第14話 胎児の夢



 暗転。目を開くと、ウォル=ピットベッカーは海中に沈んでいた。

 仰げばゆらめいて輝く白い月。慌てて口を押え、顔を右往左往。

 すると、海賊船が下方に。頭上には緑色の目玉の輝きがある。


 ──龍の腹の中!?


 時すでに遅し。溺死一直線のデットエンド──泥のように意識が鈍る。

 そこで何者かが凄まじい力でウォルを引き上げた。ツクヤであった。

 少年の視界が大きく変転。気が付けば龍の中に浮かぶ大泡だった。


「ぐぅべっ!ごぼぉっ!!」


 悲しいかな常人には不可思議な周囲の光景どころではない。

 口から鼻から海水を噴き出しつつウォルは激しくむせ返る。

 水死寸前から奇跡の生還──顔を動かした先ではツクヤが目を輝かせていた。

 今にも飛び掛からんとする猫のようだ。嫌な予感がした。


「うぉるー!」

「ゴボーーーッ!?鳩尾に頭!鼻から塩水──!?ヌワーッ!」


 案の定、ツクヤが飛び掛かって来た。その拍子に狐耳の頭部が鳩尾に直撃。

 ウォルは顔中から液体を噴き出し悶絶。一方の少女は構わずじゃれついてくる。

 まるで甘える幼子のようだが、その怪力が冗談にもならない。


 ウォルなどとは情け容赦のない生物としての格差がある。

 悪意は無いかもしれないが、少年は生命の危機を感じつつあった。

 このままでは昼飯やら内臓が口からまろびでる大惨事待ったなしだ。


「ね、ね。ウォル。わたしのおともだちすごいでしょ!みてみて!」


 ウォルの危機に全く気付いていないツクヤがはしゃぎだす。

 ぐったりとする少年が残った僅かな力を振り絞り、震える声を上げた。

 その顔は蒼白やら赤黒やら実に忙しく色相を変化させていた。

 あと一歩であっけなく死亡するに違いない。


「や、止めて。止めてよ。痛い、苦しい……ごぼっ」

「!!」


 死にかけの声に勢いよくツクヤが飛び退いた。戸惑ったように縮こまる。

 まるで叱られた犬のようだ。狐耳に相応しく、どうも犬と猫の中間じみている。

 ウォルは大の字に倒れて荒い息。娘はその周りを歩き回って様子を伺う。

 何か思いついたらしく服の袖や下げ鞄を探り出すもその中身は何もない。

 諦めて屈みこみ、ぺたぺた少年の顔面を掌で探り出すに至る。


「げほっ、げぼっ……ねぇ、ツクヤ」

「えっとえっと。壊れてない?だいじょぶ?ごめんなさい?」

「何で疑問形。座って。座りなさい。今から大事なお話があります」

「う、うん。なぁに?」

「可愛いポーズしようとダメなものはダメです。そこに座って」


 忍耐も限界だ。可愛さに騙されてはいけない。

 この危なっかしい世間知らずに何か言ってやらねば気が済まない。

 うっかり殺されかけたのだ。腹を立てた所で責める人間もおるまい。

 今回ばかりは自分が正しい。ウォルはヤケクソ気味に腕を組む。

 それから袖を探るツクヤを見咎めて、糾弾する理由を無理矢理に捏ね上げた。


「ほら、前から言おうと思ってたけど、無暗にものをあげないの!」

「え!?なんでだめなの!?どうして?」

「いや、何でって言われても……お母さんとかに教えて貰わなかったの?」

「おかあさんいないよ?」

「ゴメン、変な事言った。それはそれとして」


 複雑な家庭環境らしい。が、異郷の慣習など知った事ではない。

 咳払いすると、勿体ぶった調子でウォルが改めて長広舌を再開する。


「ほらさ、人から貰ったら返さないといけない。返せないほど貰うのは嫌だし。

 何かズルして儲けたような気がするし……兎に角良くない。絶対良くないよ」

「お返しもらえるならいいの?どうしたらいい?」

「どう、とは?そりゃ、何を贈るか次第だよ。当たり前じゃないか」

「えっとね。それじゃあね。わたしはね、もともと沢山をあげる人なの。

 そうしなくちゃいけないの。かえしてもらっちゃいけないの」

「あ、うん。くそっ、この泡破れないな」

「うぉるー、ちゃんときいてよー」


 言いたい事は言い終えたとばかり、ウォルは脱出を探り始める。

 噂に聞く魔法の力か何かか。それとも海賊の言葉通りに神の力か。

 巨龍の胎内に浮かんでいる大泡は蹴れども蹴れどもびくともしない。

 くたびれ果てて座り込む。ウォルは向き直って大きく息を吸った。


「……深呼吸ヨシ。平静ヨシ。うん、僕は大丈夫」

「それでねそれでね。たくさんをね、ひろーくあげるの。海や空くらい。

