第23話 過去はともあれ恨みは残る
扉を潜ると、老人の陰険な視線がロボ=ヴォーダンセンを出迎えた。
男は軽く手を振るも、狐爺の古びた棺桶めいた面構えは変わらない。
今頃は酒盛りでもしているだろう若者どもを思い浮かべつつ、
黒衣の男は今宵の仕事にとりかかろうとしていた。
「冒険者か。遅くに勤勉な事だ」
「おう。お嬢とジギトは爺さんの差し金だな?」
「仕方あるまい。あの小僧が妙な気を起こさぬ為の保険よ」
「女と友人をでっちあげると。狡っからいねぇ」
「お前が言うか。神子様と坊主の件は貴様の独断だろう」
「そりゃ行きがかり上って奴さ。おひぃさんは──」
「やっとお休みになられた。理由は知らぬが随分嫌われておるな、冒険者」
「現状はどうよ?」
狐耳の老人は大机に陣取り、無言で地図を広げた。
大まかな地形が描かれた荒布の上には幾つか小石が乗っている。
白が味方、赤褐色が敵らしい。狐爺が渋面で紅白の石をくるくる入れ替える。
「相変わらず全く情勢が定まらん。嫌味なほど貴様の読み通りだ」
「敵も味方も猫の目みたいに右往左往。まぁねぇ、そりゃあねぇ。
ここいら元々そういう土地だしな。しょうがないって奴だ」
「血族ら以外の外様(とざま)はアテにもできんわ」
「勝ち続けなけりゃ味方が逃げて未来も無し……なんとも愉快なこった。
休戦中のようだが、それも敵さんのご都合次第だろ?」
目先の頭数だけ揃えても所詮、血も土地も分かたない烏合の衆だ。
安い甘言を囁(ささや)きあった所で利益と勝ち戦が続く間に過ぎぬ。
だから戦友は兄弟、隊伍は家族などと見え透いた嘘を吐き、
利が無いと見るやすぐにも逃げ出す役立たずどもである。
老人は首肯し、不愉快そうに言葉を続けた。
「奴らは戦の準備をしておるに過ぎん。じき押し寄せてこよう」
「守ってばかりじゃ勝てんぜ?どこかで叩き潰さんと」
「方々で話をまとめておる最中じゃ。面倒を押し付けて逐電しおって」
「仕事だったろ。逆恨みすんなよ」
けれども馬鹿と鋏は使いよう。
逃げようにも逃げられない戦場なりを用意してやれば良い。
信用できない味方共もそれは重々承知。為に金と暴力が必要になる。
「戦利品だのを売った蓄えは?」
「もう無い。全てばら撒いた。言っておくが、生金(いきがね)じゃからな」
「貧乏は辛ぇなぁ。その点、東国だっけ?解らん事も言ってるが敵さん凄ぇよ。
税(アガリ)もあるし、人使ってモノもメシも作れる。募兵にも困らん。
自称とは言え……国相手の喧嘩とかマジで割に合わねぇ」
「未だに負け無しの男らしくもない台詞だな?」
「負けたら終わりの綱渡りじゃあ自慢にもなりゃしねぇよ。
戦利品はばら撒いて全然残らねぇ。くたびれ儲けで腹が減るばっかりだ。
敵さん豊かだから今のとこ何とかなってるが、しくじったら即破綻だぞ」
自称と言えど国。衰微しきった狐耳どもが抗し得ても一時の事だ。
当初押し寄せた軍勢は天険に籠り、兵站を焼き指揮者を殺して辛くも退けたが
戦士以外の働き手や若者、余所者までも組み入れるほど余裕が無い。
座視していてはその内押し切られるだろう。
名望を集め、財貨を集め、兵を集めてもそれだけでは国には勝てぬ。
根城を造り、略奪し、戦場で勝つのみでは戦さえ終わらない。
侵略者に抗し続けるには拠って立つ自らの仕組みを持たねばならぬ。
「こんなザマでよ。頼られっきりで持ち上げられても溜息しかでねぇよ。
国作れ国を。このままじゃ可哀想な冒険者として過労死しちまうだろ」
「盟破りが露見すると敵が増える。今は可能な限り避けねばならん」
「神を持つな、国を持つな、ただ罪を償い続けよ、か。酷ぇ話だ。
おかげで目下地獄の焦土戦と来たもんだ。乗りかかった船とは言え」
地勢の問題もあり、敵味方が顔を付き合わせての会戦は当地では珍しい。
西方と違い、城塞の類が未発達である蛮地の戦とは文字通りに禍であった。
それは敵地の焦土化であり、経戦の意志を断念させる事に他ならない。
狐耳爺は眉を持ち上げてロボを睨む。
「面倒が嫌なら縄張りにすれば良い。貴様の血は一族に欲しい」
「嫌な事言うな。俺ぁただの旅がらすなの。身を固めるお年頃でもねぇの。
