第18話 とある怪物の誕生……かもしれない日

 私──天乃あまのマリアは今でもあの勝負を思い出すと身体が震えてしまう。

 それほどまでに、美夜さんとの戦いは、あの出逢いは、私に世界を壊すほどの衝撃だったのです。



 ──あの時の私は、自分でも驚くほどに『アヴェ・マリア』を完璧に歌い上げた。


 会場が静まり返っている。

 この空気が動き出すまで、あと10秒はかかるだろう。

 止まった時間。

 私は、自分の歌で作り上げたこの静寂が、何とも言えないほど好きだった。


 その時に思っていたのは、無謀にもこの天乃マリアに歌で勝負を挑んできた美夜さんのこと。


 勝負には勝った。

 元々彼女には万に一つの可能性しかなかったのに、体調不良という不運によって、そんな砂粒のような奇跡すら摘み取られてしまった。


 だからこの後にあるのは、一緒にオペラ歌手を目指すというあの約束の話だけ。


 黒帳さんは約束を違えるような人ではない。

 きっと、約束通り私と一緒にオペラ歌手を目指してくれる。


 ……それにきっと、もう一度お友達にだってなれる────はず。


 一つだけ心配なのは、美夜さんとひかりさんの心が折れてしまっていないか。

は一度や二度じゃなかったから。


 圧倒的な実力差を前に、歌を止めてしまったお友達をたくさん見てきた。

 最初は友達になろうと話しかけてくれた子も、レッスンをしていくうちに、私を煙たがるようになった。


 ──視線を合わせてくれなくなった子。

 ──何か恐ろしい怪物でも見るような視線をぶつけてくるようになった子。


 はかない。

 夢も。

 友達も。

 すぐ消えて、何も残らない。


 でも、美夜さんとひかりさんからは、今までの子達とは違う何かを感じた。

 私と同じ才能?

 それとも心の強さ?

 分からない。分からなかった。


 でも、その正体がアイドルなんてモノを目指している、志の低さからだと知った時には泣きたくなった。

 この子達は、見ている景色があまりにも低いから、だから今までの子達とは違うように感じたのだと……。


 でも、これからは私が正しい道に導いてあげよう。

 友達として。

 そうすれば、もしかしたら親友と呼ばれる伝説上の関係にだってなれるかもしれない。

 歌のレッスンが終わったら、美夜さんとひかりさんと一緒にクレープなんて買い食いしちゃったり……まぁ買い食いだなんてはしたない。

 でも、憧れてる。


 友達。親友。

 周りにいるのはいつも大人ばかりだったから。

 同い年くらいの女の子と仲良くなりたい。

 それが私の小さな夢。


「その夢がもうすぐ叶うんですね……」


 そんな妄想に捕らわれている内に、ひかりさんの出番が近づいてきた。

 ひかりさんも歌はずいぶんと上達したけれど、私には遠く及ばない。

 唯一、可能性があった美夜さんも、あの体調では普段の半分も力を出せないはず。


 だから、私は安心していた。

 最初の友達とのお出かけはどこが良いかなんて計画したりして。


 でも──

 

『えー次の歌姫ちゃんは東京都からお越しの日野ひかりちゃん! 曲は……って、え? 変更!? いや、どういうこと?』


 スタッフからの指示で司会の人が慌てている。


『え、いいんですか? プロデューサーの許可……面白いからいいって? そういうことなら、このまま続けますよ!』


 そして次の瞬間、スピーカーから響いた司会の言葉に、私の考えが甘かったことにようやく気付く。 


『では、改めまして。次の歌姫ちゃんは東京都からお越しの、日野ひかりちゃん! ……と、同じく東京都からお越しの黒帳美夜ちゃんで──』



『──曲は人気絶頂でありながら電撃引退した伝説のアイドルユニット。カレイド☆ステラの名曲。STAR☆LINEっ!!!』



 曲紹介とともに流れてきたのは、当初予定されていたアヴェ・マリアとは全く違う、明るく軽快なポップミュージック。

 最初は何を軽薄な、と思ったけれど、不思議とこちらまで楽しい気分になってしまうようなメロディ。


 そして――。


 徐々に盛り上がる前奏と共に現れたのは、お揃いの可愛らしい衣装に身を包んだ美夜さんとひかりさん。

 美夜さんは紫、ひかりさんは黄色。

 沢山のフリルに、背中には大きなリボン、頭には綺麗な花飾り。

 派手で、機能性に欠けていて、スカートは短くて、何てハレンチな服と思ったのに……でも、可愛い。目が離せない。


 美夜さんに手を引かれるひかりさん。

 まるで草原でも走るかのようにステージに舞い降りた二人の天使。


 歌が始まる。

 まずはひかりさんのソロ。上手い。

 それに可愛い。

 ひかりさんの明るくて無邪気な人柄が、歌に乗って心に響く。

 次に美夜さん。

 やはり上手い。けれど本調子でないのはすぐに分かる。今は低めのパートで何とか歌えているけれど、ずっとこのままというわけにはいかないだろう。

 でも、高いパートに差し掛かった時、間髪入れずにひかりさんが美夜さんのフォローに入る。

 完璧なタイミング。

 今の美夜さんの声では届かない音を、絶妙な声量と音域でカバーしている。

 

