第9話 愛しい妻と愛した人
コルネリアはどうしていいかわからなかった──
目の前にうずくまって罪の意識に苛まれるレオンハルトになんて声をかけてよいのか、そしてどうやって触れていいのかわからなかった。
「大丈夫ですよ」と声をかけるのは簡単。
でも、そんな事を決して彼は望んでいないとわかったからこそ、そしてなにより自分自身の醜い嫉妬の感情が彼自身に触れたことで伝わるのではないかと思い怖かった。
(思い合ってたんだ、二人とも……そんな仲に……)
『入れるわけない』
そう心の中で呟いた彼女は、何も言えず、それでも胸に抑えきれない想いがあふれ出してわずかな吐息と声が漏れる。
彼は自分だけをずっと愛していたと慢心していた、愛を受け続けることに慣れてしまった自分への罰だと思った。
(好きで、好きで、でも……そんな二人の仲を聞いて私は……)
クラリッサと自分を比べて嫌になる。
彼女は公爵としての責務を全うするレオンハルトを立派に支えようとしており、実際にそうしていた。
しかし、今の自分はどうだろうか。
彼に助けられ、彼に守られ、彼に救われて生きている。
(私に彼を想う資格は……)
「コルネリア、私はそれでも……っ!!」
レオンハルトは視線の先にいたコルネリアの違和感に気づいた。
彼女のアメジスト色の綺麗な瞳は赤く染まっており、そして彼女の周りを見えない何かが渦巻いている。
「なんだ……!?」
「わ、たし……は……」
コルネリアの焦点はどこにも合っておらずただ宙を見ている。
隣にいるレオンハルトの声すらも届かない──
「コルネリアっ!!」
「いらない、存在……」
彼女の呟きと共に冷たい風が波動のようにしてレオンハルトを襲う。
「──んぐっ!!」
レオンハルトはコルネリアの発した風に飛ばされて本棚に身体を強く打ち付ける。
背中と肩から全身に走る痛みに耐えながら、レオンハルトは起き上がった。
「まさか、聖女の力が──?」
「…………」
何も発することはなくただ月をぼうっと見つめるコルネリアは、彼の言葉を聞き、焦点を移す。
今までに見たことがない刺すような視線に、レオンハルトはぞくりとする。
コルネリアが一歩一歩とレオンハルトに手をかざしながら迫って来る。
彼の頭の中には、クリスティーナの言葉がよみがえっていた。
『聖女の力は正義と悪、表裏一体なの』
『表裏一体?』
『皆、聖女は神聖なものだと信じている。けれどそうじゃない、人より優れた力を持つこと、それすなわち”暴力”なのよ。それをどう使うかはその人次第。だから、教会で教育をする。正しい使い手となるために。聖女が悪の道に染まらぬように──』
(悪の道……)
コルネリアの聖女の力が少しずつ回復していたのはわかっていたが、彼女の力はもともとは数百年に一度の力とよばれるほど強大なもの。
では、それがもし悪に舵をきってしまったのだとしたら?
目の前で人形のように表情を失くしてこちらを見つめる彼女を見て、レオンハルトは拳をテーブルに打ち付ける。
(僕の過去が、コルネリアに負担をかけたのだとしたら? 彼女の気持ちを壊したのは僕だ)
レオンハルトの拳はテーブルによって傷つき、赤い血が滲んでいる。
(僕はまた悲しませるのか。愛する人を、守れずに……!)
「──っ!!」
コルネリアは聖女の力を使ってレオンハルトをついに攻撃し始める。
手のひらに力を集中させ、そこから風のような攻撃を放つ。
レオンハルトを救った時の優しく純白な光ではない。
彼女の嫉妬の心が原動力になってしまった黒く鋭い棘のような攻撃。
「コルネリアっ!! 目を覚ましてくれっ!!」
「…………」
彼女に彼の言葉は届かず、能面のような顔で再び手をかざしてレオンハルトを狙う。
(コルネリア……! 僕は何度も君に助けられた。君を愛したからこそここにいる。だから……)
レオンハルトは光で纏われた彼女に向かって勢いよく飛び込み、そして抱きしめた。
「──っ!?」
「クラリッサは僕の大切な人だった。彼女は僕の気持ちを理解し、理解しすぎたゆえに死んだ」
「…………」
「僕の人生において彼女の存在は消えることはない。──それでもっ!! 僕にとって愛しい『妻』は、君だけだ!!」
「……っ……」
「君のことを傷つけて、こうして力を暴走させたのも全部の僕のせいだ。だから自分を責めないでほしい。どうか、どうかっ!! 君はもう君自身を傷つけるのはやめてくれ」
「……ルトさま……」
レオンハルトはさらに強く抱きしめ、そして彼女の淡いピンク色の髪ごと強く引き寄せる。
「コルネリアっ! 君は弱くていい。それでいい。クラリッサのようにならないでほしい。比べないでほしい。確かにあの日はあった。楽しい日々、そして苦しい日々はあった。だけどっ!! 僕はもうそれを乗り越えたい! 君と一緒に未来を生きたいんだっ!!」
「レオンハルト、さま……」
コルネリアの周りを覆い、レオンハルトを傷つけていた風が彼の言葉によって少し弱まる。
赤い瞳から透明な雫が一つ、零れ落ちた──
レオンハルトは傷だらけの手でコルネリアの両頬を捕まえると、柔らかな微笑みを向ける。
「君を離したくはない。もう離さないと決めたんだ。コルネリアだから愛した。──愛せた。僕と、一緒にいてくれませんか?」
サファイアブルーの瞳は優しくも強い意思を持って彼女を見つめる。
(私は、私は私でいいの……?)
コルネリアはその瞳をアメジストの光に戻して彼に問うた。
「私は、私はあなたを愛していいのですか? レオンハルト様」
「ああ、もう私に失わせないでくれ。これ以上。もう……」
「レオンハルト様っ!!!」
コルネリアは涙声で彼の胸に飛び込んだ。
二人を映し出すように、雲間から現れた月が光り輝いていた──
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