第29話

 二月二十六日

「えー、これより、平成三十二年度、S高等学校卒業式を開会します」

 教頭先生のおざなりな声がマイクを通じて体育館に響いた。

「それではまず初めに国歌斉唱を行います。卒業生、全員起立」

 ほとんどの男子生徒はワックスで髪を整え、女子生徒はいつもより濃いメイクで出席し、皆これからの未来に胸を躍らせながらも、不安が心を締めつけていた。

 保護者席には多くの人が詰め掛け、学校側が用意した椅子に座れず、立ちながら卒業生を感慨深い表情で見守っている者もいた。舞台上に掲げられた日の丸の旗を見ると、全生徒代表としてあの舞台に上がり、マサルの姿を探した入学式を思い出す。そして今日も……。俺は国家を口ずさみながら、空虚感を漂わせ舞台を向いている一クラス分のパイプ椅子を横目に見た。

 間に合わなかったのか。だとしたら、これから俺は殺人犯として……。

「全員、着席」

 そんなことを考えながら、全員と同じタイミングで席に座る。

「続きまして、卒業証書授……」

 弱まった語尾を辛うじてマイクが拾った。教頭先生は司会台から半身程はみ出し、舞台袖でカーテンの奥にいる誰かと話し始めた。

「えー、失礼しました。それでは三年b組、起立」

 まるで最初から存在していなかったかのようにa組が飛ばされた、その時だった。

「ちょっと待ってください!」

 舞台と正反対にある入場門から聞こえた場違いな声に、その場にいる全員が振り返った。それはマサルを先頭に、片手にプリントのようなものを持った、三年a組の生徒たちだった。

 慌てた教頭はまたカーテンの奥にいる誰かと話し、すぐマイクに口を近づけた。

「えー、三年b組、着席。a組……、明石マサル」

 マサルは席に座ることなく、舞台へ向かった。その姿はこれまでのマサルからは想像もつかないほど、凛としていた。

 そして一段ずつ階段を踏みしめるように舞台へ上がり、卒業証書を受け受け取ると、突然司会台の上に置いてあったマイクスタンドからマイクを抜き取った。

「ちょっと君、何やってるんだね」

 教頭先生がマイクを取り返そうとするが、舞台袖のカーテンから伸びてきた灰色の腕に羽交い締めにされ、飲み込まれるように奥へと引きずり込まれる。皆顔を見合わせ、ざわつきながらも、全員マサルの第一声に注目した。

「皆さん、遅れてしまってごめんなさい」

 マサルの堂々としつつも、どこか心もとない姿を、入学式で挨拶をした自分と重ね合わせてしまう。

「遅れてしまったのには理由があります。さっきまでずっと、夢を語る練習をしていました」

 ざわめく声が更に大きくなる。

「そして今日、この卒業式という一生に一度しかない大事な場所で、私たち三年a組の生徒皆の夢を発表させて欲しいんです。保護者の方々に集まって頂いたのも、その夢を聞いてもらうためです。この場所で発表することで、夢を叶えたいという気持ちが更に強くなって、皆がより理想の自分に近づくことができると思ったんです」

 ざわつきに負けないようにマサルの声は段々と大きくなっていく。

「おこがましいのは承知の上です。だけど、今日できなければ、皆一生後悔し続けるんです。だから、少しだけ僕たちに時間をください。お願いします!」

「「「お願いします!」」」

 こだまするように、三年a組の生徒たちの声が響く。すると、一番舞台に近い教員席に座っていた校長先生が腰を曲げながらゆっくりと舞台に上がり、マサルからマイクを抜き取った。

「ほほほ。面白いじゃないか。こういう生徒こそ、我が校が求めていた生徒よ。S高の校風に倣って、是非ともやりなさい。私の意見に異論のある者はおるか?」

 会場に響く柔らかくもしっかりと芯が通ったその声に、教員は全員俯きざわつく声も一瞬にして消えた。

「校長先生、ありがとうございます」

「ほほほ。ほら、アサイ先生、名前を呼んであげなさい」

「あ、はい」

 アサイ先生は頭を下げながら慌てて舞台に上がり、司会台に立った。

「それでは、生田五郎」

「はい!」

 威勢のいい返事とともにゴリは舞台に上がった。受け取った卒業証書を脇に挟むと、席側の舞台縁に立ち、保護者席の方に体を向ける。

「母さん。去年、俺がT大学に入れるかもしれないって言ったとき、物凄く喜んでくれたこと、ずっと覚えてる。卒業して、大手の会社に入って、母ちゃんに楽させてやりたいって、それが俺のやるべきことなんだって。ずっと思ってきた。そうやって、あのときに決めた夢を忘れようとしてた」

