第6話 酒と僧侶と女と涙



 その日は一味にとって最悪の一日であった。

 死に対して喧嘩を売るほどの最悪は他にあるまい。


 黒い冒険者は夜風のように草原を馳せる。

 彼が追跡するのは夜盗共とそいつらに襲われていた旅坊主の幌馬車だ。

 突然の悲鳴に老僧が振り返る。そこでは前触れなく絶命した賊が落馬。

 代わりに駿馬へと跨るは勿論、ロボ=ヴォーダンセンだった。

 

 ここまでが昨晩の話である。

 明けて本日。馬車と老僧を加えた一行はゴトゴト田舎道を進んでいた。

 揺られつつ、虐待めいた訓練でロボに教えられた事をウォルは思い出す。

 曰く、お前は頭でっかちの経験無し。だから方々かけずり回れ。

 殺意を覚えるほど的確な指摘だ。言い返せないのが尚腹が立つ。


 けれども今の少年からは呪いの言葉がこぼれるばかり。

 全身筋肉痛と極度の疲労のせいだ。目覚めたものの、全く体が動かない。

 もはや人間というよりも馬車で輸送されるお荷物である。

 他方、老僧とイファは他愛ない世間話に花を咲かせている。

 話題が目的地に移るや、老人は驚いたような叫びを上げた。


「なんと!東に行きなさるか娘さん!こりゃ物騒な話じゃ!」


 老僧はとつとつ、如何に危険か娘に説教を始めた。

 始めは作り笑いで聞き流していたイファだったが、

 やれ信仰に欠けた野蛮人の土地だの、人殺しを生業にしている悪党の土地だの。

 その内容が半ば非難めいた調子になるにつれて口元が引きつりはじめる。


 殺されかけて興奮しているせいだろうとイファも理解はしている。

 が、その目は笑っていない。端麗な容姿も相まって一種異様な表情であった。

 軽く深呼吸を一度。よし何とか我慢できたと小声で自らに言い聞かせる。


「物騒だろうと何だろうと……私達、故郷は東です」

「むむむ。それは失礼。失言にござった」

「何がむむむですか」

「すまんすまん。年寄りのお節介、お節介じゃよ」

「全くもう。実家のご老人方を思い出したじゃないですか」


 誤魔化す老人にイファは苦笑いで応じる。

 しばらく黙り込んでから、おずおずと僧侶は横目がちに続ける。

 

「しかしなぁ……やはりなぁ。人が住むには過酷と聞く」

「私達の所は普通でしたよ。何もおかしくなんてありません」

「普通というのが困る。誰しも、自分の見てきたものが普通と思いたがる」


 自分だってそうだ、と老僧は付け加えた。

 己が教えを説くのは、あくまでもそれが正しいと信ずるからであると。

 しかしながら、耳を貸さない者に言葉は意味をなさないのだと。


「お坊様の仰ることとも思えません」

「ワシがそう思うだけじゃよ。皆、自分は普通と思わねばやりきれん。

 生とは刃の上を歩くようなもの。素面ではとても耐えられん……とと」

「お坊様なのに昼間からお酒。何とまぁ」

「田舎助祭時代からこればかりは辞めれんでのぅ。一杯どうかね?」

「……サロがあれば」

「あるぞい。旅の疲れにはコイツと酒が一番」


 サロとは塩漬けにした脂である。一般的な保存食だ。

 そのまま食べるほか、パンに塗ったり、溶かして食用油としても使われる。

 何より、酒のつまみとして抜群である事でも良く知られている。


 イファは固い黒パンをざくざく粗くナイフで割る。切ると言うよりも割る。

 黒地の上に白いサーロを乗せる。白い指がぶどう酒の革袋を決断的に捕まえる。

 勢いよく酒袋の封を抜き、驚愕の角度でイファは酒を煽る。唖然とする老僧。

 ウォルは目前の惨事に顔を覆い、ツクヤはすんすんと鼻を鳴らしていた。


 彼女はもう尺取り虫のように移動するウォルに気づきさえしない。

 しとやかな乙女を演じ続ける限界点にイファが達した事明白であった。

 色々と危険な状況だ。疑問は尽きねど避難が必要になるかもしれない。


「驚いた。イケる口じゃのぅ。まぁ、人とはかくも弱いものなんじゃよ。

 飲め飲め。神や教えの真実(ほんとう)など人の身には畏れ多くて解りゃせん」

「……そうですよね」


 思う所があるらしく、イファがゆっくりと頷く。

 頷くや、素焼きの盃に並々と注ぎ、一気に酒をあおる。


「そうだとも。神の言葉を伝える者も所詮は同じ人間に過ぎ……おおぅ」

「そうれすよね。うん、そのとうりれふ」


 早くもろれつが怪しい。彼女は酒袋を斜めに再びぶどう酒を勢いよくあおる。

 どうやら絡み酒だ。しかし老僧は動じない。年の功か何かに違いあるまい。

 手酌で自らも一杯始め、やおら話の道筋を逸らし始めた。


「やはり東の人じゃのぅ。拙僧も昔、旅をした事があって」

「そうなんですね!凄いです!でもですね、どうにかならないんですか

 何か最近、西からそちらのお仲間が大勢やって来て……聞いてます?」

「お、おう。信仰を世界に広げるのもまた西国教会の務め」

「お坊様、みんなみんなひどいんです。私こんなにがんばってるのに」

「心配ござらん。拙僧が見事お悩みを聞いて進ぜよう」


 老僧が居住まいを正すのが後ろに見えた。

 少女の手をウォルは引く。喚く酔払いなど子供に見せるものではない。

 予想の通りにイファの口から弱音やら愚痴やらが漏れはじめる。


 イファ曰く、やっと見つけたのに全部台無しになっただの。

 でも本当に良かったけど上にどう説明すればいいか解らないだの。

 皆言っても多分納得してくれないしどうしようだの。

 どうにもならない事への不満がどろどろと聞こえる。


 おまけに、元凶は大体ウォル=ピットベッカーだと言いたいらしい。

 もう付き合いきれないとばかりに御者台へと二人して避難を決め込む。

 尚も背後からは愚痴とも涙声とも取れぬイファの言葉が聞こえていた。

 うんざりだ。ウォルはもう耳を貸す気すら無かった。



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