第20話 新しい銃

「まぁた山登りと山猿かよ、本当にツイてねえなあ」


 兵舎でメルセデスとテオドールの口からマンティコアの生息域調査の命を受けて、ホイスが大儀そうにそう発する。

 小さな身体から発されるとは思えないほどメルセデスの声はいんいんと高い天井の兵舎に響いていて、ホイスのぼやきは周囲に聞こえる程度でかき消えた。


 

「とはいえ、ちゃんと調査しないとまた大変なことになりそうですからね。あの化け物マンティコアみたいなのがまた出てくるかもしれないですし」


「……お前、殺されかけたの懲りてねえのかよ」

 

 ホイスは隣で苦笑いを浮かべるリヒトの脇腹を肘で小突いた。

 五日前に軍病院を退院して、訓練に復帰したばかりのリヒトは、丘のマンティコア毒を受けた兵たちと同じように殆ど病み上がりの扱いでここに立っているのだ。

 彼の制服もボロボロになったスラティ州軍の菫色のものではなく、トプカプ州軍の洋酒色のものに変わっている。

 スラティへの帰還までの措置、とは言うが、ひょっとしたらもうずっとスラティ州軍の菫色の軍服には袖を通すことは無いのかもしれない。とゲルダが冗談で言ったのに苦笑いで返したのを思い出す。少しだけ、リヒト本人も本当にそうなりそうな気もしているからだ。

 

「そこ、黙らんか」


 近い位置に居たギルマンが恐ろしく低い声で静かに耳打ちしてきたため、ホイスとリヒトはお互いに顔を見合わせて、口を噤んだ。


「例の『巨人ゴリアテ』および『魔女ヘクセン』の死骸の解剖の結果、マンティコアの異常な繁殖や凶暴化には高濃度の魔素の影響があり、州の生体学研究所やザイサー司令も群れの住んでいたトルトホルン南峰に何らかの原因があるという結論に至った。我々はその調査、及び対処に向かうこととなる」


 そこまで言って、こほん、とメルセデスは咳払いして、続けた。


「今回の作戦は山岳地帯での行動故に歩兵・魔導士官主体であり、騎兵と砲兵の随行は見送る。輜重しちょう兵もニニエル高地に後方陣地を敷いた後は、軽荷と人馬兵の荷駄にだに限ることとする」


 メルセデスの言葉を引き金に、部隊の間にどよめきが発せられる。マンティコアの調査という長丁場の任務にもかかわらず明らかに戦闘時の火力や長期の行動力に欠ける編成に、いくら詳しい知識の無い兵士でも不安や不満を覚えざるを得なかったのだ。


「それはマンティコアを見つけ次第交戦するのには心許ない戦力なのでは無いでしょうか?」


 ノイチュが不安げに問う。もしマンティコアと出会ったときに自身の魔法では対処しきれないだろうことを、この前のニニエル高地の戦いで思い知っていたのだ。

 

「……その兼ね合いというわけではないが、新式小銃を受領することとなる」


 隣に立っていたテオドールが口を開き、後ろから器用に小銃を取り出す。


 あ、とリヒトが声を上げた。

 リヒトには見覚えのある、スラティ州の兵器廠で作られた無煙火薬の弾薬を使うクリップ装弾の新型小銃にその銃はよく似ていた。

 違うところがあるとすれば銃身が短く、槓杆ボルト回りの形が独特で、折り畳み展開の刺突式銃剣スパイクバヨネットがあることだ。

 テオドールは銃を手にして言葉を続ける。


「スラティ州の造兵廠から取り寄せた九六年式騎兵銃カラビナーだ。これを一〇九大隊の全部隊に受領してもらうこととなる」


 まだ中央軍とスラティと言った造兵廠のお膝元にある州軍にしか配備されていない無煙火薬式の小銃を受領するというのは太っ腹にも程がある話だ。

 いわんやトプカプ州軍はまだ主力の第一軍や第二軍でも二線級の黒色火薬式小銃を使っているというのに、いくら少人数の部隊とは言え一〇九混成大隊が最新鋭の騎兵銃を受け取るのは破格だろう。

 

 下士官から受領した九六年式騎兵銃を持って、ひゅう、とホイスは口笛を吹く。


「シュリーフ中佐とミュッケ少佐が侯爵令嬢と伯爵令息のワガママをザイサー司令やスラティの造兵廠に通して受領したんだぜ、きっと」


「ミュッケ少佐にそんな権限は無いですよ」


「この前のマンティコアの討伐の報酬と今回の迷惑料代わりに司令が持ってこさせたんでしょ。山で使いやすいような短い騎兵銃なんだし、絶対これからも山絡みの仕事任せられるよ。それか森絡み」


 リヒトの言葉に後ろにいたゲルダが騎兵銃を持ってぼやく。

 彼女はもう山や森はうんざりだとでも言う――銃以外に魔信機材を背負って山登りや森歩きをさせられる彼女としては、本当にうんざりなんだろうが――醒めた態度で新式の騎兵銃を見ていた。

 

 しかしリヒトとしてはこれ以上に心強いものはない、と言う気持ちが強かった。

 無煙火薬小銃の使いやすさと黒色火薬式の管状弾倉と比べものにならない連発力、速射性はよくわかっているし、歩兵銃よりも短く取り回しのしやすい騎兵銃ならば素早いマンティコアにも対応できるはずだ。

