第10話 号令!水上戦準備!



 空は快晴。帆を風で膨らませて船は進む。

 波頭を砕き、上下に揺れて、甲板の上やらマストで忙しく野郎共が働く。

 その一方で人事不省の船酔いに陥ったイファは船室で寝込んでおり、

 黒服は船べりで釣り糸を垂れ、ウォル=ピットベッカーといえば。


「よっしゃぁ!もう負けねぇ!二度同じ技は通用しない!」

「僕、何でこんな目にあってるんだろう……」

「やる気出せ頭が赤いの!訓練にならないだろ!」


 ウォルの主観としては鍛錬と称した虐待の真っ最中であった。

 大の字に倒れた赤毛の少年が見上げた空はひたすらに青い。

 ついでに訓練用の棒切れで思い切り殴られた箇所が痛い。

 当然ウォルにそんな趣味は無い。放り込まれた状況はただ辛い。

 韻を踏むように少年の思考は途切れ途切れ流れていく。


 どうしてこうなった──全部行きがかり上の都合だ。救いが無い。

 全てを投げ出して海面に飛び込みたい気分にウォルが襲われ始めた頃、

 それまで黙って見ていたツクヤが不満げな唸り声をあげて近づいて来た。


「また……またウォルにいじわるしてる」

「なんだお前。俺を睨んでるのか?全く怖くないぞ」

「あなたキライ!むこういって!」

「何だとォ?チビガキの癖に生意気だぞ!口調も馬鹿っぽいし!」

「あげないもん!わたしの!」

「助けて……助けて……」


 言い争いを始める娘二人。狭間に捨て置かれ涙するウォル。

 無論、単なる子供の喧嘩を止める暇人は甲板上に一人もいない。

 今現在は船室で呻きつつ寝込んでいるイファなら割って入るだろう。

 だが、酷い船酔いに表を歩けないような惨状と相成っている。

 言い争いは徐々に熱を帯び、両者取っ組み合いになるのも近かろう。


 ──なんだこの状況……?

 放心状態のままウォルは引き起こされ、腕にはツクヤがしがみ付く。

 一歩も譲らずの姿勢を両者崩さぬまま、事態は平行線をたどっていた。


「子供同士は仲良しだねぇ。どう思いますか?解説の黒夫さん」


 腕を組んで訳知り顔に頷きつつ、そう言ったのはソーリアであった。

 釣り糸を垂らしたまま水面を眺める黒服に至っては振り向きもしない。

 子ねこのじゃれ合い程度にしか思っていないのだろう。


「犬も食わねぇな。……お、引いた。サシミって知ってるか?」

「生で食うアレ?俺ぁどうもなぁ。ああいうのはなぁ。

 ニシンとか酢漬けにすると旨いけど、そのままはちょっとなー」

「ライム絞って塩振ると食えるらしい。南の島で漁師に聞いた」

「新たな挑戦か。しかし器用な……お前なぁ、船縁にあぐらは落ちるぞ」

「何事も鍛錬だ。釣り糸垂れてだな、こう海の様子を観てんだよ。……ム」

「どーした。……ム」


 不意に。黒服とソーリアが申し合わせたように海面を覗き込む。

 それから彼方の海面を眺め、言葉を切り上げて目を凝らした。

 帆風はあれども天気は明朗。一見すると波も小さく穏やかな海だ。

 ウォルと海賊娘が男二人に向き直る。


「……オヤジ?どした」

「えーと、ロボさん。何か?」

「風上から魔物だ。来るぞ」

「風に向けて帆ぉ掛けろ!ボサッとしてると舵丸ごと食われるゾォ!」


 号令一下。

 並外れた巨躯とは思えぬ俊敏さでソーリアが跳ね、操輪に飛びついた。

 大きくきしむ音を立てながら帆柱が回り、孕む風に次々とセイルが膨らむ。

 船が揺れ、音を立てながら推進を開始した。


「誰か、誰か何とかしてー!」

「赤毛のウォル!何でもいい!重い物に掴まれ!」

「ちょっと、お前アレ知ってんの!?」

「大海蛇だ!」

「なんて安直な名前だ!海賊って馬鹿か!?ひょっとして馬鹿なのか!?」

「単純で悪かったな!──大旋回するから気を付けろ!」

「その説明が無い、説明が!うわーーーッ!?」

 

