第55話 眠る貴女にファンサービス


 ――麗子は望まれずに生まれた子供だった。


 父親の記憶はない。

 麗子が生まれてすぐに家を出て行ったらしい。


 母親の記憶はロクなものがない。

 殴られ、蹴られ、なじられ、満足に食事も与えられない。身体も心も踏み躙られる毎日。


『アンタさえ生まれてこなけりゃ良かったのに』


 それが母親の口癖だった。  

 でも、そんな母親と同じくらいに麗子が気に食わなかったのが、搾取され続ける私を知りながら遠巻きに見守る、自称善良な市民たち。

 優しい言葉なんていらねえよ、心配なんか意味ねえんだよ、見てる時間があったなら、今すぐこの女を殺してくれよ。

 

 でも、誰も助けてくれないまま、時間だけが過ぎていった。


 そして中学三年の冬。いつものように私を踏みにじるあの女を、初めて両の拳で、ボコボコにしてやった。

 何のことは無い。最初からこうしていれば良かったのだ。


 私が解放される手段は、こんな簡単で、こんな身近にある暴力あくだった。


 あの時助けてくれなかった善良なんて糞くらえ。

 あの日の私を救ったものは悪行だった。


 それが遠野麗子という女の根底。信念。矜持きょうじ


 愛されず、邪険にされ、社会から孤立し、殺されなかった事だけが唯一の幸運だった女。

 愛なんて知らない。大嫌いだ。

 あいつもこいつも、お前も、世界中の全員が大嫌い。


 そういう人間だったのだ。


 私は……なのに。


 目の前で歌い踊る二人のアイドルから目が離せない。

 胸が熱い。脳の真ん中が痺れるように甘い。


 本能で分かる。これが、生まれてから今まで、一度も私に注がれることのなかった――愛。


「これが、あなたがおとしめ、けがそうとしたアイドルよ! アイドルを思い知りなさいっ!」


 歌い終わった後、黒帳美夜というアイドルが、私だけに向けた言葉。

 責めている言葉並びなのに、それは愛の詰まったファンサービスなのだと理解する。


「――――ああ、もっと早くに知っていればなぁ……」


 その後、私は生まれて初めて満たされた心を抱きしめ、静かに警察に連行されるのだった。



 □■


「アイドルとして覚醒したわね」


 モニターで美夜とハルカのステージを見守っていた学園長――西園寺瞳子さいおんじとうこは満足げに頷く。


「そうですね、学園長。これで星空ハルカの足枷は無くなりました。きっと、彼女はエターナルスター学園……いえ、日本を代表するアイドルに――」


 横に控えていた秘書が、瞳子の言葉に同意する。しかし、


「――そうじゃないわ」

「え?」


 秘書の気まずそうな表情に、瞳子はクスリと笑う。


「確かに星空も素晴らしい。でも、今回の件で、最もアイドル力を輝かせたのは、誰でもない、黒帳美夜よ」


「黒帳ですか? でも、彼女はもともとトップスターで、スタープリマ。その彼女が覚醒なんて……」


「そう、そこが黒帳の恐ろしいところ。あの子はね、で、最年少スタープリマになったのよ」

「な、そんな、まさか!?」


「理由は分からない。でも、今までの黒帳は、何か大きな目標のため、遥か遠くを目指してアイドル活動を行っていた。その孤高は確かに彼女の魅力でもあった……」


 でもね、と瞳子は言葉を続ける。


「今までの黒帳のステージは、悪く言えば独り善がりな愛だった。でも、今回の事件に真剣に向き合ったことで、彼女は変わった。遠くの誰かじゃない、目の前の誰かのために歌う……その大切さを初めて知ったのよ」


「それが、黒帳美夜の覚醒……?」


「そうね。そして黒帳のその変化は、ファンの心にダイレクトに伝わるでしょう。ステージにおける黒帳のアイドル力は、今までの比ではなくなる。それこそ世界……いえ、時代を代表するアイドルにだって成れるに違いない」


