第43話 彼女がアイドルを辞めた理由

 夜の闇の中、私は星空カフェへの道を走る。

 街はクリスマスカラーに煌めいている。でも、そんな誰もが浮足立つような輝きも、今の美夜の瞳には映らない。



『――星空は、エターナルスター学園を辞めたわ……』


 ライブが終わってすぐに学園長に詰め寄った。

 そして聞かされたのは、目の前が真っ白になるような絶望。

 私は着の身着のまま会場を飛び出した。


 走る。走る。走る。

 そうして見つけたのは、星空カフェの前で私を待つハルカちゃんの姿。


「そろそろ来る頃だと思っていました、美夜さん」

「ハルカ……どうして……なんで……」


 少し歩きながらお話ししましょう。と、ハルカちゃんはテイクアウト用のカップに甘くて温かいカフェモカを淹れてくれる。


「私、コーヒーは基本ブラックなんだけど……」


 何から話したらいいのか分からなくて、最初の一言は結局そんなもの。


「でも本当は甘いのが好きなんですよね? ハンバーガー食べてた時、トレーにミルクとガムシロップが二個ずつ乗ってたの私知っているんですよ」

「う……それは……」

「この前、一緒にお茶した時も、ブラックコーヒーを飲みながら、ちらちらとテーブルのミルクとシロップを物欲しそうな目で見てましたよね?」


 本当は苦手なブラックコーヒーを美夜様の真似をして飲んでいること、完全に見抜かれていたらしい。


「ホント美夜さんってカッコ付けたがりなんですから。でも、たまには良いじゃないですか。こんな夜なんですし……」


 こんな夜とは何を意味しているのだろう。

 答えのないまま、カフェモカを手に夜の道を歩く。


「エターナルスター学園を辞めたって、どうして……何があったのハルカ?」

「あはは、やっぱり聞いちゃいますか? ですよね、聞きますよね、普通」


 聞かれたくなかった。でも、聞いてほしかった。

 そんな複雑な声。


「実は、家に借金があるんです……」

「っ!?」

「星空カフェは元々おじいちゃんが開いたカフェだったんです。それをパパとママが継いで、その時に改装した借金があったんですけど……」

「でも、返せないくらいのお金をかけて改装だなんて……」


 そんな無謀なことをするような両親だとは思えない。


「はい、十分に返せる額の借金だったはずなんです。でも……」


 言葉を詰まらせるハルカちゃん。


「最初は良かったんです。おじいちゃんが引退した時に離れてしまった常連さんや新規のお客さんも少しずつ増えていって、古い商店街にひっそり佇む隠れ家カフェとして雑誌に紹介されたり……」


 雑誌に紹介。それは当然だ、あれだけ素敵なカフェ、人の目に留まらないはずがない。


「……でも、ある日から急に口コミサイトに悪い評価ばかり書かれるようになって……」

「そんな、何で……」

「分かりません。でも本当に星空カフェの接客とか料理とかを、お客さんが良くないと思ったのなら仕方ないと思うこともできました。でも、口コミのほとんどが、本当はお店に来てすらいないんじゃないかっていう明らかな嘘ばかりで……」


 ハルカちゃんが言うには、カフェに無いメニューについてのクレームや、実際には起こっていない接客トラブルについて書かれることも数えきれない程だったらしい。


「それで少しずつ客足が遠のくようになって、それでこのままじゃ取り返しのつかないことになるかもしれないって……だからお父さんが嘘の口コミを書いている人を見つけようって、お店の常連だった弁護士さんに頼んで……」

「それだったら、犯人は見つかったんでしょう? そうしたら損害賠償とか……」


 だが私の言葉にハルカちゃんは力なく首を横に振る。


「犯人の人は、賠償金の支払い能力が全く無い人だったんです。親族もいないらしくって……うちのカフェを狙ったのもたまたま雑誌に載っていたのが目についたからだって……どこでもよかったって……」


 悔しさに涙をこぼすハルカちゃん。


「だから賠償金も貰えなかったし、実際に物を壊したり人を傷付けたわけじゃないから、犯人の人も大した罪にはならないって……でも、弁護士さんには費用を払わなくちゃいけないから……」

「それで、更に経営が苦しくなったのね」


 賠償請求はあくまで相手に支払い能力があって初めて意味を成す。相手が無一文であれば無意味同然だ。

 元々あった改装費用に、売り上げの悪化、そこに弁護士費用。

 経営が苦しくなるのも当然だ。それに……。


「でも、お店の経営を苦しくしているのは……私のせいでもあるんです……」

「ハルカちゃん……」

「エターナルスター学園の学費は普通の中学校よりずっとずっと高いんです。――って、あはは美夜さんが知らないわけないですよね。だってエターナルスターの女王……ですもんね」


