第15話 ルセック伯爵家の終わりの始まり
コルネリアが身請けされてからしばらく経った後、ルセック伯爵家ではある騒ぎが起こっていた。
「あなた浮気してたわね??!!!!!」
そんな金切声がルセック伯爵の執務室に響き渡る。
真っ赤なルージュの唇を大きく動かして、伯爵夫人は机に向かっている自分の旦那へと勢いよく怒鳴りながら迫っている。
しかし、伯爵は動じずに夫人の主張を聞き流して、手元にある書類の処理を続けた。
「もうっ!! こっち見なさいよ!!!」
「うるさいぞ、今仕事をしているんだ、お前はあっち行ってろ」
何度もこちらを向いて話をするように夫人は声をかけるが、全くルセック伯爵は話を聞こうともしないため、夫人は顔を引きつらせて舌打ちをする。
舌打ちをされたことにさすがにイラっときたルセック伯爵は、怒りでペン先を折って、目をぐわっと開いて夫人を威嚇しながら言った。
「なんだ、その品のない態度はっ!! 仮にもお前の夫で、しかもこの屋敷の主人だぞ?!!! いい加減にしろ!!!」
その言葉にプチンと堪忍袋の緒が切れた様子の夫人は、ルセック伯爵の向かっている机に手を叩きつけて反論する。
「あなただって偉そうになんなの??!!! 結婚してから夫らしいことなんて一つもしてくれなかったくせに、仕事仕事仕事って!!! 都合の悪い時だけ仕事を言い訳にして!! 私のこと全然見てくれなかったじゃない!!!!」
「お前も結婚してから宝石やらドレスだけで綺麗に着飾って、なんだそのみっともない身体は!! そんな女に魅力なんか感じるかっ!!!!」
ルセック伯爵夫人は確かに結婚を期に数キロ単位ではないほど太ってしまっていたのは確かだった。
特にコルネリアが家に来てから、聖水を売ったり、貴族の病を治して莫大な富を得てからは、いい肉を食べまくる食事をしていた。
さらにはこの地域の特産の一つであるワインを毎日一本ずつ飲み明かし、そしてそれに合うチョコレートを食べることが日課だったのだ。
そんな彼女が毎日少しずつ太っていくのは、それはもう予想できる範囲である──
とまあ、そんな風にルセック伯爵の主張としては夫人の魅力、特に女性としての魅力が日に日に落ちていったということなのだが、夫人としてはそんなことが浮気をしていい理由にならないというのが主張だった。
それに夫人としては自分だけでなく、同じような食生活を送っているルセック伯爵の体形も同じでしょうが、という思いでいるのだが、もちろん伯爵自身は気づいていない。
下っ腹どころか顔も腹もたぷたぷとしたふくよかを通り越した体形に、もはや夫人も愛想をつかしていた。
だからこそ、夫人は自分の体形を理由に浮気を正当化したような言い草をする旦那が許せなくなり、ついに浮気の証拠を突きつけることにした。
「あのね、証拠は掴んでるのよ?!! 社交界で若い子爵令嬢と仲良さそうにしていたそうじゃない」
「ああ、あの子か」
「その子と何? 親しげに話しただけでなく、バルコニーで唇を合わせていたそうじゃない」
「そんなことはしていない」
「それにその数日後にあなた郊外に出張だって二、三日空けたこと覚えてるわよね?」
「ああ」
「それ、私に北方の領地に行くって言ってたのに、南方の領地に行ってたそうじゃない。しかも、その南方の領地ってその子爵令嬢の親の領地でしょ?! 避暑地で有名でたくさん泊まるところがあるそうね?」
「お前の妄想はいい、私は北方に仕事に行っていたんだぞ?! なんで疑われなきゃいけない?!」
ルセック伯爵は疑われることが気にくわないといった様子で夫人を睨みつけながら威嚇する。
そんな夫の様子に少しも臆さずに真っ向から睨み返すと、握り締めていたルビーのついたイヤリングを伯爵につきつける。
「これ、何かわかるわよね?」
「──っ!!」
こんな時に男は弱い生き物で、咄嗟に予想外のものを出されるとうまく嘘がつけなくなる。
