第28話 山賊庭園



「ジ、ジギト。お前……げほっ、ごほっ。クソ、喉にパンが」

「お前、それ置きっぱなしだった奴じゃねぇか」

「朝ご飯だよ……って、何でジギトがここに」

「そりゃ──」


 うんぬんかんぬん実に適当。悪びれなくジギトは事情を説明する。

 どうも帰り着いてから今朝まで、凡そ一昼夜ほど経っていたらしい。

 それを聞くなりウォルは血相変えてベッドから飛び起きた。


「丸一日寝てた!?何で今まで起こさなかったんだッ!!」

「てっきり死んだと思ってな。新兵風情が一人欠けても変わりねぇよ」

「ええクソッ。落ち付け。落ち着いて考えろ」


 寝ぼけた頭を急回転させ、とっちらかった記憶を整頓する。

 どうも酷く錯乱していたらしいと率直な結論を下す。

 ついでに夜明け前の一幕もありありと脳裏に浮かび、消えた。

 ウォルは後悔と恥辱に思わず顔を両手で覆い、呻いた。


「僕ァ何て馬鹿な真似を……」

「さよか」

「で、何そのカゴ。色々はみ出てるじゃないか」

「飯持って来た。まだ食うだろ?」


 頷き、布団の上に広げられた食料へウォルは敢然と突撃を始めた。

 まずは茹で腸詰を引っ掴んで食べる。バター付きパンも同様。

 チーズは更なり。続いて勢いよく骨付き肉にかぶりつく。

 唖然(あぜん)とするジギトを傍らに、一息に胃の腑へ押し流す。


「しっかり噛めよ。喉につっかえるぞ?」

「煩いッ!バラックだって十二時間ありゃ建つわい!」

「そんな焦った所で早くはならん──あっ」

「ぐむっ……うぐぐ……ぐ……」

「おい!水!水もってこい!顔が紫色に!?」

「ぐぐっ……ぷはっ。ぶほっ、げほっ」

「牛飲馬食(おおぐらい)は勇士の心得と言うけどなァ。ほれ」

「うっぷ、うう。ありがと」

「礼なら皆にも言え。覆面無しの顔合わせは初だろ?」


 ジギトの言葉にウォルは改めて周囲を見回した。

 狐耳、狐耳、耳、耳、耳。右も左もどちらを向いても狐耳ばかりだ。

 その上、皆好き勝手ぴょこぴょこ動き、落ち着きない事甚だしい。

 どうやら隊伍の仲間たちが見舞いにやってきたらしい。


 むさ苦しさに気圧されつつ、狐耳らと挨拶や握手を交わす。

 概ねは赤狐。それに混ざる焼きたてパン色。黒いのはジギトばかりだ。

 ウォルは指輪をぎゅっと握り締めた。すると、心臓に温かさが灯る。

 負けるものかと思い直し、改めて食事を再開した。


 ──もっと上手くやれなかったろうか。


 人心地ついて手が止まると、不意に戦の不手際が想起される。

 今のままでは召使だの囮扱いが今後も続くことになろう。

 強くならねば生きていけない。黒衣の言は実際、どこまでも現実であった。

 で、あれば向き合って乗り越えるより他にない。良い案も無いけれど。

 答えのない無い自問自答を水と共に飲み下して打ち切る。


「そう言えばさ。戦はどうなってるの?」

「そりゃあ──」


 結論から言うと、攻勢は快調に進んでいるらしい。

 らしい、というのはジギトの物言いが実に散漫な為であった。

 相槌を打ち打ち、ウォルは脳裏の蝋板に要点をまとめつつ考える。


 戦勝が続くのは素晴らしいが、勝ち戦でも面倒事は多々生じる。

 例えば、物資集積の外にも召集した雑兵共の錬成など急務だろう。

 賊の多い土地柄ゆえ、頭数だけは困らずともそのままでは使えない。

 鍛え、指揮に従う隊伍とするには時間がかかる。

 幾ら物資を積んでも兵が無くては宝の持ち腐れだ。


 ではどうするのか。

 ジギトが言うには見所のある者を後送しつつ戦線は維持、

 訓練を終え次第、疲弊した兵と交代しながら再び戦わせるのだと言う。

