第22話 クレスタⅨ

「頭隠して尻隠さず。たぁ、このことだな」


「どちらかというと尻隠れず、ですね」


 夜半のトルトホルン南峰。灯油ランプを片手にした元山岳連隊の小鬼ゴブリン兵の先導で古い山道を登り続けてきた一〇九大隊の面々は、峰から大幅にせり出し、月明かりにぼんやりと浮かび上がった貨物飛行艦バージの艦尾部分を眺める。

 白灰色の迷彩色に塗られた紡錘状の艦体と方向舵・昇降舵は大きな影になっているが、艦尾下方から伸びた両舷一軸づつの主推進器の金属製二連プロペラだけは月と星の明かりを反射し、銀色に煌めいている。

 こんな大きなものが隠れていたのに気づかなかったとは。とホイスは呆れそうにもなるが、そもそもこんな山の中の古い山越えの道にまで入ってくる奴自体そうそう居ない。

 遠回りになるが山脈を迂回する隧道トンネルが開通した今、肉食獣や魔獣の類がうようよしているグロシュニィ山脈の上層をわざわざ登ってくる奴など、古風な修行者ぐらいなものだ。

 それならどいつも気づかなくて当然か。とホイスは再び呆れたのだった。


 古い山道から艦体の方に回り込める道に入り、艦の中程が見えるようになると、テオドールは艦名を確認する。『LB-26』と、二対の狼――中央軍の紋章と共にミッテルラントの艦を表す鉄丁字てつていじが大きく描かれているのを見て、溜息を吐いた。


「やはり間近に確かめると気が滅入りますか」


 メルセデスの言葉に、テオドールは頷く。


 延びた道の先は平らに慣らされ、飛行艦発着所らしい混凝土コンクリート敷きになっている。その先は山肌が削られていて、アーク灯の明かりが遠くに点っていた。

 あれこそが『クレスタⅨ』なのだろう。


 前の者の背を追って山を登ってきた百五十人余りの列は、飛行艦発着所の隅の、巨大な貨物飛行艦バージの影になっている部分で整列し、止まった。


「まずは私とミュッケ少佐、そしてノイチュ大尉以下魔導士官隊とギルマン准尉指揮の歩兵小隊が侵入します。残る全員は内部からの突撃魔信をティーレ上等兵が受け取ったら、突撃して下さい」


「わかりました。聞き逃しませんから」


 ゲルダはここまでアルマと共同で運んできた簡易魔信機材を広げ、疲れ顔で答える。


「中佐、わたしはどうします?」


 荷物運びに付き添ったアルマが聞いてくる。


「ファイト上等兵も侵入隊です。最終攪乱がお仕事です、ヴァッサー一等兵」


 はい、とリヒトは答えて、背負ってきた背嚢から、前もってテオドールから渡されていた発煙手榴弾を取り出す。それを彼女の鳥脚の弾帯に丁寧に挟んでいった。


「ちょっと、リヒト。近い、近いよぉ」


「アルマだっていっつも僕にやってるじゃん」


 潜入前に相応しくない恋人じみたやり取りを見て、他の兵はふんと鼻を鳴らして顔を背けたり、手のひらで目を覆ったり、逆ににやにやと笑ってみせ、テオドールとメルセデスは自分で命じておきながら、失敗したかなと顔を見合わせるのだった。


 やがてアルマの弾帯に手榴弾を詰め、他の兵も発煙手榴弾や手榴弾を弾帯に挟んでから、メルセデスは低く抑えた声で宣言した。


「それでは、『クレスタⅨ』制圧作戦を実施する」



 表の歩哨をこっそり近寄ってから銃床で殴って気絶させ、アーク灯のたもとに飛行艦係留用のロープで縛ったあと、侵入組は歩哨用の扉を開けて、『クレスタⅨ』と呼ばれる施設の中に入ってゆく。


「随分デカいんだな」

 

『クレスタⅨ』の入り口は、煉瓦レンガで巻かれたまるく、鉄道用隧道トンネルの二倍以上の高さと幅があるような巨大な隧道トンネルだった。天井にはばちばちと音を立てるアーク灯が点り、混凝土コンクリートの床には鉄道用のものと大差無い大きさの運搬用線路が走っており、工場で使われる缶詰のような太い胴体の無火機関車ファイアレスが平たい貨車を繋げたまま留置されている。


「恐らく元々あった洞窟を掘削機械シールドマシンで拡張したんだろうな」


 テオドールは声を反響させぬよう小さく呟く。もっとも、彼の声や兵たちの靴音、メルセデスの蹄鉄やアルマの爪先が混凝土コンクリートを叩く音は、どろどろと低い音を伴って流れる水音にかき消されていたのだが。

 隧道の右端には網がかかった水路があり、音はそこからしている。

 恐らく洞穴を広げるか施設を作るときに貫いた地下水脈を、この通路から隧道トンネルを通して外へと逃がしているのだろう。

 おかげで勘づかれることも薄く、資材や機関車を死角に、歩哨を昏倒させながら前に進めた。短い九六年式騎兵銃は当て身用の打撃武器としてもその威力を発揮するのだった。


 やがてトンネルを数百チャーンほど進んだだろうか。

 突然視界が開け、巨大な空間が広がる。

 元々は地下水侵食で出来た鍾乳洞だったのか。先程までの煉瓦巻きの隧道トンネルとは違い、氷柱のような天然の鍾乳石が垂れ下がるその空間は幅も数百チャーン、天井も数十チャーンに届かんばかりの広さで、トルトホルンの峰にこのような洞窟があったのかと驚かされる光景だった。


