第19話

「お肉にお野菜とあと魚ももらっちゃえ、柚季もどんどん取っていって良いからね!」

「ありがとう、玲香」

「柚季ってば遠慮してるでしょ? あたし達の仲なんだから遠慮とかしなくて良いって、今日はどんどん食べて飲んじゃおうよ」

「……そうだね、ごめんね」


適当に個室ありと看板に書いてあったお店に入ってみると、まさかの大当たりだった

あたし達は今お鍋を囲んでいる

あたしと柚季は並んで座っているから囲むというよりは両サイドに陣取っている

そう、お鍋専門のお店なんだ

個室があるのはもちろんだけど温かい食べ物というあたし達のリクエストに完璧な形で答えてくれた。誰が答えてくれたかは知らない。あたしの運勢でしょきっと


大きな鍋にお肉と野菜と魚を入れてグツグツ煮込む。見ているだけで体温が上がる気がするしもちろん食べたら体の芯まで温まるんだ

芯といっても心はまだ凍り付いているんだけどね。あたしも柚季も

あたしの隣にいる柚季もモソモソと食べ始めた


「……美味しい」


小さいお肉をお箸でつまんで一口食べた柚季がつぶやいた

そしてあたしが言葉を挟む前に野菜を口に入れて、そして次はお肉

パクパクと食が進み始めた

気が付けば柚季の取り皿は空っぽになって次の具材を鍋から取り出す

また少し元気になったっぽい


「へへっ……あたしもっ!」


2人でお鍋に箸を突っ込み合って具材とせっせと取り皿に運ぶ。取り皿に持ってくる用の箸もあるけどあたしと柚季はそんなの気にしない。それがあたし達のルールだった

さすがに生のお肉をつかむ時は菜箸を使うけどね

学生からの付き合いだったあたし達に遠慮なんていらないし心も通じ合ってるんだ

お肉も野菜も魚も取った人の物だし遠慮は無用だ

そのせいで具材の取り合いになったことは何度もあるけどね。主に美海とあたしとの間で

でもそれで険悪になることもない

職場の上司とならこうはならないね。なってたまるかっての

社会人になって会社の人たちと食べたお鍋と柚季たちと食べたお鍋は違う食べ物だと思えたくらいマナーとかモラルと気遣いとかがあって窮屈だった


「玲香、あのね……?」

「……うん。聞くよ」


2人で無言のまま食べ続けて少し小休止、というタイミングで柚季は箸をおいた

お鍋で温まって少し落ち着いたのかようやく話す気分になったみたい

あたしもお箸を置いて隣の柚季の顔を見る


「一体何があったの? 多分とんでもないことが起こったというのは察してたけどさ」

「実はね。お仕事……クビになったの」

「え……?」

「上司の人から言われたの。君ほど使えない奴は初めてだ! ……ってそのまま気が付いたら、明日から来なくて良いって言われて」

「待って待って。それ本当なの?! ……本当なんだね、そこまで落ち込むくらいだし。何でそんなこと言われたの?」

「そのね?」


ぽつりぽつりと柚季は話し始めた

その時の柚季は怒鳴られたショックとクビになったショックで混乱して凍り付いてしまってくっきりと覚えてなかったみたいで、柚季が話す時系列がぐちゃぐちゃだったけどなんとか頭にまとめながら聞いていく

つまり


「明らかに柚季の上司のミスだったけどそれを押し付けられたんだ?」

「……うん。やっぱりそう……よね?」

「しっかりしなって柚季は悪くないよ」


どうも柚季が就職した職場はあまり良くないところだったらしい

オフィスの中ではしょっちゅう上司の怒鳴り声が響いていて柚季も色々と酷いことを言われていたみたい

柚季が何度も謝るようになったのもそのせいなのかな

上司に向かって必死に頭を下げている柚季の姿を思い浮かべてみる

そいつがどんな奴か知らないけどありえないくらい腹が立つな……!

あたし達の柚季をこんな目に遭わせるなんて。地獄に落ちてもまだぬるいよ


「そんなに酷い職場ならあたし達に相談してくれても良かったのに……」

「ごめんね。でも頑張りたかったの」

「そっか……まあもう過ぎちゃったことだし気にしても仕方ないか」

「ありがとう。それでね……」


上司のミスを柚季の責任にされてそこから上司が怒り狂って。気が付けば柚季は退職届を書かされたらしい

なんで柚季の責任ということにされたのかは分からない。柚季は押しに弱いから選ばれたのかもしれない

柚季に罵声を浴びせながら退職届を書かせている上司の姿と、その光景がなんでかくっきりと想像できてしまう、しなくて良い想像なのに

柚季は今日まで怯えながらも必死で耐えていたんだろうね


「誰か相談に乗ってくれる人とかは……」

「……」


柚季は力なく首を振った


「みんなも怒られるのが怖かったから……仲良くしてくれる人はいたんだけど」

「誰も柚季を助けることはできなかったんだ」

「そうだと思う……玲香。私、役立たずって。お父さんとお母さんになんて言ったら良いか……」

「ダメだよそんなこと真に受けたら。と言いたいけど……あたしも人のこと言えないんだけどね」

「え……?」

「あたしもね。仕事をクビになったんだよ、それも今日」

「えぇっ!?」


柚季が目を見開いてあたしの方を向いた

今までうつむいてたけどさすがにあたしがクビになったことは衝撃だったらしい


「玲香もなの!? 仕事をクビになったって……何があったの!?」

「それがね……」


さっきとはあっさりと立場が逆転しちゃった。柚季が驚いて話しを聞く側であたしが説明する側

あたしは柚季に職場をクビになった経緯を伝えた。そして柚季に会う前はずっとあたしの上司が言った言葉が忘れられないこともね

柚季は静かにあたしの話を聞いてくれた


「玲香も一緒だったんだ」


そして、柚季は手を口元に当てて息を飲んだ


「ごめんねっそんなに思いつめているのに私、急に誘っちゃって」

「気にしないでって。ほらあたしたちクビ仲間だし仲間同士傷の舐め合いしようぜ?」

「でも……ふふふっなにそれっ」


柚季はくすくすと笑って。それから


「んっ……」


腰を動かして少しだけあたしの方に近づいた

柚季の顔は、学生時代の頃のような優しくて穏やかな顔つきに戻っていた

そして顔を傾けてあたしをじっと見つめた


「ね。玲香……?」


柚季は一瞬、テーブルのすみっこに避けられたお店のメニューに目をやってから再びあたしの顔を見つめた。優しさと誘うような目

あたしは柚季の意図がすぐに分かった


「お酒、飲もっか」

「……うんっ!」


ヒドい目に遭ったけどおかげで柚季に再会できたんだ

でもだからってクビのショックを全て流せるほどあたしは人間ができている訳じゃないんだ

あたしは自分の上司と、そして柚季の上司という2人の上司への怒りを胸に秘める

あたしはメニューを掴んで、注文用のベルを鳴らした

今日はヤケ酒だっ

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