二章:五、都の喧騒
「画家ではなく贋作絵師だぞ! おいそれと名乗り出る訳がないだろう!」
それには俺も同意だ。名乗るのは自首と同じだろう。しかも、殺人予告まで出ている。
「二兄は性急過ぎます。まるで
「どういう意味ですか」
隅で薬箱を弄っていた
「呼べぬのなら探しに行けば良いのです。都を探れば自ずと見つかるでしょう」
「探すって誰が……」
煬烏は当然のように扇の先で俺を指した。
いつもの如く首根っこを掴まれて向かったのは、
奴は大量の女官を侍らせて俺たちを待ち構えていた。
「都に捜査に赴くんだって? らしくなってきたじゃないか。皆、やってくれ」
女官たちが俺を取り囲み、帯に手をかける。
「ちょっと、何ですかこれ」
追い剥ぎに遭う俺を見て、煬烏が笑った。
「都に行くのだ。庶民らしくせねば」
押しつけられたのは細身の盤領の長衣に袴に筒型の布靴、どれも平民の服装だったが、藍染の衣には金の牡丹の刺繍がある。
「派手すぎませんか」
燕雙が首を傾げた。
「そうかな? 俺が都に行くときに着てる服だよ」
「燕雙殿下しか着られませんよ」
「ありがとう」
奴は腹が立つほどいい笑顔を浮かべた。俺は諦めて長衣に袖を通した。
「俺が行くとして、煬烏殿下はどうするんです」
「私か? 三兄の服は私には合うまい。それに、末端とはいえ皇子が市井に出向くなど……」
煬烏が言葉を区切った。燕雙の視線に気付いたからだ。
「都で買ったんだが、俺には大きすぎたもののがあってね」
宮廷より妓楼にいる時間の方が長い皇子は、瑠璃色の衣を手にしていた。
俺はその場でひん剥かれたのに、煬烏には御簾付きの部屋が用意されていた。
芙蓉を描いた御簾の向こうから衣擦れの音が響く。
煬烏は皇子には珍しく、他人の手を借りずに自分で着替えをする。
「雲嵐」
御簾の向こうから声がした。どうせなら手持ち無沙汰で彷徨く女官たちを呼べばいいのに。俺は仕方なく御簾を押し上げた。
「入っていいんですか」
「聞く前に入りおって。まあよい」
デカい背にだらりと衣を羽織った陽烏は、上着をかけておく衣架のようだった。
「この帯はどう結ぶ」
「ああ、それは、後ろ向いてください」
「お前が後ろに回らんか」
俺は腰帯を手にして煬烏の後ろに回った。方術の修行のとき弟弟子たちの着付けを手伝ったのを思い出す。
煬烏の腹に帯を回すと、きつかったのか呻きが漏れた。硬い肋の感触が手に触れる。
今まで気づかなかったが、煬烏は長身に見合わないほど痩せていた。薄い色の服だとよくわかる。
今の煬烏が食うのに不自由している様子はないが、昔軟禁されていた頃は違ったのだろう。光を通さない真っ黒な服は体型を隠すためなのか。
「雲嵐?」
「何でもないです」
俺は帯を締める手を緩めて、布地が少し余るように結んだ。長い髪の先が鼻に触れて、数日前の悪夢を思い出した。
俺たちを乗せて城門を潜った馬車は、都の目抜き通りの前で停車した。
扉の向こうで御者が支度をしている間に煬烏が言った。
「馬車を降りれば、私は裕福な商家の跡取り息子、お前は用心棒だ」
「普通に従者じゃ駄目なんですか」
「都では何が起こるかわからぬ。お前のような目つきの人間が睨みを効かせていた方が私も気が休まるというものだ」
煬烏は俺に太刀を押しつける。そんなに目つきが悪いだろうか。俺は太刀を腰に佩いた。
馬車を降りると、都の喧騒が一気に押し寄せてきた。
大通りの左右から迫り出す屋根で夕空が狭い。
ある店は軒先に菊のような無数の傘を飾り、布屋は「錦繍帛行」の看板から緋色の飾り布を垂らしていた。
常に行き交う馬車が土煙を立てていたが、商人たちは大声と早歩きで煙幕を破った。
俺も数回しか訪れたことがないが、相変わらずの騒がしさだ。
宮廷のひとの多さとは訳が違う。規則などまるでない猥雑な活気があった。今は夕刻だが、夜になれば貴族どもが訪れて更に賑わうだろう。