 ホイスのような黒色火薬式の単発ライフルにも慣れた兵士ならともかく、リヒトのような普通の兵士が持つなら現時点では最高の相棒だろう。

 リヒトは小柄な彼の手にもなじむ騎兵銃を手にし、メッキの施された機関部や折りたたみ式の刺突銃剣を見て独りつ。

 

「……これなら、何だって怖くない」


 全員に騎兵銃が行き渡るのを見届けると、テオドールはまた声を張った。


「トルトホルン峰へは三日後に出発する。今日、明日と今回の行軍に参加する兵は騎兵銃の慣熟訓練を行うこととする。以上」


 隊舎を後にするテオドールとメルセデス。その二人の姿が隊長室に消えるのを見送ってから、兵たちは突然の任務や新式小銃の受領という出来事に、あれこれと不満に不安、そしてさっき出て行った隊長と主任参謀の夫婦の邪推や根も葉もないホラ話に花を咲かせるのだった。

 テオドールがスラティ造兵廠に圧力をかけたやら、テオドールが泣きついてアリシア夫人に造兵廠に口利きするよう頼んだやら。リヒトはそんな話題で絡まれる度に上官の名誉をかけて、ミュッケ少佐やアリシア夫人にそんな権力は無いと訂正し続けた。

 おかげで夕食前にほとほと疲れ切ったところ、アルマにいつものごとく翼でわしゃわしゃと抱きしめられた時には、いつも以上に疲れが吹っ飛んでいった気がしたようだった。



「スラティ造兵廠には無理を言ってしまいましたね。ツーヤ州の第一軍騎兵隊に納入用の新式騎兵銃の半分を横から奪って、穴埋めを任せてしまった訳ですから」


 一〇九大隊の少し狭い隊長室。メルセデスがかつ、かつ、と蹄鉄で床を鳴らしながら、テオドールに向かってひそひそ声で話しかける。


「聞こえてくる兵たちの話じゃ、どうも僕が母に働きかけてミュッケ伯家の圧力でスラティ造兵廠に働きかけたことになってるみたいだけど……まあ当たらずとも遠からずだからね。司令も割り込みには僕の名前を使ってるようだし」


「司令が誤魔化してくれたおかげで受領の真意だけは伝わらないのは良いですけど、私たちに矛先が向かってしまいましたね」

 

 彼女の高く甘い声の囁きに耳がこそばゆくなりそうな感触を堪えつつ、テオドールも声を抑えて返した。彼女も耳をなんとなく居心地悪そうにせわしなくぱたぱた震わせてるのを見るに、きっとテオドールと同じ心地のようだ。


 九六年式騎兵銃の受領の真意は、『クレスタⅨ』への潜入と制圧へ向けてザイサーがかけた保険だった。

 トプカプ州軍が使っている装填速度や連射力に劣る旧式の黒色火薬と管状弾倉式の小銃では、恐らく今中央軍の標準武器になっている無煙火薬・クリップ装填の九〇年式小銃で武装した『クレスタIX』警備の中央軍兵に撃ち負けるのは確実だ。

 そこで同じくクリップ装填式の無煙火薬式で、なおかつ屋内や山岳での取り回しもしやすく、九〇年式小銃より連射力を強化した九六年式騎兵銃にザイサーは目をつけたのだ。

 そしてスラティ州の造兵廠にあったツーヤ州騎兵連隊向けに納入するため製造中だった銃の半分をザイサーがテオドールの名前を出し、半ば強引に買い叩く形で回したという代物が、一〇九大隊が受領した騎兵銃の正体だと言う。

 レーゲンラッヘンの英雄かつマンティコア討伐でも名前を売り、伯爵令息として付き合いもあったスラティ造兵廠もテオドールの名前を出されてはそちらを優先したのだろう。今頃造兵廠が一〇九大隊に渡った分の埋め合わせの騎兵銃を突貫で作っていると考えると、少しテオドールとしては心苦しい気もした。

 

「でも、割り込んで揃えただけの価値はこの騎兵銃にはあります」

 メルセデスは自分用に取っておいた九六年式騎兵銃を手に取る。


「手になじみますし、少し撃ってみましたが槓杆ボルトの仕組みが従来のものと少し異なってて、面白いくらいに連射できます。これなら乱戦でも活躍できますよ」


 メルセデスは手のひらを支点に騎兵銃をくるんと一回転させる。彼女の小さな身体には大口径の亜人用ライフルよりも短い騎兵銃が似合っているようにテオドールには思えた。

 騎兵の中で唯一マンティコア調査の皮を被った『クレスタⅨ』制圧戦に参加する彼女も、狭い施設らしき場所で騎兵槍や亜人用ライフルを振り回すつもりはなく、サーベルと騎兵銃を主武装にするとのことだ。

 がしゃ。とメルセデスは槓杆ボルトを引き、尻尾を振りながら満足げに頷く。

 そして決意の意志を宿した黒曜石色の瞳が、テオドールに向かう。

 

「私にも大隊にも屋内戦闘の経験はありませんし、もしかしたら中央軍の強大な魔導師が控えているかもしれませんが……私たちで抑えましょう。そうしないとまたグロシュニィ山脈で怪物が生まれ、多くの死傷者を出すやもしれません」


「そうだね。中央軍の高位魔導士官相手に僕がどこまでやれるかはわからないけど、これでも魔導師戦は得意だし、メルがいればどんな相手でも安心して戦える」


 テオドールは心の底から思ったことを口にした。

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