 夜のあいだはずーっと。きらきらの朝が来るまでずっとだよ。すごいでしょ」

「そんなのまるで神様じゃないか……あのねぇ、人間にはそんな事出来ないの。

 僕を見なよ。職無く金無く明日も無し。けどこんなに元気で意気軒昂さ。

 喜ばせようとしてるのかもしれないけど──返せない借りって辛いんだよ」

「大丈夫!へーきへーき!だってわたしたちは」


 苦々しく呟くウォルに、言葉を区切ったツクヤが間近に顔を寄せた。

 大きく見開いた目の奥底にほのかな灯(ともしび)さえ見えそうなほどだ。

 少年の視線が慌ただしく動く。濡れそぼった服の娘の体はひどく細い。

 唾を飲み、動揺を抑えて曖昧な笑みを張り付けたウォルに、ツクヤが囁きかけた。


「──そう、わたしたちは自ら回る造化の車輪。あめつちの全てをしろしめす。

 旅人の手を導き、その望みを叶えましょう。ね、ね。うぉる、おかね欲しいの?」

「いや、だから……僕が欲しいものだって?」

「それともりっぱなおしごと?ひとをしたがえること?」

「おとぎ話の悪魔みたいな事言わないの。ツクヤだって人だろ?

 無償の力だの、お望みのままにとか無茶苦茶な嘘言わない」

「ホントだもん。なら、何をあげればいいの?」

「ねぇ、僕の気持ちは一体どこにあるのさ。単に君がやりたいだけだろ?」

「うん。ダメ?」

「お互いの気持ちが大事なの。そうね、僕が返せそうな……じゃあ」


 近すぎるツクヤを引き剥しつつ、思いつく。

 冗談交じりのアイディアだ。しかし、自分にしては冴えているとウォルは思った。

 生きる限り続く願い事。常に叶い、常に叶わないとも言えるものだ。

 旅して回り、愉快な仲間をかき集め。夜に昼間に、人の世には常にあるもの。


「お話だ。きっと僕は物語が欲しい──と思う。男のロマンって言うかさ。

 ダサイっ……ああ、バッカみたいだろ?でも冒険者なんてのはさ」

「お話。どんなお話?ね、ね。ウォル、独り占めしないで私にも聞かせて。

 はじまりの言葉で最初の一つ。たくさんをひとつに、ひとつをたくさんに」

「そんな事言われてもナァ。だって結果は自分で勝ち取るものだし。

 僕ただの雑魚だし。まだ何一つだって手にしちゃ──」


 娘が少年の手をふたつの掌で包み、ぎゅっと握り込んだ。

 言葉を遮って割り込み、きらきらした緑色の瞳が真っ直ぐに見つめてくる。


「まず一つめ!すすむとたくさん!ね、おしえてくれるよね?」

「はしたない……ま、いいや。つまんなくても笑わないでよね」


 断り切れずに語り出す。

 特筆すべき事もない。ありきたりで誰でも思いつく冒険譚だ。

 何処にでもいる子供が不思議な力に導かれ、遂には悪を打ち倒す。

 昔話めいた、聞き古された、手垢のついた──故に実現などしない奇跡。

 そうあって欲しいと願う事で、今日をやり過ごす為の大きな嘘だ。


「違う違う話し込んでる場合じゃない。早くここから抜け出さないと」

「おねがいしたらすぐ出してくれるとおもう。すごいでしょ!」

「そ、そうなんだ。すごいね!……あッ、いい感じの話思い付いた」

「聞かせて!聞きたい!」


 乞われ、どうにも取って付けたような話をウォルは並べ始めた。

 やれ良い服を買えば楽しそうだの、高い店で食事をしたいかもだの。

 具体性に欠けているのは少年の感性の乏しさ及びにうすら寒い懐事情の為であり、

 貧乏人と弱者には極めて冷たい皇都の通り相場の為でもある。

 まるで手の出ない陳列棚に並ぶご馳走。それを前に口から出まかせの大ぼらだ。


「どう?ワクワクしない?」

「よくわかんない。お洋服ってきれい?」

「そっかぁ……いや、本当言うと僕も解らないんだよなぁ。妄想だよ妄想!」

「楽しめば楽しいとおもう。きっとそうなる」

「それでも明日は来る、か。ああ、いやその前に」


 改めて周囲を眺める。大泡の表面はよく見ればシャボンのような虹模様だ。

 時々、見つめる瞳のような模様を繰り返しているのは考えない事にしつつ、

 ウォルは改めて絶望的な状況に大きなため息をついた。


「このままだと怪物のご飯。夜明け来るのかしら。ツクヤ、大丈夫?」

「うん。じゃあこの子に今からお願いする──」


 ふと言葉を区切り、ツクヤが水面に揺らめく海賊船の方を見る。


「じゃまをする人だ。否という人だ」



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