 腹の底から轟くように出る声は、マイクを通した教頭先生の声よりもずっと大きい。

「ジロウと父さんが火事で死んだとき、すごく苦しかった。俺も一緒に死ねれば楽だったかもしれないって思ったこともあった。だけど、俺が生き残ったのは、きっとやるべきことがあるからなんだって、天国にいるジロウと父さんにもそう言われてるような気がしたんだ。それで気付いた、もう誰にも、火事で人を亡くす悲しみを味合わせたくなって。母さんを楽にさせてあげられるのはまだまだ先かもしれないけど、T大は諦めて、俺、消防士になる。たくさんの人を助けられるように、ジロウと父さんの分まで精一杯生きるよ」

パチ、パチ、パチ……、パチパチパチパチパチパチパチパチ──。

 校長先生の一寸刻みな拍手が合図となり、それを追うように全体に拍手が広まった。舞台を下りたゴリはそのまま保護者席へ向かい、涙を流している母さんと熱い抱擁を交わした。

「ごめんね、色々考えさせてしもて。あんたの人生なんだから、あんたの好きなように生きなさい」

「母さん……」


「遠藤麻美」

「はい!」

 いつもにはない高く通った声で返事をし卒業証書を受け取ると、胸の上辺りを掌でトントントンと三回優しく叩き、縁に立った。

「お母さん、お父さん。家では言えなかったこと全部、ここで言います。私は昔からずっと絵を描いてきました。それはただ二人が喜んでくれるのが嬉しくて。だけど、上手にならなきゃいけないっていうのが、いつからかプレッシャーになって。気づけば絵を描くことが楽しくなくなってました。だけど高校に入って、ある人に出会って、絵を描く本当の意味を思い出しました。もう上手く描けなくてもいいんだって。だから、美大にも行きません。私はこれからも誰かのために絵を描き続けて、いつか色んな人を幸せにできるような画家になりたいと思います。それまで、温かく見守り続けて下さい」


「川上浩之」

「はい!」

「父さん、母さん。俺、ずっとこの先のこととか考えずに生きてきたけど、これからは、自分の人生に真剣に向き合おうと思う。もうやめたって言ってた軽音も、実はやめてなくて、今も他校の奴らとバンド組んで音楽やってるんだ。ファンも少しずつ増えてきて、まだまだ小さい箱だけど、今度ワンマンライブもできることになった。ずっと言えてなかったけど、これからも俺等の音楽を追い続けてくれるファンのために音楽やっていきたいと思ってる。いや、やっていきます」


「菊本美香」

「はい!」

 気づけば、会場にいる全員が三年a組の生徒たちの舞台上から吐き出していく言葉の一挙手一投足に釘付けになっていた。そんな中、シンはふと何かを探すように辺りを見回した後、ひっそりと席を立ち、会場を出た。


「以上、二十九名」

 三年a組全員の決意表明が終わったとき、卒業式は終了予定時刻をとっくに過ぎていた。皆鼻を赤くして保護者と抱擁を交わし終えると、生徒たちはポロシャツのボタンを外し、首元を見せ合い、更に鼻を赤くさせ涙を流した。

 そんな中、ミカを先頭に女子たちが群れを成し、アサミの前へと集まった。

「アサミ。ごめん。私たち……」

 ミカの言葉は視線と一緒に、床に敷いてあるターポリンシートに落ちる。

「いいの。私も言い過ぎたし」

 口元にいつものえくぼを作り、首を横に振りながらそっと手を差し出す。

「ありがとう……」

 ミカは顔を上げ、両手でその手を握り返した。

「なぁ、マサル見なかったか?」

 ゴリのその言葉に、皆周囲を見回す。

「ていうか、結構序盤からいなくなかった?」

 女子たちはミカの言葉に首を縦に振ると、ゴリは焦燥感に駆られるように早足で会場を出た。

「ちょっとごめん」

 集まっていた女子たちを掻き分け、アサミもその後を追う。


「どこにいるんだ、マサル……」

 中学で初めて会ったとき、掴みどころがない奴と思ったけど、どこか不思議な違和感があった。火事の後見舞いで絵を渡してくれたとき、それが内に秘めた強さだって気づいた。そして俺はその強さに救われた。今日はクラス全員が救われた。マサルのおかげで本当に大切な物に気づけたんだ。人に感謝されることに慣れてないのも知ってる。受け止めるのを下手なのも知ってる。だけど、わがままだって言われるかもしれねぇけど、今日ぐらいは俺たちの感謝を面等向かって受け取ってくれ。マサル、お前にはその義務がある。

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