第32話 油絞りの夜
いいか、ウォル。西国騎士団と敵対するな。絶対にだ。
何聞かれようが人間である事と自分の名前以外はぐらかせ。
ならば即、殺されはすまいとウォルはロボから聞かされていた。
狐耳の仲間達や親類、異種の行商が次々この近くで消息を絶っており、
その調査をしろと言うのが黒衣の男と狐耳爺からの指示だ。
西国騎士団の凄まじい評判はウォルでさえ知っている。
彼らこそ、世界でも数少ない損得抜きでの人類の味方だと名高い。
だから人を殺さずに仕事が済むかもと内心喜んでいた──のだが。
現実は非情だ。甘い期待はあっさりと裏切られ粉々になった。
つい先ほど不法侵入を見咎められるや問答無用で捕縛され、
ウォルは今や哀れにも西国騎士団駐屯地で囚われの身だ。
忍び込むなら普請途中の今が好機らしかったが、このザマである。
「僕、どうなるんですか」
沈黙に耐え切れずにウォルは尋ねた。返事は無い。
オイルランプが頼り無げに揺れ、石造りの部屋を照らしていた。
不安ばかりが積もり──不意に扉が開く音がする。
ランプ片手に戸口から見知らぬ子供がこちらを覗いている。
「初めまして。僕、司教様の言いつけで来ました」
「君は誰?助祭さんの見習いか何か?」
「トゥルシィ=アーキィです。以後お見知りおきを。貴方の名前は?」
「ウォル。ウォル=ピットベッカー。って司教様?そんな偉い人が何で──」
「違います。僕ね。教会の人じゃないです。皇国人です。アーキィ伯家の子です。
今は一応関係者でも、間違っても教会の人間じゃないです。良いですね?」
「アッ、ハイ」
余程嫌いなのか、トゥルシィと名乗った子供は長広舌をまくし立てた。
伯。ならば伯爵の御曹司──まさか、と否定しかけてウォルは思いとどまる。
かくも身分の高い人物が夜中に牢屋へ来るなど普通に考えればあり得ない。
が、予断は禁物。この旅の始まりを思えば、ありえないという事はありえない。
深呼吸し、不審にならない程度にウォルは笑顔を作った。
衣装を値踏みすると、服は仕立ても縫い糸も上等だ。ほつれ一つ無い。
布は滑らか、染めも確かで細やかな刺繍で縁取りされている。
その表情は闇に紛れているが、嘘を言っているようにも思えない。
小公子トゥルシィが手を差し出してくる。ウォルも渋々握手を返す
「それで、あなたの扱いはですね」
だしぬけにトゥルシィが告げた。きたか、とウォルは唾を飲み込む。
戦の常とは言え、これまでの所業が露見すればまず生きては帰れまい。
放火、略奪、殺人と重犯罪の三冠王なのだ。まるで嬉しくもない。
慣習法なら吊るし首。都市法だと吊るし首。教会法でも吊るし首。
ひょっとすると四ツ裂きだとか車輪轢きに処されるかもしれない。
思わず喉が渇く。逃げときゃよかったと後悔しても後の祭りだ。
第一、草深き狐耳の里に滞在する人類は少年を除けば黒衣ぐらい。
排他的な狐耳の因習村を内心で罵りつつ、ウォルは相手の言葉を待った。
「相談してるみたいです。今のところ保護って事で」
「滅茶苦茶叱られたのに……こりごりだ!ちぇっ、僕を囲んでお説教大会!!」
「自分のせいじゃないですか。年上の癖に情けない」
「年は関係ないだろ、年は!大体、僕ぐらいになれば大人の内だ!」
「貴方、どこの田舎から出て来たんですか……?」
僕も皇都だよ!花の都からだよ!!喉元まで出かかった叫びを飲み込む。
言いたい事は山ほどあれども命は惜しい。ぐっと我慢を決め込んだ。
差し向かいに座るトゥルシィの手へウォルの視線が下がる。
日焼けも傷も無い白い手。大切にされている事が一目で解る。
それに比べてだ。ウォルは自分の手をじっと見下ろす。
鍛錬と労苦で相変わらず指は傷塗れ。掌に巻き付けたボロ布も汚れている。
彼我の余りの格差に、ウォルはやり場のない無い劣等感を覚え──
小公子が興味深げに己を眺めている事に気づいた。
「そんな警戒しないで。悪い人たちじゃありませんよ」
「悪党は皆そう言うんだ。教会や坊様ってもっと親切だと思ってたのに」
「それはそのォ。返す言葉も無いですけどぉ。うん……親切ではあるんです」
「それにアンタ。貴族ならもっとエラソーにしたら?」
「僕、ただの子供ですから。それに物凄く面倒臭い人に説教されちゃいます」
小骨が挟まったような物言いにウォルはうっかり顔をしかめる。
が、見張りの騎士が凄まじい形相で自分を睨んでいる事に気づき、
