第21話 シシュポスの神話
「バーカ、お前らバーカ。特にジギト、お前だお前。
何勘違いしてんだ。先輩風でも吹かしたくなったのかこのバーカ」
「でもよォ、余所者が畑うろついてたら泥棒かって思うじゃんかよォ」
「思慮が足りてねぇんだよ、思慮が。短気粗暴はしょうがねぇとしてだ。
後でみっちり鍛え直してやるから覚悟しとけ。じゃあ次、ウォル」
「先に殴りかかって来たのはそいつだぞォ!?何で俺が!?」
「原因はお前らだろうが。ウォル坊、お前もお前だ。いいか」
抗議を聞き流しつつロボは向き直り、ウォルに指をさす。
気まずそうに縮こまっている少年に黒服はきっぱりと告げた。
「迂闊に過ぎる。もしも武器を持ち出す相手なら死んでたぞ」
「すみません……」
「もういい。お嬢さん方を待たせてもいかん。昼飯にしよう」
「ちょっと」
「どうしたイファ。塩とパン以外も準備した方が良かったか?」
「長老様もウォルに大切な話をしろって言ったじゃない」
「腹が減ると頭も鈍る。まずは食え。お前らもだ。いいな?」
千切ったパンを若衆とウォルに差し出し、黒服は言った。
有無を言わさぬ圧力に渋々ながら受け取り、そこらの瓦礫に座り込む。
固いパンに塩を乗せ、二人してもしゃもしゃ無言でかじる。
「おい、粗暴ヒトミミ。水飲むか?」
「飲む」
「さっきは早とちりで悪かった」
「殴り合ってる時は頭が一杯。けど、終わったらげんなりだ」
「奇遇だな、同感だぜ。所で、お前冒険者か?」
「そうだよ。そういうアンタは……」
「山賊兼自警団。この辺りにゃ多い。よろしく冒険者」
「さよか。こっちこそよろしく」
黒髪を頭巾でまとめつつ、自警団と称した狐耳はパンを飲み下す。
若干釈然としないものをウォルは感じるが、引きずっても仕方があるまい。
殴った回数殴られた回数の帳尻合わせをしつつ、何気なく傍らを見る。
パンと塩を無理矢理に詰め、頬を膨らませているイファの姿があった。
「うわぁ……栗鼠みたい」
「ごちそうさま」
「口元ぐらい拭きなよ。汚れてるよ」
「アンタに話があるわ。場所を変えるからついて来なさい」
一行から離れ、イファが立ち止まったのはうら寂しい廃屋だった。
天井と梁は抜け落ち、扉は朽ち、背の高い草が茂っている。
重要な話だとは言うが一体何事か。心当たりは幾つかある。
かの女の事だ。碌な話ではあるまいとウォルは内心で溜息をつく。
振り向いた娘──イファは両腕を組んで常以上に居丈高だ。
その尻尾など内心の表れか毛が大きく膨らんでさえいる。
何とはなしにこちらを威嚇する小動物めいた様子であった。
精一杯の虚勢を張っているのかもしれない。
「何だよ、いきなりさ」
「話があるって言ったでしょ」
「告白でもしたくなったとか。……冗談だってば、睨まないで」
「状況が変わったの。とっても残念だけど」
「まずさ、これまでの扱いとか全部謝ってくれない?」
「ッ……ゴメンナサイ」
「歯ぎしりするわ睨み付けるわ……不平不満が充満してまぁ。
もっと他に無い?握手とか……いや、もういいよ。我慢してるのは解ったよ」
もし憎しみで人が殺せたらウォルなど即死しそうな形相であった。
嫌われている事だけは良く解るが、そこまでされる謂れが解らない。
「名前さえ付けてなければ殺してたのに」
「訳が解からない。何でそこまで」
「今からその話をするわ。聞きなさい」
「嫌だね。お前の手下になった覚えはないよ」
雇い主の雇い主は主人ではない。当然の返答であった。
これまでの態度をいい加減腹に据えかねていたのもある。
一体全体どう逆ねじをくらわしてやろうかしら、とウォルは思案した。
だが、様子がおかしい。どういう訳かイファがうろたえ始めた。
「お願い、聞いて。あの子の事だから」
ややあって、半ば哀願するような台詞が返って来る。
予想外の反応に気おくれしつつ、ウォルはがぶりを振った。
「言っておくけど、許した訳じゃないからな」
「それでもいいわ。あの子──ツクヤの為になるなら」
「話って何さ」
「そうね……宗教と神様の話、かしら」
「帰っていい?僕一応は西国教会の平信徒だし」