 ハルカちゃんに、そんな事情があったなんて。

 私は、全然知らなかった。


「だから学園を辞めたのね」

「はい。両親には猛反対されました。お店なんてまた作ればいい。貸店舗だってバイトだっていいから、一からやり直せばいい。ハルカの夢が何よりも大事なんだって……」


 ハルカちゃんは、苦しそうに呻きながら話す。

 両親が自分のために星空カフェを手放す決断をしたのだと。


「でも、あのお店はパパとママの夢なんです。おじいちゃんの代からずっと続いてる大切な場所なんです」


 ハルカちゃんの頬を流れる涙が、星の光を反射する。

 綺麗で残酷な光。

 

「パパは子供の頃からおじいちゃんのお店を継ぐことを目標に頑張って来たんです。ママだって、元々は星空カフェの常連さんで、パパと結婚して星空カフェで働ける今が何よりの幸せなんだって……いつも笑って話して……」

「ハルカ……」

「だから、私にはパパとママの夢を奪ってまでアイドルを続けるという選択肢はありませんでした」


 気を抜いたら、今以上にあふれ出してしまいそうな涙を拭って、ハルカちゃんは言葉を続ける。


「だって、人に夢を魅せるのがアイドル。もし誰かの夢を奪ってしまったら、きっと私はアイドルでいられなくなってしまうから……」

「……それは…………」

「初めてパパとママと大喧嘩しました。最後は私が無理を通した感じです」


 てへへと、力無く笑うハルカちゃん。

 その無理やりな笑顔を見て、私はやりたいことがやれずに幕を閉じた前世の悔しさを思い出す。

 悔しい。悔しいよね。

 ハルカちゃん……その気持ち、全部だなんて言わないけど……私も少しは分かってるつもりだよ。


「ハルカ……」


 自然と、吸い寄せられるように、自分の身体がハルカちゃんを抱きしめようと動く。

 でも、そんな私の身体をハルカちゃんは押し留める。


「ダメですよ。もし、今、美夜さんに抱きしめられたら決心が揺らいじゃいそうで……」


「揺らいだっていいじゃない! わ、私、ハルカちゃんが居ない学園なんて嫌だよ! ハルカちゃんがエターナルスター学園に来てくれるの、一緒にアイドル出来るの、ずっとずっと楽しみに待ってたんだよ!」


 原作の設定とか考えている余裕はなかった。

 美夜様の殻が崩れていく。


「そうだよ、お金なら私が何とか――」

「それは駄目です。それは違います」


 私の申し出を、真っすぐに、信念を持って拒絶するハルカちゃん。


「心配しないで下さい、私だってただ諦めたわけじゃないです。エターナルスター学園には高等部だってあるじゃないですか。今は無理でも、家族で一生懸命頑張って、それで借金を返し終わったら、いつか、また美夜さんと同じエターナルスター学園に……アイドルに戻ってみせますから……」

「ハルカ……」



「だから学園で待っていて下さい。私、絶対にアイドルを諦めませんから!」



 ――満天の星空に照らされる、星空ハルカの強気の笑顔。


 でも、その笑顔が嘘だということに、私はがすぐに気づいてしまった。

 私に心配させないための、精一杯の強がりなのだと。


 ハルカちゃんを愛しているからこそ、残酷にも彼女の嘘に気付いてしまう。


 恐らく、学生時代の数年を費やしたところで返し切れる額の借金ではないのだろう。

 ハルカちゃんの声が、指先が、心が、今にも張り裂けそうに震えているのが伝わってくる。

 不安で、不安で、泣き崩れそうになる身体をギリギリのところで支えている。


 ああ、分かる。分かるよ、ハルカちゃん。

 どうしようもない理不尽で夢を諦めなければならない痛み。

 悔しさも。悲しさも。

 天に向かって叫びたくなるような怒りさえも。

 私は知っているから。

 前世で生まれてから死ぬまで、ずっと味わってきた。それは私のよく知る痛みだから。



 □■


 ハルカちゃんを家まで送った後、私は冷めきったカフェモカを一気に飲み干す。

 寮に戻る足取りは、徐々に早く、感情のままに力強く動く。


「どうして、どうして星空ハルカが学園を去らなきゃいけないの。どうして、ハルカちゃんほどのアイドルが夢を諦めなければならないの?」


 だから――。


「――アイドル、星空ハルカは私が絶対に助けてみせる」


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