第26話 名前のない怪物
煙漂う焼け跡を後ろに、夜明け前を騎馬は駆けていく。
騎手の背に縋りつき、ウォルは肩越しの夜明け前を見上げていた。
何もかも平板に見える。話しかけてくる狐耳どもの声が酷く遠い。
ただひたすら疲れていた。疲れ果てていた。
──報復だ!破られた約定の報いだ!まだまだ殺してやろう!
──裏切者の奴らめに報いをくれてやった!喜ばしい夜だ!万歳!
狐耳らはそんな意味の台詞を口々に囃し(はやし)立てている。
やかましい声を聴き続けていると張り詰めた神経が遂に弛緩していく。
煮崩れていく心の中で、反響するように狐耳達の歓呼が聞こえた。
続くのは裏切ったのは相手が先で、故に自分達こそ正しいという単純な理屈。
基づいて振り上げた腕は互いに武器を執り、お互い敵の心臓を狙い合う。
先の恨みの為に。過日の過ちを雪ぐ為に。積み重なった疑念と怒りの故に。
何時までも続くは栄えある戦乱。天に届く程詰まれるのは死骸の山。
狐耳どもの手前勝手な言い分は続く。ウォルは上の空に聞き流していた。
ジギトが怪訝そうに一瞬だけ振り向く。返事すらできない。
──彼らも自分も所詮は賊だ。人殺しが助け合い窮地を切り抜けただけだ。
──だけど、他の選択肢なんて無かったじゃないか。
ならせめて、みんな良い奴らだといいな、とウォルは他愛もない事を思った。
ゆるい笑みが自然と顔に浮かぶ。何か適当な事を喋りたい気分だった。
幸いなことにジギトは勝ち戦で酷く上機嫌だった。
「でも。慣れないよ。こんなの……うっぷ」
「背中で吐くんじゃねぇぞ? ったく、都人の心は解からんぜ」
そのまま馬を走らせ、集合場所にたどり着いた。
糸杉葉を斜掛した仮設テントが幾つも並び、焚火の煙が上がっている。
その一つで、ロボ=ヴォーダンセンが腰を下ろしていた。
「ご苦労さん。手筈はどうだった?」
「上首尾だ。ウォルのお陰だぜ」
「重畳(ちょうじょう)、人の嫌がる事は進んでやらんとなァ」
同盟者や雑兵、他の隊の者らも仕事を終えて帰って来たのだろう。
焼き締めた平たいパンをかじる者、水筒で喉を潤す者、
ダイスに興じる者など思い思いの休息を過ごしている。
一区切り報告をジギトから聞き終えると、ロボは少年を見咎めた。
「ウォル。そのツラぁ一体何だ」
「……こんなの絶対おかしいだろ!!」
つまらなそうな口調に、遂にウォルの感情が爆発した。
柳に風と受け流し、黒服の男は返事を返す。
「なんて良識的なご意見!!戦争やってんだぞ?」
「何がおかしくて笑う!何が戦争だ!ただの山賊じゃないか!」
「兵隊だろうが賊だろうが戦でやる事ぁそんな変わらん。
説明したじゃねぇか。敵の備えは潰すもんだってよ」
「嘘だ。正々堂々、正面から戦って──物語じゃその筈じゃないか!」
脳裏に思い浮かべるのは薄っぺらく安っぽい、よくある英雄物語。
妄想の中では少年は軍馬に跨り、堂々と進み、敵を打ち破る。
何故ならば三文小説ではつまらない彼こそが世界を変えるヒーローであるからだ。
けれど、現実にはそうであってくれ、そうあって欲しいという泣き言に過ぎない。
黙って聞いていた黒服は鼻息を吹き出し、呆れ顔で答える。
「こちとらおとぎ話の騎士様でも何でもねーぞ。落ち付けって」
「子供だって殺したのに!あんなに簡単に!」
「ったく、生真面目すぎるのも考えもんだな。いいか?」
言葉を区切ってロボは立ち上がり、あっさり返答を返した。
要点は二つ。殺さねば勝てない。勝たねば狐耳共に未来なぞ無い。
なにより数も質も未だ敵方が有利でこちらが不利だ。
手段を選ぶような余裕なぞあろうはずも無かった。
動かしがたい現実がウォルの幼稚な問いを尽く弾き返し、叩き潰していく。
脇に控えて聞いていたジギトは笑みの形に口を吊り上げていた。
「面白れぇ奴。所が変われば考えも違う。ロボさん?」
