第23話

「美海? どうしたの? ……美海?」


美海はあたしの隣にピッタリと座って、あたしの腕を抱いた


「私ね。あの会社にいたんだよ」

「あのって、柚季が誘われているこの会社?」

「うん」

「なんでそんな大事なことを早く……いや」


言いかけてあたしは口をつぐんだ

美海がこんな反応をするということは、きっと良くないことなんだろうね


「ごめん。もっと早く言うべきだったよ」

「気にしなくても良いって、美海のことだから言いたくなかったんでしょ?」

「うん」


美海はあたしの腕を抱いたまま頭と体を擦りつけてきた

ちょっぴりくすぐったい感じだけど我慢してあげよう

美海のこんな様子って珍しいし


「玲香」

「うん?」

「頭、撫でてよ」

「はいはい」


どうしたの? とは言わない

美海の顔は見えないけど、何かに怯えているような、そんな雰囲気を感じた

だったら気のすむまでこうしてあげよう


「私は今、玲香と一緒にいるんだよね……?」

「当たり前でしょ。それに」


恋人の顔を思い浮かべる

あの子も再会した時はこんな感じでふさぎこんでたっけ

あたしの周りこんな子ばっかだな

……あたし含めてね


「あたしだけじゃなくて、柚季も一緒。でしょ? 今ここにいないだけであの子も一緒にいるよ」

「……そうだった」


美海はくすっと笑ってあたしの胸に頭をぐりぐりと擦り付けた


「……私ね。今フリーでエンジニアやってるでしょ?」

「そうだね。おかげさまで助かってますよ」


美海は自分でプログラムとかアプリとか作ってお金を稼いでいるというあたしからは想像できない形で生活している

しかもとんでもない量の収入だ

やろうと思えば今からでも仕事を一切しないでのんびりFIREできると思う

ホントなんであの美海が、あたしと一緒にバカなことしていたこの子がこんなにスゴイことになってるんだろう


「大学を出てからさ、なんとなく入った会社でプログラムを教わったんだよ」

「当時はあんたが就職できたってことが一番の驚きだったよ」

「ふふっひどいなぁ玲香は」

「えー柚季だって驚いてたじゃん」


あたし達は大学を卒業してからしばらくはスマホでメッセージを送り合っていたからお互いの近況はそれとなく知っていた

とは言え柚季の職場のヒドさとか知らないことはたくさんあったんだよね

今から美海が話そうとしていることも、きっとあたしや柚季が知らないことなんだろう


「女の子のプログラマーって珍しいから結構かわいがってもらったんだ。それに、私ってこんなちんちくりんだし。だからそれなりにすぐにプログラムの腕は上がったんだ。」


植物園で3人で手を繋いだ時を思い出す

確かと知らないおばさんに姉妹だと勘違いされたっけ

それくらい美海は小さいんだよね……胸はともかく


「玲香今変なこと考えてるでしょ?」

「いっ……いやいやそんなことないって!」

「まあいいよ……それでね? プログラマーをしていて良かったのはそのかわいがってもらっていた最初だけだったんだよ」

「何かあったんだ?」

「うん……プログラマーってさ。他の企業に行ってその職場で働くってのがあるんだよ」

「派遣、みたいな?」

「そんな感じかも。私が行った会社がね……」


美海は目を伏せた


「まさか、柚季を誘っているあの会社なの?」

「……うん。まさかまたあの名前を見るとは思わなかったよ」


美海は柚季のいた会社の、親会社にいたんだ……

あたし達って遠く離れているようで実は近い所にいたんだね


「……ひどい所だったんだ。人間関係も、仕事量も、残業も。色々とひどかった」

「美海……」


あたしはまた美海の頭をゆっくりと撫で始めた


「怒鳴られて、物も投げられたんだ。それで当たり前のように残業で部屋に戻るのは大体11時くらい……」

「そうだったんだ……」


あぁ……この感じ、あたしはよく覚えている

美海が、あの日の柚季と同じように怯えている

2人共あんなに明るくて良い子だったのに、こんなにやつれて弱って怯えて、まるで別人みたい

そういや美海も柚季と一緒で、あたし達には大学を出てから仕事の話をあまりしたがらなかったっけ。メッセを送っても適当にはぐらかされてたな

それでも、柚季を誘ったあの会社が酷いってのは少しひっかかる


「美海を疑う訳じゃないけどさ、あのスーツの人の様子からするとそんなにヤバイ会社じゃなさそうだったよ? ちゃんとしていたし」

「あれは外面だよ。会社に戻ると言葉遣いも変わるし態度も変わるんだ。そりゃあ確かに私はあのスーツの人のことは知らないけど、私はあの会社の中でそういう人は何人も見てきたんだよ。」

