第9話 危険食の持ち込み

『乗客の皆様、車内に危険物などを見つけた場合にはすみやかに駅員にまで、お知らせ下さい』


 ミクル駅員の清純なアナウンスが車両に通る中、仲間三人で電車旅を楽しんでいた間柄、突如、ジーラが秋田犬のようにクンクンと鼻をかす。


「……待て、この香りは!?」

「何かヤバそうな香りですの?」


 ジーラの隣の座席にいたリンカがただ事じゃないジーラの反応にヒヤヒヤしている。

 春だけあり、まだ風は少し寒々しい。


「……いや、この匂いは名物店のパン屋のクロワッサンが……」

「クロワがどうしましたの?」


 リンカがそうやってクロワッサンを略すと例の職業安定所を連想してしまうから侮れない。

 さぞかし、乗客の中にいる職無しは動揺の顔色を隠しきれないであろう。


「……そのクロワッサンが絶妙に腐ってる匂いがする」


 その匂いは芳醇な香りを通り抜けて思いっきり傷んでいるらしい。

 クロワッサンの間と層に挟まれた魅惑なバターな香り。

 ただ、発酵食品のバターなのに悪い方向に腐っていることを除けば……。


「それはまたとない危機ですわ。それでどこから異臭がするのかしら?」


 もしかすると、この電車内は汚染された空気でになるかも知れない。

 腐っただけに……。


「……実は自分の手持ちのトートバッグから」

「じゃあ、早く乗務員さんに持っていきますわよ」


 ジーラのバッグに手をかけて持っていこうとするリンカを引き止める。

 まさに百合らしい展開で薔薇色の青春である。

 その薔薇の香りで危険なソイツを包み込んでくれないか、バイ、薔薇餃子。


「……待て、この痛バッグのままじゃマズイ。彼女たちも穢れてしまう」


 ジーラがリンカの手をゆっくりとはね除けて、一個ずつ丁寧にバッグに付けた缶バッジを外し始める。


「そんなにそのバッジが大切かいな?」

「……ケセラには分かるまい。苦労して手に入れたこれらのバッジたちを」


 向かい側にいたケセラの問いかけを否定しつつもバッジを外すジーラ。

 陽キャにはこの気持ち分かるまい。


「別に分かりたくもないわ!」

「……おっ、おうぅ!?」


 当然の答えにショックで床にヘタレ込むジーラ。


 この事は想定内だった。

 しかし、ジーラは感じ取る。

 身近な人物が言葉による暴力を振るったことに……。


「……駅員さん、ここに自分のか弱き心を傷つける危険人物が」

「どんだけ豆腐メンタルなんやね!」

「……カモーン、ヘルシーなお豆腐が好みの駅員さああーん!」


 ジーラが泣きべそをかきながらミクル駅員を呼びつけると、ミクル駅員は何食わぬ顔をして『非番でもこの電車を利用してくれて、誠に嬉しい限りです』と言うよりも、頭の中では今晩の夕ご飯のレシピを考えていたのだった。

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