第25話 ボヘミアン・ラプソディー




 戦の夜が始まった。炎を合図に彼方から騎馬が突っ込んで来る。

 夜闇裂く火矢の群が次々と藁ぶき屋根に命中し、ぱっと火の手が上がる。

 かと思えば狐耳の騎馬隊は花でも投げるように燃える藁束を次々と放り込む。

 闇夜と星空と炎と、まるで緋色で飾った黒布などと嘆息している暇は無い。

 揺れるウォルの視界の中で、大混乱が始まっていた。


「どうなってる!?何だこの騒ぎは!」

「賊です!狐耳の!そいつら火を──」

「見れば解かる事を!クソっ、どっちだ!?」

「どっちって、何が──」

「馬鹿野郎!敵だ!邪教徒共はどこだ!」


 ウォルは見当違いの方向を教え、それから思考を整理する。

 村落であっても壁を備え、十分に守りを固められては攻囲戦だ。

 無理攻めでは味方の被害ばかりが増える。予定通り混乱に乗じるのが最善だ。

 最善の筈だ。焦り、疲れ、もつれた頭ではそれ以上は思い浮かばない。


 あちこちで篝火のような藁ぶき屋根が煌々(こうこう)と夜を照らす。

 怒号と悲鳴響く阿鼻叫喚(あびきょうかん)の火事場をウォルは走る。

 道々で村人とすれ違う。彼らの顔は炎の照り返しで見えない。


 ウォルは不思議と恐怖を感じなかった。心臓と荒い己の息ばかりがうるさい。

 走り疲れて立ち止まると、傍らでメキメキ音を立て燃える家が崩れた。

 顔を向けると、じゅうじゅう焼ける死体が助けを求め夜空へ腕を伸ばしていた。

 人の肉の焦げる臭いがする。パチパチと炎が弾けるリズムが鼓膜を叩く。


「うっ、うげぇっ。げぼっ」

 

 途端、胃液が反射的にせり上り、前のめりにウォルは嘔吐した。

 腹は空になる一方、理不尽な現状への怒りがふつふつと湧き上がってくる。

 

 ──何で僕が山賊の真似事やらなきゃいけないんだ!?何で僕が!!

 ──畜生、あの黒んぼ後で殺してやる。


 等々、汚物めいた感情が流れる。ただの癇癪、八つ当たりだと解っていた。

 その情動を無理矢理押し殺す。喚き散らした挙句に焼け死ぬのは御免被る。


「クソッ、吐いちまった……うわッ!?」

「誰だお前!?この前の余所者──昼間は居なかっただろ!」

「だからどうした。僕ぁ、今さっき来たばかりだ!」


 乱暴な問いにウォルは汚れた口元を拭いながら怒鳴り返す。

 癪(しゃく)に触ったらしく、俄かに酔漢は怒気を浮かべる。

 さっきまで飲んでいたのか相手は酷く酒臭い息を吐いていた。


「……なぁ、お前賊だろ。正門は夕刻には閉まるんだ!」

「僕人間ですよ!?ほら頭見てよ、狐耳じゃない!! 言いがかりだ!」

「問答ォーー無用!!」


 直後、男が喚声を上げ突っ込んで来る。

 失策を悟るががもう遅い。今この時は暴力だけが現実の全てだ。

 闇夜と炎の中で思考を閉じる。ウォルは迎え撃つべく即座に抜刀。

 広がった腕を畳んで息を吸い、間合いが詰まる前に泥濘から足元を移す。

 一手遅れれば死ぬ。故に、危機へと踏み込んで腕を狙う。


 小振りな剣では間合いで不利。ウォルは躊躇せず危険へ飛び込む。

 戦の興奮に思考が冴えるが、それは相手も同じ事だ。

 痛みや恐れを置き去りに──しているだけでは勝てない。

 袈裟切りの斧を間一髪で避け、返す一撃を食らわせる。

 だが、敵はそこらの木切れを拾って受け止めた。


「なんて反応!? 酔払いの癖ッ!」


 ナイフを抜き打ち、ウォルは敵の胸を切り上げる。

 他方、浅い手傷に構わず、東の戦士は斧を振り上げようと試みた。

 ウォルは斧の背を間髪入れず踏み、動きを抑え込もうとする。

 その時、敵が笑みを浮かべた。嫌な予感の直後、戦の咆哮が響く。


「えっ」


 足元から突き上げるような圧力。引き続いて、唐突な浮遊感。

 一瞬の混乱の後、見下ろすと燃える村。ウォルは夜空を飛んでいた。

 比喩ではない。東の戦士の仕業だった。


 投げ上げられたと気付くが支えも足場も何もない。

 手足を振り回すが、支えの無い空中では空回りするばかりだ。

 恐るべし東の戦士。腕力一つで信じられない事をやってくれる。

 正面突撃は失敗──と後悔する暇もなく状況は変動を続ける。


 炎を突っ切り、騎馬が駆けまわっているのが眼下に見えた。

 突入したジギトらが更に混乱を撒き散らしているようだ。

 上手くやれたか、と言う一瞬の安堵はすぐに落下感へと変わる。

 苔むした藁屋根がみるみる迫り、そのまま墜落。衝突、衝撃が走る。


 メキメキ音を立て屋根に大穴を開け、ウォルは地面へ着弾した。

 痛む体を起こすと、馬のいななきが朦朧(もうろう)とした思考を覚ます。

 幸運な事に馬小屋の藁山に落ちたようだが、神に感謝する暇も惜しい。


「エホッ、ゲボッ……遅ェよ大馬鹿野郎共」


 悪態を吐きつつ立ち上がる。足も腕も大事無く、どうにか無事に動きそうだ。

 彼方ではジギトらの騎馬がさっきの斧男相手に大立ち回りを演じている。

 けれども騎兵が足を止めては引きずり降ろされて袋叩きにされるだけだ。

 ウォルは周囲を見回し、嘶(いなな)き暴れまわる馬を見て思いつく。


「尻が焼ける前に逃げちまえっ!」


 ウォルは次々と房を暴き、馬小屋を開け放った。

 うまくすれば多少なりと住民どもの注意が逸れるだろう。

 火焔に照らされ、変幻する人馬の影絵が夜の村をうごめき駆け回る。

 踊り狂う火影に惑わされてはならぬとウォルは唇を噛みしめる。

 ジギトらの下へ駆けつけると、さっきの斧男が血の海に倒れていた。

 