 爛々と輝く、瞳子の野心的な瞳に、秘書は頼もしさと、それ以上の戦慄を覚える。


「さあ喜びなさい。今日が、新たな大アイドル時代の幕開けよ」



 □■


「あの、美夜さんは?」

「ああ、ロケ車で眠ってるよ。今回の企画のために、徹夜で走り回ってたみたいだからね」

「そんな、美夜さんが私のために……」

「恩着せがましくしたいわけじゃないんだけどね。ハルカ君にも見せてあげたかったな、あれだけ必死な美夜くんは中々見れないだろうからね」


 クレアさんは話してくれた。

 方々に頭を下げて走り回ってくれた美夜さんの姿を。


 スタープリマとはいえ、一人のアイドルから持ち込まれた突然の企画。しかも内容は際どい。タイムスケジュールなんて滅茶苦茶だ。

 常識的に考えて、通るはずのない企画。


「それでも、その無茶を通すために、ハルカくんを助けるために、駆けずり回るスタープリマの姿にみんな思うところがあったんだろうね」


 クレアさんは言った。

 それまでの美夜さんとは違うなりふり構わないその姿に、心打たれた大勢の人。その人たちのお陰で、この弾丸企画が動き出したのだと。


「だからって、美夜くんに会うときは自然体でね。きっと、その方が喜ぶから」

「でも、私、どんな顔して美夜さんに会えばいいのか。私はアイドルなのにすっかり騙されて、皆さんに迷惑かけて、それにあんな契約書にサインまでして……」


「契約書って、これのこと?」


 クレアさんが私に麗子さんと交わした契約書を渡す。


「ハルカくん、それを読んでみなよ」

「読むって、コレをですか?」


 正直読みたくない。きっと、目を覆いたくなるようなことしか書いていないはずだから。

 でも、目を反らしちゃダメだ。美夜さんが救ってくれたアイドル生命に掛けて。

 戒めとして、二度と間違いを犯さないように。


 私は、心を落ち着かせて、ゆっくりと契約書に目を落とす――って、あれ?


「雇用契約書…………星空ハルカを下記条件で雇用する。星空ハルカは、エターナルスター学園で全力でアイドル活動に取り組むこと。そして――エターナルスター学園の女王、黒帳美夜と同じスタープリマになることを誓います」


 あはは、全然読んでなかった。というか、麗子さんも気付いてなかったし。

 私たちホント美夜さんの手のひらの上だ。


「美夜くん、芸が細かいだろ? というか、最後の誓いますって、まるで運動会の選手宣誓みたいだよね」

「ほんとだ……ふふ、変なの……でも、すごく嬉しいです……」


 きっと美夜さんは、私が契約書にサインすることで悲しまないようにって、こんな偽物の契約書まで用意して、アイドルである星空ハルカの心を守ってくれたんだ。


「美夜くんらしいよね。とにかく、感謝しているのならちゃんと直接お礼を言うんだね。それと……あの姿は見なかった事にしてあげてほしいかな」

「あの姿?」


 ゆっくりと、音をたてないようにロケ者に乗り込むクレアさん。その後に着いていくと、そこに居たのは奥の座席で、お腹を出して眠っている美夜さん。


「あはは、いつもの美夜さんだ……」

「あの姿を〝いつもの美夜〟とキミは言うんだね。確かに、美夜くんにとってキミは特別なアイドルなのかも知れないな」


 クレアさんはそう笑うと、「ボクはちょっと獰猛な怪獣の相手をしなきゃいけないから行くね」と言って、今度は苦笑いを浮かべてバスを降りて行った。


 すると、外から何やら――



「うがーーーー、放して下さーーーい! 美夜ちゃんの貞操が、純潔が、あの一年に汚されますうううう」


「はいはい、ひかりさん。落ち着いて下さいな~。というか、わたくし『美夜×ひかり』はかなり堪能したので、少し『ハルカ×美夜』も味見してみたい今日この頃なのですわー」 


「酷いですー。マリアちゃんの裏切り者~」


「まぁまぁ、いいじゃないか。正妻はひかりくんなのは間違いないんだから。それに、キミは十年も美夜くんのそばに居たんだから、今日くらいはいいじゃないか」


「嫌ですぅぅぅ。断固拒否するです~。あの一年は泥棒猫の匂いがするです! 事件です! これは事件なんです~!」


 ――何やら、騒ぎになっているような気がするけれど。よく聞こえない。うん、よく聞こえないな♪


 なので、私は美夜さんを起こさないように、静かにゆっくりとその寝顔へと近づいていく。


 あ、お腹ポリポリ掻いた。あ、よだれ。


「ふふ、美夜さん、可愛い」


 誰よりも格好良く、美しくステージで舞い踊る美夜さん。

 誰よりも格好悪く、ハンバーガーを頬張って逃げ出してしまう美夜さん。


「本当に不思議な人だなぁ」


 黒帳美夜という人物が、まるで二人いるみたいだった。

 どちらが本当の美夜さんなのか、とか言うつもりは無い。


「言うつもりはないけど……美夜さんは、頑張り屋さんで、少し見栄っ張りで、いつも無理しちゃう人だから、心配なんだよね……」


 だから、こんな風に。

 お腹出して、よだれ垂らして寝ている美夜さんは本当に貴重で……。


「でも、私だけには、いつでもこんな姿を見せてくれるようになってくれたら……」


 嬉しいな……なんて。


 日曜日の昼下がり、たまの休み、カーテンを揺らすそよ風の中。私の見てる前でも、こうやってお腹を出して眠ってもらえるような。そんな関係。


 でもそれには、美夜さんと同じくらい……ううん、きっと美夜さんよりも凄いアイドルにならないと駄目なんですよね。


「私、星空ハルカは、そんなアイドルになります。だから、少しだけ待っていてください、美夜さん」



 眠る貴女にファンサービス。

 感謝と憧れと、ほんの少しの抑えきれない感情を込めて……私は眠る美夜さんの頬にキスをした。

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