引きつり気味の笑みを作った。無駄に敵意を煽る必要も無い。
「それでウォルさん。何で忍び込もうと?命知らずというか」
「ひもじかったんだ。もう三日も何も食べてない」
「嘘でしょ。全然痩せてないし。正直に──うん?」
「………」
「ああもう、勘違いだ。尋問って思われてます。剣なんて下げてるから」
「仕方ないだろう、トゥルシィ君。君の身の安全の為だ」
「ハァ……食事にしましょう。スープぐらい残ってるでしょ?」
溜息を残してトゥルシィは席を外し、下働きを連れて戻って来た。
まず食べねば、という事らしい。献立は豆の煮込みと千切ったパンの塊だ。
不審げにウォルは目を白黒させる。一方、トゥルシィは我関せずと匙を付けた。
空腹が忍耐に打ち勝った。ウォルはおっかなびっくり皿へとかかる。
まず驚いた事に、暖かい。急いで温め直したか、騎士らの夕餉から取り分けたか。
野菜と何種類もの豆、塩辛くて固いベーコンの単純なごった煮だ。
ウォルにとって酷く懐かしい西方の国々や皇国の味、人間世界の味だった。
おまけに添えられたパンは白い。ウォルにとっては最早ご馳走の部類だ。
夢中で貪るウォルの前で、食べかけの皿をトゥルシィが置いた。
「誤解があるようですけどね。本当に相談中なんです」
「神域の盗人は囲んで棒叩き。で、そこらの辻で吊るし首じゃないの?」
「どんな酷い田舎から出て来たんですか。あんまりにも野蛮すぎる。
普通はね、そういう裁判には手続きとか取り調べとか色々あるんです。普通は」
「貴族相手には、だろ。冒険者や貧乏人と貴族じゃ住む世界が違う」
「冒険者……へぇー、貴方が。初めて見たなぁ。色々聞いて良いですか?」
「チェッ。これだよ」
まるで珍獣を見つけたようなトゥルシィの口ぶりだった。
無邪気さ混じりの不躾さにうんざりしつつ、ウォルは空の皿を置く。
沈黙が再び垂れ込めかけた所で、壁際の騎士が助け舟を出した。
「初犯で未遂。大した罰にはならんだろう。多分な」
「本当に?ねぇ、それ本当?騎士様、本当でしょうね」
「知らん。事務方の坊主が来たらそいつに──」
慰めにもならぬ見張りの台詞に頬杖突いて不貞腐れたのが不味かった。
投げ出していたウォルの左手へとトゥルシィが不意に注目する
直後。身を乗り出して、小公子は突如興奮してまくし立てた。
「やややーっ!?それは!?その指輪!もしやッ!?」
「へ?いきなりそんな大声──」
「これは……不思議!やっと不思議発見しました!」
素っ頓狂な自らの振る舞いにさえトゥルシィは気づいていない様子だ。
半ば掴みかかるように白黒二色の指輪の観察にかかる。
揺れ動くモノクロの模様が、流れを驚きめいてくるくる変化する。
その表面にトゥルシィが触れるや突如、ウォルの脳裏に拒絶が閃いた。
「それはッ!!僕のいとしいひとのだ!!今すぐ止めないと見料取るぞ!!」
「あっ、お金ですか!?すぐ準備します。幾らですかッ!?」
「えッ、何その反応。幾らって言われても困──」
「すぐにでも!ああ、財布に……ああっ、銀貨がこれだけしか」
「ちょ、待って待って待てよ!!何なんだよ!!急にそんな大金出してさァ!?」
「申し遅れました!!僕、実は不思議とか魔物がもう大好きで!!」
「止めろ!離れろ!暑苦しい!」
「良い機会です、お近づきになりましょう!」
更に興奮したトゥルシィが突っ込み、二人してもつれ合い転がり回る。
見てみぬふりする情ぐらいは存在するのか、騎士は我関せずだ。
と、トゥルシィが動きを止めた。今度はウォルの首の烙印を見つめている。
それから小公子は身を剥し、立ち上がってブツブツと早口で呟き始めた。
「これってひょっとして、何かの印し?入れ墨にしては妙だし、細かい。
僕らが大切にしてる馬や猟犬が逃げないように押してる奴に似てなくもないけど。
見た事が無い形式だな。数字や番号も無い。そういう文化?うーん……」
「……?何だコイツ。いきなり訳の分からない独り言を」
自分の世界に退却したトゥルシィは、仮説と空想の空中楼閣を弄んでいるようだ。
呆気に取られつつ、ウォルは指輪に目を落とす。
その白黒模様はふらふらと揺らぎ、困惑するかのようにぐるぐる右往左往。
どうも、贈り主に無用の心配をかけてしまったのかもしれない。
──ウォル。ウォル。大丈夫?大丈夫?ケガしてない?痛いところ無い?
