第2話 ゲームに夢中になっていた私は、背後から近づく強盗に気付かなかった

 ――私が死んだあの日。


 あの日も私は死んでいた。

 生きてはいたけど死んでいた。



「――ふふふ……三万以内でコンプできるといいなぁ……あはは」


 そこは夜のゲームコーナー。

 死んで腐った魚の目で、女児向けアイドルゲームに百円を入れ続ける女は誰でしょう……はい、私、黒岩くろいわ宮子みやこです。


 そこは昼間なら子連れの親子で賑わいを見せているであろう、駅前商業施設に併設されたゲームコーナー。

 けれど今は誰もいない。死んだ魚な私だけ。

 それはそうだ。今は夜の十時前、ゲームコーナーはもうすぐ閉鎖なのだから。


「今日は比較的早く仕事が終わったからなぁ……次にいつ来れるか分からないし、今日中に第四弾コンプしちゃいたいなぁ……」


 子供用に作られた小さな椅子に腰かけた私は、女性にしては大きい身長をいびつに丸めて画面を凝視する。


 一枚……二枚……三枚……四枚……。


 操作パネルに山積みになった百円が、次々と筐体きょうたいに吸い込まれていく。

 その度に出てくるアイドル衣装のカードを確認しては一喜一憂して、減りゆく百円の隣に積み重ねていく。


 このゲームは本来であればアイドルのライブ映像に合わせて、タイミングよくボタンを押していく――いわゆる音ゲーなのだが、私はゲームをせずにカードだけを連続で購入していた。


 もちろん、本当だったら私もゲームしたい。

 可愛いアイドルのライブ映像に興じたい。

 でも時間が無い。体力も無い。


 ゲームもせずに連続購入し続けて詰み上がったカードの高さは、優に十五センチは超えていた。

 それでも、死んだ魚な私が手を止めることはなかった。



 ──女児向けアイドルゲーム『カレイドプリンセス』

 

 略して『カレプリ』


 プレイヤーはアイドル学校に入学して、様々なアイドル衣装のカードを集めながら、ステージを行い、ファンを集め、トップアイドル――スタープリマを目指すというストーリーだ。


 主要ターゲットは小学校低学年女児。

 土日であれば筐体の前に人だかりができるほどの盛況ぶりで、アニメの主人公である星空ハルカちゃんは、流行語大賞にノミネートされたこともあるほどの大人気キャラだ。

 もちろんアニメ化もしている。


 毎日残業で、アニメをリアタイで観られたことないけど……。



「――お、やった、SSR出た……。えへへ、エンジェリックピンクチャームのワンピースだ。あは、可愛い……ホント……可愛いなぁ……ぐすっ……」


 何だか分らない。嬉しいはずなのに……分からないけど泣きたくなる。

 でも、泣いてる場合じゃない。もうすぐ閉店の時間だ。

 第四弾のSSRは残りあと一枚。

 頑張って排出しないと。


「次にいつ来れるか分からないんだから……」


 何度目になるか……同じセリフが漏れる。

 毎日毎日、残業に追われる日々。朝七時に出社して、帰宅が午前様になることもザラだった。


 ――九時五時終わり?

 ――定時?

 ――有給休暇?


 何それ、私の辞書には載ってない。

 私にとっては別世界の言葉のようだ。


「もう辞めたいな……」


 無意識に口が動く。

 いや、ダメだ……私が辞めたら、会社のみんなに迷惑が掛かるよね……。

 先輩からは期待もされてるし。

 もう……どうしたらいいのか分からないや……。


「あ、最後のSSR……ゴシックマカロンの月夜のドレスだ……可愛いなぁ……。しかもモデルアイドル、美夜様だぁ~。尊い。尊すぎて自分が矮小。辛いわぁ」


 ちなみに美夜様というのは、カレプリにおける私の推しアイドル、黒帳美夜様のことだ。

 トップアイドルにして、主人公である星空ハルカちゃんを導くカレプリの女王。

 中学生とは思えない大人びた言動と、クールビューティーさがたまらないんだよね。


「うっへっへ。月夜のドレスを身にまとった美夜様のカード。最高に美しすぎるわ~」


 月夜のドレスは、美夜様のオリジナルブランドであるゴシックマカロンのドレス。

 アニメ一期の最終話において、主人公の星空ハルカちゃんとのステージ対決で美夜様が着たコーデだ。


「中学生で自分のブランド持ってるとか、ツッコミどころ満載だけど、それもまた女児向けアニメの良さだよね」


 とにかく、月夜のドレスに身を包んだ美夜様の美しさは、カレプリ史上最強のアイドル力だということだけは間違いない。


 最推しキャラである黒帳美夜様のカードに頬ずりをする私。

 まさしく限界オタクだ。

 キモイとか言わないで。自覚はしてるんだからね。


「……さてと、カードはコンプリートできた。予算もオーバーしなかった。上々かな」


 渇ききった感情の泉が、ほんの少しだけ潤ったような感覚。

 今日はいい気分で眠れそうだ。


「この時間なら、カレプリの最新話を見てから寝ても、五時間は眠れるかな」


 悪くない……最近は三時間睡眠が続いていたから。

 片付けて帰ろう。そう思って立ち上がろうとした瞬間。


 ――ガツンという鈍い衝撃音が頭蓋に響いた。


 直後に襲ってくる後頭部の激しい痛み。

 何が起こったのか分からないまま、平衡感覚を失った私は、その場に顔面から倒れ込む。

 冷たい床の感触。ズクンズクンと、頭に鈍い痛みが脈動する。ぬめりのある液体が額を流れ落ち、視界を赤に染める。


 見上げると、そこにはフードにマスクの見知らぬ男。その手には血に濡れたハンマーのようなものが握られていた。

 そして男は、私のバッグを奪い走り去っていった。


 強盗だった……。

 夜な夜な女が一人、ゲームセンターで散財しているのだ。お金を持っていて、襲いやすいと、悪者に目を付けられてしまったのだろう。

 カードの排出に夢中になっていた私は、背後から近づいてくる強盗の存在に気付けなかった。

 どろりとした鉄の匂いに意識が混濁していく。沈んでいく。


 ――ああ、これは死ぬやつだ。


 そう覚悟した時、ふと思い出されたのは子供の頃の記憶。

 最初の記憶は、ひいおじいちゃんのお葬式。黒い服を着た大人たちが、無言で山の中を並んで歩く光景が少し怖かったのを覚えている。


 ――これが走馬灯ってやつなのかな……。


 死の間際でも、意外に冷静な自分に喉の奥で笑う。

 そこから次々に、まるで総集編アニメのように脳内で再生される記憶の映像。


 幼稚園の入園式──。

 お母さんと離れたくなくって、最初の頃は幼稚園の先生をよく困らせてたっけ……。


 両親と初めて行った動物園──。

 あれは、五歳の誕生日に買ってもらったクマのぬいぐるみ……えへへ、今でも大事にしてる子だ。


 懐かしいような、恥ずかしいような。

 でも、次に再生された映像を見た瞬間、私の胸がキュッと委縮する。


 それは、テレビの中のアイドルに夢中になっている自分の姿。

 将来の夢はアイドルだと、幼稚園で発表している無邪気な自分の姿だった。

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