「ジギトよぉ、次どうやって殺すか考えてたろ。困ったもんだ」
「お前ら……」
へたり込んだまま絶句するウォルに、ロボはしゃがみ込んで視線を合わせる。
それから、ゆっくり噛んで含めるように黒衣の男は語り出した。
「あんなぁ、ウォル坊。平生の常識をいくさに持ち込むな。
耐え切れなくなったのはよーく解ったが、人の心はしまっとけ」
相手を人間と思うなとロボは言い、軽い調子で話を続ける。
無言のウォルはよどんだ目で常と変わらない黒衣を見据える。
生き残らねば勝てない。ウォルは未だ教えを乞う立場だった。
「人倫道徳守って立派に討ち死にしましたなんぞ笑い話にもならん。
それにだ。ウォル坊、お前段々と相手の顔が解らなくなってきてるだろ?」
「あれは……ただ。僕は、無我夢中で。命令されて……しょうがなかったんだ」
「出来ない奴から死ぬからな。で、これが重要。それはな──」
言葉を区切ると、黒衣は髭面を笑みの形に吊り上げる。
底すら見えない深い井戸のような黒い瞳が真っ直ぐに覗き込んで来る。
ぞくり、と少年の背筋が震えた。現実が逃げ回る心に追い付いた。
「戦に馴染み始めた証拠だ。そのうち人を野菜みたいに切れるようになる」
「そんなの……」
ただの怪物じゃないか、という一言をウォルは辛うじて飲み込んだ。
否定したくとも、過ぎた事は決して覆らない。事実は決して変わらない。
血で汚れた腕と体はまるで石に変わってしまったかのように重い。
ロボはウォルの肩に手を置いて静かに、しかしきっぱりと告げる。
「ウォル、あの娘の為に強くなりたいんだろう?なら、手を汚す事を拒むな。
敵を殺せば殺す程、屍を積んだ分だけお前は強くなれるんだ。
お前にゃ特別な才も能もねぇ以上、対価無しに願いは叶わん。違うか?」
「それは──」
「気張って命を積み上げろ。お前の手がお月さんに届くまで」
ウォルは俯いて自分の掌を見つめた。傷があり、乾き、土で汚れている。
動いていなければ地に横たわる死体のようだ。先刻の、炎の光景が蘇る。
肩は強張り、下げた顔に脂汗が滲む。荒い息はうるさく、胃はうごめく。
たかが人間の一人の死さえ、実際の所はこんなにも重い。
この世界で強くなるとは、その重さを無数に背負う事でもあった。
華やかな強者たちの足元には無数の枯れた骨が転がっている。
──ならば、自分の願いの意味は?
問いとは即ち答えである。ウォルは理解し、呻いた。
「きっと、あんなに人が死んだのは僕のせいだ。……僕のせいでもあるんだ」
「馬鹿言え、うぬぼれるんじゃねぇよ。今のお前に何が出来る。
割の良い考えをしねぇとウォル坊よぉ、あっさり死んじまうぞ」
「あんたのせいだと?」
「そうさ。何たって俺は仕事に対して真剣な男だからな。
お前らを使って戦を作ったのは、この俺だ。違うか?」
「でも、そんなの卑怯者の考えだ。そんなにまでして……何で」
「卑怯者、犬畜生と罵られようが、最後に勝てばいい。それが全てだ。
死ねば人間それっきり。誰であっても生は一度で二度は無い。そうだろう?」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「お前が望んだ事を成しとげろ。強くなれ。期待してるぞ」
押し黙るウォルを追い払うと、ロボは腕を組んで考え込む。
ジギトは困惑しきりといった風であった。
「どうしたもんかねぇ。困ったもんだ」
「ロボさん。あいつ、大丈夫なのか?凄ぇ嫌そうなんだが」
「ただの子供だからなぁ。それに繊細な奴なんだよ、アイツ」
「それじゃどうにも頼りないっつーか……何か良い手は無いもんか」
考える事しばしのジギト。手を叩いて言った。
「皆で金出して女抱かせてやろうぜ。男になって一皮むけるかも」
Next.
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