天地の内に我が身一つの気楽な身分が性に合ってんだよ」
「解からん奴だ。恐ろしい男かと思えば、底抜けの馬鹿にも見える」
「仕事に忠実なだけだ。金と地位は鎖と足枷だろ。
そういうなぁ、油断も隙も無い振る舞いしてっから周りから警戒されんだよ」
「状況を整理した書付だ。目を通せ」
紙片を眺めつつ、ロボは絵に乗った小石を押し出す。
地図上にはなだらかな平原が続き、島のような集落が点在していた。
町や村々が少ないのは平地故に魔物の侵入を防ぎきれないという事情にあるが、
一方で地味は豊かで、拓いた黒土に麦粒を落とせばそのまま育つ程。
瘦せた地しか持たぬ狐耳共にとっては涎が垂れるほど羨ましい豊かさだ。
土だ、土地だ。我が王国のかつての領土に昔日の敵が住み着いている。
もしも、もしも。奪い返したなら飢えも、育たず死ぬ子供らも減る事だろう。
国を作るな。神を持つな。過去の罪を贖い続けろと盟には定められた。
しかしながら。殺すな、奪い返すなと彼らは縛られてはいない。
なんで我らは今ああではない。我らのものを奪った輩は許せぬ。絶対に許せぬ。
その叫びが、抑圧された復讐心と憎悪が。飢えたる略奪者達を突き動かす。
──さておき、獲物に食らい付くにも先立つものは必要だ。
「金策と偵察だな。時間稼ぎを兼ねて略奪道中と洒落込みたい」
「面子を潰せばすぐにも襲い掛かってくるのではないのか?」
「考え無しに準備不足で攻めかかって来るなら楽でいいさね。
どんなヘマやらかしたか、もう一度教育してやるだけの話だ」
民を守れない首領はその民から軽侮(けいぶ)され、憎まれる。
しかしながら下手に攻めた所で黒い剣士が再び木っ端みじんに打ち砕く。
ならばどうするか。先の通り地盤固めと前準備がおける定石だ。
当然、金もかかれば時間もかかる。狐耳が付け入る隙はそこにある。
敵どもは動きたくとも今は動けまい、とロボはそのように看破していた。
「前の時、俺が散々夜襲で焼いて潰して回ったから慎重になってるんだろ。
隊長だの副官だの散々切り倒したってのにもう立て直したのは驚きだが」
「前々から西国とやらの入れ知恵があると聞いた。小癪な連中よ」
「或いはこっちが攻め切れない、ってのを把握してやがるのかもしらんね。
向こうさんも短気粗暴の野蛮ちゃん揃いだろうに良く抑えてやがるよ。
文武の官を取り揃えとなりゃがぜん面倒になって来る。つか無理だ」
「兵や略奪品の差配は今後も任せる。好きにせい」
「気軽に言ってくれるなァ……」
味方の駒を一か所にかき集め、黒衣は地図を睨んだ。
季節はそろそろ収穫前。先年の蓄えも底が見え、貧者が飢えに苦しむ頃だ。
すぐにも食い繋ぐ為の戦いが始まる。貧しい山間では毎年恒例の出来事であった。
「貧乏な食い詰めモンだけは大勢いやがる。……が」
仕事も土地もない貧乏人をそのまま放置しても良い事は何一つ無い。
里の近隣は高地で気温が低く、土も痩せている上に耕地も狭い寒村ばかり。
血と命しか売り物が無い若い男達は、勢い山賊稼業に走るのだ。
貧しい土地に半裸で縛り付けられるよりも、奪い戦い死ぬ事を求める男も多い。
言い換えると、不要な人間を集めて回る良い機会であるとも言える。
協力を渋る村々とて、単なる口減らしとなれば説得の余地はある。
「こういう兵を動かすなら雑でも早い方がいい。さて、どうするね」
「敵に活計(たつき)を求めよ。当面は手弁当以上は期待するな」
「与太者集めてパーティーか。いよいよもって山賊だな、楽しくなって来やがった」
「ハ、これも一族の家業よ。だがワシも老いた。選抜と編成は貴様がやれ」
「結局丸投げか。脱穀、輸送、パンにして──夏から秋には本格的な戦になるな。
こっちの準備にも時間がいる。手は早めに打ちたい。整理するぞ」
ロボは白い小石を抓み、白石の弧に突出している赤石と入れ替える。
さしあたっての目標はまともな軍兵をかき集め、維持する為の下積みだ。
日和見を抱き込むにも、兵を募るにも金銭が入り用となる。
山一つ隔てて種族すら異なるこの土地では、金と力は数少ない真実だった。
そして戦略は三段階。第一には雑兵で敵を搔きまわし財を集める。
続いて集めた金で多少なりとも戦える手勢を作り更なる収奪と打撃を加える。
