第8話 月下美人のあなたに
レオンハルトの告白を聞き、コルネリアは思わず呼吸が止まったような気がした。
(婚約者……? レオンハルト様の、クラリッサさんが……)
コルネリアの動揺を感じ取った彼は、そのまま目を合わせることなくただバツが悪そうに下を向く。
当然自分だけに向いていると思っていた彼の心が、一瞬でも別の女性にあったと聞いてコルネリアの心は押しつぶされる。
ただ、彼女自身も二人の中に流れる沈黙の中で、思考が動いて来る。
そうだ、彼は若くして公爵という地位におり、その見目麗しい姿から様々な方面から憧れの念を抱かれている。
(婚約者がいてもおかしくない、わよね)
コルネリアは落胆すると共に自分の中から湧き出る醜い嫉妬に嫌気がさした。
クラリッサはどんな人だったのか。
婚約者同士で仲睦まじく過ごす光景が頭をよぎり、唇が震えてくる。
「クラリッサはお母様、私の母の親戚にあたる子だった。私と同い年で気概も良く社交界では評判だった。彼女と婚約したのはちょうど五年前だよ。国王の勧めで紹介された」
ちょうどコルネリアが地下牢にいるという調書をミハエルから受け取った数日後の婚約要請──
国内はその当時繊維業の不況に苦しんでおり、独自の輸入ルートを持っていたレオンハルトの母、アンネの親戚との結びつきたいと考えていた。
世に言う政略結婚であった。
公爵の身として国を背負う一人である責任から、レオンハルトはその婚約を了承した。
「お久しぶりでございます。レオンハルト公爵閣下」
「いや、僕のことはレオンハルトで構わない」
可愛いというよりかは大人っぽい見た目をした彼女は、美しい金色の長い髪を靡かせて挨拶をする。
青く輝いた瞳は真っすぐにレオンハルトを見つめており、意志の強さを感じさせた。
彼女は政略結婚ということを理解し、レオンハルトを陰から支えようと普段から一歩引いて社交界にも参加した。
「クラリッサ、僕は挨拶に向かうんだが……」
「わかっております。さりげなく私のほうでレナ様をお引止めしておきますわ」
「──っ! ああ、助かる」
もはや婚約して二年ともなると、彼女はレオンハルトの仕事を理解してサポートをするようになった。
何も言わずとも彼の考えを見抜き、さりげなく手を添える──
そういったことができる女性であった。
「クラリッサ、これを」
「あら、覚えててくださったのですか?!」
「ああ、婚約者の誕生日くらい覚えている」
「レオンハルト様はお仕事が恋人かと思っておりましたわ」
「そんなに僕は仕事人間だろうか?」
「ふふ、そうですね。でも、私はそんなレオンハルト様、好きですよ」
「──っ! 君には敵わない……」
口元に手を当てて笑う彼女は、レオンハルトにだけ心を許していた。
そして彼もまた、彼女にだけ心を開こうとしてた。
「レオンハルト様」
「どうしたリュディー」
「最近、シュヴェール騎士団の動きが怪しいです。内偵しますか?」
「そうだな、隣国との大事な会談も控えている。調査を頼めるか?」
「かしこまりました」
リュディーがその場を去ろうとした時に思い出したように告げる。
「レオンハルト様、王女殿下がお呼びでした」
「クリスティーナが? ……忙しいと伝えてくれ」
「ちなみに『忙しい』は受け付けないそうです」
「はぁ……バレてるか……」
クリスティーナのほうが一枚上手だったようで、レオンハルトは諦めて席を立った。
王宮の真ん中にある庭園に向かうと、そこにはクリスティーナとクラリッサがいた。
「クラリッサ?!」
「ふふ、びっくりした? あなたの婚約者とお茶してたの」
ちなみに実はこっそり何度かしてたわよ、と得意げにクリスティーナは言う。
会釈をして挨拶をするクラリッサの横の椅子にレオンハルトは着座する。
「まさか、よくないこと、吹き込んでないだろうな?」
「なによー! 私が悪いやつみたいじゃない! 恋バナよ、恋バナ!」
「いつまでそんな子供みたいなことやってんだ」
「あなたに言われたくないわっ!」
レオンハルトの婚約者であり、さらにアンネの親戚であったことも彼女らの仲を深くした。
服飾に興味のあったクリスティーナに、様々な異国の繊維業や織物についてクラリッサが教えていたのだ。
(クラリッサも良く笑うようになったな)
レオンハルトの中でクラリッサは、公爵の位に立つ重責を一緒に背負い、そしてその心を理解してくれる唯一の大切な人となっていった──
そんな最中に悲劇が起こった。
三年前のシュヴェール騎士団討伐作戦での人質事件──
レオンハルトの婚約者だからとクラリッサは狙われ、そのまま誘拐された。
「後でリュディーに彼女が死んだ瞬間のことを全て聞いた。僕が逆の立場でもそうしただろう。後悔した。彼女と婚約をしなければ、彼女は死なずに済んだ。それ以来、私はもう人の死が怖くなった」
「それで騎士団長を……?」
「ああ、辞めたんだ。リュディーを負傷させたのも私の責任だ。ローマンを取り逃したのも」
レオンハルトは自分を責めるようにその場に頭を抱えてうずくまった。
苦しそうなうめき声と嗚咽の混じった後悔の声が聞こえた。
コルネリアにはかける言葉もなかった。
自分が恥ずかしくなった。
彼女は自分だけが虐げられて育ち、他人よりも辛い思いをして生きてきたとどこかで悲劇のヒロインぶっていたような気がした。
そんな自分を軽蔑して、そして愛する人の過去を知って怖くなった。
(こんなの、私には勝てない……)
嫉妬でドロドロになったこの心を見せたくもない、触らせたくもない。
ただ、彼に軽蔑されたくないと思った。
そして、レオンハルトの心はまだ”彼女”に捕らわれているのだと悟って、コルネリアはドレスの裾を握り締めた。
「言い出せなくて、ごめん。コルネリア」
そう絞り出すような細い声で呟く彼の肩にそっと手を置こうとしたが、どうしても置くことができなかった──
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