「外面ね……」

「あの時は私も玲香もいたし、一応柚季も今は部外者みたいなものだったからね。だから会社内での内面は隠してたんだと思う」


そういやあたしの上司だったアイツも取引先からの電話にはペコペコしてたな


「結局、私の仕事は失敗ってことになったんだ。それで追い出されるように元の会社に戻ったんだ。そうしたら今度は……今度はみんなからも白い目で見られるようになったんだ」

「みんなって、かわいがってもらってたのに?」

「うん。私に期待したのが良くなかったって言われたんだ。それからプログラム開発のプロジェクトに入れてもらえなかったり、プログラマーの仕事じゃない作業を押し付けられたり……就職した直後とはまるで違う職場みたいだったよ。私にプログラムを教えてくれた人達もみんな私を無視するようになったんだ」

「そんなことって」

「あったんだよ。ホントにひどい思い出だった。でもね? おかげで私にはプログラムの才能があるって分かったからそれからは必死に勉強してアプリとか作って独立したんだよ。それで毎日ふらふらできる時間でもできた」


美海ってただなんとなく稼いでいるように見えて実は苦い思い出があっての今だったんだ

普段の美海とは想像がつかない


「それで、あたしと柚季と偶然再会できたって訳か……」


あたしと柚季が部屋を探していたあの時、偶然美海と再会できたんだよね


「うん。私にとって最大の幸運だったと思うよ」

「最大のって、そこまで言うことなの?」

「当然だよ! 玲香ってば自分の価値を知らなすぎ!」


美海は自分の首につけている赤い首輪を指で弄った


「職場で虐げられていたころはね、時々思い出してたんだよ。玲香達と一緒に遊んでいた大学生の頃を」

「みんなで一緒に遊んでいた頃」

「うん。もし玲香たちがいなかったらきっとメンタルが持たなかったと思う」


美海はあたしの体に寄りかかっただけじゃ満足しなかったのか、あたしの体に腕を這わして抱きしめてきた


「玲香、大好きだよっ。無茶なこと言って一緒に住んでくれてっすっごい嬉しい」


無茶なことって……いや確かにペット扱いは無茶だけど

それでもお世話になっているのはあたしと柚季だよ


「お礼を言うのはあたしの方だよ美海。柚季と一緒にここに住ませてくれてさらに生活費も出してくれてるんだから」

「玲香っ……!」


美海はあたしの膝に座って正面から抱き付いてきた


「美海っ? 何を……」

「……んっ」

「……っ」


あたしは美海に唇を押し付けられた

美海の顔を見ようにも近すぎてみえない

びっくりしたけど、あたしはなんとか受け止めた

ちょっと待ってとか言って引きはがそうと考えたけど、美海の唇は震えていた


「……もう美海ってば」

「ん……玲香、そのね?」


美海はまた目を伏せた


「なーに? 言ってみなって」

「……もう一回」

「分かったよ。ほら」

「……んっ」


またあたしの唇と美海の唇が合わさる

ペットとか女同士とか、色々気になりそうになるけどそんなのはどうでも良いよね

美海だから、するんだ


「大好きだよ、玲香。ずっと一緒だからね?」

「あたしも大好き。だからね?」


美海の目からは涙が溢れていた

あたしは筋になって垂れたそれを指でぬぐう


「玲香ってずるいよっ……いつもはっちゃけてるのにっこんな時は優しいんだから」

「はっちゃけって……あんたがやらかすから乗っかってるだけだっての」

「あはは、かもね……」


美海は少しだけ笑って、また切なそうにあたしを見つめてきた


「玲香……」


それを見てあたしはゆっくりと、また美海を抱いて唇を近づける


「うん……んっ……」

「っ……」


美海の唇はもう震えてはいなかった

ただあたしとぴったり密着していたせいで美海の胸の鼓動がよく分かる

すごく早い鼓動。そんなにドキドキしてるんだ……


「ありがと、元気出たよ」

「そっか」

「ねぇ玲香」

「何?」


美海はあたしを抱きしめて、耳元でささやいた


「柚季にも、ちゃんとしてよね?」

「……分かってるって。柚季にもする。それからちゃんと3人で一緒に暮らそう」

「んっ……大好き」


美海の意外な一面……というか知っておきたかったことが知れて良かったよ

こんなにしおらしい美海は貴重だから写真でも撮っておこうかとほんの少し考えたけどそうしたら一生それであたしが弄られそうだからやめておいた

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