第20話 転がるバカモン事件
「ったく……ホント無茶苦茶だよなぁ。慣れて来たのが恨めしい」
とぼとぼと道を歩きながらウォルは天を仰いでいた。
厳しい山脈は延々と頭上に列を作り、僅かな切通しの道だけが彼方に続く。
集落から少し離れた野辺には細々とした畑だの、手入れされた木立がある。
猫の額ほどの土地を耕して生きる、狐耳たちの厳しい暮らしぶりが察せられた。
「やだやだ、独り言ばっかりでまるで爺さんだよ。
色んな事があり過ぎたからなァ……あっ、鳥が飛んでる。キレイだなぁ」
天涯地角(てんがいちかく)の地ゆえ、自然だけは奇麗なものだ。
顔見せと言われても、こんな僻地の原住民相手に何をすればいいというのか。
村民はどいつもこいつも出会い頭から警戒心丸出しで取り付く島もなく、
声をかけたそばから逃げていく始末。完全に不審者扱いである。
しょうがなしにウォルは一人ぶらついているという次第であった。
そこらを歩いている内に名案でも浮かぶかもしれない。
「声をかければ逃げられ、談合からは締め出され、僕は一体何なのかしら。
いかんいかん、考えを変えよう。しっかし、良くもまぁこんな土地に村を」
里の立地は陸の孤島という一言に尽きる。
資材にせよ、物資にせよここへ運び入れるだけで大変な労苦であろう。
季節が来れば実に色鮮やかなのだろうが今はただ青々と木立が茂るばかり。
ともあれ秘境に残る繁栄の痕跡とその末裔たちの住処だ。
それなら一つ探索行と洒落こもう、とウォルは決心する。
道すがらに転がる古めかしい石碑に目を留めた。
苔むし、すり減ってはいるが神の姿らしきものが刻み込まれている。
ウォルはしゃがみ込むと、手で軽く埃を払いつつまじまじと観察する。
その碑(いしぶみ)には多数の尾を持つ、獣のような姿が浮き彫りされていた。
「さっきのお宮の神様だ。クソッ、名前ぐらい書けっての」
摩耗が激しいが、壁画に描かれたのと同じ存在であろう。
同じような背格好の石碑が、荒れ地にはぽつりぽつり据えられていた。
苔むした物があり、すり減ったものもあり、途中で真っ二つ割れたものさえある。
が、ささやかながら花だのが供えられている。今でも崇められているのだろう。
一つ一つをウォルが観察する。刻まれた姿もまた一様ではない。
と、言うよりも起点から少しずつ進んでいく絵物語めいて変化している。
理由はとんと見当もつかないが、ともあれ石碑群も一つの絵物語らしい。
地の果てから姿を現した獣が中空を駆け、やがて地平へと没していく。
おおむね同じような内容だが、地上の側にも何やら描かれているようだった。
天の姿とは対照的に、地に描かれるものはゴマ粒のように小さい。
かの姿が頂点に差し掛かるにつれて芥子粒が家を建て、街を拵え、積み重なる。
だが唐突に、下り道の始点と思しき碑だけが打ち砕かれている。
後に続いていく石碑も、地を描いた部分には何故か削られた跡があった。
損壊の理由はウォルには判別できない。
傍らに住居跡がある事からすると、区割りに使われていたのだろうか。
けれど、それも根拠定かならぬ憶測だ。思考の疲労を覚え、ウォルは天を仰ぐ。
「もういいや。考えない事にしよう。しっかし──」
この調子だと、本来は辺り一帯全てが街区だったのかもしれない
どれ程の威勢と繁栄を誇ったのかウォルにはまるで見当もつかない。
だが今となっては雑草に飲まれ、苔むした瓦礫が転がるばかりだ。
「昔の光はいまいずこ、って奴かな。よっと」
すっかり観光気分で瓦礫に腰掛ける。
と、彼方から四、五騎が勢いよく駆けてくるのが見えた。
馬上には外套を被った騎手たちの姿がある。嫌な予感がした。
みるみる内にその姿は近づき、土煙を挙げ乱暴にウォルの手前で止まる。
「……ええっと」
「おい、お前。物取りか?斥候の類か?」
「えっ、僕!?」
「そうだお前だよ、お前」
珍妙な髪形をしたコート男が指差しウォルを誰何(すいか)した。
騎手らの帽子や頭巾からは狐耳が覗いている。集落の若者たちだろうか。
背は高く、色は白く、全員残らず嫌味なぐらい美男である。
「いや、違うよ。僕は──」
「見ない顔だな。怪しい。凄く怪しい」
慌てて否定しかけた所で、ウォルは自分を証するものが何も無いと気付く。
数少ない手荷物は全てロボの所に預けたままの身一つだ。
黒服の名前を出す、イファの名前を出す。しかし、逆効果だったらしい。
