第24話

一月二十六日。

 俺は上村カズマの遺影に手を合わせた後、親族席に向かって深く頭を下げた。

 死因は柿園サリと同様、心停止だった。

 これまで何百件という数の死亡現場を扱ってきて、人が死ぬということに関しては少なからず抗体があると思っていたが、自分の腕の中で彼が苦しみ死んでいく様を見て、底なしの谷へ落ちていくような感覚に襲われた。

 検査に回しているペン型の注射器の中身は未だ不明だが大体検討はつく。首元にマークは現れていないが、もしかしたら俺も同じ死に方で死ぬのかもしれない。だとしたら一刻も早く一連の騒動の真相を明らかにしなければならない。自分のためにも、そして、あの少年のためにも。

 通夜が一通り終わり、俺は上村シンと一緒に駐車場に停めてある車に乗り込んだ。

「まず電話の件は礼を言わせてくれ。でも何で分かったんだ?」

 あのとき、監視カメラには研究室を訪れたほんの五分前に裏口からビルを出た上村カズマの姿が映し出されていた。俺はすぐに上村シンに電話をかけ、心当たりのある場所を尋ね、あの公園に急行することができた。

「昔、兄さんの大学受験合格発表の日、ふとあの公園の前を通りかかったら、ベンチで項垂れている兄さんの姿を見たことを思い出して」

 身近な人を連日に渡り亡くした辛さは計り知れない。そしてそれを表に出さないよう必死に堪えている様子がひしひしと伝わってくる。

「その日は家に帰ってこなかったんです。だから、きっとあそこは、現実から逃れて一人になれる唯一の場所だったんだと思います」

 上村カズマは心身ともに追い詰められていたのだろう。死に際に見せたあの涙も、今になって少し意味が分かるような気がした。

 座席に深く腰掛け、伏し目がちな彼が醸し出す目雰囲気は、喪服の黒をより一層際立たせている。そんな彼を見て俺は迷った。寮から押収した研究書類から分かったことや、明石マサルから聞いた話を含め、これまでの一連の騒動を話すか否かを。

 全ての発端は自分の血が原因だということを知ったとき、果たして今の彼にそれを受け止めるだけの心の強さが残っているのかが分からなかった。だから……。

「刑事さん……」

 オレンジ色のルームランプが言葉を照らした。

「どうした」

「教えてください。サリも兄さんも首元に同じマークを残して、同じ死に方で死ぬなんて……。何かあるんですよね、知ってるんですよね」

 俺は腕を組み、濁すように鼻から大きく息を吐いた。

「話してください。僕には、知る権利があります」

 車内に響いた心臓を絞りながら生み出すような力のある声が、あのときの明石マサルの声とシンクロして頭を駆け巡った。やはり彼は明石マサルはどこか似ている。他の子とは違う何かを持っている。

 そして彼らと話す度、自分の中の何かが共鳴する。

 今話さなくても、いつかはメディアを通し、日本の全国民が全てを知ることになる。そしてその後は世間から非難を浴び続けることになるだろう。本当に彼のことを思うならば、ここで全てを話し、これからの彼の人生を守る決意の姿勢を彼に見せるのが、本来公人としてのあるべき姿なのかもしれない。

 そう決心し頭の中の靄が晴れていくのと同時に、話すことを躊躇していた数分前の自分を深く恥じた。

「覚悟して聞いてくれ」

 俺は内ポケットから手帳を取り出し、これまでの経緯を整理しながら一つずつ話していった。加え、押収した研究ノートを専門家に解読してもらい、これまでの捜査では知りえなかった様々なことも全て。    

「まずお兄さんの研究によると、君の血液の中には未だ誰も発見したことがない成分が含まれていたようだ。それをお兄さんはTAGと名付けた。TAGが体内に入ると首元にxのマークが現れる。また知能を向上させる効果があり、文化祭の日、君が包丁で手を切ったときに飛び散った血が一滴だけ大鍋の中に入った。その豚汁を飲んだ三年a組の生徒たちはその効果を受け、あの騒動に繋がった」

