第33話 長い夜のはじまり
曰く。狐耳らの神は三つ子月の一つ。白い月の化身だという。
その力は因果すら繰り、生々化育をすら成す。それは偉大な存在らしい。
要するに、願いを叶えてくれる存在を大仰に言い換えているだけとも言える。
能書きばかり長々続く狐耳爺の話に、ウォルはさっぱり興味を持てなかった。
具体的には作物や産後の肥立ちが良くなるそうだが、実に地味。つまらない。
炊き出しで一席ぶった田舎神父の説法でも聞いていた方がまだ面白い位だ。
第一、有難い神様なら人身御供を止めて祭壇に飾れば誰の迷惑にもなるまい。
そうすれば現下の問題も無事消滅。万事目出度し間違いなし──
などと話半分で説法を聞き流したのが大失敗であった。
まさかその後に自殺まがいの企てに抜擢されるなど思いもよらない。
まして、地味なご利益の神様が西国教会にとっての大問題らしい。
信仰の危機か、それとも異端撲滅十字軍でも始まったのだろうか。
ウォルの乏しい知識では理由など想像もつかないが、大事件に違いない。
なにせ、そこらの冒険者如きに司教様直々にお出ましする程だ。
笑って誤魔化せる筈もなく、ただ事ではない事態が進行していく。
見れば興奮したトゥルシィが駆け寄り、小難しい理屈を述べ立てていた。
相手の司教様は、顔に不釣り合いな柔和な笑みを浮かべている。
四角四面の異様な面でも高僧。立派な人物だろうとウォルは思い込もうとする。
が、どうにも違和感が拭えない。相変わらず見えない壁があるかのようだ。
不意にツクヤの気配を感じてウォルは指輪に視線を落とす。
白黒模様がうねり、歪み、いっとき形を作っては崩れ、また泡立つ。
直後、ツクヤの声が脳裏で閃く。警告するかのように指輪が振動した。
──ウォルッ!その四角い顔の人危ない!すぐにげて!!
そんなまさか。ウォルは反射的に否認する。
西国教会が、その高徳の坊主が、危険。馬鹿げているとしか言いようがない。
教会への疑心は人類世界への疑いに等しい。人として生きていけなくなる。
不安を薄笑いで打ち消し、根拠のない楽観論で疑念を塗りつぶしていく。
──うーっ……ど、どうしよう。どうしようこのままじゃ。
ツクヤは尚も食い下がる。その焦りが伝わってくる
一方、話し終えたモーゴス司教がゆったりとこちらに近づいてきた。
随分と大柄な男だった。ウォルには僧形の男が体より尚大きく見えた。
まるで大聖堂を背負い、無数の人々を引き連れているかのようだ。
モーゴスはウォルへ身を屈め、気安げに挨拶した。
「どうも、初めまして。君の名は知っていますよ、ウォル=ピットベッカー君」
「えっ……何で。司教様とは初対面、ですよね?」
「人類皆兄弟姉妹。もっと親しみを込めて。さん付けでお呼びください」
「は、はぁ。解りました。ええと……モーゴス、さん。僕もはじめまして」
「宜しい。早速ですがお話があります。貴方、邪教徒ですね?」
そして、にこやかな笑みを一切崩さずモーゴス司教は告げた。
一瞬、言葉の意味が理解できずウォルは硬直する。
よもや正体が露見していたか!?だが、絶対に認める訳にはいかない。
ウォルは最後までシラを切り通そうと決めた。
「……は?何で邪教徒?邪教徒なの何で。僕、西国教会の平信徒!」
「いけませんね。嘘はいけませんよ。ウォル=ピットベッカー君!正直に!」
「嘘なんて言ってません!信じて下さい!モーゴスさん!司教様ァ!!」
「素晴らしい。拙僧、貴方の信仰心を確かめてみたくなりました」
「まるで意味が解りません!?」
抗議を無視すると、モーゴス司教は指を鳴らして合図した。
見張りの騎士がトゥルシィに近づき、反論を許さぬ声で言う。
「トゥルシィ公子。後は司教様にお任せしましょう」
「え、でも。クソッ。……僕が居るのは邪魔って事か。そうですよね、司教?」
「子供は早くお眠りなさい。ここからは君が知らずとも良い事です。さぁ」
司教に促されると、憐れむようにウォルを一瞥してから小公子は去った。
入れ違いで現れたのは、黒い頭巾の男二人組だった。しかも半裸の。
彼らの荒い息に危険を覚え、ウォルは思わず身を竦(すく)ませた。
「何この人達!?今から何が始まるんです!?うわっ、何を乱暴な!?」
「首元の印とはこれですか。トゥルシィ君も面白いものを見つけたものだ
詳しい来歴は調べるとして──ウォル君、上着を脱いで体を見せなさい」
「怖っ。へ、変な趣味でもお持ち?そういう噂を聞いた事が──」
「違います。他にも同じようなものがあるかどうかを調べる為です。
これは……人間ですね。紛れもなく。獣の耳も無ければ尻尾もない。ふぅーむ。
何か隠してませんね?隠してませんか……見立て違いかもしれません」
当たり前だこの変態!!喉元まで出かかった罵声をウォルは飲み込んだ。
司教の顔は先にも増して険しく、恐ろしい。声には人を圧する力があった。
理由は明言されずとも、全く愉快でない事態である事だけは解る。
思わず指輪に目を落とし、彼方のツクヤに助けを求める。
が、返事が無い。指輪の模様も息をひそめるように静止している。
改めて現状を再確認。今置かれているのは回避不能かつ絶望的な危機だ。
そして、司教の手が白黒の指輪に触れようとした時だ。
ツクヤの悲鳴と強い嫌悪感とが脳裏を走る。
──ッ!?ウォル!!その人血の匂いがする‼新しい!!沢山の!!