 飛んで来たガラクタが命中し、混乱するウォルが転倒。

 一方、海賊共が甲板後部に向かって走り、泳ぐ大海蛇が海面に頭を出す。

 アトラトルに収めた銛を男共が次々投擲。が、化物は怯みもしていない。

 一人の海賊がソーリアに向けて叫んだ。


「追い上げて来ますぜ!こりゃ逃げられねぇです!」

「化け物目掛け取り舵一杯!大砲に弾ァ込め──」

「親分!こっちと別の船が来やす!向こうも海賊旗!」

「何だとォ……こりゃあ面白くなって来た!」

「面白くありません!舳先で何か叫んでやす。全力で逃げてますよアレ」

「チッ、三つ巴の夢は潰えたか。何が見える?」

「柱のような水しぶき!恐らく大物!」

「よっしゃあ大当たり!客人にハジは見せられんよなぁ諸君!」


 フラー!フラー!フラー!迫る戦めがけて歓呼の三唱が響き渡る。

 牙を剥いて大笑を浮かべソーリアが目一杯に操輪をブン回した。

 大きく船体が傾き、急速に船の航跡が曲がり始める。


 ──もしも海鳥の高さから眺めたならば。

 二隻の船が急速に距離を縮め、接近し始めているのが見て取れたろう。

 相手船の船員が目視可能な距離まで接近するに及び、互いのマスト員が

 何やら手旗を振り回し始める。船上での簡易な意志連絡方法らしい。


 さて。話は変わるがカラベル船とは最新式の帆船である。

 自在に稼働する三角帆で風に逆らって進める上、小回りに優れて浅瀬も通れる。

 しかも比較的小型であるから、海賊たちのような少人数でも十分に操船可能。

 と、利点を並べれば流石最新式だと納得の一隻だ。


 であるが幾つか欠点も存在する。幾つも存在するとも言える。

 小型船ゆえに積載量に限界がある事。伝統的な海賊船より極めて高価な事。

 また、構造上重心が高く、振り回し過ぎると転覆しかねない程甲板が傾く。

 当然船室も縦横無尽にシェイクされ、イファなど今頃地獄を見ている事だろう。


 閑話休題。今現在の甲板はまるで嵐の中のような有様だ。

 ソーリアの操船技術や海賊たちは大したものであるのだろうが、

 うっかりしくじったが最後、すってんころりん転覆一直線のヤクザ操船である。

 ウォルなどそこらにしがみ付いて悲鳴を上げるばかりだ。


「何。何この。うっぷ。ふ、船酔い。助けて、助けてーー!?」

「この軟弱もの!戦士の誉れが今から来るぞ!」

「帰って!そんな誉は水平線の向こうまで今すぐ帰って!」

「怖いなら歯ぁ食いしばれェ!笑え!しくじったら死ね!」

「アぁぁんまりだぁぁぁぁぁーーーーッ!!」

 

 暴言に悲鳴を上げるウォルを他所に、状況は更に加速する。

 死の嵐へ飛び込むのが戦士の流儀か何かなのだろう。

 親指を立て片手を伸ばし距離を測っていた観測員が眼下に向けて報告した。


「方向ドンピシャこのままで直角交差!親方ぁ、指示を!」

「ギリギリすれ違ってそのまま回頭ォ。弾ァ込め急げェ!船を起こすぞォ!」


 壁面大型砲に加えて小回りの利く小型砲を使うらしい。

 火薬だの、手投げ弾だの、大型弩だのを海賊共が左舷側に集め始める。

 甲板上はまたも上下左右に揺れ続け、安定しない事この上ない。

 そんな中でさえ船べりに座って黒服は釣果を見ていた。

 小鯖である。ロボ=ヴォーダンセンは木桶に釣果を放り込んでぼやいた。


「……また小物か。さて海賊共のお手並み拝見だな」

「オッサンーーー!?この地獄絵図で何やってんのオッサンー!!?」

「釣りだよ釣り。魚釣る奴。ウォル坊、そんな叫ぶと舌噛むぞ?」


 言葉の直後、船体を傾かせ海賊船が大きく左旋回を開始。

 当然ながら甲板も斜めに傾き──べしゃっ、とウォルが転倒。苦悶する。


「ぐへぇッ!?うごっ、うごご」

「さぁて、楽しくなって来た」

「どこふぉがだよ!」


 他方、揺れを利用し、器用にもあぐらのまま飛び上がった黒服は着地。

 ウォルは衝突寸前に迫りつつある相手の船腹に悲鳴を飲み込む。

 間一髪ですれ違う二隻。追いすがってくる新手の大海蛇。

 その大蛇は実に大物で、海賊船程にも長かった。


「オッ、向こうの船はわき目もふらず尻に帆かぁ」

「来る、来るよォ!?二匹とも来てる!」

「早く準備しろ。海賊さん方もうやる気満々じゃないか」

「助けてくれないのかよ!?」


 思わず掴みかかるウォルを黒服はさっと避けた。

 勢い余って転倒しかけた赤毛の少年を支え、ロボは親指を立て笑顔を作る。

 怪訝に思っていると、髭面は腹立たしいほど良い表情で台詞を吐いた。


「強くなれるチャンスだ。いいかぁ、敵と試練は男の子を鍛えてくれる。

 狐耳のあの子を振り向かせたいなら強くないといかんぞ、少年よぉ」

「お前馬鹿ぁ!これ僕死ぬ奴じゃないか!まだ死にたくない!」

「当たり前だろ。死の無い試練なんぞ辛子の無い豚肉と一緒だ」

「チクショーーー!理不尽だ!不合理だ!呪ってやるぁーーー!」

「骨は拾ってやろう。死ぬ気で頑張れウォル=ピットベッカー」


 それはさておき。

 大きく傾いていた船体が水平に復原。

 狙い過たず待ち構えていた砲門、ハンドカノン、バリスタ等々。

 海賊共が手に手に飛びものを構え、大海蛇目掛けて狙いを付けた。


「時ィ今!全門斉射!撃てェッ!」



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