第4話

 そんなに長い時間コンビニエンスで過ごしたようには感じなかったのだが、もうすっかり日が落ち、辺りは暗闇に包まれていた。

 店のすぐ目の前に立つ彼は、なにやら恥ずかしそうに口を開いた。


「遅いですよ」

「ああすまんね。すこしばかり自分の感覚に微睡まどろんでいたんだ」

「……っ……。……それじゃあ、はじめましょうか……ぼくたちの語らいを」

「よろしく頼むよ」私は言って歩き出した。その後を彼が付いてくる。そしてすぐに、私の左隣を並走しはじめた。


 ふと、ある不安が頭のなかを過ぎり、私は彼の右耳に囁きかけた。


「君、さっきあの店長とやらに、店の裏で何をされたんだ? もしかして……最上級の行為じゃないだろうね?」

「まさかまさか、ぼくはそういうたぐいの青年じゃないんです。……あれっ、もしかして妬いてるんですか? ノンノン、心配ご無用ですよ。接触すらも皆無です。……ただ店長は、いやらしい目付きでこっちににじりよって、ぼくにそのたくましい両腕をのばし、そのまま抱擁ほうようするかに思えましたが……いよいよ触れるというときに寸止めし、そのままの格好で、ぼくの耳許で言葉を発し、その仕上げとしてセクシーに唇を鳴らしただけのことです」

「なんだ紛らわしい……。とすると君は、まだ白地の美少年なんだね?」

「ええ、さだめし」


 そこで会話が途切れた。私は固唾を呑む。彼は含み笑いを浮かべる。そのまましばらく、私たちは発声せずに歩きつづけた。どちらがかじを取るでもなく、かといって相手に合わせることもなく、私たちは、私たち自身の無意識のおもむくままに歩を進めた。

 ほかの誰かの気配を強く感じて、私は辺りに注意を向けた。私たちは、街の中心、つまり〝おへそ〟に位置する自然公園のなかを歩いていた。


 むせ返るような恋の息吹。それがたまらなく、いい。


 公園のベンチに腰かける恋人たちは、互いの肉体を眺め合いながら、しきりに舌舐めずりをしている。視線と唾液と粘膜の共同作業。老若男女問わずの人間が恋に溺れるその世界観は、生命賛歌そのもののようで、露骨に美しかった。

 私ももっと人生をエンジョイしなくてはならないな。えりの立つような思いに駆られて、首筋が強烈にぞわぞわする。


「よかったら……座らないか? ふたりで……ベンチに。つまり……横並びに」と私は言った。


 彼は何も言わず連続してふたつ微笑を浮かべ、誘うような仕草で付近のベンチに腰かけた。私もそれにつづき、しとねに潜りこむような丁寧さで、そっとベンチに臀部でんぶを着地させた。


 私たちは、人の頭部ほどの間隔をあけて座っていたのであるが、彼は何の前触れもなく、人の頭部を半分に割ったくらいの距離まで身を寄せてきた。


 胸の高鳴り。それをいますぐ開示し表現したいという衝動。だけれど、そんなことはできない。それはそうだ。今日は私たちの記念すべき初夜なんだから。丁寧にいかなくてはならない。


「私は君にこう尋ねたい」私はおずおずと口をひらいた。「〝ねぇ、君の名前はなぁに?〟」

「……えっ……? ……〝ぼく〟ですか……? ぼくは〝十文字じゅうもんじねこ〟といいます」

「なるほどいい名前だ。だけどそれを差し置いて、君のことを〝田所たどころ〟と呼んでも?」


 〝田所〟と口にした瞬間、強烈にあいつの面影が頭に浮かんだ。しかもそれは、いちばんいいときの田所のスマイル。それゆえだろうか、頭のなかの血管がふくらみ、自分でも意図しない言葉が勃発し、刹那せつなのなかに無限のリフレインを起こしながら沈んでいった。


  ――君との思い出を永遠していく――

  ――君との思い出を永遠していく――

  ――君との思い出を永遠していく――

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