騎手らは馬上でひそひそと何事か小声を交わし合い、大きく舌打ちした。
「逃げようとした作人かどこぞの奴隷か。それにしちゃ知らん顔だ。
まぁいい。どれであっても打ちのめしちまえば済むだろ」
明かな敵意にウォルはごくり、と生唾を飲みこむ。
「じゃあよ、今からこのヒトミミ野郎で遊ぼうぜ。丁度いい暇潰しだ」
一人が馬から飛び降りてそう言った。先の珍妙な髪形の狐耳だ。
油か何かで固められた黒髪が金づちか何かのように前方に張り出している。
何処にでも不良やゴロツキは居るものだなぁ、と場違いな感想をウォルは覚えた。
それにしても三対一だ。しかも相手は全員騎馬。とても逃げられまい。
一方のこちらは寸鉄帯びない徒手空拳──ウォルは、訓練を想起する。
様子を観察する。一人が下馬。最初からこちらを舐めてかかっている。
付け入る隙はある。調息する。相手は未だに何事か喚いていた。
黒衣の男が前に立ったならば瞬きの間に自分は昏倒しているだろう。
海賊らの頭目であればどうだろう。剛力でもって打ちのめされるだろう。
思考は加速する。彼らに比べれば、こいつらは弱い。ならば戦おう。
緩い笑みの形にウォルの口元が歪んだ。
ゴロツキ共は何やらふざけ半分に笑い出していた。
顔の横で両手をひらひらさせては、ウォルを指差すのは挑発のつもりだろう。
どうも少年が人間の耳をしている事を馬鹿にしたいらしい。
良し、解った。今すぐ解らせる。その決心が始まりを告げた。
「うおッ!?おまッ──」
ウォルは軽く前傾姿勢。直後に蹴り脚。その一歩が以前よりも奇妙に力強い。
少年は未だ気づかない。どういう訳か、不可思議な程強くなっている事に。
恐ろしく重かった荷物の山を今や軽々と背負えるようになっている事に。
未だ太刀打ち叶わぬとは言え、師父の足取りをぼんやり観て取れている事に。
鍛錬の成果か、それとも生き延びようとする意志の故か。
はたまた夜の海で龍の体液を頭からたっぷりと浴びたせいか。
ともあれ、ウォルの結論は単純だ。曰く、黙って殴られてやるものか。
窮鼠猫を嚙む、ヤケクソ気味の反撃であった。
突き進み、上体を大きく逸らしてゴロツキの顔面目掛けて打撲の運動。
相手は体を捻って直撃を避けるも姿勢が崩れ、それがまずは一手目。
二手目でウォルは相手の手首を掴む。まずは右、続いて左。
がっちりホールド、組打ちの距離でウォルは相手を睨み上げた。
「どいつもこいつも……本当に、本当に狐耳どもはどいつもこいつも!」
「チッ、離せ!何ワケ解んねぇ事言ってやがる!」
「人のッ、話はッ最後まで聞きなさいとッ、ママに教わらなかったのか!」
「親は関係ねぇだろうが親は!人耳の分際でよォ!」
「黙れェァこの駄狐ッ!人間様が今から教育してやろうってんだ!」
捕まえたまま、ウォルは顎を引き身を軽く屈める。
教育とは即ち打撃である。鋭い頭突きがゴロツキの鼻柱に突き刺さる。
髪型に不釣り合いに秀麗な顔面が怒りと鼻血に赤く染まった。
が、コート男は両腕に渾身の力を籠め、ウォルを上手から押しつぶしにかかる。
「痛ぇだろうがこの野郎!」
「面ぁ貸せ面ァ!対話ってのがあるんだ人間様には!野蛮人共!」
「先に殴りかかったろうが!?これだからヒトミミ野郎は顔が悪い!!」
「人耳人耳うるせぇよ!指さし笑う不良の分際で何を偉そうに!!」
「女みてーに髪を括ったガキンチョ笑って何が悪い!」
「あ゛――っ!あ゛――っ!また言った!また言いやがったな畜生!」
両者は低レベルな悪罵を投げ合いつつ、組み付いたまま足を踏みつけ合う。
やがて体勢を崩し、そのまま地面に転がり回っての掴み合い殴り合いだ。
力任せのレスリングと言えば聞こえはいいが、傍目にも実に見苦しい。
取り巻き共も最早静観の構えだ。巻き込まれたくないのかもしれない。
争いは同レベルの相手同士でしか成立せず、それ故にだらだらと長い。
その泥仕合は両者の体力が尽きるまで続く、かのようにも思われた。
「何やってんのお前ら……?」
聞き覚えのある声がウォルの耳に届く。
それは駄狐も同じだったらしく、殆ど同時に両者の顔が声の主に向いた。
呆れ顔をしたロボ=ヴォーダンセンと説教に精魂尽き果てたイファであった。
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