第22話 岩の上の家



 固い岩の上に小屋がある。そんな第一印象であった。

 村と外界を隔てる野原に建つあばら家が黒服の男の住まいらしい。

 最低限手入れはされているらしく、何とか一晩過ごせない事もあるまい。

 だが、文字通り最低限と言う風情だ。ウォルは呆けたような表情を浮かべる。


「はー……なんと小さい家。これ、二人も入れるの?」

「薪割りするぞ。生活これ修練だ」

「えっ。まだあんなに残りがあるのに……」

「大切な事ぁ毎日やらんとダメだ。何事も積み重ねだぞ」

「そうなの?」

「そうだ。手ぇ動かせ」


 カァン!小気味いい音を立ててロボは玉切りした薪を次々割り始める。

 家畜や畑を持たない放浪者としては日々の準備は生活に欠かせない。

 ウォルは手斧で薪を細かくし、雑木の芝を刈り集める。


「ここらの野ッ原は共有地でな。狐耳連中が羊だの山羊だのを放してる。

 柴や枯れ枝も採れる。蛇松なら大きいのがあるが、ありゃ油で煙たい」


 この黒服は余所者の癖に共有資源を扱える立場にいるらしい。

 聞けば戦働きが認められてと言うが、それにしても貧しい暮らしぶりである。

 手早く薪棚に薪を詰めるロボは半裸だ。上半身は前も後ろも戦傷だらけ。

 生返事を返しつつの作業をウォルは続け、退屈しのぎにロボは喋る。


「でな。なんだかんだ言って里者との交易抜きじゃあ回らん。

 泣こうが喚こうがすくすく木立や麦が生える訳でなし、材木一つで一苦労だ」

「ねぇ、暴力で横車が通るんじゃないの?それぐらい何とかさぁ……」

「次々ぶっ殺したら伝手が消えて商売にならん。何事も匙加減よ」

「なんといい加減な。言ってる事がコロコロ変わりおる」

「また手ぇ止まってるぞ。駄弁ってないでキリキリ働けウォル坊」

「この生木が固すぎる。まるで乾いてないじゃないか」

「鎧一式着込んだ人間はそれより硬い。常日頃から刃には馴染んどけ。

 どう切れば良いかは手先と腕が教えてくれるようになる」

「っ!ササクレが……」


 慎重に刺を抜くと、ウォルはじっと自分の掌を見た。

 ひび割れ、土埃や泥に汚れ、剣ダコもそこかしこに出来ている。

 心なしか手の皮が分厚く、厳つくなっているようだった。

 軽く握りしめ、ゆっくりと開く。問題は無さそうだ。

 顔を上げると汗を拭いつつ、ロボがウォルに振り向いた。


「そろそろ日が暮れる。飯にするぞ」

 

