熇王宮の無能詐欺探偵

木古おうみ

プロローグ、諸悪の根源

 諸悪の根源は何だったか、考えるとキリがないが、王宮に来てから俺は「こんなはずじゃなかったと」思ってばかりな気がした。



 本来ならはん家の長男として、一流の方士として、こう王朝を支えるはずだった。

 皇太子の侍従とまではいかなくとも、第二か第三皇子の側近くらいにはなるはずだった。

 名誉も金も求めてはいないが、せめて、宮廷で後ろ指を指されずに生きていくはずだった。


 その何もかもが上手くいかなかった。


 別に、悪いことばかりだったわけじゃない。

 王宮は想像よりすごかった。

 故宮を囲む真紅の楼門、南北を貫く中軸線に左右対称に配置された宮や殿。

 赤壁に黄釉の瓦、鳳凰や鸞を金箔で模った文様や彫刻。五色の河のように後宮にはためく貴妃たちの衣。

 流石は千年も続く王朝の要だと思った。



 それが、今はどうだ。


 支柱を漆で盛り上げ、金の紋様を施した、絢爛な狻猊殿は、噎せ返るような煙の匂いと夥しい煤で満ちている。空気に溶けた脂が服や髪をベタつかせる。


 禁軍の兵士は剣を片手に殿の中央を睨んでいた。

 焼け焦げた朱の緞帳の向こうに覗くのは、墨の塊と見紛うような一体の焼死体だ。

 女官たちの悲鳴が遅れて聞こえた。



 部屋の扉に手をかけていた皇太子・天鸞てんらんが唇を震わせる。

「何で、どうして……」

 白い肌がより蒼白になり、垂れ目の下の泣き黒子を冷や汗が伝っていた。

 国を背負うはずの皇太子が虫も殺せず、血を見るのは大の苦手という気弱な性分なのは、この七日余りで俺もよく知っていた。


 膝から崩れ落ちた天鸞を両脇の侍従が支えた。



「侍医を呼べ、大猫だいびょうは何処へ行った!」

「下手人は何奴だ!」

「炎を使う方士に決まってる、登緋とうひを捕縛せよ!」

「まずあの死骸は何者だ!」


 禁軍の兵士たちが声を上げながら忙しなく行き交う中、ひとり緩慢な歩みでこちらへ来る影があった。


 焼死体よりも真っ黒な髪と鴉羽色の袍服を靡かせ、悠然と現れた長身の男は扇で口元を隠して言った。

「何とまあ、宮廷で殺人とは大胆な」

 あの男が広げた扇の下で、鋭い犬歯を見せて笑っているのは俺だけが知っている。

煬烏ようう殿下……」


 名前にある鳥に似て、黒尽くめの第五皇子はわざとらしく眉を下げ、皇太子を見つめた。

「兄上、どうかお気を確かに。私に良案がございます」

 従者に縋って何とか立っていた天鸞が視線を向けた。女官や兵士たちの目も一様に彼を追う。


 普段は謙虚で控えめな皇位継承権最下位の皇子で通るあの男が声を上げたんだ。皆、驚いているんだろう。

 次に何が起こるか察しがついて、俺は舌打ちした。


 案の定、煬烏は閉じた扇で掌を打ち、物陰に隠れていた俺の肩を掴んで引き摺り出した。

 くそ。

 煬烏の口元には思った通り、楽しげに犬歯が覗いていた。



「宮廷を穢す大胆不敵の下手人は彼、はん雲嵐うんらんが必ずや見つけ出しましょう。何と言っても我が方士の術は唯一無二……そうだろう?」

 煬烏は俺を横目で見つめ、先を促した。言わなきゃわかっているな、と言いたげな目だ。


 畜生。

 周囲の視線が一斉に俺に向けられる。

 何が諸悪の根源か、考えるのはもうやめたが、巨悪が何かと言われれば、この男しかいない。

 俺は息を吸う。


「はい」

 仕方なく俺は胸を張った。

「私には真実が見えます」


 この男と会った日から、俺の人生は全部がおかしくなった。

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