「俺の血が……」

 彼も馬鹿じゃない。俺が血の話を持ち出した辺りからいくつもの可能性を考え、大方の予想はつけていたのだろう。だが、そのどれにも当てはまらない前例のない事象に実感が湧かないのか、落ち込むとも、怒るともせず、ただ死んだ魚のような目で一点を見つめる。

「でも。その豚汁をサリは飲んでない」

 一切の血の通っていない声が無造作に吐き出される。

「あぁ。そこで新たに研究ノートから判明したことなんだが、血を飲む以外にもいくつか感染経路があるそうだ」

 そう言いながら事情聴取を行ったときのメモのページを開く。

「粘膜感染ですか」

 俺は無言で頷く。

「八月二十八日、君が初めて彼女とキスしたときに感染したとみていいだろう」

「じゃぁ、俺がサリを……」

 シンは太ももの上に置かれていた両拳でシワ一つない喪服のズボンを捻るように掴んだ後、壊れた機械のように拳で太ももを叩き始めた。

「じゃぁ何で俺は死なないんですかっ!」

 突き付けられた現実を切り裂くような鋭い語尾と一緒に尖った感嘆が車内に響く。俺は荒々しく振り落とされる拳を抑えるように強く握った。

「落ち着くんだ。TAGそのものは人を死に至らしめるものではないことが分かっている」

「じゃぁ、どういうことなんだよっ……」

 言葉が乱れ、もう正気ではなくなった彼の姿に思わず目を眇めてしまう。

「突然変異という現象を知っているか?」

 その四文字は彼の目を大きく開かせた。

 突然変異、別名メタモルフォーゼ。生物やウイルスがもつ遺伝物質の染色体の数や構造に変化が生じることを指す。

「二人とも遺体から突然変異したTAGが見つかった。研究ノートのどこにも記載されていないことから、上村カズマもこれまでは予知できなかったみたいだ」

 死人のように冷たい彼の拳をそっと握り直したとき、滴が手の甲に落ちたのが分かった。

「大切な人を亡くす苦しみは俺にだって分かる。だがここで止まってはいられないんだ。TAGの宿主である君が死なない理由を究明しなければならない。三年a組の生徒たちのためにも」

 そう言って、押収したノートをビニールパウチから取り出し、付箋をつけてあった『効果持続時間』というタイトルのついたページを突き付けるように見せた。そこには難解な数式の最後に、『百五十』という数字が書かれていた。

「専門家の協力でこの数式が三年a組の生徒が飲んだ豚汁からTAGの量を求めた数式であることが分かった。そして奇しくも、君の彼女の遺体からも同量のTAGが検出された」

「だから百五十日後の一月二十四日に……」

 唾液を飲んだシンの喉仏がゆっくり上下に動く。

「そうだ。だが上村カズマは違った。それの何十倍もの濃度のTAGを体内に入れたことで、突然変異が早まった」

 ノートを閉じ、ハンドルに腰骨を当てながら体を捩じり、彼の方に向けた。

「TAGは体内に入ってから効果が切れる最終日に突然変異する。ワクチンを作成するにしても今からでは間に合わない。宿主の君が今も生き続けているように、突然変異を止める方法が何かあるはずなんだ」

 車内は外と同じ温度なのに、脇がじっとりと汗が噴き出す。

「今日を含めて後三十三日。二月二十八日に文化祭に来ていた二人と、三年a組のクラスの生徒たちは死ぬことになる。二人を除いてだが……」

 彼は微動だにせず、ただダッシュボードを一点に見つめ、俺の言葉を浴びるように聞き続けたが、ある言葉だけが彼の耳元に引っ掛かった。

「二人を除いてって、全員豚汁を飲んだんじゃ……」

 シンはゴドウとハンドルの間を見ながら、言葉を落とした。

「あぁ。その内の一人は感染していていつが突然変異日なのかは分からない。そして、もう一人は完全に感染していない」

 シンの丸まった背中が、ゆっくりと伸びていく。

「その生徒って、もしか……」

<ピリリリリリ>

 最高のタイミングで内ポケットに入れていた携帯電話が鳴り、バイブが心臓を叩く。電話を取る緑色のボタンを押し、携帯を耳に当てると、いつもの若手警部の声が耳に飛び込んできた。

「ゴドウ警部、文化祭で豚汁と飲んだ二人組が先生の証言により判明しました」

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