 そうして、ロボは上着をひっかけると小屋の戸口を潜った。

 黒さびた平鍋をひっくり返したような焜炉に焚き付けを支度をする。

 ほくち箱から金道具と石を取り出して火種を拵え、

 ふぅっ、と息を吹きかけると枯れ枝に明るい色が灯った。


「万事そつなく手際良いな、アンタ」

「冒険者たるもの家事は一通り出来んと生き残れん。不自由、不足が友達だ。

 どれどれ、鍋と水と。スープみたいな麦粥だけじゃ味気ねぇなぁ」

「大の男二人がこれだけじゃ少ないよ。何かないの?」

「贅沢言うな。と言いたい所だが確かにナァ。食材調達忘れてたわ。

 その辺の……棚や、皿に何かないか?酒ならあった筈だが」


 粗末な木棚には幾つか食器が置かれており、その一つに干魚があった。

 ウォルが尚も探すと、使いさしの固チーズが平皿に乗ったままになっている。

 ひょいと手渡すと、ロボは調理を再開した。


「こいつら伸(の)して砕いて。どれ……多少マシにはなったか。

 お前も食え。腹一杯食え。先ずは食わねば。飯は体だ精神だ」


 砕いた塩鱈とチーズを鍋に投げ込みかき混ぜる事しばし。

 少年が湯気立つ麦粥に匙を付ける。淡く塩気の効いた、暖かい椀だった。

 不意に、莞爾(かんじ)とした笑みをロボが浮かべる。


「ウォル=ピットベッカー。よくぞ逃げず着いてきた。この俺が褒めてつかわす」

「何だよ今更。水臭い事を。アチッ、アチアチ……ふーっ、ふーっ」

「ケジメだケジメ。……やっぱ塩気が足りんなァ。都合して貰わねぇと。

 ともかくだ。直すべき点鍛えるべき点は多いが、思ってたよりはずっとマシだよ」


 思いがけない誉め言葉にウォルの頬が緩んだ。

 構わずロボは淡々と評価を続ける。基礎と心構えは固まった。

 両者はずっと鍛え続ける物ではあるが現状はひとまず合格点。

 今後は日々の継続と実践、そして兵隊としての訓練が必要だという。


「具体的に何すればいいのさ?」

「そうさね。隊伍の仲間とよろしくやれるようにならんとな。

 伍ってのは五だ。人が五人集まって一つの隊となり、より大きな群を──」

「待って。いきなり話が飛んでない?」

「最後まで聞け。まずは仲間内の一番手がさしあたってのお前の目標だ。

 単なる一兵卒、ただの無能ってんじゃイファお嬢や長老連の目も厳しい」

「冒険者の一党とは違うの?」

「違う。立場は俺の手下のままになるが、お前の担当は補助兵力、偵察役だ。

 馬に乗ったり、地を馳せたり。給料は無いが分捕り乱取りは出来るぞ」

「ただの山賊じゃないか」

「見ろ。その山賊が実に儲かる」


 ロボの親指の先を見ると、何やらガラクタが小山を作っている。

 よく見れば武具だの防具だのが乱雑に積み上げられている。

 向き直るとロボは高級な分捕り品だぞ、と言った。


「捕虜も売れるが管理が難しくてな。基本的に取りたくない」

「……殺すの?」

「そうだ。戦争やってるからな」

「野蛮だ」

「ようこそ野蛮な地方へ。お前もフレンズになれ」

「解ってたけどさぁ。死体は見慣れても、人が死ぬのは慣れないよ」

「人殺しは嫌か?まぁ、当然と言えば当然か」

「……」


 口ごもる。と、新たな疑問に思い至る。この黒服も明らかに正体不明である。

 先の経験に照らせば、ずっと聞かぬままではロクな事になるまい。

 全て投げ捨て逃げ出そうに状況に首まで漬かり込んでしまっている。

 毒食らわば皿まで。寒村カルトに関わるにしても情報収集は必須だ。

 ウォルは当たり障りのない質問を考える事、しばし。


「その、話は変わるけど。あの全身の傷なんで?」

「男の過去を詮索するモンじゃない──が特別に教えてやろう」


 台詞と裏腹にロボはやっと聞いたかと言った面付きだった。

 出るわ出るわ。上半身だけでも男の体はどこもかしこも傷跡塗れである。

 黒服は古傷を指差し、敵や戦場の名前を幾つも幾つも諳(そら)んじた。

 戦士、魔法使、騎士。龍が居た、化け物もあった。


 幾つもの昼、幾つもの夜に戦を歩いてきた履歴であるらしい。

 だが、問題が一つ。事実とすれば余りに傷痕の数が多すぎる。

 化け物じみた男とは言え、人ならば老いからは逃げられない筈だ。


「オッサンさぁ。また僕をホラで担ごうとしてるだろ」

「これなんかすげーぞ。伝説の勇者様と切り結んだ時のだ。流石に死にかけた」

「ハァ……もういいよ、解ったよ。しっかし」

「オッ、どうした。お前も武勇伝の一つも欲しくなったか?」

「ちゃうわい。あのさ、どうも最近、前よりも体が軽いんだ」

「そりゃ恐らく……魂の欠片、俗に言う経験値の仕業だな」


