第3話 黒衣の男



 手を引かれて宿を飛び出し、二人連れで路地をどう走り回った事か。

 勝手知ったる界隈とは言え、冷静さを欠けば迷宮のようでさえある。

 ようやく一息と壁に手をつき、前のめりで息を整えるウォルに不意に声がかかる。

 顔を挙げれば、顔見知りの中年女が面白げな顔で立っていた。


「何だか面倒に巻き込まれてるみたいだねぇ」

「悪い。僕もさっぱり解らないから説明できない」

「そ。まぁ、イモでも食べていきな。余りもので悪いけど」


 と、芋売りは二人分の焼きじゃがを差し出して来る。

 短く礼を述べて受け取ると、よろめきながら建物の壁に寄りかかり、

 そのまま背中を預けた格好でウォルは地面にずるずると座り込んだ。

 一方、ツクヤはあれだけ走り回ってもまるで平気らしく、

 渡されたジャガイモをためつすがめつ。あちこちから眺めまわしている。


 奇妙な娘を横にこれからどうしよう、という心配が一瞬浮かんだ。

 何故か部屋に変な子供が居て、武装した大勢に追いかけ回されている。

 訳が解からない。訳は解らないが、自分のような餓鬼にとっては大事件である。

 と、ウォルはこれまでの出来事をぼんやりと思い返していた。


 さっきの暴漢共、見た目こそ雑であったが腕っぷしだけはあろう。

 一振りで張り倒したツクヤが居なければどうなっていた事か。

 夢うつつの願望がいかに愚かであったか思い知らされたような気持ちだった。

 不意に、薄汚れて狭い自分の部屋に帰りたくなり──娘の声が思考を遮った。


「ねぇねぇ、うぉる。これ何。これなぁに?あつあつで、ほかほかだよ」

「ああうん。ジャガイモだよ、ジャガイモ。皆大好きジャガイモ。

 僕ぁもう飽きるほど食ったけど、まぁいいや。とろチーズ付けて食べなよ」

「あらまぁウォル坊、急に妹さんが出来たみたいだわね」

「うっさいな、放っとけよ婆ちゃん」


 視線を湯気立つじゃがに落す。チーズが垂れている。

 ふと、先程壁にめり込んでいた暴漢の顔に似ているような気がした。

 骨が砕けたか、ひしゃげた顔から何か垂れていたような記憶が蘇る。

 狭い廊下にも何か人間らしきものが転がっていたような。


 そこまで思考が流れ、不意にアレは知人の死体だったのでは、と気づく。

 思わず手で口を押える。確かめに戻る事が出来ないのが口惜しい。

 仕方が無かったとはいえ、原因は自分にもあるのかもしれない。

 人が死んでしまった、のだろうか。自分が関わって。


 ウォルは思わず罪悪感と吐き気を覚え、頭を振った。

 確かめたい、が出来ない。この娘を差し出せば助かるかさえ解らない。

 袋小路の思考を締め出そうとじゃがを口に詰め込み、無理矢理噛み砕く。

 塩辛い筈のチーズさえまるで味がしないような気がした。

 思考を無理矢理打ち切って頬を芋で膨らませたままの顔を上げた。


「まぁ!まるでアタシの若いころだよ。可愛い子だねぇ」

「きゅう?」

「ウォル坊。何処で拾って来たのか知らないけど大事にね」

「……ったく。調子のいい」


 ひょっとしてこの娘は馬鹿なのではないか?とウォルは思った。

 人間を軽々土壁にめり込ませてこの様子。悪びれた様子も全く無い。

 芋売りは調子の良い事を言っているが不安の種は尽きない。

 考えれば考える程、破綻した現状を思い知らされウォルは空を仰いだ。


「よぉ、坊主」


 不意に、気配もなく黒尽くめの男が現れ、そう言った。


「だ、だだだ誰だお前っ!?」


 飲み込んだ芋を思わず吹き出しそうな勢いで後ずさる。

 降って沸いたその男は実に奇妙な出で立ちをしていた。

 強い日差しにも関わらず、頭の先から靴先まで黒づくめ。

 衣装の例外と言えば腰に下げただんびらと帽子の赤い羽根のみ。

 黒いマントを羽織った、髭面の壮年の男だった。


「俺はロボ=ヴォーダンセン。ただの冒険者だ。お初にお目にかかる」


 帽子を脱ぎ、礼儀正しく一礼してウォルの誰何(すいか)に応じた。

 次の瞬間、体を起こしロボと名乗った男が振り返る。誰か走って来ている。

 慌てた様子で何やら喚くそいつは背後に大勢の追っ手を引き連れていた。

 芋売りが口を押え、僅かに悲鳴を漏らす。


「冒険者―――!早くこっち助けなさいーー!早くーーー!」

「あらまぁ必死な顔して。ま、あの数は流石に手に余ったかね」


 余裕など微塵も感じられない叫び声であった。

 段々と追いつかれているようにも見える声の主は黒服の連れらしい。

 嵐めいた勢いでやって来る敵勢を眺めつつ、男は気楽げに息を吐く。

 飛んで来た弩の矢を素手で握り止め、投げ捨てた。


「すまじきものは雇われ仕事。さて、全員ブチのめすか。