「なんで……どうして……」


 今日この場で二人が唄う曲は違ったはずだ。

 なのに、即興で、何でここまで出来るのか。


 でも、私が心を奪われたのは歌だけじゃなくて──。

 それは二人の息の揃った完璧なダンス。


 柔らかくしなやか、でも時に激しく、

 笑顔で、切なく、勇気づけるように、

 コロコロ変化するパフォーマンスの色に、感情が揺さぶられる。


 どうして。

 いつの間にこれだけの練習を?

 いやそうじゃない。一朝一夕のものではない。

 それに例え長時間練習したところで、誰もがたどり着ける域じゃない。


 会場の全ての人を笑顔にしたいという揺るがない信念が伝わってくる。


 でも、それよりも何よりも、私がもっとも心を打たれたのは、

 美夜さんとひかりさんの間に溢れる、圧倒的な信頼。


 互いを想う心。

 こんなにも美しいものだったんだ……。

 

 今わかった。

 これが、これこそがずっと私が追い求めていた夢のカタチなんだ……。



 □■


「この天乃マリア、とても、とっても感動しましたわーーーーっ!」


 何とか歌い終えた私とひかりちゃんの元へ、ひどく興奮した面持ちのマリアちゃんがダッシュでやってくる。


 ちなみに番組は収録中。

 慌てるスタッフさん達。

 でも、そんな事にはお構いなしとマリアちゃんは一気に捲し立てる。


「こんな、こんな世界があったなんて! どうしてアイドルの素晴らしさをもっと早くに教えて下さらなかったのですか!?」

「いや、教えようとしたけどマリアちゃんが、アイドルなんてくだらな──」

「誰です? アイドルをくだらないなんて言う不届き物は? この天乃マリアが成敗してくれますわ!」


 いやいや、アナタですよアナタ。

 とは、さすがに言わずに興奮冷めやらぬマリアちゃんの言葉にじっと耳を傾ける。


 マリアちゃんは、私とひかりちゃんのパフォーマンスがどれだけ素晴らしかったか。歌が、ダンスが、二人の信頼関係が等々、身振り手振りを交えて一生懸命話してくれる。

 そして、その勢いが一段落したところで、


「というわけで、私もアイドルになりますわ!」


 唐突に、あっさりと、そう宣言するマリアちゃん。

 あまりに急すぎて一瞬何を言われたのか理解できなかった。


「え、本当!? でも、勝負の結果はまだ……」

「勝負なんて関係ありませんわ! だって、アイドルには私の追い求めていた理想、夢の世界が広がっているのですから!」


 ん、あれ? ……なんだ?

 夢? 理想? マリアちゃんの話が急に飛んだような……。


「美夜さんとひかりさんの信頼、友情……いえ、アレこそが親友というものなんですね! 見つめ合うお二人の濡れた瞳に、私は今まで感じたことのない興奮を覚えましたの!」

「そっか……私たちの想いちゃんと伝わったんだね……って、興奮を覚えた? 濡れた瞳って何!?」


 なんか表現がイヤらしくない?

 ってか、濡れた瞳なんてした覚えないんだけど?


「だから世の中の人々はアイドルに熱狂するのですね! そしてアイドルの世界に足を踏み入れれば、美夜さんとひかりさんのような、何人なんぴとも間に入ること叶わぬ熱く濡れそぼった情熱で結ばれたカップルが沢山見れるんですよね!?」


 その美しい瞳を、ぐるぐるとハート色に濁らせて、マリアちゃんは鼻息荒く語り続ける。


「ちょ、ちょっと、濡れそぼった情熱とか言い方! 言い方ぁぁぁ! カメラ回ってるよマリアちゃん! これ生放送だよ!!!」

「見れるんですよね!? 間近で! 生で!!!」


 聞いてねぇぇぇぇぇぇ!!!


「というわけで、改めて宣言させて頂きますわ」


 と、ゆっくり息を吸ったマリアちゃんは、祈るように両手を組んで言葉を続ける。


「私、天乃マリアは、美夜さんとひかりさんと一緒にアイドルを目指すことをここに誓います! ……あ、ご安心を。お二人の間に入るつもりはありませんから、私のことは壁や空気、概念の様なものだと思ってくださいな♪」



 ──こうして二人目の未来のスタープリマ、【妖精の恋歌】天乃マリアちゃんのアイドル勧誘作戦は成功した。


 ……成功したのだけれど。


「やはりちょっと、何かが違う気がする……」


 ……ま、いっか。

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