頭の中でそんな声が聞こえた。ウォルが哀れにも発狂した訳ではない。
ツクヤだ。不可思議な脳裏の声は、彼女がくれた指輪の魔法の仕業だ。
理の龍の破片が素材というが、ウォルにはまるでその有難みも仕組みも解らない。
兎も角。解らない事は棚上げだとウォルは状況判断する。
能書きよりも、今重要なのは道具としての機能であった。
便利な事に、嵌めている間はどれほど遠くにいてもツクヤと話せる。
そして今頃彼女の周りには狐耳爺だの、イファも詰めていることだろう。
即時に連絡、報告、相談が可能という信じがたい程便利な品物ではあった、が。
──申す申す。大丈夫、いける。でも面倒臭いなぁコレ。
そんな魔法の指輪とは言っても利点ばかりではない。
ツクヤを介してやり取りする以上、意志疎通が極めて迂遠だ。
更には感情だの思考だのが通話ついでにウォルへと流れ込んで来る始末。
幸い制御は可能だが、使用中うるさくてしょうがない。
更には、ツクヤには指輪を介して周囲も見えているらしい。
当然だが、ウォルがやる事成す事全て赤裸々に筒抜けになる訳であり。
つまりは多感な青少年への配慮や心配りなんぞ絶無な代物であった。
まかり間違えば戦より先に恥辱で死んでしまう。
尚、これは一種のオラクルらしいが、まるで訳が分からない。
結局、現時点で理解できる事だけ理解しようとウォルは決意しており──
閑話休題。
取り留めもなく思考が横道に逸れる内、多少なりとも落ち着いた。
一方、トゥルシィは未だに自分の世界から戻って来る様子も無い。
──ツクヤ。こいつら見てどう思う?
──変な人たち。世界の見え方とか、言葉の意味が違う気がする。
奇妙な返答だった。ウォルは思わず腕組みして考えこむ。
我も人。彼らも人。話す言葉も同じだ。返事の意図が解らない。
見ている世界や考えがそんなに大きく異なる筈がないではないか。
首を傾げて考え込むが答えが出ない。ウォルは質問を続けた。
──そ、そっかぁ。具体的には?えッ、よく解らない?うーん……
──ウォルと全然違って複雑な事すごく一杯考えてるみたい。
その物言いは遠回しに馬鹿にしてないか、と考える否や。
どことなしに気遣いめいた気配が伝わってくるのをウォルは感じた。
何が全然違うのか。主に学とか教養とか、知性の有無か。
一介の冒険者にそんなもの期待する方がそもそも間違いではないか。
──ウォル!大丈夫!多分!!多分……?うん、きっとそう!