 おっとり刀で駆け付けようとする敵よりも早く襲撃し、

 闇に紛れて去っていく、つまりはあの夜の再演を続けていく訳だ。


 もちろん敵側も馬鹿ではない。馬鹿ではないが組織力が無い。

 戦士は数多おれど、規律ある兵は少なく、軍は諸族の拠出や志願が主体。

 そんな有様であるから、文官や前線指揮を行う者もこちら同様に不足している。

 人手は足りているが人材が足りない有様だという。


 まして黒服の男という鬼札と略奪者達が夜に昼に跳梁跋扈している状況である。

 自分達の所領を捨て置いてまで呼び集められた戦士たちは士気低く、

 その上、神出鬼没の脅威が何時背中を刺すか解らないのでは動きも鈍ろう。


 無論、戦士や土豪の面子がある以上、彼らの土地への分捕りは看過できない。

 どころか、庇護を放棄したと民草に背かれその立場が危うくなることだろう。

 王を自称している不届き者などは相当に焦れている事確実であった。

 忍耐を削り落として死地に誘い込み、積んだ軍兵で一気に叩く──らしい。


 話が事実であれば、強大な熊を狼が先手取って引き摺り回しているような格好だ。

 ウォルの見る所、半分以上ジギトの希望的観測とも思えたが、

 経緯を詳しく知らされていない以上、一応の事実として受け取らざるを得ない。


「なんだか順調すぎない?東の戦士は凄く強いって聞いてたけど」

「向き合って馬鹿っ正直によーいドンで戦えばそうなろな」

「どーせ卑怯な事したんだろ」

「狡猾で抜け目無いと言え。こちとら喧嘩が強くて男前なんだよ」

「……もういいや、考えるの止めた。生きて帰れたし」

「卑怯だろうが何だろうが勝てばいい。それが全てだ」

「ソレ、ひょっとして受け売り?」


 素知らぬ風にジギトは顔を背け、とうとうと戦果自慢を始める。

 曰く、村々や街から調達した戦利品は山と貯め込んである。

 勝利を聞きつけ山間の諸族が次々と手勢を率いて加わりつつもある。

 ジギト曰く、この戦はきっと勝てる。一泡吹かせ、目にもの見せてくれる。

 奴らの豊かさを残らず奪ってやるぞ──と、ウォルは腕を組んでそんな話を聞く。


 そりゃお前の手柄じゃないだろう、とウォルは思うが首を捻る点が多すぎる。

 代わり映えのない勝利宣言の繰り返しというのはまだしも、実態はどうなのか。

 大体、幾らあの男が強くてもたった一人で軍を相手には出来まい──と、

 ウォルの疑念を知ってか知らずか、ジギトが不意に口を開いた。


「狭ぇ。河岸を変えようぜ。カビちまう」


 戸外に出て見上げれば、さっと晴れ渡る空。雲がゆるゆる流れている。

 野外テーブルには粗末な椅子が据えられ、ウォルは座って態勢を楽に崩す。

 滋養が体に染み渡るのを感じながら、のんびりと天を仰いだ。


「僕ぁ、もう腹一杯だ」

「腹ごなしに湯でも飲んでな。場に加わるのが一番大事だ」

「そーする。……手紙なんて書いてら。配達人も来ないだろ」

「行商やお前みたいな冒険者は来るわい。失礼な奴だな」


 手紙を代筆してもらう者もおり、会場は既に狐耳まみれだ。

 酒を飲む奴喋る奴、飯食う狐耳に乙女を侍らす輩までと宴の風情である。

 どうも一段落ついての戦勝祝いか何からしい。


「なんとまぁ狐耳だらけ。しかも若い奴ばっかり」

「大人はもう大勢死んだ。俺の親父もだ」

「……その、ゴメン。良く知らないのに勝手なばっかり言って」

「いいさ。それに俺達だって一人前の男。細けぇ事は気にすんな」

「ひょっとして……ねぇ、それ僕も数に入ってる?」

「おう。戦って勝ったならそら上等──細けぇシキタリは措(お)こう」


