第29話 あおぞらに舞う
「何やってんの二人して」
顔を向けると、ツクヤを連れたイファが立っていた。
取っ組み合いを中絶し、白々しい笑顔でジギトはごまかしにかかる。
「そのォ、僕らはァこう。親睦を深めてただけで。実際微罪!」
「微罪って……不味い事でも喋ってた?ウォルまで……呆れた!」
「って誰だそっちの頭巾。お前、兄妹とかいたっけ?」
「神子(みこ)様よ。知ってるでしょ」
「初めて見るぜ。珍しい事もあるもんだ」
頭巾を被った小柄な娘をジギトは上から下までまじまじ眺める。
ツクヤであった。ウォルが最初に見た通りの蒼色の晴れ着姿だ。
何故か頭をすっぽり覆い隠す頭巾を被っている。
顔の部分が薄いらしく、生地越しに表情が透けて見えた。
困ってるのか酷く落ち着きがない。
狐耳が忙しなく動き、しきりに頭巾を揺さぶっている。
不躾極まる視線も気に留めていない様子だ。
「むー……重い。よく見えない」
「奥の院で座りっぱなしじゃねぇの?」
「色々あったのよ。何時か教えるわ」
「この帽子、じゃまだよぉ」
真面目腐ったイファを他所に、ツクヤは頭巾を触ったり正したり。
ゴホン、と咳払い。幼子を諭すように向き直る。
「神子様、貴人が軽々しく顔を見せてはなりません」
「わたし、そんな名前じゃないもん」
「んな古いシキタリ、拘ってるの爺共ぐらいだろ」
「それはそうなんだけど……ジギト、言い方ってものを」
「上だの下だの考えて、イザって時に命預ける相手を見誤ってもつまらん。
俺らは俺らの都合で戦ってんだ。お偉方なんぞ──どれ、お顔拝見」
「ちょっと!不敬でしょ!」
頭巾に手を伸ばすジギトをイファが一喝する。
ジギトは舌打ちし、振り向いて大声を上げた。
「おおい、お前らも顔ぐれぇ見たいだろ!な!?」
けれども場は静まり返ったままだ。揃いも揃って及び腰の有様であった。
時折ジギトを伺いつつ狐耳どもは何事か互いに囁き合っている。
「どいつもこいつも良い子ちゃんぶりやがって……」
「ジギト、今のは君が悪いと思う」
「おっ、ちょい待てお嬢ちゃん。ウォルにゃ大事な用が──」
「あの猥談のどの辺りが大事だってぇ?もう一度言ってみろよォ」
醜い争いをあっさり無視し、ツクヤがウォルへ歩み寄る。
頭巾越しの視線に気圧されたか両脇の狐耳が拘束を解き、離れた。
何やらウォルに鼻先を寄せ、それから娘はジギトへ振り返る。
「何おはなししてたの?」
「……あん?んだよ、藪から棒に」
ツクヤの問いかけに、ジギトが不愉快そうに応じた。
チンピラとしてのサガか、言ってやらねば気が済まないという風情だ。
土埃を払い、小柄な娘を下から睨み上げるような格好で述べ立てる。
「夜に日中に、血まみれ泥まみれで必死で這いまわって来たんだ。
やっと一息ついてるって時によォ。顔も見た事無いお偉いお子様がポン!
この心の握り拳やら何やら、振り上げてからどう下げろってんだ!!」
「ひょっとしなくても飲んでるわね。昼間っから」
「飲んでて悪いか?通夜やってんだぞ」
「むー……なんか嫌。ちょっと嫌。うーん」
「んだよ、ちっこいの。何見てんだよ。ガンつけてんのか」
「じーっと見てる?」
「何で疑問形なんだ。どうなってんだよコイツ?」
答えず、ツクヤはその場でくるくる回る。
何か思い付いたか急にぴん、と狐の耳が立ち上がった。
狐耳に囲まれ、ジギトは拳を振り上げたまま取り残された格好だ。
「いい加減止めなよ。皆見てるよ恥ずかしい」
「ウォル、テメェーっ!!一体全体どっちの味方だ!?」
「もちろんツクヤ」
「こん裏切りモンがぁっ!?」
引っ込みがつかなくなったジギトを尚もツクヤの視線が捉えて離さない。
面布の下では緑色の瞳が真ん丸に見開かれているに違いあるまい。
うかつに拳を振り下ろせば大惨事へ一直線。確定的に明らかだ。
ツクヤが更に近づく。はや肩に手が届く距離であった。
「ね、今さっき何をしようとしてたのかな?」
「ぐっ……助けてくれ!息が詰まりそうだ!」
何故こんな子供に気圧されるか解らないながらも、ジギトは喚く。
言葉にならない不穏な空気を察し、ウォルはツクヤにおずおず問いかけた。
「ええと、つ、ツクヤさん?こういう時にする事知って──」
「うん、わかってる。しってる。できる。えいやっ!」
「ぐおっ!?」