──ま、まぁ……いいけどさ。感じた事、もう少し言葉に直せないかな。
トゥルシィへ相槌と生返事を返しつつ、待つ。
指輪に目を落とす。模様からして激しく困惑しているようだった。
ややあって指輪の流動が止まり、思念も唐突に途絶える。
続いて言語化に失敗したらしきツクヤの落胆が伝わって来た。
そっとしておこう、とウォルは薬指を隠すように左手を握り込む。
こうすればツクヤの目と心を遮断できる。一旦棚上げだ。
「全く。困ったもんだ。急がず焦らず──ア゛ッ!?」
「さっきから誰と話してるんです?ずーっと一人でブツブツ喋って」
「そ、そそそそ。それはですねぇ!?僕、頻繁に白昼夢を見る持病が」
「指輪、見せて貰っても?」
下手糞な弁解を笑顔で黙殺し、トゥルシィが迫る。
ウォルは顔を逸らして目を背け、仰け反ってまで逃れようとする。
が、無理。常日頃の服従の習慣と、身分の低さ故に抗しきれない。
渋々指輪を見せると、小公子が驚きに目を丸くした。
「模様が動いてる。これって、魔法の指輪?」
「由来は教えてくれなかったから。魔法だの何だのは知らない」
「ゴホン!君ね。もう少し立場や身分をわきまえたらどうだろう」
「ひゃッ!?ご、ごめんなさい騎士様!?公子様にとんだご無礼を!?」
「ちょっと。邪魔しないで。折角面白くなって来たんだから。
後、僕の事はトゥルシィでいいです。身分とか家柄とか面倒臭いので」
薄々感じていたが、トゥルシィはとんでもない変わり者らしい。
身分を無視する貴族など、大空を飛翔する猫ぐらいの珍獣だ。
ともあれ小公子は再びの黙考に入り、高速で独り言を再開。
懐から蝋板を取り出すやガリガリと尖筆を走らせる。
単なる落書きにしか見えないが、思いつきを簡単にまとめた図のようだ。
「さっき気付いたけど、その首のアザも凄く不思議ですよね。
神話とか昔話だと、神様とか魔物が信者に印をつけたりもしますから。
指の円環(わ)、つまり始まりと終わりが繋がったものって事もありうる。
その癖、白黒混ざらず留まらない。むーん、もっと調べたい。凄く研究したい」
「ちょっと。ねぇ、待てよ。いきなり早口で訳がわかんない」
「指輪から転じて車輪との関係もありうる。象徴に大きさは必ずしも関係無いし。
永遠に同じ場所で回り続けるけど常に同じ。例えば暦とか、月や太陽とか。
暴れまわり跳ね回る大きくて巨大で暴力的な車輪って事もありえますよ。
もっと東にはそういうお祭りもあるって書いてあって……不思議って素敵!」
「だからッ!そう言葉の洪水をワッと浴びせかけるのは止めてくれないか!!」
だが、興奮したトゥルシィには抗議の声が届かない。
一方、ウォルはぐったりとしてトゥルシィの言動を受け取っていた。
不思議と心は平静だった。恐らく情報が許容量を超えているせいだろう。
「ともあれですね!魔法の指輪には強い力が宿るものと聞きます。
素性も解らない品は危険ですよ。西国教会とか然るべき筋に預けた方が」
魔法の品は基本的にどれも一点もので再現性は全く無い。
統一された理屈も無ければ、規格も仕組みも好き勝手放題でバラバラ。
調査、鑑定作業を行わない限りかけられた魔法は不明のままだ。
また、この時代の魔法とは、多くが未だ体系化されざる秘術である。
自白でもしない限り今すぐ指輪の秘密が露見する事はない。
嘘を吐き通す事を決め、ウォルはトゥルシィを引き剥しにかかる。
「形見だってば。誰にもやらないよ」
「思わず興奮して、つい無礼を。寛大な心で許して下さい」
「ハハハ、この野郎。いいさ、いいって事にするさ」
青筋を浮かべつつも、ウォルは怒りを押し殺して小公子を許した。
無礼な上に変人ではあるかもしれないが、きっと根は善良なのだろう。
そう思いこむ事にするが、盛大に彼らの誤解を招きつつあるようにも思われた。
どうもウォルは肉親を亡くした孤児か何かの役柄に落ち着き始めているらしい。
根も葉もない憶測にしては穏当な内容だが、誤解は誤解である。
さりとて正直に話したが最後、待っているのは吊るし首。
脂汗を浮かべ打開策を捻る。が、無し。圧倒的無策であった。
──畜生ッ、どうしてこうなった!?
──えっとね。おねえちゃん、ウォルのじごーじとく?って言ってる。
間髪入れずのツクヤの思念に椅子からずり落ちそうになる。
事実かもしれないが、手心や心配りというものも必要では無いのか。
剥き出しの思念は意思疎通と言うよりも抜き身の刃めいて鋭い。
ウォルは言葉による対話の重要性を再確認した。
兎も角。敵中でうじうじ悩んでも時間の無駄でしかない。
そんな事を考えていると、扉が開く音と共に四角四面の面構えが入って来る。
剃り上げた頭は薄暗がりで尚シャイニング。柔和な笑顔だが、細い目は鋭い。
現れたその人物は、西国司教モーゴス=ヴァリアントであった。
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