 炙った干ダラを肴にすっかり一杯機嫌のロボが言う。

 何度も話題に上れど、大抵まぁ何となくの経験知でしか語られない。

 実にうさんくさい話だ。大体、魂の欠片だの自体が胡乱な話でもある。

 もう一杯傾けつつ、半裸の髭男は続けた。


「んー……あ、そうだ。アレだよアレ。龍の血浴びたろ。心当たりがある筈だ」

「ただの海水では?海賊は神様とか何とか言ってたけどさぁ」

「似たようなモンだ。塩はしょっぱい、血もしょっぱい。そうだろ小僧?」

「その理屈が通るならそのワインだって血液になるじゃないか」

「良いジョークだな。今度使わせてもらうわ」


 土の盃は揺れ、手中のぶどう酒が夜の海のようにさざ波を立てる。

 薄暗い灯火では確かに血と酒はよく似ていた。ぐいと一息に干す。


「血もまた魂の一欠片。異なる命、異なる気質を等しく細かく均して動かす。

昔話にも言うだろ。龍の血を浴びた勇士のお話だ。そういう奴だな」

「また与太話……第一さ、皇都だとアンタみたいな賊とか聞いた事もないよ。

血を浴びたり、殺しで強くなるなら幾らでもいないとおかしいじゃないか」

「大勢殺したろう凶悪な罪人を国やら土地の貴族やらが放置する訳なかろ。

 見つけ次第、片っ端から怪しい奴を殺して回ってるんだよ」

「うげぇ」

「だから国お抱えの騎士様とくりゃ年中戦争の事しか考えない連中になる。

 ま、斬った張ったを長年の渡世にしてりゃ、そのうち人間辞めちまうって訳さ」

「……」

「怖くなったか?いいぜ、人斬り稼業じゃそういう気持ちは大事にしとけ」

「なんでさ……強くなれないじゃん。強くならなきゃいけないのに」

「強いだけじゃいずれ死ぬ。より強い奴の餌になるか、裏切られるか。

 人間辞めても、人であろうとする事まで辞めると簡単に狂っちまうぞ」

「説教かよ。アンタどう考えても人間辞めてる側だろ」

「年食うとどうもなァ。で……どうしたい?」


 男の問いに答えたのは天を睨むようなウォルの目だった。

 ほぅ、とロボは面白そうに口角を持ち上げる。


「この俺が聞いてやろう。望みを言え、ウォル=ピットベッカー」

「ツクヤを生贄になんてしたくない。道理を曲げて奇跡を起こす」

「イファから聞いたか」

「聞いたとも。酷い話だ。決して許せない」

「なら必死で頑張れ。願いが通じるかも知らんぜ」

「そんな無責任だ。きっちり鍛えてくれよ。僕、ただの素人なんだぞ。

神様だの、名付けの秘密だの、最初の魔法だのそんな大げさな事なんて──」

「ガキンチョ、最初から俺頼みで考えるな。お前の願いだろうが。

鍛えてはやろう。教えてもやろう。だがな、成すのはお前自身だ」

「力があれば横車が通るんじゃないのか」

「確かにそうは言った。だが、万事につけ事を成すには相応の対価は要る。

 心無き力は何時か滅ぶが、力なき心はただの妄想だ。お前に覚悟はあるか」

「努力はする。他に僕が行くべき場所も無い」

「そうかい。だが、おひいさんに関してはノープランだろ?」

「悪いかよ。結果は決まってても足掻くだけだ」

「魔法や神秘の仕組みなんぞ俺も門外漢だからなぁ。なーんも解からん。

何が問題かすら正直解らん。だがな、方々探りは入れてやろう」

「……協力してくれるの?」

「俺が知らん内に状況を引っ掻き回されても困るからな。

ま、是非はこれからの戦働きで見定めてやる。……ん?」


 物音がした。複数人の足音だが、音を殺そうと忍んでいるようだ。

 すわ賊かとウォルは戸口に張り付いて聞き耳を立てるが、様子がおかしい。

 聞き覚えのある声が言い争っている。その内の一人はイファらしかった。

 何の用かと少年は眉を寄せて訝(いぶか)しむ。


「客だ。ウォルが開けてやれ」

「えっ、でも」

「お前が開けるんだ」


 果たして。雪崩れ込んで来たのは見覚えのある狐耳の一団だった。

 ジギトと呼ばれていた狐耳が片腕を上げてあいまいな笑顔を浮かべている。

 黒服は転がり団子になった若衆を見下ろしつつ言った。


「こんばんわ迷える子狐共。こんな夜更けに何のご用かな?」

「荒野の庵に愛と赦しを求めて」

「残念ながら両方とも品切れだ。欲しいならそこの赤毛に頼め」

「おっさん……また僕をハメやがったな?」

「隊伍のお仲間だぞ。お前がやらんと恰好がつくまい」


 戸惑うウォルに答えつつ、ロボは外套をひっ掴むと言った。

 

「俺ぁ中座する。適当に切り上げてとっとと休めよ」



 Next.


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