第21話 再びニニエル高地にて
ニニエル高地への二度目の行軍は以前よりは大分マシに思えたのは、涼しい秋の風が吹いていることと荷物が少し軽くなったからだろうか。
吹き飛んだ地面や岩肌が先の戦いを雄弁に物語っていたが、あの戦いの後、引き揚げるときにまだ辺りに転がっていた幾つものマンティコアの死骸はすっかり他の野生動物や魔獣に食べられてしまったらしく、残された骨が幾つか残る程度であった。
再び一〇九混成大隊はかつての集落跡に陣の天幕を張りはじめる。
軍服姿のメルセデスが「全員、傾注」と声を上げたのはその最中だった。
「ここまで伏せていたが、この行軍の目的はマンティコアの調査ではない」
メルセデスの言葉に、その場に居た多くの者がどよめく。
メルセデスとテオドールだけがその場で平然としているのを目にして、リヒトとゲルダは真っ先に、それにホイスやアルマたちは少し遅れて、ああ、と、薄々感じていた彼らの本当の目的を察せたのだった。
「この行軍の本当の目的はトルトホルン南峰に築かれた『クレスタⅨ』と呼ばれるミッテルラント中央軍施設の捜索と同施設の制圧だ。この施設は恐らくマンティコアの異常凶暴個体の生育にも関わっていた可能性があり、中央軍の越権行為の摘発と今後のマンティコア災害に備えるためにもこの施設を停止させる必要がある」
「つまり、俺たちァそのクレスタとかって場所に飛び込むための切り込み隊ですか」
そう返したのはギルマンだった。擲弾筒槍の柄をがちゃりと灰銀の鎧の肩部分にかけながら、じとりとした低い声でメルセデスに問う。
「その通りだ、ギルマン准尉」
メルセデスはあくまで硬質で温度の籠もらない声を保ちながら口にする。
「輜重隊にはここに残ってもらうが、それ以外は全員『クレスタⅨ』制圧へ向かってもらう」
「そこは了承しますよ。ただ少し気にくわないのは、俺たちまで騙してこの場所に連れてきたってことで」
ギルマンがテオドールとメルセデスを見下ろすように、首を少しかしげて、低い声のまま続けた。
「兵隊はどんな場所で命を落とすかもわからねえってのに、秘密にしたまま送り出させて、味方の施設に突っ込ませますって今説明して、何の覚悟も出来ねえし心残りのあるまま死なすなんて。酷え話だと思わないですか」
「その点については私が謝罪する。事前に情報が漏れることを恐れたんだ」
テオドールが割り込むように口を開ける。
「施設の主は中央軍の中のジグムント少将及びミュッケ中将派だ。トプカプ州軍にも、州軍内部での内乱を助長しかねない。だからザイサー司令と私が、皆に知らせるのはギリギリまで伏せることとしたんだ」
「司令までグルってことですか。士官様は本当に無理を下士官や兵に押しつけるもんで」
「士官として、ミュッケ伯家令息として恥ずかしく思うが、仕方ないと思って目を瞑ってくれ。中央軍参謀本部は言わずもがなだが、残念ながら州軍司令部も一枚岩の組織ではない」
テオドールはすう、と息を吸い、ギルマンを、その後ろにいる洋酒色の軍服や灰銀の鎧の数多の下士官と兵たちに向かって、高らかに宣言する。
胸が重い。ギルマンの言う通りにすべては士官や参謀職の独断専行や下手な武断政治が招いたことであり、テオドールもその一端に無意識に関わっていたのだから。
しかも自身は首謀者の息子であるという立場だ。
「ギルマン准尉。この作戦で我が隊に死者が出たとすれば、骨は必ず拾うことと、名前はすぐさま公表し、中央軍と我が父への追求の刃として報いることを、このテオドール・フォン・ミュッケがミュッケ伯家の名に賭けて約束する」
重い肺の空気を振り絞るように、テオドールが発した声はニニエル高地を揺るがす。
それはいつかの『巨人』の雄叫びに及ぶほどのものだと、その場に居た多くの者が感じていた。
「主任参謀は食えないが、人間らしい情があるのが良い」
ギルマンはふう、と重く溜息を吐くと、いつもの低いが、頼もしさの伴う声でテオドールに語りかける。
「その約束を果たすならば、下士官と兵は存分に働かせて頂くつもりだ」
「……ありがとう」
「俺たちはあんたの約束の言葉が聞きたかった。それだけだ。皆ユーラヒルの赤レンガの机でコンパス振り回してる連中の企みなんぞにトプカプが巻き込まれるのはごめんだと思ってるし、あんたがその一味とも思ってない」
ギルマンの言葉はテオドールの心に染みた。
自分は本当に半端な魔導師で良かった。
自分がミュッケ家の令息に相応しい魔導師だったとすれば、きっと今頃はギルマンの言った一味の側に立っていたのだろうから。
ユーラヒルの机でコンパスと色鉛筆を振り回し、兵を数としか数えられないまま、人魔国境に関して過激な独断先行策を口にしたり、将官の強硬策に追随する参謀飾緒をつけた中央軍魔導士官に。
隣に立つメルセデスの顔を覗き込む。
自分が半端者だから一緒に居ることを選んでくれた小さな人馬の女性は、柔らかく微笑んでくれた。
陣の構築は一通り終わった。中央軍の哨戒兵がいたとしてもマンティコアの調査と思わせる様な形に陣が整い、しかし夜闇に紛れて襲撃が出来るように夜襲の準備も整えて。