 曰く、山の民の生業の一つは盗みと略奪であると言う。

 半人前と言えど、仕事を成したなら迎え入れるのは作法であるらしかった。

 けれども、ウォルは納得がいかぬ。何せ地の果ての古ぶるしき田舎者共だ。

 イファが語って聞かせたように、因習固陋(いんしゅうころう)など多々あろうに。

 頬杖を突き、唇を尖らせ赤毛の冒険者は不服を申し立てる。


「大事にしてると思ってたけど、そういうのさ」

「何事も表がありゃ裏もある」

「何というテキトーっぷりだろう」

「細かすぎるとハゲるぜ?──どれ、祝いに一曲やろう」

「祝いって……何の?」

「赤毛のヘタレがくたばり損なった事に!そぉら暇人共、調子を合わせろ!」


 罵倒めいた号令の後、タンブリカ(注:東方のリュート)が歌いだす。

 抱きかかえて弦を弾くと、意外や意外、どこか寂し気な音楽だった。

 誰からともなく声と調子を合わせた言葉には。


 ──眠る我が子と妻との別れ。

 ──さらば家族と、お寂し月夜の友連れは一頭の駿馬ばかりのみ。

 ──飛び乗り猛き若人は今宵も仕事へ駆けていく。


 そんな謡(うたい)は朗々と。やはり、通夜は通夜だったらしい。

 アウトローのユートピアめいた場所でも人は死に、生きていくのだろう。


 ボウルの水で汚れた指を清め、ウォルは食事用のナイフをしまった。

 聞いている内に思い出すのは遠い記憶、戯れに母が奏でた曲。

 彼女はウォルを愛してくれなかったが、その歌と横顔は奇麗だった。

 日差しが差し込んだように陽気な宴は尚続く。


 一曲終わればもう一曲。今度は賑やか晴れやかだ。

 狐耳どもの幾人かが笑みを浮かべ、おもむろに木切れ片手に向かい合う。

 披露されるは手練れの早業!小気味いい音立て、打ち合いながらの剣舞を踊る。

 本来踊り好きな種族でもあるのだろう。別の狐耳どもは我も我もとそれに続く。

 閃き、舞い踊り、真昼の歌と交じり合っては天に向かって溶けていく。


「すげぇ……」

「興味あるか?やってみろよ、ウォル」

「危ないよ。それに僕にあんな踊りは無理だ」

「何事も訓練だ訓練。お前、剣はロボさんに習ってるらしいけど。

 いつでも剣使えるとは限らんだろ?アレコレやってみて損はないぜ」

「本音は?そりゃ器用に越した事は無いんだろうけど」

「酒のツマミ。それに折角の新人にあっさり死なれてもつまらんじゃない」


 ウォルは黒衣の男が棒だの何だの無尽に操る姿を思い浮かべた。

 確かに日頃から刀槍、武芸に親しむに越した事は無かろう。

 勧められるままナイフを受け取って投擲。明後日の方向に外れる。

 長棒片手に戯れていた狐耳どもがその無様を見て忍び笑いしていた。

 その一人が長棒をウォルに手渡し、手招きして言う。


「ウォル。剣一振りあればそれで十分、なんてロボさんみたいな達人が言う事だ。

 弓矢や槍が使えれば狩りも出来るし、投げ縄が出来れば家畜も扱えるようになる。

 街じゃ知らんけど、色々仕事も出来ないと何時まで経ってもお客様扱いだぞ」

「クソッ、どいつもこいつも好き勝手ばっかり言いやがって。じゃあ今度は棒だ棒」

「長物は振り回すんじゃなくて小さく扱うんだよ。ホレ、ホレ」

「こうかな。それともこんな感じ?」

「腰は入れ過ぎるな。そらっ、こうなるぞ!」


 突きかかった穂先がくるりと逸らされウォルの姿勢が崩れる。

 返す刀の狐耳、その一撃が少年の顔の真横に襲い掛かって動きを止めた。


「ま、参った。降参だ」

「いーや、立て。立つんだヒトミミ野郎。性根入れて俺から一本取れ。

 先ずは気合だ。クソ死にたがりなんぞ幸運からも見放されらぁ」