「コイツ、まだ生きてるぞ」

「殺せ。もたもたするな──ウォルかッ。やったな!大手柄だ!」

「……うん。そっちは?」

「見ての通り順調──」


 その時、陰から子供が一人飛び出し、倒れ伏している男を見て悲鳴を上げた。

 父さん父さんと亡骸に縋りつく所からすれば、息子か何かであるらしい。

 ウォルは思わず口元を手で押さえながら、周囲の仲間たちの様子を伺う。

 彼らは、まるでこれから屠殺する豚を見るような目をしていた。


「チッ。おい、槍よこせ」

「馬鹿っ、ジギトお前何するつもりだ!?」

「殺すに決ってんだろ。……何で止める」

「よせ!!子供だぞ!?子供まで殺すつもりか!?」

「それがどうかした?こいつらが俺たちに何をしたか、知ってるだろう」


 ジギトは鉛じみて平静だった。他の狐耳らもそうだ。

 それは煮詰まった憎しみと悪意のせいだとウォルは理解してしまった。 

 ウォルは道行きに聞かされた争いの経緯を思い出す。

 親兄弟を殺された者も居よう。その中には幼子も居たのかもしれない。 

 固く凍った過去が、まるで石くれのように狐耳らを頑なにしていた。


「人殺し!」


 子供は震える声で非難の叫びをあげた。

 堰を切ったように同じ叫びが何度も何度も繰り返される。

 風のように受け流し、ジギトは槍を振り上げ子供の頭を叩き割った。

 リンゴのようにあっさり頭蓋が砕け、湯気立つ脳髄がまろびでる。


「子供が……今、子供を、お前」

「だから何だ。同じ事をしてやっただけだ」


 平然としたジギトの声が酷く遠い。

 彼らは復讐心と敵意に淀み、濁った目をしていた。

 気安げだった男達の底知れない悪意に気圧され、ウォルは思わず後ずさりする。

 何かが切れる音がして、涙がその頬を伝う。誰も彼も、何もかもが狂っていた。


「お前の趣味には付き合わんと言ったろうが」

「だって。いや、ゴメン。僕が悪い。何で……こんな。うぶえっ」

「……テンパってやがる。俺らで支えるぞ!!──おいウォル」


 リゼンは馬から飛び降り、放心状態のウォルの肩を両手で掴む。

 そして、大きく息を吸い込むと大喝を発した。


「目ぇ覚ませ!お前、何の為にここに来たんだ!!」

「ぼくは」

「戦わなきゃ死ぬぞ!!歯ァ食いしばれッ!」


 怒声を張り上げ、ジギトは力一杯ビンタを取った。

 それから腕を握って、半ば無理矢理ウォルを引きずり起こす。

 粉々に砕けかけた心を、痛みと衝撃が無理矢理に方向づけた。


「立て。全員で生きて帰るぞ」

「畜生、絶対後でブン殴ってやる」

「何時でも相手になってやる。……もう大丈夫だな?」

 

 血反吐を吐き捨て、ウォルは無理矢理に意識を単純にする。

 今は戦争のはらわた。深呼吸すると思考が戻り、心が鈍磨するのを感じた。

 悲鳴も徐々に聞こえなくなる。夜天を睨み上げた少年の顔は固く強張る。

 意図的に細部を切り落とした思考はどこまでもシンプル、すっきりとしていた。


「……ジキト、状況は?」

「敵さん火消しを諦めて総崩れ。よって騎馬でケツを蹴り上げる。

 徒歩組と集めたモノと金を持てるだけ運び出してくれ。指揮は任せるぞ」

「小勢を二つに割ったら危険じゃないのか」

「覚えとけ。戦意を失って敵が逃げ出したら戦じゃねぇ。人間狩りだ。

 脅して散らして落伍した奴だけ食えればオツリが来る」

「女子供もいるから最後の一人まで抵抗したりはしない、のかな」

「今度から顔見られたらすぐ殺せ。そんじゃま、頼むぞ」

「……地獄だ。まるで地獄じゃないか」

「それでも俺達の仕事だろうがッ!男になれッ、ウォル!!」


 ジギトは馬に飛び乗り一喝した。

 所詮、居残り連中は兵をかき集めた後の留守番役ばかり。

 士気低く、足手まといまでいるとあっては最後の一人まで戦う筈もない。

 ウォルは、表情を隠すように再びフードを目深に被った。


 家々は相変わらず天を焦がせと炎を噴き上げ燃えている。

 分捕り働きや逃げる兵を追い散らすのはおまけに過ぎない。

 設備破壊という目的からすれば、仕事はもう終わったも同然か。

 やがて再集結し、追撃を開始した騎兵たちの鬨(とき)の声が響く。


 ウォルも持ち場へ走る。その表情は硬く強張っている。

 これは全て命じられて行った事。しかし、どうであれ結果は同じだ。

 少年はその手を自ら血で汚した。この地獄にはウォルも加担したのだ。

 ──僕は人殺しになってしまった、と今更ながらの自覚が降り積もる。


 初陣と勝利は酷く苦い味がした。



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