イファは指を噛み、どこから話したものか思案し始めた。
やがてウォルに向き直ると、真っ直ぐに彼の目を見据えた。
「あの子はね、これから神様になるの」
「……は?待って話が急すぎる。いきなり神様って言われても」
「正確には神様の生贄と言った方がいいかしら」
「何だよそれェ!?じゃあ何か、名付けは駄目だってのも……」
「あの子が神様の心になるからよ。だから空っぽでなくちゃいけなかった」
「それじゃ、何。ツクヤは殺される為にここに戻った……?」
「そうね。そうなるわ」
出来るだけ考えないようにしていた可能性だった。
悪い冗談であれば良かったが、イファは酷く真剣な表情だ。
ウォルは慌てて駆け出そうとする。その腕を女が掴んで引き留めた。
「無駄よ。……諦めて」
「馬鹿ッ!今すぐ止めよう、止めないとダメだ。話せばきっと何とか」
「殆どの連中は疑問も覚えないわよ。私たちにとっての当たり前だもの」
「クソッ、お前!それでいいのか?あんな大変な思いまでしたのに!」
「──あの子はこの為に生まれ、育てられ、そう在るべくして在る。
一つの結果に向けて、ありとあらゆる現象が収束していくのだそう。
何と言うべきか……あの子が生まれた時に既に定まっていた、かしら。
嘘だと思うならその辺の石でも投げつけてごらんなさい」
「いきなり何を──なぁ、嘘だろ?アンタ僕を騙そうとしてるんだろ」
「事実よ。生贄になるまで、何をどうやっても絶対当たらないわ。
死んだりしたら生贄になれないから神様に守られてるんだって」
「誰がそんな事」
「一族の言い伝え。私も試した事はある。でも、駄目だった」
まるで訳が分からない。以前であれば冗談かと一笑に付したろう。
異常としか言いようのないツクヤの言動が鮮やかに脳裏を過る。
あの娘が、何か一つでも少年の常識に合致していた事があったろうか。
軽やかに水面で踊る姿は、明らかに彼岸の理ではなかったか。
奇妙な食い違いが音を立てて修正されていくのをウォルは感じていた。
「名前をつけただけで、なんで僕ぁそんな大事に巻き込まれたんだ?」
「始まりの呪文であり、意識を灯す火花だからよ」
「チンプンカンプンだ。なぁ、説明してくれよ」
「名付けってね、透明な力がどういう存在か定める事なのよ。
だから、あの子には絶対に名前なんて与えちゃいけなかった。
方向を与えればそれが認識を括り、世界を象(かたど)るコトワリが歪んでしまう」
「なんと大袈裟な」
神の名とはつまりコトワリであり契約であり力そのものである言葉だと言う。
故にその名をみだりに語るべからず。騙るべからず。造るべからず。
三重の禁止はまるで信徒が朝な夕なに諳(そら)んじる聖典の一節だ。
或いは呪い師が勿体ぶって客に語る手練手管の前口上のよう。
ウォルを半ば無視し、イファはまるで独り言のように語り続ける。
「名前のせいで純粋な力に過ぎなかったあの子は人になってしまった。
人になった贄が神へと上がれば、神様が人の心を持つ事になる。
誰かの為、何かの為、明確に意志を持つ神様ほど恐ろしいものはないわ」
「何でそれがダメなのさ。世の為人の為、結構な事じゃないか」
「ご先祖様達もそう思ったんでしょう。でも、その王国は無惨に滅んだ」
御覧なさい、そう言ってイファは辺り一面の草原に点在する瓦礫や廃墟を示す。
振り返り、険の取れた横顔をさらしながら他人事めいて女は言った。
「強すぎる力に飲み込まれて。願いを叶えるお人よしな神様に頼り過ぎて。
四方諸族を平らげて奴隷とし、生と死すらも自在であると思いあがって」
「この瓦礫の山はやっぱり……」
「私達の国の亡骸。無数の死体と奴隷で築いたらしいわ。
こんな場所に都なんて!愚行に付き合わされ、さぞ大勢死んだんでしょう」
イファは昔語りを続けていく。
曰く、願いを叶える神の為、狐耳達は常に犠牲を捧げ続けた。
そうあれかしと望んで育てられた神は愚か者たちの願いを聞き入れ続けた。
出来上がったのは四方諸族を奴隷とし、その骸さえ使役する者達の王国だ。
死体と奴隷に囲まれた王国の栄華は何時までも続くかと思われた。