かくて無理矢理にでも膨らませた軍勢を敵本営に叩きつけるのだ。
幾ら鋭い刃と言えど軍兵に砦という鎧で固めた王の首には難儀する。
故にドアを蹴って財貨を奪い取り、狩場へと引きずり出して殺すのだ。
「細部は戦いながら詰めて都度報告する。調略、調整の類は投げるぞ。
全く、どいつもこいつも解りやすい蛮族ばっかりで困ったもんだ」
「時を稼げ。一日でも長く。儀式さえ滞り無く進めば──」
「おお、それだそれ。こっちのお祭り騒ぎの準備はどうなってんだ?」
「遺憾(いかん)だが、今の所は順調だ」
「遺憾なのかよ。っと、一つ相談なんだが──」
ロボは向き直り、質問を投げかけた。
曰く、これまでツクヤのような生贄が神に成り上がり損ねた例は無いか。
或いは、成り上がった後、還らず地上に留まった例は無いか、と。
問われ、狐耳爺は長考を始める事しばし。
「心当たりが無くは無いが……」
「現実的に無理ってか?」
「地上におわす間、我らの神の体は物質化した魂の欠片──マナだ。
しかし、莫大な量を消費し続けねばいずれ消え去る仮初の姿に過ぎん。
神秘、魔法──不思議を地上に留める事自体が自然の理に反しておる。
過去には奴隷共の血と命を捧げ続けて実現していたと伝わっておるが──」
「その結果がご覧の有様、って訳だ。二度目は許しちゃ貰えまい」
つまり必要なだけ生贄と血さえ準備できれば可能ではあるらしい。
まさか貴様、と老人の不信に満ちた目に気づき、ロボは首をすくめる。
「やらんよ。うっかり悪の王国が復活したと上へ下への大騒ぎになる。
皇国、西国辺りが気付いて本気で介入すりゃ流石の俺でもどうにもならん。
……いやねぇ、小僧が生贄を何とか止めさせたいとか言い出したからよぅ。
日頃の頑張りに免じ、俺様が要らぬ世話でも焼いてやりたくなってな」
「あの餓鬼め、恐ろしい事を考えおる」
「実際、なんぞ手段とか心当たりは無いのか?」
「無くは無い」
「まさか人化の術か?一度、古の龍が用いている所を見た事がある。
あの手の奴らは半ば以上魂の欠片のみで己を維持してると聞いたが」
「アレは龍の用いる神秘じゃ。ワシらにはとても真似出来ん」
そも魔法とは、命を対価に超常の現象を引き起こす業とされ、
概ね発動時に使用される魂の欠片の量でその規模は規定される。
為に、個が用い得る魔法には種族ごとの限度が存在する。
例えば強大な龍種は己のみで奇跡めいた現象を引き起こすが、
これは彼らが生まれながらにして極めて多くの魂の欠片を持っている為だ。
生物としての格そのものが人間とは異なる種族であり、
文字通り、彼らは呼吸をするように魔法を使う事ができる。
ところが人間やその近縁種では、話はそう簡単ではない。
殆どの場合、その魔法は上位種族の模倣であり、出来損ないの奇跡である。
加えて使い手自体が希少で、かつ個人の才に依存し再現性が無い。
魔法使いとはあくまでも人間の例外を指し示す言葉であった。
しかも大抵の場合、魔法の業は徒弟制で相伝されると相場が決まっており、
その体系化、技術化など未だ夢のまた夢というのが現状である。
確実な事は一つだけ。出来る事は出来る、出来ない事は出来ない、だ。
「それにだ。神子様には仕組みが全身へ既に組み込まれておる。
恐らく神ご自身が作り上げた代物じゃろう。少しでも弄れば何が起きるか解らん。
何せ、ワシにさえどういう仕組みで何が起こるか読み解く事が出来んのじゃ」
「じい様でも無理か。滅んだ王国の秘術邪術を受け継いでるんだろう?」
「無理じゃな。薪の炎に蛇へと姿を変えよと命じるようなもの。
古の時代には鎧へと姿を変じた神格も在ったらしいが、眉唾じゃ」
「魔法と言っても不自由なモンだな」
「そう簡単ならこんな土地に留まってはおらん」
「じい様は嫌にならんなのか?面倒事ばっかりで」
「こんな村、ワシ諸共無くなった方がいいさ」
「じゃあ、さっさと無くせばいいだろう。アンタも困るまい?」
「……世迷言を言うてしもうたな。許せ」
「まぁいい。俺は俺の仕事をするまでさ」
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