そんな訳無いだろ、再び否認しかけて出来なかった。
ウォルの意識を指輪から流れ込む力が塗り替えていったからだ。
圧倒的な情報の奔流が枯れ川を飲むように吹き出し、濁流めいて溢れた。
頭蓋が発火しかけているかのように、熱い。
目玉の裏に痛みが走り、突如不可知の巨大な何かが入り込んでくる。
眩暈と共に視界が乱れ歪む。二日酔いめいた頭痛が襲い掛かって来る。
その癖意識は酷く明晰で、頭脳から火花が散る程に思考が急速回転する。
前のめりになり、口を押えてウォルは吐き気を堪えた。
己の感覚が次々付け替えられていくのを他人事のように感じていた。
ウォルの目玉はみるみる充血し、異様な表情が浮かぶ。
意志に反し体が動き、情報の濁流は白昼夢となって目の前を塗りつぶす。
石造りの部屋が、極彩色の蓮華の咲き乱れる花畑のように変じて見えた。
酷く美しい。余りにも美しい。咲いては散り、散ってはまた咲き乱れる。
それは無限に細かく、無限に組み合わさった、何処までも続く緻密な構造体で──
「面妖な。……悪魔憑きか?」
重々しい司教の言葉が、虚空へ散逸しかけたウォルの意識を繋ぎとめた。
現世へ帰還し、獣めいて息を荒げるウォルに、司教は厳かな態度で向かい合う。
モーゴスは片手を下に向けつつ、聖句を口ずさみ分厚い聖典を握り締めた。
その前でウォルは遂に崩れ落ち、四つ足の獣めいて地に伏せた。
「君の名は」
「ウォル=ピットベッカーって言ってるだろ!」
「君の内なる悪魔の名です。……可哀想に。おい、誰か。これでは尋問など──」
「触れるなッ!一人で立て……る」
「支えてやりなさい。悪魔祓いの前に転びでもしては大変だ」
立ち上がろうとして立てず、地を這うウォルを黒頭巾が支え、立たせる。
ぬぅっ、とモーゴス司教の岩石面がウォルの目前に迫る。
ぐらつく世界に耐えつつ頭巾共を振り払い、ウォルは壁にもたれ掛かった。
「君よ、ウォル=ピットベッカーよ。貴方には告解し、悔い改める権利があります。
落ち着いて話してごらんなさい。神は寛容です。貴方の罪も許されましょう」
「言いがかりだ!何の証拠があって人様を──」
「君のね、狐耳のお友達が略奪を行ったという証言を耳にしましてね」
「捏造だ!誰か僕を陥れようとしてるかもしれないじゃないか!!」
「その通り。真偽は未定。ですので、取り調べという訳です」
追い詰められたウォルへとモーゴス司教は歩み寄る。
沈痛な顔はそのままに、四角四面の僧形はぽつぽつと少年の罪を数え上げる。
平静を取り繕いつつ、ウォルは黒衣の男が告げた事を思い起こした。
曰く、西国教会側にウォルの行動が露見している事は織り込んでいる。
らしかったが、そんな物言いなぞ現場では慰めにもならない。
助けてくれ、と念ずるが堪えるように指輪が振動しているばかりだ。
黒頭巾共に引き摺られ、ウォルは引っ立てられていった。
「罪人こそ公正に裁かねば。……厳しいですが、これも神の試練です。
子供さえ誑(たぶら)かすとは、許せん。必ずや根絶やしにしてやりましょう」
「汚れ仕事ならば我々に任せて頂けては頂けませんか」
「拙僧が自ら見定めねば公正な裁きとは言えません。
先にあった告発とて、あの子の言う通り誹謗や中傷という事もありましょう。
人を害する辛い仕事です。が、これもまた拙僧の務め──」
「ならば猶更。司教様ともあろう方が手を汚す事もありますまい」
「傲慢にも只人が神に代わり人を裁くのです。罪は負わねば。
何故拙僧だけが手を汚さずいられましょう。汚さねばならんのです」
そう言ってモーゴス司教は固辞し、部屋を出る。
騎士は何かを察したかのように司教に一礼し、その背中を見送った。
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