 だが鍾乳石の連なる高い天井とは裏腹に、その下部は混凝土コンクリートで固められた工場のような見た目となっており、アーク灯の明かりに照らされる空間では人や機関車がひっきりなしに動いて、しゅうしゅうとどこかしらから蒸気が吹き出している。

 天井に届かんばかりの大きさの船舶機関ほどある巨大なポンプの類や、内側からほんのりと青白く発光する、鋼と硝子ガラスで出来た桶のようなものが幾つも並んでいて、それに向かって建設現場のような足場が幾つも伸びていた。

 そのくせ機械油の匂いや石炭の匂いなどのむかつく工業臭は覚えず、鍾乳洞全体を何故だかラベンダーのポプリによく似た香りの空気が湿度を持って辺りを包んでいた。


「これが『クレスタⅨ』の心臓部ですか」

 メルセデスが機械の影に隠れながら、驚嘆と警戒の混じった声を上げる。

「テオ、あの大きなものは何をする機械なのでしょうか?」


 あの手の機械に門外のメルセデスも、一瞬であれがこの『クレスタⅨ』という施設の中枢部なのだとわかるほど、機械はその存在感を示していた。

 檻状の鋼鉄の補強がなされた硝子ガラス桶は三つほど並び、左から右に行くほど狭く小さくなってゆく代わりに、鋼鉄の檻が大袈裟になってゆく。一番左の硝子ガラス桶には巨大な蒸気ポンプが繋がれ、三つのフラスコは蒸留酒の蒸留装置のような鶴首で繋がっている。その中で青白く、液体じみたものが光っている。光も右の桶に行くほど強くなっていた。


「恐らく、液体魔素管を作るための魔素圧縮槽です。似たものをスラティの造兵廠で見たことがあります」


「あんなに大きいものなの?」


「まさか。僕が見たのはせいぜい二チャーン半程度の大きさで、槽も一つだけです。魔素管を作る際も光ってはいたものの、あんなに大袈裟な光も放ってませんでした」


 テオドールは魔素圧縮槽を見上げながら、今の状況でテオドールが想像できる自論を口にする。

 

「多分グロシュニィ山脈の分水嶺に穴を開けて、地脈流レイ・ラインから直にあのポンプで大量の地中の魔素を汲み上げているんです」

 テオドールはノイチュの方を振り返る。

「大尉。君の家やトプカプの今年の作物が小玉だったのは、あれが地中の魔素を横から大量に奪ってたからだ」


「まさしく農家の敵ですね」

 ノイチュが忌々しげに圧縮槽を見上げる。


「……そして恐らく、さっき見たトンネルの湧水もあの槽の冷却水やポンプの稼働用の蒸気機関に使われて、復水器や冷却器で漏れ出た高濃度の魔素が混じったまま排水されたものも混じってるはずだ。こんな山の中の施設、他に排水の行き場が無い」


 テオドールの説明に、メルセデスは先程どろどろと低い音を立てて流れていた川のような排水路を思い出す。


「その排水をマンティコアが飲んで……あの怪物が生まれたんだ」


「……全ての元凶はこの施設、そしてあの槽と言うわけですね」

 メルセデスだけでなくほぼ全員が、眉を吊り上げて青白く光る槽を見上げていた。

「ですがそこまでして何を作っているんです? あれは」


「僕が知りたいですが……恐らく超強力な魔素管でしょう。超高純度の魔石に勝るとも劣らないレベルの魔素を秘めた、液体魔素管を」


「そんなものを作ってどうするつもりなんでしょう。そんなもの、扱えるダイナモも軍艦並みになりますし、扱えば反動痛で即死ものですよ」

 ノイチュが訝しげな声を上げる。

 

「十中八九、それを使って戦略級兵器を運用するんだろう。戦艦や飛行艦をも凌駕する兵器に……」


「お喋りはそこまでにしましょうや。警備兵に気づかれます」


 ギルマンの声に、テオドールは頷く。

 遠くから見ると白衣を着た者や作業着を着た者、銃を持ってない兵の方が圧倒的に多いが、警備兵もおそらく少なく見積もっても百五十は居るはずだ。

 攪乱と制圧のためにも、もう少し観察が必要だろう。

 

「……あの足場に居る参謀たちは、責任者でしょうか」

 メルセデスの声にテオドールが振り向く。

 二番目の槽を囲む鉄の足場の上に、黒い制服に参謀飾緒しょくしょをつけた男が二人。一人は禿頭で背が低く、もう一人は髪はあり、他の兵と比べても少し背が高い。

 テオドールは嫌な予感が的中し、眉をひそめて『アッシャー・ヘイロー』の鍔に手をかけた。

 

「やはりお前もいるのか、イザーク」


 テオドールはメルセデスの方を振り返ると、覚悟を決めて開口した。


「あの二人手練れの魔導士官です。攪乱と制圧が始まったら私が相手します。中佐は他の警備兵をお願いします」

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