屋さんの行く手を遮った。

「邪魔なんだけど」

「邪魔しているんだから当たり前でしょ」

 初めて千屋さんの表情が変わり、怒りが垣間見えた気がした。千屋さんの感情が少しだけ見えたのはブロック練習以降初めてかもしれない。

 千屋さんは眉に皺を寄せあたしを睨みつけてくる。あたしはあたしで一歩も引く気はなく、睨み返した。

「選手じゃない宮成先輩は口出すなって言ってましたけど、選手であるあたしには口を出す権利がありますよね?」

 千屋さんを睨みつけているせいで明賀先輩にも睨みつけるような視線を送ってしまった。明賀先輩はそれでも表情を変えず、

「あるわよ」

と短く同意した。

 千屋さんと向き合い、

「千屋さんはどうしてそんな態度なの。なにが千屋さんをそうさせるの」

「これが普通の態度だけど。改めるところはなにもない」

 これが普通ときた。そんな普通がこの世にあってたまるものか。

「千屋さんはなんのためにセパタクローやってるの? 練習は毎回参加して自分のための練習はやっているみたいだけど、なにが目的なの?」

 あたしを睨みつけていた千屋さんの力強い目が揺らぎ、あたしから目を逸らした。ただ、目の中の炎は依然消えず、眉間の皺はよりいっそう深くなっている。

「千屋さん自身が楽しいからとか、勝ちたいからとかでやってるんじゃないの? 明賀先輩が日本一になりたがってるの知ってるんでしょ」

「私は……そんなことは、私にとってはどうでもいい」

 千屋さんはこちらを見ることなく、呻くように低い声を絞り出した。

「楽しさも、勝敗も、私には関係ない。私が試合に出て日本一になったとしても、なれなかったとしても結果でしかない。明賀先輩が、他の人がどう思おうとも」

 あたしの右手親指がぴくぴくと痙攣し、無意識のうちに拳を握り込んでいた。言動の不一致が甚だしい千屋さんに我慢の限界が来ていた。

「あたし、そろそろ手が出そうなんだけど」

 千屋さんが再度あたしを睨みつけ、少しだけ口角を上げた。

「やってみなよ。言葉が分からない馬鹿には体に覚えさせるしかないからね」

「はいストップ」

 パン! と明賀先輩が手を叩く大きな音が響いた。その音にあたしは冷静さを取り戻し、深呼吸した。千屋さんもしばらくはあたしを睨みつけていたが、少しずついつもの無表情に戻っていった。

「暴力はやめてって言ってるでしょ。今日はこの場を収めてちょうだい」

 事の発端となってしまった宮成先輩がほっとしたような表情を浮かべた。

「今日はもうお終い。まだ不満があるなら明日以降にして。一日置いて冷静になりましょう」

 あたしはもう一度深呼吸してから目を瞑り、腕を組んで千屋さんの前から退いた。これ以上千屋さんを視界に入れてしまうと今度こそ手が出てしまう確信があった。

 目の前をだれかが通り過ぎる気配がしてからたっぷりと時間が経ってから目を開けた。そこにはすでに千屋さんはおらず、あたしと先輩二人が残されていた。

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