見た瞬間、これ駄目な奴だとウォルは理解した。
真顔の少年を他所に、ツクヤはジギトの圧縮を開始する。
肩から押し込まれたジギトは膝をつくが、尚も圧力が弱まる様子は無い。
人間は押したら潰れる。現実はとても単純で、故に度し難い。
「な、何しやがる。つ、潰れ──」
「わたしね。えっと、きみ?じぎと?と少しおはなしがしたいな、って」
「腕力は会話って言わないんだよォ!?離せコラッ!!びくともしねぇ!?」
潰れていくジギト。たまらず相手を投げ飛ばそうとするジギト。
しかし、ツクヤはまるで巨木か大岩のようにびくともしない。
当然のように実行する少女に情けや容赦というものは無いらしい。
うめき声を上げながらも遂に命乞いを発し始めるジギト。
だが止まらない。周りも止められない。
──わぁ、流石神様。歩く不条理だぁ。凄いなぁ。ご利益だなぁ。
惨事を眼前にしてウォルの思考が盛大に脱線する。
顔を逸らすと、似たような心理らしきイファと目が合った。
真顔で一時停止の後、はちゃめちゃな現実が押し寄せて来る。
「どどど、どっ、どうしよう。コレ、一体全体どうすればいいかな」
「私に聞かないでよ!?こういう時の対処法、対処法は何だっけ」
慌てる二人を置き去りにツクヤの『おはなし』は続く。
圧縮にも飽きたか、今度はジギトの服を掴み、そのまま真上に投げ上げる。
響く絶叫。回転しながら宙を舞うジギト。悲鳴と共に自由落下するジギト。
受け止め再び投げ上げるツクヤ。まるでボール遊びしている子供のようだ。
実際、本人としては遊んでいるつもりであるのかもしれない。
ただし、生物として存在の格が違い過ぎるようだ。
一方、ウォルはと言えば自らの理性の限界を感じつつあった。
──うわぁ。まるでお手玉だぁ。人ってあんな回転して飛ぶんだなぁ。
──すごいなぁ。神様って力持ちだなぁ……現実逃避してる場合じゃない!
「イファ、何あれ。何であんな事……」
「きっと神様の影響ね。……多分?うん、私の推測だけど」
「何で疑問形!?信じていいのそれ!?」
「長老様が言ってたわ。あの子、生まれつきの魂の欠片が途方もなく多いんだって。
だから物凄く力持ち。理屈からすればきっとそう。さぁ、止めてあげて頂戴」
「結局僕かよ。ああもう、畜生!!」
世の理に曰く、経験値が多い存在はジッサイ強い。だが止めねば戦友が倒れる。
度胸一つを胸に秘め、犯行現場に向け絶叫一番ウォルは突撃を開始する。
ぐったりするジギトを両手で抱え、犯人は不思議そうに小首を傾げていた。
「ツクヤーーっ、このっ!!何してんだよォ!!」
「うぉる。じぎと、動かなくなっちゃった」
「当たり前だよぉッ!?あーもう、泡まで吹いて酷い顔」
「ウォル、もう駄目だ。体中に酒が回って……ぐうぉえっぷ」
「馬鹿言うな!!ただの飲み過ぎじゃないか!ホラどいて!寝かせる!」
テーブルに寝かせ着衣の上からジギトの容体を確かめる。
打撲無し。骨折も無し。奇跡的に無傷。なれど、実に哀れな有様だ。
回転して色々噴出の結果、胃の中身など空っぽになっているに違いあるまい。
水を飲ませて他の狐耳どもに介抱を任せ、ウォルはすっと立ち上がった。
彼の顔は奇妙な半笑いであった。その異様さにツクヤが身構える。
不味い事をしでかしたと気付いたようだが、今更もう遅い。
「え、えっとね。いっしょうけんめいにおはなししたの」
「こっちに来て。僕も今からお話があります」
「うぉる、目怖い……」
「いいから。──ごめん、後頼む」
応じたイファを後に、ウォルはツクヤを引っ張って物影へと移動する。
改めて前にした少女は気まずそうな顔で黙り込んでいる。
喉元までせり上がる喚き声を飲み下し、ウォルは慎重に言葉を選んだ。
「いいですか。つまらない暴力振るっちゃダメです。皆仲良くしないといけません。
僕とかイファとか皆とか。……それに、もうちょっと逆の立場に立って考えて」
「逆の立場ないもん」
若干不貞腐れ気味に言い訳が返って来る。
確かに、対等な相手がこれまでは居なかったのだろう。
けれど、人の姿をしている以上は人の理屈に従って貰わねば困る。
「ゴメン。……そうだなぁ。されて嫌な事はしない、とか」
「よくわかんない。けど、やってみる。がんばる」
うんうん頷いて、そういう事になった。