しかし、ある時一人の英雄が現れた。彼に味方する神々や天使達も。
行き過ぎた傲慢に対し神罰が下り、国と都は僅か十年ともたずに滅び去る。
為に、狐耳は生贄を捧げ続け、自らの神を封じる盟を課せられたのだという。
何とも救いの無い自業自得。それでも一族の命脈は絶えなかった。
当時の力も魔法もほぼ全て散逸し、今は瓦礫と恨みが残るばかり。
けれど助命の代償に課せられた責務は種族が死に絶えるまで終わらない。
先祖がしでかした所業の報いは今も続いているのだ──と。
「散々喋って結局、何が言いたい」
「重ッ苦しい話を抱え込むのに疲れただけ。笑っちゃうでしょ」
「僕にここまで言えって命令されたのか?」
「本当は誤魔化す事になってた。けど、もう全部嫌になったのよ」
イファは疲れた顔で弱弱しく笑った。見た事のない悲しげな笑顔だった。
少し離れて向き合うウォルは、未だ情報を咀嚼しきれないまま眉間を押さえる。
会話は途切れ、しばしの間沈黙が垂れこめる。
袋小路のどん詰まり。あても無く、ただ終わりを待つばかりの女。
飽く事無く力尽きるまで続く罰としての無益な苦役、哀れな犠牲。
ウォルは口を引き結んでイファへと一歩、歩み寄った。
「僕はどうすればいい。お前は僕に何をして欲しい」
「僅かな間でもいい。あの子をきっと幸せにしてあげて」
「解ったけどさ。けどさ、結局アンタはあの子の何なのさ?」
「ツクヤのお姉ちゃん。話してなかったけどね」
「似てるとは思ってたけど……最初から言えっての」
「大事な妹に手ェ出しやがった間男に話す訳無いでしょ」
「事情は解った。けど、許した訳じゃないぞ。ったく……」
結局のところ、過保護な姉のやり過ぎだったと説明がつく訳だ。
黒服の言葉通り、旅先で余裕を無くしていたせいもあるのだろう。
ウォルは眉間を押さえながら何を問うべきかを考えていた。
「なぁイファ、君は本当は何がしたいんだ」
「私のお役目をきちんと果たし──」
「本音を言えよ。もしも面倒な事が全部なかったとしたら?」
「ありえないわよ。私には責任もある」
「考えるのは自由だろ。物語を夢見るだけなら誰の損にもならない」
「──そうだなぁ、こんな因習村捨てて都会に行きたい、かな。
その時は案内してくれるかしら、ウォル君。もちろん、私の妹も一緒にね」
遠い約束は別離に似ていた。嘘は無いのだろう。
普段とは別人のように穏やかなイファの表情は、諦念の色がさしている。
ウォルは、唇を引き結んで口角を引き上げ、薄い笑みを作った。
「解ったよ。僕も男だ。ギリギリまで粘ってみせる」
「馬鹿ね。信じちゃうわよ。何が出来るっていうの、アンタに」
「約束なんて出来ないけど、僕の持ち場で出来るだけの事はやる。
それに僕は君を、こんな場所から連れ出したいって思ったから」
何が出来るかなんてまだ解りもしないけれど。
か細い決意だろうが願うだけならば誰の損にもならない。
ならばと少年は自由と解放と、それから幸せとを願った。
何時か、白い手に引かれて狭い部屋を飛び出した夜のように。
単に無駄な努力かもしれない。無意味な足掻きかもしれない。
誰にも忘れられた挙句、無意味無惨な死体しか残らないのかもしれない。
だがそれでも尚、一所懸命の自分自身の成すべきを成そう。
こんなに哀しい顔なんて僕は決して許さない、とウォルは思った。
「何それ。いきなりワケ分かんない」
「妹さんにも同じ事言われたんだ。だから今度は僕の番じゃないか」
イファはおかしげに笑い、少し照れ臭そうにはにかむ。
ウォルが真っ直ぐ手を差し出すと、それをイファがそっと掌で包んだ。
狐耳の娘に浮かぶ柔らかな微笑みは安堵の為か、また別の理由か。
君もこんな風に笑えるんじゃないか、と少年は認識を改めた。
急に照れ臭くなって手を離すと、少年はおどけた調子を作って言う。
「──最後にもう一つだけいい?」
「何かしら」
「どうしてツクヤ、僕なんかに懐いたんだろ?」
「さぁ、ね。神様の心なんて誰にも解らないわ」
Next.
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