第13話
十月八日。
文化祭が終わり、一週間が経った。
結局、絵画のコメント欄に入る言葉が見つからず空欄のままコンクールに提出した。
学校が決まっていない生徒達は皆センター試験に向け本格的な受験態勢に入った。そんなぴりついた空気が続く中、六限目の体育の授業はペンを置ける唯一の時間だった。
「今日、何すんだろ」
そう言いながらボタンを上から一つずつ外し、ポロシャツを脱ぐと露になったゴリの褐色の体は、高校球児なだけあって他の生徒と比べて一回り程大きい。
「さっきアサイ先生と廊下で会ったときはサッカーって言ってたけど」
そう言いながら服を脱いだヒロユキの体はうっすらとあばらが浮き出ていて、ゴリの後に見ると更に細く見える。
「またサッカーかよ」
「うちのクラスサッカー部多いから、アサイ先生も気使ってるんだよ」
「まぁゴリ、サッカー下手だもんな」
そういつものヒロユキ節が炸裂すると、ゴリは眉間にしわを寄せ、後ろからヒロユキの首に腕を回した。
「聞こえねぇなぁ、もっかい言ってみろよ」
「うそうそ、ギブギブギブギブ……」
徐々に首元に深く入っていく腕をヒロユキは必死に叩く。
「ん、何だこれ」
ゴリは何かに気づき途端に腕を緩める。その視線の先にあったヒロユキの鎖骨の辺りは、二センチ程の大きさの黒い『x』のマークが刻まれていた。
「あー、死ぬかと思った」
「ヒロユキ、お前刺青入れてんのか」
刺青という言葉に反応した他の男子生徒がヒロユキを囲み、首元を見て一斉に騒ぎ立てた。
「嘘だろ」「うわ、まじじゃん」「ヒロユキ、そんなキャラだったっけ」
「待て待て、入れてねぇーって」
ゴリがスマホのカメラで首元の写真を撮り、印籠を見せつけるようにしてヒロユキに見せる。
「……なんだよこれ。ってか」
珍しく低いヒロユキの声に全員が注目する。
「ゴリもあるじゃん」
そうヒロユキの口からゴリに向かう見えるはずのないその言葉を、そこにいた男子生徒全員が目で追うかのようにして視線がゴリの首元に向く。
「え?」
先ほどのお祭り騒ぎだった雰囲気は一転し、異様な空気が流れる。その中の一人がふと脱ぎかけのポロシャツを着た隣の生徒の首元を見た。
「おい、お前も……」
その言葉は伝染していくかのように、一人一人の口から同じ言葉が漏れていく。
「何なんだよこれ。誰かのいたずらじゃねえか」「こすっても全然消えないぞ」
「ってかこれ先生に言ったほうがよくね? 全員何かの病気にかかったのかもしれねぇしさ」
でもさ、と動揺している生徒達に覆いかぶさるように囲いの一番外側から声が上がった。
「言ったら絶対サッカー出来なくなんじゃん」
数人が目を向けると、サッカー部キャプテンのケンタロウが上履きのまま椅子の上で仁王立ちし、全体を見下ろしている。
「別に今んとこ痛くもないし、体調悪い奴もいないんだしさ」
「確かに、体動かしたいよな」
隣にいたサッカー部の連中が声を合わせた。
「全員襟付きの長袖着れば誤魔化せるだろ。とりあえず、言うのは体育終わってからで」
そう言い去ってケンタロウと他のサッカー部の連中はスパイクを片手に教室を出た。
「どうする」と言ったゴリの目は、出て行くサッカー部の奴らを睨みつけていた。
「まぁでも確かにケンタロウの言うことも一理あるよな」「いつから、あったかも分かんねえしな」「もしなんかあれば、授業中に言えばいいか」
他の生徒も何かを諦めるかのように、口々にそう吐き捨てながら各々席に戻り、着替え始めた。
「いいんじゃねそれで」
ヒロユキも長袖の体操着を頭から被り腕を通しながら、どこかゴリをなだめるようにそう言った。ゴリは納得のいかない顔をしながら、長袖の体操着を着る。
「マサル、グラウンド行こうぜ」
「ちょっとトイレ行ってからにするわ」
俺はそう言ってゴリとヒロユキからはぐれトイレに向かった。
そしてトイレに入るとすぐに手洗い場の前に立ち、喉の辺りまで上がっていたチャックをゆっくりと下げ首元を見た。
いつもグラウンドの広さの関係で試合をするときはの正規のサッカーコートの三分の二程しか使用出来なかったが、人数も最大九対九だったので丁度よかった。
試合はケンタロウのいるチームが優勢に進んだ。サッカー部員の人数は均等に分かれたが、ケンタロウと右サイドでレギュラーのレンが二人が同じチームになり、好プレーが終始炸裂した。
「初心者相手に本気になって嬉しいのかよ」
キーパーをしていたゴリは得点を決められる度、愚痴を漏らした。
そしてラストプレーでは右サイドから上げられたクロスにケンタロウの左足がジャストミートし、三点目を決めハットトリックを達成した直後、日々のストレスから解放されたように感情を爆発させ、長袖をグラウンドに放り投げた。審判をしていたアサイ先生は冗談半分で公式試合同様、笛を吹き、コーナーでゴールパフォーマンスをしていたケンタロウにイエローカードを向けた。
そのとき、ケンタロウの顔が一気に曇ったのがゴリの位置から見えた。その顔は試合終了間際にイエローカードを貰っただけではありえない気力の失い方をしていた。