戻ってみると、談合していたらしい狐耳どもが気づくや口籠る。
視線が幾つもさまよう中、少女はジギトに近づき頭を下げた。
「えっと。ごめんなさい?」
「やっぱ疑問形なんだな。ハーッ……全くヨォ。なぁ、頭巾取れよ。
貴人だか何だか知らねぇけど失礼だろ。謝る時ぐらい顔は明かせ」
「えっ。う、うん」
促されて、ツクヤは手ずから頭巾を脱いで素顔を晒した。
ちらり、とその顔を見たジギトの目が一瞬だけ見開かれる。
胡坐を組んで唸るものの、言葉にならないようだ。
「これでいい?」
「何とまぁ……おっと!待った、待てよ」
「えっと、えっと。まだダメ?」
「──畜生!カッコ悪ぃなぁダセェなぁ!解ったっての、お嬢ちゃん」
「私、お嬢ちゃんじゃないもん。ツクヤって素敵な名前があるもん」
反論を聞き、イファとツクヤを見比べるとジギトは鼻息を吹いた。
ボロボロになった挙句、やっと自分の失敗に気づいたのだろう。
ややあって、ジギトは観念したように俯きながら右手を差し出す。
「すまん、悪かったよ。無礼を働いた。チャラにしてくれ。……ツクヤだっけ?」
「うん。わたしも。ごめんなさい。えっと……じぎと、ジィギト、ジぎト?」
「ジギト。ジギト=アグレブ。寛大に許してやらぁ。
にしても、イファの奴ぁ大袈裟過ぎる。角の一つでも生えてるかと思ったぜ」
気だるげに立ち上がり、ジギトはツクヤの周囲をゆっくり一回りする。
夜のように蒼ざめた装束、金糸と見まごう髪、月のような乳白色の横顔と手。
翠玉色の瞳を眺め、尻尾の無い腰に一瞬だけ目を留めて両者は再び正対する。
再び向き合った時、娘は何やら重大な事に気づいたように頬に手を当てていた。
「ひょっとして。ひょっとして……皆にも、みんなお名前あるの?」
「当たり前だろ。俺達一人一人に名前はある。お前さんと同じ大切な奴がな」
ツクヤは聞くなり目を見開いた。周囲の狐耳ら一人一人に目にとめる。
──自分と皆は別の名、同じ言葉を持っている、と娘はすとんと理解を収めた。
それから、一人一人に近寄っては名前を聞いて回る。
ツクヤは今やはっきりと認めた。
個々別々、千差万別に多様な名の主たちとその顔や姿、動きを。
沢山の言葉を包み、世界は生きている。目を輝かせ娘は真昼に見惚れていた。
突然の奇行に困惑する狐耳達を前に、ツクヤは優雅に一礼する。
「初めまして!皆さん!今度も新しい世界さんこんにちわ!」
「何か台詞が急に賢くなった気がするゾ。ちと飲み過ぎたか」
「ううん、そんな事ないよジギトさん。皆も、どうかこれからよろしくね」
「おう!……ってお前らいつの間に!?」
制止を振り切り、何時の間にやら囲んでいた狐耳どもが殺到してくる。
化外の民と蔑まれ、神を持つなと命じられても気になるものは気になるのだろう。
まして、化身とされる存在が恐ろしくなる程美しい娘であるならば猶更だった。
害が無いかと見るやの変わり身の早さは流石といった所か。
おっかなびっくり応対するツクヤを眺め、ウォルは安堵の息を吐く。
「皆揃ってめでたしめでたし。仲良き事は素晴らしき哉」
「顔がにやけてるわよ?気持ち悪っ」
「お前もな。何の解決にもなってない気もするけど……」
「それでもいいじゃない。今に友達ぐらい出来るかもしれないわ。
あの子、十何年かを取り戻してる最中だもの。見守ってあげましょ」
考えてみればそんなに心配し過ぎる事もないんじゃないか。
自分は悲観的過ぎたのではないか。もしかすると、もしかしたら。
全てが上手く行くのではないか、とそんなウォルの思考をイファの声が遮った。
「あれ。ウォル、首の傷。……待って、その指輪は何?」
「ええっと……そうだ、拾ったんだ。こっちは転んで」
「隠し事は無しでしょ。誤魔化さずとっとと教えろ」
「ツクヤの仕業だよ。あの子がくれた」
「そう……長老様やロボの奴にも相談してみる。覚悟だけはしてなさい」
「ああ。──おっ、戻って来た」
見れば、手を振りながらツクヤが駆け寄って来る。
一時の平穏を祝うように真昼の空は抜けるように青い。
天高く雲は流れ、世はなべて事もなし。
──であるかのように今のウォルには思えた。
その筈だった。
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