夫人はもちろんその一瞬の動揺を見逃さず、ルセック伯爵の座っているほうへとすたすたと回り込み、椅子に座って動けなくなっている彼の眼前すれすれにそのルビーのイヤリングをつきつけた。
「あなた昔から嘘が下手ね。私はこんなイヤリング持ってないし、プレゼントもされたことないわ。これ、どこにあったか知ってる?」
「…………」
ルセック伯爵の背中にはどんどんと汗が流れてきており、そしてついに額からも汗が流れてきていた。
夫人はそんな伯爵の様子など微塵も気にせずに、追及を続ける。
そして、伯爵の顔に自身の顔を近づけて、それはそれは恐ろしい真顔でそのイヤリングの見つかった場所を言った。
「あなたが普段使っている馬車の席の下よ」
「──っ!!!」
ルセック伯爵は夫人の予想以上の形相に恐れをなして、そのまま椅子から転げ落ちると、逃げるように床を這って部屋を出ようとする。
「待ちなさい? あ・な・た?」
「ひいぃぃぃぃっ!!」
おそらく伯爵は今どんなホラー物語よりも恐ろしい状況に身を置いているのだろう。
自分でやったことなのにも関わらず、夫人からいざそのことを責め立てられるとめまいと吐き気がして、そしてとんでもなく冷や汗が止まらない。
そんな悲惨な状態でも夫人はまだ攻撃を続ける。
「で? 一人じゃないわよね? あなたの浮気相手」
「──っ!!!!」
「その子爵令嬢吐いたわよ? 自分以外に何人も女を囲っていて、自分だけを見てくれないって」
「なんで、そんなこと……」
「ああ、カマをかけたのよ。自分もルセック伯爵に浮気されてて困ってるんだって言ったら、『そうなんです! 私も彼の都合いい女にされてて! 他に女が何人もいて』ってね」
それを聞いてルセック伯爵の顔色はどんどんと青くなっていって、唇が震えているのを隠すように歯で噛んで止める。
「そこで言ったのよ、私がルセック伯爵の妻ですが何か?って」
「──っ!!!」
「ええ、それはもう彼女、どんどん青ざめて、そう今のあなたみたいにどんどん顔色が悪くなって、その場にへたり込んだわね。ふふ、面白かったわ~」
もはや夫人は笑っているが笑っていない。
目が笑わず、そしてルセック伯爵への怒りを通り越した復讐心で溢れていた。
目の前の男をどうしてやろうか、という考えで真っ赤な唇だけが弧を描いている。
「許してくれっ!!」
「あら、あっさり認めるのね。昔はもっと男気があったのに、そのみっともない身体に反比例して消えていったのかしら」
ルセック伯爵はもう生気を失ったように床に座り込んでぼうっと天井を見上げる。
そんな彼にずっと持っていてぬくもりを持ったルビーのイヤリングを夫人は投げつけた。
「このことは実家に報告されていただきます」
「待ってくれ、それだけはっ!!!」
「いえ、報告させていただきま・す!」
夫人は容赦なくそれだけ告げると、その足で部屋を後にした。
部屋に残されたルセック伯爵は人生が終わった、といった様子で絶望し、その場に倒れてしばらく動かなかった──
◇◆◇
ルセック伯爵が昼間の妻に暴かれた不倫による衝撃が癒えないで眠れない夜のこと。
伯爵家の隠し金庫の前にある人影が忍び寄っていた。
「ふっ、この家もザルね。こんなに簡単に見つかるなんて」
そう言う彼女はルセック伯爵家に雇われていたメイドの一人であり、ついでにいうとメイド歴三年の中堅メイドだ。
そんなメイドの本来の目的はこの家の莫大な財産を盗むことであり、そうして今までも年齢や経歴を詐称しては貴族の家に忍び込んで金をくすねとっていた。
彼女が狙うのは汚い金、つまり表には公に出せない金や不正に得られた金であり、彼女に狙われた家は等しくその金の出処を理由に王国に被害届を出せずに泣き寝入りしている。
細工が施された棚の中に隠された隠し財産を得ると、メイドはにやりと笑ってそのまま部屋を後にした。
このことにルセック伯爵が気づくのは、もう少し後のこと──
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