「何だよそれ!まるで意味が解らないぞ!?」

「心で理解しろィ。飯は食った。良く寝た。元気が無いとは言わせねぇ!」

「うわーっ!狐耳が攻めて来たー!?助けてー!!」


 狐耳どもはすっかりウォルの遊び道具扱いを決め込んでいるらしい。

 何たって珍しい新入りだ。嬉しくもなろう。残念ながら。

 我も我もと突撃していく連中を眺めつつ、ジギトは渋面を浮かべる。


「──ヤロォ馬まで引っ張って来やがった。おーい、そこまでだ」

「なんでこんなバカ騒ぎになってんだろう」

「皆して黙って座ってたら気が滅入るだろ。通夜だってのに」

「文化が違う。後さ、さっきから女連れでコソコソしてる奴らいるけど」

「戦のあとだからな。パーッとヤって憂さを晴らしてぇんだろ」

「げーっ……信じられない。もうちょっとこう、段階というか風情と言うか」

「何だそりゃ。そんなのが流行ってるのか?文化って奴か?」

「いや、流行り廃りの問題じゃなくって教会が。……ハァ、それにしても」

「んだよ。溜息なんぞ」

「掌返しがスゴイ。落ち込んでた僕が馬鹿みたいじゃないか」


 ウォルは頬杖をつきながらジギトに答えた。

 文化が違うと、僻地の蛮習と、一言で切って捨てるのは実に容易い。

 だが、実地で野郎共に振り回される身にはため息ばかりがついて出る。


「馬鹿なんだろ。喜べよ。仲間が出来たって事だ。手柄自慢の一つでもしろい」

「誰にさ」

「女だよ女。こう、なぁ。乳と尻がデッカくてカワイイの」

「いや、その僕はちょっと……」

「チッ、ヘタレめ。お優しいジギト様がお恵みを与えてやる。おーい!」


 呼びかけに答え、隊伍の仲間の狐耳が再びやって来る。

 ウォルがいぶかしむ暇もなく、彼らはがっちりウォルの肩を掴んだ。

 何だかよく解らないが、唐突に酷く嫌な予感がした。


「ウォル、童貞だろう。絶対童貞だよなお前。そういうツラをしている」

「……は?」

「逃げないようにそのまま固めとけ。都合が悪くなると遁走しそうだ」

「え、何。何この状況。説明を」

「これから卒業させてやると言っている」


 ──いきなり何言ってんだコイツ!?


 喉元まで出かかった一言を何とか飲み込み、ウォルは左右を見る。

 右を向いても笑顔。左を向いても笑顔。ジギトも実にいい笑顔。

 どうやら彼らなりの善意らしかった。それ故に余計に質が悪いと言えた。

 しどろもどろになりつつ、何とかウォルは言葉を絞り出す。


「そりゃぁ……そのぉ僕ァ」

「女も抱けず死ぬとか惨めでアワレで可哀想だ。さぁ喜べ。俺様を褒めろ」

「いやだからさァ!さっきから何言ってんのッ!?強引すぎる!」

「近くの町にいい女郎屋があるんだ。お前にゃ丁度いい」

「人の話を聞けぇッ!絶対僕は行かないぞ!絶対にだ!」

「拗らせやがってテメェ……そんな装備すぐ捨てちまえ!裸の冒険だ!行くぞ!」

「だからさぁ!なんでさぁ!商売女で卒業とか冗談じゃないよ!?」


 抗議の声にジギトは考えるような素振りを見せる事しばし。

 何考えてるコイツと言うウォルの視線を涼し気に受け流しつつ、

 ジギトは良い笑顔でどうしようもない台詞を続けた。


「素人が好きなら今からイファの奴の所にシケこ──いや、ひょっとして別口か?」

「違う!僕は正常だ!止めろー!止めろーー!!グワーッ!!」


 悲鳴ばかりが空しく響く。あわや、ウォルがそのまま連行されようとした時。

 彼方から近づいてくる見覚えのある二人連れの姿が見えた。


 

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