かつて山岳兵連隊におりトルトホルンの地理に詳しい小鬼兵を先触れにした捜索隊が幾つか編成され、昼間にマンティコアの調査と称して『クレスタⅨ』を捜索。
発見次第メルセデスとテオドール、そしてギルマン准尉と兵下士官数十名をその主軸とする潜入制圧部隊が編成され、警備の薄いだろう夜半から黎明を狙っての襲撃に移る。という手はずだった。
陣の中で簡易ティーセットで茶を啜っていたテオドールに、メルセデスが「テオ」と呼びかける。
「これ、エンツェンヴィル城を出るときにイレーネからもらった、テオと私宛のエリスさんの手紙です」
テオドールが眼鏡の下の灰色の瞳を凝らすと、灯油ランプの明かりに照らされた上等な封筒――軍用でなく、エリスの選びそうな白に文様の縁取りのある柄の封筒には、確かにエリスの名前と住所が青黒のインクで書かれている。
先に手紙を出したのはテオドールだった。
『クレスタⅨ』のことを知った直後、エリスにそれとなく父とジグムント皇弟の繋がりや参謀本部についての話を教えるように書いたのだった。
その返答が、この手紙らしい。
「封を開けてくださいませんか」
「うん」
テオドールは簡易机の上の折り畳みナイフを取って受け取った封筒の上を切り、便箋を取り出す。
流麗だがどこか力の入った自己主張の強いエリスらしい文字が、便箋の上で躍っている。
――親愛なるお兄様、お義姉様
時候の挨拶はあえて省かせて頂きます。
お兄様がどこで中央の様子をお知りになったかは知りませんが、お兄様のお思いの通りに、現在ジグムント皇弟殿下と我が父クルト=ミュッケは正体こそ知れませんが何か、戦略兵器のようなものを建造していると言うのが公然の秘密です。
貨物飛行艦を何隻も接収し、飛行経路も明かさずに飛ばしており、どこぞやで何かを建造、或いは精製しているものと思われます。
そしてお兄様の思うとおり、参謀本部は皇帝家の意向を気にしてジグムント殿下に強く出られていない。ジグムント・ミュッケ両派の将校や兵も粛正を恐れて告発を出来ないで居ると言うのも事実です。
先日もお兄様のご学友のハント大尉をお茶に誘いましたが、未だにお返事が貰えてません。
お兄様とお義姉様がトプカプでこの件にどのように巻き込まれたのかはおおかた察せますが、そちらの件に関わるつもりは私にはありません。
そしてお兄様にはミュッケ伯家令息の使命としてクルト=ミュッケ伯爵を止めることを望みます。もちろんお義姉様にも。
ミュッケ伯家後嗣の地位を保つならそのくらいのことは勿論して頂かないといけませんから。
私はお義姉様のおっしゃるところのこの国でもっとも勘違いした魔導師の尻を蹴飛ばし、私自身が星だと証明してみせますので。
それでは、お二人とも死なずにお元気で居て下さいませ。
――エリス=フォン=ミュッケ
妹独特の慇懃さが滲み出ているが、それでも彼女の知る限りの状況を知らせてくれている手紙を読み終えると、テオドールははあ、と息を吐く。
「後嗣なら父上を止めてみせろとは。とんでもないことを言うな、あいつは」
「でもエリスさんもテオのことを認めているのはよくわかりますよ」
それに、少なくとも私のことも。とメルセデスがつけ加える。
「星の話を彼女と別れる前にしたのですが……彼女は自分が星になる、帝国最高の魔導師になると仰っていたんです」
「帝国最高の魔導師か……じゃあ、この勘違いした魔導師というのは」
「ジグムント皇弟殿下でしょうね、間違いなく」
ジグムント皇弟は当代のヴィルヘルム=ルーハンス帝よりも魔法に長けた魔導士官でもあり、模擬戦や決闘では負け無しとも言われた人物だ。大口叩きで確かにこの国で最も調子に乗っているかも知れない、しかし実力は確かな魔導師を、エリスは倒してみせると宣言したのだ。
そう言う、星を目指すために気に入らないものを蹴飛ばして突き進もうとする姿は、テオドールも内心憧れるエリスの強さだ。
「ジグムント皇弟殿下に勝ってみせるとは、大きく出ましたね」
「勝てるよ。今のあいつなら。規格外に突き進める誰かを見た後だからね」
テオドールは優しい音色でそう呟くと、茶を啜る。
そんな天幕に誰かが駆け足で、或いは翼で空を撃ってやってくる。
ゲルダとアルマの二人だった。ゲルダは片手に紙切れを持って、肩で息を切っている。
「『クレスタⅨ』の場所、大体掴めました」
そう言ったのはアルマだった。
「魔信を傍受しようとしていたら、貨物飛行艦の着陸魔信のやり取りを聞いて。それですぐにアルマに空を飛んで見てもらったら、西北西十時三十分の方向に着艦表示灯と飛行灯の赤い明かりが見えたって言って。アルマの見た様子と魔信の内容から、間違いなく『クレスタⅨ』に着艦する中央の貨物飛行艦だと思います」
ゲルダが息を切りながら詳しく説明し、魔信の内容らしきメモを渡す。
着艦の誘導指示と共に、積荷の積み込みに関する指示が書かれている。
その中にテオドールは、出来れば見たくなかった文字列を見つけてしまった。
「テオ、どうしたんですか? 顔が険しいですよ」
「人違いじゃ無ければ……士官学校時代の学友の名前を見つけてしまったんだ」
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