第16話 誰が為のマナー
街に出かけた数日後、レオンハルトは約束通りコルネリアにマナーの講師を紹介した。
「彼女がマナーの講師だよ」
そう言われて紹介されたのは、いつも自分のお世話役として傍にいるテレーゼであった。
「テレーゼさん……?」
「ぜひテレーゼとお呼びくださいっ!!」
テレーゼはそれはそれは深々とお辞儀をすると、顔を上げた後にコルネリアに対してにこやかに微笑みかけた。
コルネリアはてっきり外部の人間──それも怖い形相をした笑顔のない厳しい人間を想像してしまっていたが、見知った顔であったために驚き目をパチクリさせた。
レオンハルトはコルネリアの肩にポンと手を置くと、安心させるようにそっと微笑みかけてそのまま部屋を後にした。
部屋の中にはコルネリアとテレーゼのみが残されて、二人の間に一瞬の沈黙が流れる。
──先に口を開いたのはテレーゼだった。
「さ、奥様。いつもの私とは一味違いますよ~!!! ビシバシいきますから、そのつもりでいてくださいね!!!!」
「え、ええ……」
コルネリアは目を光らせるテレーゼに少し怖気づく様に一歩引きさがるが、馬車の中で誓ったことを思い出す。
『もうそれに甘えていられる時期は過ぎたのではないかと思うのです。私はレオンハルト様と共に生きるために、ヴァイス公爵夫人としての責務を全うするためにもっとたくさんの勉強が必要だと思っています』
(そう、このお屋敷の皆さんのために、レオンハルト様のために頑張ることを決めた。頑張りたい)
コルネリアは自分自身、そしてまわりの人間、特にお世話になった者たちへの恩に報いるためにマナーを学びたかった。
その思いをレオンハルトもテレーゼもわかっているからこそ、今回全力で彼女に協力することに決めた。
コルネリアは覚悟を決めた強い目でテレーゼを見つめ、そしてその意思を受け取ったテレーゼも深く頷く。
ただ、コルネリアにはどうしても疑問があった。
それは、「なぜ一介のメイドであるテレーゼがマナーを教えるほどになったのか」だ。
この国では貴族たちはおおよそ国に存在する国家資格を持つマナー講師に幼少期に教わって育つ。
親が子に教えるわけでも、家人が教えるわけでもない。
選ばれた数人の精鋭たちが教えるのだ。
「もしかして、なぜ私が教えているのか、気になりますか?」
「──っ!」
コルネリアの考えや疑問を見抜いたように、テレーゼはふっと微笑み、そして真っすぐにコルネリアを見つめて語り始めた──
「もともと私は子爵家の娘でした」
「え……?」
テレーゼの口から放たれた真実はコルネリアに予想だにしない内容であり、思わず瞬きを一つしてその後の動きを忘れるほど驚いた。
「没落したんです。両親がある貴族に騙されて事情に失敗し、そして両親は多額の借金を背負いました」
「……」
「家業である貿易業はすぐに立ち行かなくなりました。船の組員に払う賃金はなく、そして船を売り払い、そして何もなくなりました」
コルネリアは淡々と語る彼女の話にじっと耳を傾けて、そして目を閉じた。
そして、彼女は口を開いた。
「それで、ご両親は……?」
少し聞くのが怖かった言葉をコルネリアは勇気を振り絞って聞いた。
しかし、その次に聞こえてきた言葉は彼女の中で何パターンか考えた彼女の答えで最も悲惨なものだった。
「死にました」
「……っ!」
テレーゼは特に涙を流すでもなく、表情を変えるでもなくただ淡々と両親の死を伝えた。
「もう爵位を返上して田舎暮らしをしようというときでした。私が今までお世話になった学友たちに挨拶を兼ねて最後のお茶会に参加した日に、両親は自宅で自殺していたそうです」
「テレーゼ……」
「当時のメイドたちが気を遣ってその現場は見せないようにと、計らってくれました。最後に見た両親の顔はなんとも忘れられません」
コルネリアはその話を聞き、ゆっくりとテレーゼに歩み寄ると、そのまま彼女の背中に両腕を回した。
「コルネリア様?」
「テレーゼ、ごめんなさい。ひどいことを思い出させてしまった。ごめんなさい……」
目をぎゅっとつぶりながら彼女の胸元に顔をうずめて謝るコルネリアに、テレーゼは優しい顔で微笑んで、そしてコルネリアの背中に自らの手を当てた。
「大丈夫です、私はそれからこの家に拾われて、救われました。レオンハルト様たち、この屋敷の皆様に救われました。だから、コルネリア様がレオンハルト様のために、というお気持ちも痛いほどわかります」
「テレーゼ、一緒に、私と一緒にこの家のために、レオンハルト様のためにお願いできないかしら?」
「もちろんです。私にできることであれば、精いっぱい努めさせていただきます! 私は、ドジでのろまなメイドですが、あなた様のことを尊敬して、支えたいですっ!」
そんな風に言われたことがなかったコルネリアは大きく感情が揺さぶられ、そして唇がわずかに震える。
つらい過去があってもくじけずに誰かのために、自分を守ってくれた人たちのために心を尽くす。
当たり前のように見えてそうではなく、それはテレーゼだからこそできるのではないか、とコルネリアは思った。
日が差し込む窓の近くで彼女らはこの屋敷、そしてレオンハルトへの恩に報いる決意を新たにして、微笑み合った。
コルネリアとテレーゼの二人三脚のマナー習得への道が始まる──
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