「負けチームはゴール片付けて、終わったら解散」
振り返った先生顔に笑顔はなかったが、いつも通りのどこまでも突き通る声がコートに散らばった生徒達一人一人の耳に届いた。そして二人はそのまま職員室の外用出入り口へ入っていった。
「ヒロユキ、もう一枚もらうぞ」
そう言ってゴリはミントの香りの制汗シートを一枚取り、腹を拭いた。首元には相変わらずxのマークが刻まれている。
「使いすぎだろ、ティッシュじゃねえんだぞ」
後で返すからと軽く流して、ゴリは話をつづけた。
「あれはバレたな。絶対にバレた」
「勘違いだって。興奮してカード貰ったときに暴言でも吐いたんだろ」
着替え終わったヒロユキは戻り際に買ったエナジードリンクを口に流し込んだ。
「だとしたら、わざわざ裏で怒るか? マサルはどう思う? お前もあの時近くにいたよな」
正直あまりその場面を見ていなかった俺は当たり障りのない返事をした。直後、更衣室で着替え終わった女子達が続々と教室に戻ってくる。
「ちょっと、ゴリ、早く服着て……」
憶測話に熱が入りすぎたせいでまだ着替え終えていないのはゴリだけだった。最後に入ってきたミカが女子の声を代弁するかのように言ったが、どこか歯切れが悪かった。ゴリはポロシャツを手に取り腕を通していると、ミカが無言のままゴリに近づいた。ヒロユキはマサルの肩に手を置き、いつものニヤけ顔で「急展開きたー」と俺の耳元で呟いた。
「な、なんだよ、恥ずかしいな……」
ミカは首を伸ばすようにして、ゴリの首元を見た。
「この首元のマーク、いつからあるの」
「い、いつって。今日気づいたら……」
今日……、とゴリの言葉をなぞるように言った。
「実はさ」
ガラッ。
そのミカの言葉に覆いかぶさるように勢いよく教室の扉が開き、先生とケンタロウが教室に戻った。その二人の重苦しい空気を察したゴリは急いでボタンを留め席に着いた。
教壇に立ったアサイ先生の鼻息は荒く、持っていた黒色の出席簿を教卓に叩きつけるようにして置いたとき、一気に教室の空気に緊張が走った。
「皆に言っておきたいことがある、特に学校が決まってない奴はよく聞いてくれ。皆、毎日受験勉強で大変だと思う。高校生のとき、先生もそうだった。それで色々とストレスを感じることもあるだろう。だけどな、そのストレスを間違った方法で発散しちゃいけない。ましてや」
青筋を立てながら話す先生の目が不貞腐れて座るケンタロウを捉える。
「刺青を入れるなんてありえないからな」
終礼が終わり、アサイ先生が教室を出た後も重い空気が尾を引く中、気が気でなかったゴリは早々にその沈黙を破った。
「お前、俺たちのこと……」
「言ってねぇよ」
ケンタロウが食い気味で返事をする。
「やっぱり皆でアサイ先生に言いに行った方がいいんじゃ」
教室のどこからか男子の声が上がる。
「無理だ。もうあいつには何言っても意味ねぇよ。他の先生も同じような目だった。そんな病気あるわけないって、人の話聞こうともしねぇ……」
ケンタロウは軽く舌打ちをして天井を見た。
「入れてねぇのに、どうやって消せばいいんだよ」
その姿を見たミカは化粧ポーチからコンシーラーを取り出しケンタロウへ近寄ると、それをマークの上に塗った。
「私と肌の色近くて良かったね。とりあえず、明日だけ乗り越えれば大丈夫なんでしょ」
「……おう」
その声は知らない大人の前に立った子供が出すような軽い声で、それを見たゴリの目は先程のアサイ先生と近い何かがあった。
「実はさ、私たちもさっき更衣室でこの話になって……」
そう言いながらミカはポロシャツのボタンを上から二つ外し、鎖骨に刻まれたマークを見せた。それに続き、サリも立ち上がり同様に露にし、ゆっくりと口を開く。
「私は一か月前ぐらいからで、他の女の子は文化祭終わった後ぐらいらしい」
文化祭……。何故か、マサルの耳にその言葉が不自然に引っかかる。
「やっぱり言いに行かね? 皆で言えば先生も信じてくれるでしょ?」「でも、それで検査して何もなかったら?」「俺ら全員刺青扱いにされるんじゃ……」「だとしても、全員が同じ場所に同じ刺青入れる?」「それでも体に異常がなかったら、何の証明のしようもないよね……」
クラスのあちらこちらから男女の声が入り混じる。
「サリ、まだ病院に行ってないのか?」
ゴリの問いかけに小動物のように小さく頷く。そして数秒の間を置いた後、度重なる不毛な議論に終止符を打つようにゴリは皆に向かって声を放った。
「とりあえず先生達に言う前に各自病院に行って検査してもらおう。異常があれば病気の印だと証明できるし、なければ卒業までの数ヶ月皆で隠し通すしかない。それが内申点にも影響しない、この一件を穏便に済ませる一番の方法だと思う」
そのゴリの呼びかけに皆黙って頷き、誰も異を唱える者はいなかった。
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