煬烏は気圧されていないだろうか。振り返ってみると、奴は妙な表情で突っ立っていた。
「大丈夫ですか」
煬烏は頷いたが、まだ落ち着かない様子で都を見回している。初めて来て興奮していると言うより、何かを確かめているようだ。
「殿下は都に来たことがあるんですか?」
「幼い頃、一度だけだがな」
意外だった。そんな自由はないと思っていた。
「十余年は前になるか。随分と変わったものだ……」
煬烏は左右の酒楼を繋ぐ、蜘蛛の脚のような渡し廊下を見上げた。心ここに在らずと言った顔に少し不安を覚えたが、ひとまず俺は歩き出しだ。
犇めく商店を油の匂いの湯気が霞ませる。
旅の道士が鶏を連れて奇術を見せ、竹細工の箱を売る商人が横切っていった。
「殿下、贋作絵師の当たりはつけてるんですか?」
「戯れでも皇子のような呼び方をするでない。天子への不敬であろう」
煬烏は俺を小突いてにやりと笑った。切り替えが早いもんだ。上の空でいられるよりはマシか。
「じゃあ、旦那。都中を探したら一日じゃ足りませんよ。予言の殺人がいつ起こるかもわからない」
「私が無策で来ると思うか? 疑わしい者の名に目をつけておいた。三兄に聞いたところ、其奴は酒楼や客桟を渡り歩いているとか」
「疑わしい者ってどうやって見つけたんです」
煬烏は口角を上げただけだった。
通りを半ば過ぎ、煬烏の袖を掴む饅頭売りを振り払いながら赤提灯を潜ると、庇のついた荷車が見えた。
荷車は古びた木製の棚を乗せ、釉薬で花を描いた彩豊かな皿を並べていた。
顎髭を伸ばした男が声を張り上げる。
「若くて才ある絵師たちの逸品だ! いずれは宮廷絵師か、画仙か。今買えば数年後家宝になること間違いなし!」
あいつかと煬烏に尋ねると、首肯が返った。俺は客引きの男に歩み寄って声をかける。
「失礼」
男は慌てて一歩後退った。
「何だ。場所代はちゃんと払ってるぞ」
男の視線は俺の太刀に注がれていた。やくざ者にでも見えたのか。
俺が近寄ると、男は後退する。埒が開かないと思ったとき、煬烏が俺の肩を掴んだ。
「小雲、あまり脅かすでない」
煬烏は俺の肩越しに作り笑いを見せた。
「すまんな。この男は昔から愛想がないのだ。商談に連れて行くたび相手を怖がらせて……」
客引きは安心したように吊られて笑う。
先程の傷心に見えた煬烏とは別人と言うべきか、通常に戻ったと言うべきか。
煬烏は俺の肩を離し、並べてある皿の一枚を手に取った。
「以前こういった皿をひとに贈ったとき大層喜ばれてな。また頼もうかと思ったのだが」
「それはそれは! 是非ご覧に」
「しかし、今度の相手は大層金満家でな。安物を贈れば失笑されるが、名宝を贈るのは……」
煬烏が横目で俺を見た。粗暴な用心棒が今回の役目だ。俺はデカい声で怒鳴りつけた。
「旦那、うちにそんな金ありませんよ!」
「この通り叱られるのだ」
客引きは煬烏に憐みの目を向ける。あと一押しだ。
俺は煬烏と男の間に入った。
「成金は名作の真贋なんてわかりませんよ。無駄金使わず贋作でも掴ませとけばいいんです」
煬烏はしおらしく俯くと、客引きが「そういうことなら」と進み出た。
「
「腕は確かか?」
「そりゃもう。ここだけの話。皇太子殿下の献上品も描いたほどですから」
煬烏が俺の耳元で「よくやった」と囁いた。
「夏赦は何処で会える?」
「最近は西の桃華客桟で寝泊まりしてるみたいてます」
鴉の飛ぶ茜空に暮鐘が響いた。あれが鳴り終わると城門は閉じられ、出入りは固く禁止される。
「どうします?」
俺は煬烏を仰いだ。奴は少し考え込んでから息をついた。
「どうせ今日はもう宮殿へは戻れまい。行くぞ」
暮鐘の最後の一槌が鳴り響いた。
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