 おい、坊主。逃げるんじゃねぇぞ……って、遅かった」

「何やってんのよ馬鹿者!折角あの子に追いついたのに取り逃して!」

「イファよぉ、仕方ねぇだろ。今から団体様の相手で忙しいと言うに」

「泣き言は聞きたくない!」

「へいへい。全く、とんだお嬢様だこと。無茶苦茶ばっかり言いおって」


 男はしょうがなしと腰のだんびらに手を伸ばす。

 しかし、その仕草を見るやイファと呼ばれた女が鋭く制止の声を上げた。


「殺すな。きちんと後始末が出来る人数じゃないでしょうが」

「……本気で言ってんのか?追加料金だぜ」

「倒れてる奴からの略奪を許可する」

「あんまりお優しい言葉に涙が出そうだよ。この棒きれで良いか」

「援護は?」

「邪魔だからいらん。坊主どもの居場所を探ってくれ。さぁて」


 そこいらに転がっていた長棒を黒服は足で跳ね上げ、構えた。


「通行止めだ。身包み脱いで料金置いてけロクデナシ共」




 /




「ま、撒いたか……?疲れた……」

「追いかけっこ?追いかけっこ?」

「あ、ああうん。心当たりは全くないんだけどね」


 逃げ疲れてへたり込むと川岸だった。大きく息を吸い込み吐き出す。

 ぶわりと全身から嫌な汗が噴き出すが、構わず辺りを見回す。

 連れて逃げたツクヤ。繋がれた小舟。棒を担いでいるさっきの黒服。

 そいつはあろうことか親し気に手を振りながらゆっくり近づいてくる。


「いよぅ小僧。お疲れの所悪いが顔貸してくれぃ」

「げぇっ!?怪人黒マント!?」

「ご挨拶だなー、お礼に来たってのに。ほれ」

「えっ、ちょ、金貨!?何でこんな大金……」

「少なくてスマンが謝礼だ。ウチの子を保護してくれてあんがとな」

「ええと、話が見えないんですが」

「そっちの子を連れ戻しに来たんだよ、俺らな。

 山越え海越え遥かな東からえっちらと。そらもう大変でよぅ」

「……ええと、つまりこの子の親御さんか何かで?」

「その辺りは想像に任せる。で、お前はお役御免、さようならって訳だ」


 ちらとツクヤを見る。嫌そうな顔をしてウォルの背中に隠れている。

 目の前の黒尽くめはどこから見ても不審者である。信じられる筈もない。

 様子を察したか、娘は獣めいた唸り声を上げ、威嚇し始める。


「ツクヤ!?ダメだ!止めろッ!」


 娘の振り上げた腕に宿での記憶が蘇る。

 一撃、二撃。あっさり黒服は避けて、まじまじ二人を見比べた。


「……これはまた。お前、その子に名前つけたのか」

「嘘だろ。今、頭が吹っ飛んだと思ったのに」

「毎日鍛えりゃ出来るようになんだよ。お前もやってみるか?

 ふぅむ……どうやら、その子お前には聞き分けが良いらしいな」

「理由は良く解らないけど。それに、今朝あったばっかりだ」

「おお、一目惚れか?カワイイ子だもんな」

「ぐぅっ」

「まぁ、オジサンはこれから恋路の邪魔しなけりゃならん訳だが。

 ……む。嬢ちゃんが追い付いてきたか。坊主、歯ぁ食いしばっとけ」


 ロボと名乗った男は帽子のつばを持ち上げて口を吊り上げる。

 それから、ふいとウォルから目線を離して後ろに振り返った。

 彼方からフードを被った男の連れが全速力で走ってきている。


「冒険者!状況は!」

「イファちゃんよ。見ての通り完全に手遅れだ」

「なんたる……ええい、どうすれば」

「え、ちょ。誰ですか貴方……ぐぇっ!」


 冒険者に詰問するや踵を返し、そいつは間髪入れずにウォルを殴りつけた。

 よろめきながら後退る少年を前にイファと呼ばれた頭巾はフードを脱ぐ。

 現れたのは少女と同様の狐耳をした美貌だが、目が怒り一色に染まっている。


「お前、お前――っ!この子に名前をつけたのか!」

「いや、僕はただ不便だと思って……名前もつけない方が酷いだろ!」

「何てことしてくれた!事情も知らない癖によくも!」

「さっきから全然訳が解かんないよ。説明してよ説明を!」

「あんたが知る必要は──むッ!」

「ひぃっ!?」

 

 彼方から飛来した矢玉が頬を掠め、ウォルが思わず悲鳴を上げる。

 詰問を中断し、追っ手の方向を睨むイファの前には黒服の男。


「新手だな。こりゃ辻ごと封鎖されたぞ。どうしたい?」

「アンタの仕事でしょ。さっさと給料分働け。こっちをアテにするな」

「アイアイ、世知辛いこって。坊主、お前はどうすんだ?」

「え!?何で僕!?お前らとは無関係だろこの不審者共!」

「向こうさんも、こっちの雇い主もそう思っちゃおらんさ。

 そこらで死にたく無けりゃ、まずは必死に生き残ってみせな」



 Next.



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